2011/05/04 - 2011/05/04
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frau.himmelさん
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ミュンヘンに2泊して次の宿泊地ニュルンベルクに移動しました。
今日は前から気になっていた街、コーブルクを訪れます。
コーブルクは古城街道の街。そして、同じ古城街道の街クルムバッハにも行きたいし、クローナッハにも寄れるかしら?
なんて欲張ったスケジュールを立てました。
でも今日はジャーマンレイルパスでの移動だもの、この三つの街は固まっているから急げば大丈夫よね!…。
ところが…。
この日の夕刻、重大な失敗に気がつくのです。これがクリアできなければ、旅を続けても意味がないほどの…。
私にはどこまで失敗が付いてまわるんでしょう…(泣)。
◇◆
ところでこれから訪ねるコーブルクは「地球の歩き方」にも載っていない小さな街です。でも、そこを統治していたザクセン・コーブルク・ゴータ家(長ったらしいので、文中ではコーブルク家と略します)は英国王室とも深いつながりがある歴史ある由緒ある一族なのです。
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ニュルンベルク駅のコインロッカーに荷物を預けて、乗り換えなしのRE(地域快速)でコーブルクに向かいます。
車窓は菜の花の黄色や緑がとても綺麗です。
ホントにドイツのこの時期の風景は飽きることがありません。 -
途中でバンベルク駅を通過します。
悔しいわね、あの失敗がなければこの街にも行けるはずでした。 -
列車は古城街道沿いを走っています。
丘の上に美しいお城が見えてきました。 -
そうこうしているうちに列車はコーブルク駅に着きました。
ニュルンベルクからおよそ1時間40分です。 -
コーブルク駅舎。
ドイツのどこにでもあるような古い建物ですが、この駅は歴史的に大変大きな役目を果たしていました。
と言うのは、コーブルク家と縁戚関係にあったヨーロッパ中の皇帝や王族、公爵たちがたびたびコーブルクを訪問していたからです。 -
コーブルクは1918年まではザクセン=コーブルク=ゴータ公の宮廷所在地でしたが、今はこの地元の保険グループHUKの本拠地として知られています。
コーブルクの街は、そこからの雇用や税収で潤っています。 -
「地球の歩き方」にはコーブルクのことは載っていませんので、当然のことながら私は地図を持っていません。
いつものように、通りがかりの人に道を尋ねながら旧市街に向かいます。
まずは駅前から伸びるこの並木道をまっすぐ行って…。 -
-
右折してしばらく歩くと、人が大勢歩いている賑やかな通りに出ました。
通りの家々も、屋根に小さな飾り窓が付いていてとてもステキです。 -
あらっ、マンホールの蓋に大きな耳輪をした黒人らしい人物が描かれています。
彼は、聖マウリティウス。
キリスト教徒鎮圧の命を受け、それを拒否したために殺されたムーア人の聖人(殉教者)なのです。
コーブルクはこのムーア人を守護聖人とし、市の紋章に定めています。 -
市の門(ユーデス門)が見えてきました。
-
門の開口部にはJuden通り(ユダヤ通り)が貫いています。
市の門は旧市街にこのほかにもいくつかあるそうなんですが、私はこのユーデス門しか通りませんでした。
石の壁にペタンとくっつけられたように見える張り出し窓が面白い。 -
マルクト広場に着きました。
広場にはテントがたくさん張られて今日は朝市が開かれています。 -
こちら側は市庁舎側。
左手奥に見える教会は聖モーリッツ教会。
ところで、コーブルクは、現代史の見地からは、ドイツで初めてナチ党が議会の多数を占めた(1929年)街なんですって。
そして、1932年にはアドルフ・ヒトラーに名誉市民の称号を与えたドイツ最初の街でもあるそうです。
面白いですね。この田舎の静かな街が…。 -
広場の中央にある噴水「アム・グリュンネン・バウム」(緑の木の傍って意味ですが、緑の木が見当たりません)
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土台にも市章の黒い肌のムーア人・聖マウリティウスが。
もちろん第三帝国時代には、ご存知のようにアドルフ・ヒトラーは、有色人種を非常に嫌っていたため、紋章は剣とハーケンクロイツに置き換えられた紋が使われていました。 -
出窓がとても印象的で、色鮮やかな市庁舎。
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正面中央の三角屋根の上には、ここにも守護聖人マウリティウスが、杖のようなバトンのようなものを持って立っています。
コーブルク名物として、松ぼっくりで焼いた香ばしい長ーい焼きソーセージがありますが、マウリティウスの持っているこの杖の長さが(約31センチ)が基準となっているそうです。
どんだけ長いの…。 -
広場の中央には英国ヴィクトリア女王の夫君、アルベルト殿下像が立っています。
エルンスト1世の父親、ザクセン・コーブルク・ザールフェルト公の頃より、コーブルク家は、ハプスブルク家も真っ青の結婚政策により勢力を延ばしていきました。
エルンスト1世の次男であるアルベルト王子も政略結婚により、大英帝国のヴィクトリア女王と結婚します。
大変な逆玉の輿ってことですね。 -
しかし政略結婚とはいえ、ヴィクトリアとアルベルトはとても幸せな結婚生活を送ります。二人の間には9人の子供に恵まれます。
しかし、アルベルト殿下は41歳の若さで亡くなりました。
アルベルトの死後、ヴィクトリア女王は夫の生まれ故郷コーブルクに愛する夫の像を寄贈しました。除幕式にはもちろん女王は出席したそうです。
そのほか、ロンドンにも、アルベルトとの記念博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館を建てて、思い出の品々などを飾ってあるそうです。 -
この白い外壁にエンジ色の窓枠がとっても鮮やかな立派な建物は、シュタットハウス。
1597年から1612年にかけて、君主であったカジミヤ公爵により、支配力を誇示するために建設されたものだとか。
後期ルネッサンス様式です。
カジミヤ公爵のことはコーブルク城編でご説明します。 -
出窓の装飾も素晴らしい…。
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ここが入口です。
中に入ってみよう…としたその時、目の前を可愛い観光バスが走っていきました。
私もこれに乗りたいのです。急いでバスを追っかけます。 -
コーブルク城塞行きの可愛いミニバス、ビンメルバーン(himmelではありません・笑)に乗ることが出来ました。
大人片道2ユーロ、大体30分ごとに走っているようです。
◇◆
南ドイツ風の壁絵が美しい「ローレライ」というレストラン(ホテルも?)の横を通って…。
このポールのマークはミュンヘンのビール醸造メーカー、パウラーナー。
ここではバイエルンのパウラーナーを出しているのです。
そう、ここはぎりぎりバイエルン州なのです。そのちょっと先はチューリンゲン州。
東西ドイツ分断時代にはコーブルクが国境線にあったのです。 -
歴史を紐解くと(?)コーブルクは非常に賢明な選択をしたと言われています。
第一次世界大戦後君主制が崩壊し、1919年、コーブルクはチューリンゲン州に属するかバイエルン州に属するかの人民投票が行われました。
その結果バイエルン州に組み込まれることになったのです。
第二次大戦が終了しアメリカ軍に占領されたコーブルク、その後の東西ドイツ分断時代の東ドイツの窮状を思えば深く頷けます。 -
運転席のすぐ後ろに座れました。
お隣は地元のおじいちゃま、いろいろとドイツ語で喋りかけてきます。
このミニバスに乗っているのは殆どお年寄り(って私もですが)。老人会の親睦会かなにかでしょうか。 -
この教会はSt.Augustinではないかと…。
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ミニバスは緑が目に鮮やかなホーフガルテンの中を走り抜けます。
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時間と体力があれば、緑の空気を胸いっぱいに吸いながら、歩いて登るのも気持ちが良いでしょうね。
いえ、街から1キロメートルくらいですから、そんなに遠くはありませんから大丈夫です。 -
終点、お城のふもとのレストランの下に着きました。
ここで降りてお城見学です。
この項は別編で…。 -
お城を観光した後、再びミニバスに乗り広場に降りてきました。
旧市街、マルクト広場に近いもう一つのエーレンベルク城にやってきました。 -
シュロス広場から周りを眺めましょう。
お城の向かいには、さっきミニバスで通ってきたホーフガルテンが広がっています。 -
階段があり、上に行くことが出来るようです。
あそこにある騎馬像は? -
エルンスト1世(1818-1893)。
アルベルト公の父親です。 -
こちら側にはテアター劇場があります。
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エディンブルーフ宮殿 Palais Edinburgf
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広場で見つけた時計台
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下にはこのような文字が…。
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さて、こちらがエーレンベルク城です。
1543年にザクセン公ヨハン・エルンストによって築かれ、1623年から1627年にはヨハン・カジミール公により、居城としてルネッサンス宮殿として拡張されました。
その後も、代々コーブルク公爵の居城として使用されてきました。 -
全体像です。
内部はドイツ語のみのガイドツアーで見学が出来るようです。
私が行った時は人影もまばらで、ガイドツアーなんて雰囲気ではありませんでした。 -
この銅像はエルンスト2世です。
エルンスト2世(1818−1893)
エルンスト1世の長男でヴィクトリア王女の夫君アルベルト公の兄。 -
エルンスト2世について面白いエピソードがあります。
オーストリアの国民的ワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世が新しい恋人が出来て、妻と離婚したがっていました。
ところが、オーストリアの法律では離婚が認められません。
そこで、交友があったエルンスト2世が、彼にザクセン=コーブルク=ゴーダ市民権を与え、離婚・再婚のお手伝いをしたそうです。 -
建物の横に回りこんでみました。
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出窓の装飾も素晴らしい…。
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レストラン・ローレライの横を通って…。
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人形博物館。
コーブルクの人形博物館は有名です。
フンメル人形のゲーベル社や、高級テディベアのヘルマン社の故郷でもあるそうです。 -
入口には、年代ものお人形やデディベアのぬいぐるみ(柱の影で見えませんが)が飾ってあります。
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先ほどとは違う噴水
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カラフルな建物や古い建物が混在していて、なかなかいい雰囲気
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マルクト広場にまたまたやってきてしまいました。
シュタットハウス -
市庁舎にもお別れをして…。
左側の工事中のところはラーツケラーだったのですね。
あそこでコーブルク名物の、松ぼっくりで焼いた長ーい焼きソーセージを食べればよかった…。
(この後、駅でずいぶん列車の時間待ちをしなければならなかったのです。) -
朝市の後片付けをしているおじさんの横の、アルベルト公にも別れを告げて…。
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今度はこのユーデス門をくぐって駅に向かいます。
さっきはこの右手のほうからやって来ましたから…。
ちょっとコーブルク城でゆっくりしすぎたかしら?
後のスケジュールが気になります。 -
パステルカラーの綺麗な花壇を通って駅に急ぎます…。
クルムバッハにも行きたいけど、時間の都合で向こうに着くのは4時半を過ぎてしまいそう…。それじゃお城見物は無理かしら?…。
それに、ニュルンベルクに帰るのも2時間は見なければならないし…。
迷った挙句、クルムバッハにもクロナッハにも寄らないで、直接ニュルンベルクに帰ることにしました。 -
結局その判断が正しかったと思う出来事が起こりました。
駅近くのホテルにチェックインして、ともかくデジカメに充電しておかなければ…、Cプラグを探したけどどこにもないのです。
あれがないと、2台のデジカメも携帯電話もipodのの充電も出来ません。
顔が青くなるのがわかります。
◆◇
ニュルンベルクのホテル 1泊朝食付きでシングルルーム94ユーロ、2泊いたします。 -
そうだ、昨夜充電したからミュンヘンのホテルに忘れてきたに違いない!。
幸い今日はジャーマンレイルパスで移動しているから、これからミュンヘンまで行ってこよう…。
早めに帰ってきて良かったーと、その時は思いました。
◇◆
シャワーのみのシンプルな洗面室ですが一人にはこれで十分。 -
ニュルンベルク駅でミュンヘン行きICEを待っていましたが、列車が遅れているようです。
最初15分遅れと表示が出て、しばらくすると30分遅れ、そのうち50分遅れとの電光掲示板での表示。
困りました。
今夜中にミュンヘンには着くことは出来ても、ニュルンベルクには何時に帰ってこれるかわかりません。
それに落ち着いて考えると、ミュンヘンのホテルにあるとも限りません。
ミュンヘン行きは諦めました。 -
この小さなプラグなんです。
◆◇
もしかしたらデパートには売っているかもしれない…。
藁をもつかむ思いでカウフホーフの電気売り場へ…。
親切な店員さんがいろいろ相談に乗ってくれましたが、ここにはないが、サティルン(ドイツの電気量販店)にはあるかもしれない…と。
地図を持ってきて場所を教えてくれました。
でも、私の探し方が悪いのか、何人もの人に尋ねても、1時間近くかけて探してもそのお店見つからないのです。
こうなったら仕方がない!もう1台安いデジカメを買うしかない!
とカウフホーフに再び行くと、さっきの親切な店員さんが出てきて、もしかしたらホテルにあるんじゃない?って。
急いでホテルに戻って受付にいた女性に聞くと…。
出してきました、箱の中にはたくさんの種類のプラグやコンセント。
あー良かったー、と思ったのもつかの間、日本のCプラグだけがないのです(泣)。
昨日からのアクシデントと言い、今回のことといい、もう私は神様に見捨てられたと思いました。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 近鉄バッファローズさん 2011/07/20 11:20:16
- なるほど
- frau.himmelさん、おはようございます。
近鉄バッファローズです。
そうですか。これが「変圧器を忘れた」お話しの顛末だったんですね。
ただ余計なお世話ですが、写真の品は変圧器でなく、
コンセントの変換器だと思います。電圧は220Vのままのはずです。
だから、100V専用の機器を接続すると、壊れてしまうと思います。
そういう細かいことはさておき、
Coburgだけでも御覧になれてよかったですね。
Sachsen-Coburg-Gotha家と言えば、近世の欧州で大変重要な貴族ですね。
調べてみると、今も続くベルギー王家はこの家の流れですし、
ポルトガルやブルガリアの王も輩出しているんですね。
次は城塞の旅行記も拝見致します。
- frau.himmelさん からの返信 2011/07/21 22:31:24
- プラグでした(汗…)
- 近鉄バッファローズさま こんばんは。
そうなんです。これが「変圧器を忘れた(笑)」お話なんです。
変圧器ではないんですね。なにしろ電気関係に疎いものですから…。
要するに日本のコンセントとドイツのコンセントをつなぐ役目のものなんです。
最近のものは、カメラも携帯もipodも220Vあるので、昔のように重たい変圧器を持っていかなくてすみますが、軽いだけについ軽い扱いになってしまうのですね。
それに、近鉄バッファローズ様もご存知のように、ドイツのコンセントは凹んでいますよね、だからあんな小さなものは埋もれてしまって忘れてしまうのです。ホントに気をつけなければいけませんね。
> Coburgだけでも御覧になれてよかったですね。
> Sachsen-Coburg-Gotha家と言えば、近世の欧州で大変重要な貴族ですね。
> 調べてみると、今も続くベルギー王家はこの家の流れですし、
> ポルトガルやブルガリアの王も輩出しているんですね。
せっかくバッファローズ様にクルムバッハ、クローナッハのこともお聞きして出かけたのに、コーブルクでのんびりしすぎました。
でも、歴史的見地から考えても、のんびりするだけの価値がある町だと思いました。エーレンブルク城の見学をしなかったことがホントに悔やまれます。
いつかきっと、クルムバッハ、クローナッハはリベンジいたします。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2011/07/07 23:45:42
- どうなったのでしょう!?
- プラグの運命は・・・??
こんばんは。
コーブルクは素敵な街ですね。
お天気も最高で何よりでしたよね。
私も「地球の歩き方」を使っているので記載がなく、
初めて聞く名前の街でした。
古城街道沿いにはいい街が多いのですね。
私も訪ねてみたいです。
途中で通られたバンベルクは、私は去年行きましたが、
ここも素敵でしたよ。
himmelさんも、是非次の機会に。
ところで、プラグはどうなったのでしょう?
気になって眠れません。(笑)
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2011/07/09 11:43:10
- RE: プラグの運命は!?
- ハッピーねこさん、こんにちは。
本当にやきもきさせましたね。すみません。
この旅行記、書いているうちにあの時のいやーなことが思い出され、途中で投げ出してしまいました。
そして、読み返してみると、間違いだらけの誤字だらけ…、恥ずかしくなりました。
さて、ハッピーねこさんがおやすみになれないと申し訳ないので(笑)その後の顛末を。
実はニュルンベルクのホテルのフロントの方に、ミュンヘンのホテルに電話してもらい、ミュンヘンにあることが確認できたので、次の日、バイエルンチケットを使って取りに行ってきました。
半日以上の時間のロス、ほんとうに勿体なかったです。
失敗続きでめげてしまいました。
この件は次回、旅行記に掲載します。
himmel
- ハッピーねこさん からの返信 2011/07/09 14:43:50
- よかったです!
- himmelさん、こんにちは。
私の住む北部九州は本日梅雨明けしたようです。
朝から晴れており、夏雲がもりもり出ています。暑いです。
いよいよ真夏ですね。himmelさん、お体ご自愛下さい。
さて、プラグの件、安心致しました。
これでゆっくり眠れます。(笑)
ニュルンベルクからのミュンヘン往復時間は確かにちょっと
もったいなかったかもしれませんが、家電屋さんやホテルの方の
アドバイスや協力があってお手元に戻り、よかったではありませんか。
小さいものなのでうっかり置き忘れそうなものですものね。
私も気をつけます。
続きの旅行記を楽しみにしております。
ハッピーねこ
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