2011/08/15 - 2011/08/15
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kaji16さん
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8月15日は日本の終戦記念日。チェンマイでもインパール戦の
戦没者慰霊祭が行われました。
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朝の8時半頃チェンマイ市内のオーキッドホテルに参加者は集合。自家用車やソンテオに分乗して会場に向かう。
会場は市内から南約30分のメーワン群。 -
雷がなりひびいた雨もセレモニー開始時間にはやみ
穏やかな雰囲気がただよう。 -
会場は梵鐘がまず目に入る。
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その左側が慰霊祭会場。
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まず受付で記帳。
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約70人ほどの参加者。名前と連絡先を記入。
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受付でもらったパンフレッドによると、、、
日本軍はインド独立義勇軍とともにビルマに入り当時イギリス領であったインド北東部の都市インパールを占領すべく軍時行動を起こした。
しかし作戦は困難を極め死者7万人余り(一説には餓死者が10数万人)を出し、ついに昭和19年7月この作戦は中止となる。 -
その後日本兵はタイ国メーホンソーン県からチェンマイ県への道を通ってビルマ(現ミャンマー)より撤退した。
数多くの日本兵は、さらにこの撤退の途中で亡くなり、遺骨や遺品などは撤退路に放置されたままとなった、、、 -
当時撤退の日本兵に対してタイの人々は暖かかった。食事を与えたり負傷し傷つきマラリア等の病気を苦しむ日本兵には薬を与えたりした。日本兵も彼等の村の農作業や子守り等すすんで現地の人を手伝った。
そしていつの日からか、日本兵とタイの人々との間には微笑ましい穏やかな友情が芽生えたのである、、、 -
慰霊塔には1万8千7百柱眠っているという。
この場所は元々井戸がありそこに日本兵の遺体が多く発見された事で平成5年戦病没者追悼の碑として建立された。 -
式は黙祷からスタート。
弔辞やインパール戦の元兵士、 -
日本総領事の挨拶などですすみ、
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うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川の唱歌
「故郷」を全員で合唱。 -
その後一人ずつ塔前で献花する。
慰霊塔が建てられるいきさつはパンフレッドによれば、、、
平成元年、カンボジア難民移民の帰りに佐賀県の僧侶、および遺族の一行はチェンマイ県を訪れた。そのとき合ったタイの老僧よりこんな言葉が一行に投げかけられた。
「ここにはまだ多くの日本兵が眠っている。」「あなた方日本人はそれを省みようともしない。」「そんなあなた方日本人は人間か!」 -
老僧の言葉を聞き終えたとき偶然一行の中にいたインパール作戦の参加者が涙ながらに語り始めた。
「最初は遺体に土をかけて通った。」「次は遺体をまたいで通った。」「最後には遺体を踏み越えて通った。」と。
この事がきっかけとなり僧侶と遺族関係者で慧燈財団(etou.thaijp.net)を設立し、この地に眠る日本兵の遺骨収集活動を開始した。 -
平成13年にはこの追悼の碑敷地内に昭和天皇の御詠が刻まれた大梵鐘をいただく鐘楼も建立した。
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これはまだ収集されず今もジャングルや湿地帯のどこかで眠っている戦没者の追悼供養をするためでもあるという。
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慰霊祭は1時間余りで終了。帰路につく。
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