2011/06/19 - 2011/06/19
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滝山氏照さん
八王子駅から高尾駅に向かう甲州街道沿いに歴史遺産が散見されます。自宅から自転車で2~3分の所に周辺の歴史遺産を紹介する案内板を発見、早速訪問してみました。最初に訪問したのは江戸時代初期、徳川家康から絶大な信頼を受け、財政・治水・交通などに手腕を発揮し資力乏しい徳川家に多大な貢献をした大久保長安(おおくぼながやす、1545~1613)の陣屋跡です。
続いて訪問したのは武田信玄娘で武田家滅亡に伴い八王子に逃れ、本能寺の変で自害した婚約者の信忠の霊を弔いつつ、遺臣たちの面倒をみた松姫が仏門に入り、信松尼(しんしょうに、1561~1616)として建てた信松院です。小説等で漠然と知っていましたが改めて歴史の重みを感じざるを得ません。
2022年7月15日追記
信松院のホームページには次のように紹介されています。
『 金照庵の由来
戦国時代武田軍は織田軍によって追いやられ、松姫一行はどこへ行くあて無くまずは甲斐の国から3人の子供を連れて逃げなければなりませんでした。そこで、現在甲州市にある向獄寺(臨済宗南禅寺派)へ出向き紹介状を手にして、織田軍に見つからないよう峠を越えてやっと辿り着いたのが「金照庵」でした。ここは、興慶寺(上恩方町にある臨済宗南禅寺派)の第五世一山祖長和尚が住職を務めていた後、宝徳2年(1450)になってから、隠居所としてこの金照庵を草創したものだと言われてます。
一行は向獄寺からの招待状を出してしばらくの間、興慶寺へ身を隠して時機を見ながら金照庵で生活することになったのが由来であります。後に信松院や八王子の織物の発展に起用したご縁のある場所、原点でもあります。
現在の金照庵は跡地として八王子市恩方第二小学校の校庭になっており碑がったってあります。』
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大久保長安陣屋跡案内板
産千代稲荷神社の道路側にひっそりと碑が立ち、その横の案内板に長安の八王子市建設に於ける業績を簡単に紹介しています。家康は江戸の守り口として八王子を重視し、旧武田家臣の長安を特に当地の代官に指名、城主を失った旧武田家家臣達を中心とした武士集団を組織化、これが千人同心(せんにんどうしん)のはしりとなりました。(事実、西八王子駅方面に「千人町」があり当時はその武士たちの屋敷がありました。) -
産千代稲荷神社(陣屋の一角)
1590年に八王子に入部した大久保長安は江戸に繋がる当地域の整備、即ち行政治安の確立、度々氾濫する浅川の治水工事(「石見土手」と呼称)、甲州街道の交通網整備として一里塚設定等を行います。そのヘッドクオーターとして長安は陣屋を設けその邸内の一角に稲荷神社を祀ったと言われ今では安産福徳の神として崇められているそうです。 -
信松院正門
武田氏滅亡後、松姫は兄の遺児たちと共に当地に逃れますが、旧婚約者の信忠が本能寺の変で自害との知らせに接し、剃髪して出家、父と信忠の名前から信松尼(しんしょうに)と称したそうです。 -
松姫尼案内
松姫は父武田信玄の四女で、当地に逃れた後下恩方の曹洞宗心源院卜山禅師により帰依し、当寺にて56歳で亡くなったそうです。(説明分より) -
松姫像
戦国時代の政略の具にされた姫の運命は気の毒なものがあります。
往時の女性たちは自分の意思を表すこと叶わず、ただただ歴史の流れに身を任せざるを得ない状況であったのでしょう。
(当地では「松姫最中」というお菓子が人気を得てます。)
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