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旧遷喬尋常小学校での「昔懐かしの給食」を頂いた後は、最後の目的地・備中高梁市です。<br /><br />もう何度も来てる高梁市ですが何処を訪れたかはあまり記憶にありません。城も寺も行った事がないって事はなにしに来たんだろう?<br /><br />今回は頼久寺の庭園を鑑賞する事を目的にやって来ました。<br /><br />頼久寺(らいきゅうじ)は岡山県高梁市にある臨済宗永源寺派の寺院。山号は天柱山。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。備中西国第5番札所

小堀遠州の名庭園・頼久寺

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2011/06/18 - 2011/06/19

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風遊

風遊さん

旧遷喬尋常小学校での「昔懐かしの給食」を頂いた後は、最後の目的地・備中高梁市です。

もう何度も来てる高梁市ですが何処を訪れたかはあまり記憶にありません。城も寺も行った事がないって事はなにしに来たんだろう?

今回は頼久寺の庭園を鑑賞する事を目的にやって来ました。

頼久寺(らいきゅうじ)は岡山県高梁市にある臨済宗永源寺派の寺院。山号は天柱山。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。備中西国第5番札所

同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 岡山県高梁市頼久寺町にある臨済(りんざい)宗永源寺(えいげんじ)派の寺。詳しくは天柱山安国頼久寺と号する。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。暦応(りゃくおう)年間(1338〜42)足利尊氏(あしかがたかうじ)が日本六十六国に安国寺を建立したとき、天台宗天忠寺の廃址(はいし)に天柱山安国寺を建てたのが始まりで、近江(おうみ)(滋賀県)の永源寺を創建した寂室元光(じゃくしつげんこう)を開山とする。その後衰退したのを、1504年(永正1)備中(びっちゅう)松山城主上野頼久が再興し、その子守頼が父の名を加えて安国頼久寺と改称した。小堀遠州作の庭園は国指定名勝。寺宝には絹本着色釈迦(しゃか)三尊像(国重要文化財)などがある。 (資料参照)

    岡山県高梁市頼久寺町にある臨済(りんざい)宗永源寺(えいげんじ)派の寺。詳しくは天柱山安国頼久寺と号する。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。暦応(りゃくおう)年間(1338〜42)足利尊氏(あしかがたかうじ)が日本六十六国に安国寺を建立したとき、天台宗天忠寺の廃址(はいし)に天柱山安国寺を建てたのが始まりで、近江(おうみ)(滋賀県)の永源寺を創建した寂室元光(じゃくしつげんこう)を開山とする。その後衰退したのを、1504年(永正1)備中(びっちゅう)松山城主上野頼久が再興し、その子守頼が父の名を加えて安国頼久寺と改称した。小堀遠州作の庭園は国指定名勝。寺宝には絹本着色釈迦(しゃか)三尊像(国重要文化財)などがある。 (資料参照)

  • 苔むしたではなく、芝生に埋もれた階段を登ると!

    苔むしたではなく、芝生に埋もれた階段を登ると!

  • 山門が見えてきました。

    山門が見えてきました。

  • 暦応2(1339)年に足利尊氏が安国寺として建立した禅寺。国の名勝に指定されている庭園は蓬莱式枯山水で、江戸初期に備中国奉行小堀遠州によって作庭された。<br />

    暦応2(1339)年に足利尊氏が安国寺として建立した禅寺。国の名勝に指定されている庭園は蓬莱式枯山水で、江戸初期に備中国奉行小堀遠州によって作庭された。

  • 本尊は聖観世音菩薩。暦応年間(1338〜42)足利尊氏が日本六十六国に安国寺を建立したとき、天台宗天忠寺の廃址に天柱山安国寺を建てたのが始まり

    本尊は聖観世音菩薩。暦応年間(1338〜42)足利尊氏が日本六十六国に安国寺を建立したとき、天台宗天忠寺の廃址に天柱山安国寺を建てたのが始まり

  • それでは、そろそろお待ちかねの庭園へ

    それでは、そろそろお待ちかねの庭園へ

  • 小堀遠州<br />1600年(慶長5年)の関が原の戦いで毛利氏は広大な領地を徳川に没収され、毛利氏の勢力圏にあった備中国は徳川氏の直接支配知となった。<br />そして、小堀正次(遠州)の父が備中国奉行として政治を行い、備中松山城を守ることになった。<br />当時、臥牛山上の松山城は備中兵乱以来有れるにまかされておりふもとの御根小屋も戦火で焼けていたので、正次はやもなく城下の頼久寺を仮の住まいとした。<br />正次が松山城を守ったのは、松山城が備中の中心にあって戦略的にも重要な位置を占めていたからであり、西国の大名のおさえとしたのである。<br />1604年(慶長9年)正次が死去し、子の正一が跡を継いで備中国奉行となった。正一は、一般に遠州と呼ばれた。<br />遠州は武士としても立身出世を遂げたが、多芸多能な天才であり、色々な面で後世に名を残した。<br />茶の湯に優れ、天下第一の茶匠の地位に上りつめ、武芸茶人の筆頭に挙げられた。その茶の湯は「きれいさび」と評され、将軍家茶道師範名を得て遠州流をおこした。<br />建築や造園にも天才的な腕を発揮しており、今日でも私達の目に触れることができるに二条城二の丸や江戸城の庭園等数々の建築や庭園がある。<br />備中国奉行として実験を握った遠州は、備中国だけでなく西国大名をおさえるためにも、荒廃していた松山城を再建した。小松山の中世の山城の遺構の上に近世の城を造ったのである。<br />また、御根小屋跡に陣屋を建設し、頼久寺からこれに移っている。遠州の建設した陣屋は、小松山の山城に対して下屋敷と呼ばれていた。下屋敷には茶室を造り、庭園を作庭している。<br />遠州の作った庭は現在も高梁高等学校の中に残されている。  <br />

    小堀遠州
    1600年(慶長5年)の関が原の戦いで毛利氏は広大な領地を徳川に没収され、毛利氏の勢力圏にあった備中国は徳川氏の直接支配知となった。
    そして、小堀正次(遠州)の父が備中国奉行として政治を行い、備中松山城を守ることになった。
    当時、臥牛山上の松山城は備中兵乱以来有れるにまかされておりふもとの御根小屋も戦火で焼けていたので、正次はやもなく城下の頼久寺を仮の住まいとした。
    正次が松山城を守ったのは、松山城が備中の中心にあって戦略的にも重要な位置を占めていたからであり、西国の大名のおさえとしたのである。
    1604年(慶長9年)正次が死去し、子の正一が跡を継いで備中国奉行となった。正一は、一般に遠州と呼ばれた。
    遠州は武士としても立身出世を遂げたが、多芸多能な天才であり、色々な面で後世に名を残した。
    茶の湯に優れ、天下第一の茶匠の地位に上りつめ、武芸茶人の筆頭に挙げられた。その茶の湯は「きれいさび」と評され、将軍家茶道師範名を得て遠州流をおこした。
    建築や造園にも天才的な腕を発揮しており、今日でも私達の目に触れることができるに二条城二の丸や江戸城の庭園等数々の建築や庭園がある。
    備中国奉行として実験を握った遠州は、備中国だけでなく西国大名をおさえるためにも、荒廃していた松山城を再建した。小松山の中世の山城の遺構の上に近世の城を造ったのである。
    また、御根小屋跡に陣屋を建設し、頼久寺からこれに移っている。遠州の建設した陣屋は、小松山の山城に対して下屋敷と呼ばれていた。下屋敷には茶室を造り、庭園を作庭している。
    遠州の作った庭は現在も高梁高等学校の中に残されている。

  • 白砂敷の中央に鶴島<br /><br />

    白砂敷の中央に鶴島

  • 蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景.<br /><br />枯山水は、日本庭園の様式の一つで、池や遣水(やりみず)(小川)などの水を用いずに、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式<br /><br />白砂や小石を敷いて水面に見立て、砂利・石の配置、石の表面の紋様や、橋で水の流れを、<br />一つの石や、小さな刈り込みの樹木で大山を表現する技法<br /><br />水を得られる場所に造園されていた日本庭園が、水のない場所でも、水を表現する日本庭園の造園が可能になった<br /><br />室町時代に禅宗寺院で用いられて発達した。(資料参照)<br /><br /><br /><br />

    蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景.

    枯山水は、日本庭園の様式の一つで、池や遣水(やりみず)(小川)などの水を用いずに、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式

    白砂や小石を敷いて水面に見立て、砂利・石の配置、石の表面の紋様や、橋で水の流れを、
    一つの石や、小さな刈り込みの樹木で大山を表現する技法

    水を得られる場所に造園されていた日本庭園が、水のない場所でも、水を表現する日本庭園の造園が可能になった

    室町時代に禅宗寺院で用いられて発達した。(資料参照)



  • 「暦応2年12月沙彌西念勧進」と刻まれた石灯籠の建つ中庭

    「暦応2年12月沙彌西念勧進」と刻まれた石灯籠の建つ中庭

  • 書院左手の山畔には、サツキの大刈込みで青海波を表現していいます。<br /><br />今日は花を見る事は出来ませんでしたが、サツキが咲くと又一興でしょうね!

    書院左手の山畔には、サツキの大刈込みで青海波を表現していいます。

    今日は花を見る事は出来ませんでしたが、サツキが咲くと又一興でしょうね!

  • 山門の向こうには高梁市の街並みが見えます。

    山門の向こうには高梁市の街並みが見えます。

  • 何とも、私の感性を豊かにさせてくれるお寺でした。

    何とも、私の感性を豊かにさせてくれるお寺でした。

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