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【出発】<br />いよいよ13回目のイタリア旅行のスタートです。何回行ってもイタリアはいいです。頭の中はおいしい食べもので一杯です! 期待に胸ふくらみます。<br /><br />ただ、今回も一応目的はあります。主に、アルプスの麓の温泉視察とイタリアでも車の運転に慣れておくことです。もちろん、将来の仕事に備えての準備です。高齢者主体の健康増進ツアー(含む湯治)を組むのが私の夢です。もちろん、医者の私がエスコートします。また、昨年実現したように、癌の末期患者さんなどの重病人をエスコートするような場合は、レンタカーの方が便利なことが多いはずです。アメリカでは、ずっと運転に慣れている私も、汽車で回れるヨーロッパでは運転したことがありません。しかも、イタリアは特異なナポリを見ているので少しビビっています。<br /><br />5月13日(金)出発です。仕事の関係で、いつもの金曜日出発、月曜日帰国の目一杯11日間の旅です。今回はフィンランド航空でヘルシンキ経由のミラノ入国です。福岡空港7時5分の便が少し早朝で厳しいですが、成田9時到着、11時出発と乗り継ぎはいい感じです。時差6時間のヘルシンキには13時50分と予定よりやや早目に到着です。乗り継ぎだけですが、入国審査があります。結構、ヨーロッパにしては厳格で、陰険な男性審査官は私のパスポートの後ろにメモ代わりに書いていたアメリカ入国用のESTAの有効期限の記載を見つけます。パスポートはメモ帳ではないとお説教をします。知ったことかと聞き流しますが、いきなりフィンランドの印象が悪くなります。ほどよい待ち時間で16時5分にヘルシンキを飛び立ちます。うとうとしていると早くも着陸態勢です。2時間半も、うたた寝をしたかなと思いつつ怪訝な顔をして外を見るとさっき見たヘルシンキの森林に似ています。隣の日本人のツアー客に聞くと、やはり引き返すそうです。エアコンの故障によるという説明のようです。 ? すぐに同型の飛行機に乗り換え、席も全く同じなので隣の日本人二人も同じです。18時には再出発しました。2時間遅れです。1時間の時差のミラノへ20時に到着します。<br /><br />こういう時は携帯電話の有り難さがよくわかります。娘の高校留学ホームステイ先の家族にヘルシンキから電話して、2時間ほど遅れると連絡できていました。ほんの数年前に娘はお世話になったわけですが、早くも私がこの家庭に泊まるのは2回目です。しかも、有り難いことに、彼らの家はマルペンサ国際空港(ミラノ郊外)の近くです。父親のピエトロと母親のエルビラが一緒に迎えに来てくれました。<br /><br />メールで聞いていた通り、そのまま家族の知人宅でのパーティへ参加します。歯科医宅らしく、ホステス役の奥さんはグアテマラ人のようです。特に、そのお母さん(おばあさん)はスペイン語で喋っていました。スペイン語もイタリア語も発展途上の私の語学力では、頭の中が混乱します。娘の知り合いも多いようなので、おみやげに持って来た娘の成人式の着物姿の写真などを見せました。期待通り、「ケ・ベッラ!」(何ときれいだ!)と言ってもらえました。親バカです!<br /><br />ただ、今回は英語がわからない人も多く、少し暇をもて余しました。でも、40年も前のアメリカ留学初期の頃を思い出し、懐かしい気もしました。そして、イタリア語へ対する向学心に火が付きます。最低限の文法は勉強しているし、音もだいぶ馴染んできたので、後は語彙さえ増やせば何とかなりそうです。10代の頃のようには無理でも、少し本気で集中的に単語を覚えようと意欲が出てきました。<br /><br />家へ帰ると、娘の弟(ホストブラザー)であったジュリアーノが帰ってきました。前回訪問時は留守で会えませんでした。娘とは親しかったようです。ピエトロとエルビラは再婚で、娘が留学中に結婚式をあげ、私も招待されていましたが、さすがにその時には来れませんでした。ピエトロは典型的なイタリア南部(ナポリ)出身者で明るく楽しい人間です。日本では、厳密には福岡では、ピエトロという名前はドレッシングやレストランで有名だと娘からも説明しています。そのせいでもないでしょうが、最近外国へ食品などを輸出できる資格を取ったそうです。日本ともビジネスを始めてくれれば楽しいのですが。<br /><br />翌日からのやや不安な車の運転について話題にすると、エルビラもナポリは特別だと言います。NHKのイタリア語講座のイタリア人もナポリの運転はキチガイだと同じようなことを言っていました。でも、エルビラによるとナポリ独自のルールがあるらしく、意外なことに重篤な事故はミラノの方が多いそうです。<br /><br />【ドライブ開始】<br />翌朝、昨夜会っていないイレーネ、娘のお姉ちゃん(ホストシスター)が出かける前に会います。彼女は娘とほぼ同時期に同じくAFSでインドに一年間留学していました。ジュリアーノは土曜日なのに学校があるそうです。美味しいイタリアですが、朝食は大したことはありません。エスプレッソ・コーヒー、ジュース、甘い菓子パンなどです。どうせ私の荷物は少ないので、2年前から置いたままになっている娘の服やカバンや本などの荷物をカバンごと預かることにしました。前回も少し運びました。 <br /><br />レンタカーを借りるために、ピエトロとエルビラが空港まで送ってくれました。アメリカではいつもバジェット・レンタカーですが、イタリアにはないらしく、バジェットから紹介されたエービスに予約を入れています。エルビラが一緒に付いてきてくれ、手伝ってくれます。中型車ということでベンツA190のはずでしたが、代わりに BMW118 でした。日本では1シリーズの BMW は見たことありませんでしたが、まぁまぁの車でした。GPS、つまりカーナビも予約しています。ちゃんと英語版で、アメリカやオーストラリアで借りたのと同じガーミン製でした。<br /><br />お礼を言って彼らと別れ、いよいよ運転して出発です。ミラノ空港からアオスタへ向けて出発です。手元には、日本で準備した大雑把なヤフーの地図15枚程度です。しばらくして気が付きましたが、どうも設定が高速道路を選ぶようになっていないらしく、ひたすら田舎道を進みます。たぶん、ほぼ真っ直ぐ西に向かっているはずです。幸い、時間的には余裕をみているので、のんびり行くことにしました。おかげで、BSテレビの「小さな村の物語イタリア」みたいな所を次々に通過します。途中で、田舎のバールに寄ってエスプレッソを飲みます。おばあさんがやっていて、ちょうど日本の駄菓子屋の雰囲気です。<br /><br />どこを通っているかもはっきりしないので、カーナビ任せです。標識で目的地のアオスタの手前(東側)の Saint Vincent が見え、立ち寄ることにします。イタリア語読みで、サン・ヴィンチェンツかと思っていましたが、どうもフランス語読みでサン・ヴァンサンのようです。これでわかるように、元々はフランス領だったようです。この辺りは、アルプスの国境近くで、フランスやスイスに近いのです。事前に調べている通り、ここにも温泉はあるのですが、現在は飲泉のみのようです。でも、カジノがあるので立ち寄ると、スロットマシーンだけで、田舎のカジノでよくあるように午後3時まではアメリカゲーム(ブラックジャックなど)は開かないそうです。私はブラックジャックしかしません。ただ、貴重な情報として現在増設中で近いうちに温泉(プール)がここにもできるようです。私の目的はこういう中々手に入らない情報を現地で集めることです。<br /><br />地理がわかったので、まだ時間もあり一気に宿泊地のアオスタを通過して西側に位置するクールマイヨールまで行くことにします。ここで、初めて一部高速道路を通過しました。日本と同じで有料です。アルプス山脈になるので、当然の如くトンネルばかりです。標高は1405メートルで、モンテビアンコ(モンブランのイタリア名)にかなり近い所です。でも、あいにくの雨であまり絶景を楽しむという訳にはいきませんでした。ほんの4年ほど前、スイス側からモンブラン、マッターホルン(これもイタリア名はチェルヴィーノと初めて知りました)をまとめて見ました。ここのバールでは、カフェ・マキアート(エスプレッソに少しミルクを垂らしたもの)を頼みます。カフェだけだとコーヒーのことで、イタリアでは当然の如くエスプレッソが出ます。エスプレッソの初心者のために書いておきますと、濃厚なエスプレッソはブラックでは飲めません。まずいです。イタリア人の真似をして、たっぷりの砂糖を入れて飲みます。<br /><br />今回の旅行で唯一前もって予約してあるアオスタのホテルへチェックインします。部屋はまぁまぁで、アルプスの山々が見える景色は中々のものです。部屋に面して雪山が見えるのでひょっとしてモンブランが見えているのかとフロントで聞いたら、違う山でした。インターネットがロビーのみしか繋がらず、しかも最初の一時間以上は有料というのが少し不便でした。<br /><br />今回の最初のちゃんとした夕食はヴェッキア・アオスタという郷土料理店へ行きました。有名らしい地元のチーズ、フォンティナを使用したチーズ・フォンデュとニョッキの料理、トウモロコシの粉入りのポレンタ添えの牛肉料理などを食べました。それなりにおいしいのですが、私の好みではありません。特に、前菜で生ハムと一緒にラードそのものの料理があります。意外と美味しいのですが、動物性脂肪そのものを食べたいとは思いません。フォアグラを好むフランス料理の影響でしょう。地理的にフランス料理に近いはずです。オーストリア国境に近いトリエステを思い出しました。そこでは、完全にゲルマン(ドイツ・オーストリア)料理であまりおいしくありませんでした。勝手にソーセージ入りのスパゲッティを想像した私がバカでした。<br /><br />夏時間で9時過ぎまでは明るいので、いつものように街を散策します。あまり知られていないここアオスタの町はスイスとフランスの国境への峠道の分岐点で、ローマ時代より栄えています。何と、この町を造ったのは初代ローマ皇帝アウグストゥスだそうです。ここにも立派な教会があります。当然の如く、レストランを見つけてはメニューを読みます。予想通り、北部イタリアにはトマトソース(ポモドロ)があまりありません。リゾットが割と多い印象です。その他の珍しそうなパスタやニョッキもあります。元気があれば、昼間に立ち寄ったカジノへ出かけるのですが、眠いので早目にホテルに戻って寝ました。<br /><br />【いよいよアルプスの温泉へ】<br />朝早く起きると部屋からは素晴らしい朝日の景色が見れます。窓を開けると山岳地方独特のひんやりした空気が心地よいです。思ったほど寒くはありません。いよいよ目的の温泉へ出発です。昨日のクールマイヨールの近くです。A5という高速道路に乗って Pre-Saint-Didier(プレ・サン・ディディエール)の温泉へ行きます。Aは有名なドイツのアウトバーンと同じかなと直感しましたが、よく考えると autostrada(高速道路)とイタリア語の標識もあります。たぶん、このAでしょう。しかも、この単語には俗語で面白い意味があることが辞書には書いています。高速道路で直線的ということから転じたのだと思います。さすが、イタリア人です。(曲線美の乏しい)セックス・アピールのない女、または単調な生活の男を意味するそうです。カーナビは使いこなせていませんが、高速道路があるのはわかっているし方向はわかるので、緑色の標識を見つけて高速に乗ります。目的地の温泉は地名と terme(温泉)と入力し、何とかなりました。<br /><br />迷わず到着すると、目の前にモンテビアンコ(モンブラン)です。日本の温泉と違い、水着を着て混浴ですから、隠す必要がありません。ですから、外からも中の温泉の様子が丸見えです。日曜日なので少し高い入場料48ユーロ(1ユーロ=118円)を払います。手に入れたイタリア語の全国温泉地の本にも詳しく書いていませんでしたが、地理的に想像していた通りでした。大正解! 期待通り、大自然のまっただ中の温泉地です。マッサージを予約しようとしましたがすでに予約で一杯でした。<br /><br />濡れる前に、あちこち回って全体の様子をつかみながら写真を撮ります。仕事です。旅行記にも使いますし、講演にも使います。イタリアなどの外国の温泉は日本人にはあまり知られていないので、できれば本として出版したいとも思っています。ただ、山の特徴で、たいてい雲がかかっています。絵はがきのようなモンテビアンコの写真は撮れません。室内の部分と広々とした屋外の温水プールとあります。打たせ湯、サウナ、ジャクージなど、レパートリーは豊富です。<br /><br />ここの特徴として、透明な球状のビニールでできたサンルームが屋外にあり、日光浴ができます。風も入らないし、特に寒い時期にはいいでしょう。水中音楽プールも他では気が付きませんでした。外には音が漏れないのでなんだろうと入ってみてわかりました。みんなと同様に、置いてある浮き輪を利用して耳をつけて仰向けに浮かびます。すると、いかにものヒーリング・ミュージックが聞こえます。リラックス効果があるようです。サウナも2ヶ所あり、一つはちょうどモンテビアンコが見えるようになっています。ここは、標高が高く寒いことが多いのか、分厚いバスローブとバスタオルを貸してくれます。移動の時は、バスローブが役に立ちます。<br /><br />私が外国の温泉を勧める理由ですが、温度が38℃以下です。これが重要です。慣れない日本人にはややぬるく感じますが、だから湯のぼせせず、ずっと温泉に浸かれるのです。医学的にも、副交感神経が優位になり、つまりα波が優位になり、ゆったりとリラックスできるのです。ちなみに、日本の温泉は43〜45℃もあることが多く、長くは浸かっておくことができません。しかも、反対に交感神経(戦闘モード)が優位になりリラックスできません。血圧をモニターすると上がったり下がったり変動が激しくなり、むしろ心筋梗塞、脳卒中を誘発します。危険です。これは医学的にも確かめられている事実です。<br /><br />一方、日本でよく言われる温泉の泉質による効能はあまり医学的根拠(エビデンス)がありません。第一、泉質を気にするくらいなら長い間お湯に浸かって、じっくりと皮膚から有効成分を吸収しないと意味がありません。温泉、温泉と騒ぐ割には、入浴時間はともかく、実際にお湯に浸かっている時間は必ずしも長くありません。日本人にとっては温泉もお風呂で、体を洗うところだからです。だから、外国式の温泉の水着には精神的に抵抗があるのかもしれません。<br /><br />昼食にと無料のオーガニック野菜、果物の部屋へ行きました。生のキャロット(人参)、トマト、バナナ、リンゴ、数種類のパン、ヨーグルト、ミネラルウォーターや数種類のジュースがあります。でも、軽食です。個人的には、ナポリ湾に浮かぶイスキア島のポセイドン温泉のように有料でもしっかりしたレストランがあるほうが好きです。<br /><br />時間はたっぷりあるので、受付へ行き、マッサージのキャンセルがないか聞きました。正解です。3時に予約できました。その前に2時からのファンゴ(泥浴)も試してみました。10ユーロと安いだけあって、15人位まとめてです。自分たちで、ミネラルたっぷりの温泉地の泥を練ったものを体に塗りつけます。そして、サランラップのようなもので覆い、しばらく(15分程度)サウナ室で過ごします。後は、シャワーで洗い落とします。<br /><br />マッサージのメニューはもちろん色々あります。今回は主に頭と顔のコースを試してみることにしました。一つの理由として、1月に行ったモロッコ名産のアルガンオイルを使うというのが気に入りました。50分で70ユーロです。料金的にはこんなものでしょう。思ったよりも気持ちのいいマッサージでした。<br /><br />今まで、世界中の温泉をイタリア中心に見てきました。今回気が付いたのは、高齢者が意外と少なく、むしろ若いカップルが多いということでした。ここはイタリアです。もちろん、誰の目も気にせずに堂々といちゃついています。大自然のまっただ中。このようなデートもお薦めです。最初は高齢者のツアーをイメージして調べているのですが、ここは新婚旅行にもいいかもしれません。<br /><br />視察をかねているとはいえ、自分自身十分温泉を堪能して午後6時過ぎには温泉を出ました。今日はカジノへ行きます。高速道路を使ってもアオスタの反対側のサン・ヴァンサンまでは1時間近くかかります。適当にカジノ近くのレストランへ入ります。日曜日とはいえ、誰も客がいません。不安になります。そう言えば、温泉で話をした女性も元々この辺は山で不便なのであまり食べものもおいしいものがないと言っていました。でも、さすがイタリア、そんなことは杞憂でした。前菜にニシンといか。パッケリというパスタは、穴の開いた短い麺にトマトと水牛のモッツァレラチーズ(高級)の詰め物がしてあり、緑のトマトソースがかかっています。珍しくて美味しいし、豚肉のメイン料理もおいしかったです。37ユーロです。暇なせいか、途中で挨拶に来たシェフも、いつもスパゲッティじゃ飽きるだろうと言っていました。<br /><br />満足したところで、カジノへ行きます。無料ですが、パスポートを提出させられ、入場用のカードを作ってくれます。この日は絶不調で、勝てそうな気がしません。いつものブラックジャックです。100ユーロが目減りして35ユーロになったところで珍しくやめました。いつもは勝つか、ゼロになって負けるまでやるのですが。帰りは高速を降りてから、何故か迷い、川沿いをうろちょろしました。我ながらアホです。カーナビがあって何故迷うのか我ながら不思議なくらいです。<br /><br />【トリノ経由でブラへ】<br />今日は移動日です。何とかカーナビを工夫して、緑色の標識のA4、A5<br />の高速道を通り、1時間半ほどで都会のトリノへ到着しました。荒川<br />静香が優勝して有名になった冬季オリンピックの開催された都市です。また、自動車のフィアット社のある都市です。日本でもそうですが、チンチン電車の線路のある道路は気を使いますが、何とかスムーズに目的の中心地へ着きます。今のところ、車の運転もまったく問題なく快適そのものです。今回気が付いたのは意外と日本車が少ないことです。今までは、世界中どこにいっても日本車が多いという印象でしたが。地図で見ると中心にあるピエトロ・ミッカ通りと設定して、カステッロ広場へ着き、広場に面したビルの地下駐車場へ車を置きます。後は、歩いて回ります。慣れない都会を車でうろちょろしたくないからです。路上の駐車も自信がありません。駐車料金のシステムもよくわからないからです。<br /><br />少し不安のあった運転自体は、イタリアでも何の問題もありませんでした。イタリア人も意外とちゃんと交通ルールを守って運転しています。結構、譲ってくれる人も多いです。都会のトリノでも同じです。市内電車線路があるので、少し運転しにくいですが。2年前のオーストラリアでの運転が初めてのロータリー(環状交差路)にも、だいぶ慣れてきました。ただ、四つ角でなく、六つ角などの都会でのロータリーはどこで突っ込んでいいのか、タイミングといい、かなり気を遣います。<br /><br />すぐ近くに、王宮やドゥオーモがあり、時間も限られるので外観のみを楽しみます。写真を撮りながらひたすら歩くことにしました。途中で腹が減ってきて、手頃なレストランが見当たらず少しあせってきます。大体、こういう時にはずれます。やっと、ちょっとした店を見つけて入ります。やはり、失敗でした。<br /><br />珍しくトマトソース味のパスタメニューを見つけました。でも、少し捻れた感じのパスタはともかく、日本の喫茶店のようにけちったような、ほんの少しのトマトソースでおいしくもありません。生野菜サラダは、普通にオリーブ油とバルサミコ酢のドレッシングでおいしかったですが、しつこく頼んだ野菜のグリルは味付けといい焼き具合といい、総菜屋さんの冷えたグリル野菜のほうがおいしいくらいでした。値段は安く全部で11ユーロでした。たまに、イタリアでもはずれはあります。期待値が高いのでガッカリします。<br /><br />トリノの象徴らしい三角形の塔、モーレ・アントネッリアーナにも行きます。眺めがいいので、高いところには必ず上るのですが、残念ながら月曜日で展望台へのエレベーターが休みでした。高速道路を運転中に気が付きましたが、近過ぎて全体の山々があまり見えないアオスタ地域よりも、ほどよく離れているトリノ近郊の方が遠くにアルプスの山々のシルエットが綺麗に見えます。続いてイタリア最大のポー川まで歩きます。途中で、いつもの立ち飲みバールではなく、喫茶店に近い店に入り、ちゃんといすに座って名物らしいカフェ・ビチェリンというチョコレート入りのコーヒーを頼みます。5ユーロとエスプレッソの5倍もします。まぁ、味はこんなもんでしょう。<br /><br />今回は関係ない列車の駅、ポルタ・ヌオーヴァ駅もぶらぶらしました。改札がないので、中まで入れます。そうか、次に行く Bra 行きの列車もあるのだ。カステッロ広場へ戻り、広場に面したビルの地下駐車場へ行こうとしますが、何故か地下への入り口が見当たりません。何回もぐるぐるビルを回るがありません。だんだん、あせってきます。そこで、あきらめてあるオフィスの人に聞きます。ビルを間違えていました。同じ広場に面しても斜め前にあるビルでした。ようやく、地下への入り口がありました。宿泊地のブラへ向けて午後5時半頃出発します。カーナビに任せたらやはり高速道路を使わずに、それでも7時過ぎにはブラへ到着しました。トリノとジェノバの中間にある街です。<br /><br />調べた時には、みんなが田舎、田舎と書いているので、ブラは小さな村かと思っていました。でも、着いてみるとむしろ小さな市です。イタリア語でも Citta’di Bra で city です。人口も3万人はいるようです。何故、こんなところに来たのか?ここは知る人ぞ知るスローフードの発祥地で本部があります。スローフードとは、マクドナルドに象徴される巨大なアメリカ資本で食文化を破壊するファーストフードに危機感を感じてできた組織、動きです。「ゆっくり」味わって食べる意味もあります。地産地消を大事にし、旬の味を大事にします。まさにイタリアの食文化そのものです。日本の伝統料理も実はそうでした。過去形なのが残念ですが。<br /><br />早速、スローフード協会に行くと、あの象徴的な「かたつむり」のマークがありました。奥に認定レストラン、ボッコンディビノがありますが、手前の庭が工事中で休みのようです。明日は開くと書いてあります。そのくらいはイタリア語でも読めます。<br /><br />もちろん、レストランも期待しています。特に、昼食がトリノではずれでしたから。カーナビの近くのレストラン機能を利用し、名前で <br />Osteria la bocca buona を選びました。オステリアとはレストランよりややカジュアルな大衆食堂です。ここは、昼間の仇討ちできる大正解の店でした。伝統的な前菜は、名高い生肉と生ソーセージが中心です。タジャリンという生ソーセージ入りのパスタもおいしいし、ピエモンテ風タリアータという牛肩ロースを焼いて薄切りにしたのも付け合わせの野菜といい、最高でした。個人的な発見は、英語でよく聞いたことがある Piedmond の意味が Piemonte 州の意味だということです。イタリア語の地名も英語になると少しずつ変わります。席も庭風の屋外で気持ちよく食事できました。厨房の中が見えますが、日本人らしい人がいます。声をかけると合計3〜4年イタリアのあちこちのレストランで働いたことのある人で、今回は4月からここで働いているそうです。エスプレッソまで付けて37ユーロです。<br /><br />【スローな一日】<br />朝食場はここもバイキングです。驚いたことに朝から、ベルギーで有名なチョコレート・ファウンテンがあります。感動したのは、ブラッドオレンジがあることです。ジュースは大好きですが、果実のブラッドオレンジを見るのは初めてです。黄色い果実に赤味がさした感じできれいですし、酸味が強くおいしいです。ここはスローフードの街、ブラです。食べもの以外興味ないので、嫌でものんびりします。特別な名所旧跡はありません。でも、それなりのイタリアらしい教会などの建物はあります。ホテルはやや郊外にあるベストウェスタンで眺めも最高です。ここは部屋でインターネットも繋がりゆっくりできます。<br /><br />隣に Coop があります。散歩がてら歩いて行くと9時前なのにもう開いています。単語の勉強で、野菜やハムなどを見て回ります。スーパーだとただみたいな値段のミネラルウォーター(1L)とブラッドオレンジジュースを買います。欲しかったエスプレッソメーカーも見つけました。15ユーロです。実は、3〜4年前娘がホストファミリーからの土産として持って帰ってくれたのですが、早速火をつけっぱなしにして取っ手を溶かしてしまったのです。<br /><br />昼食に昨日閉まっていた Boccondivino へ行きますが、結局今日も休みでした。でも、人がいて駅の近くの協会認定のレストラン、バタリーノを推薦してくれました。車を置いて歩いて行きましたが、歩くと結構距離がありました。ここも庭風の席で、迷わず38ユーロのお薦め定食を頼みました。前菜は、生肉とブラ・ソーセージ(生ソーセージ)と当然の如くです。生暖かいチキンの入ったサラダ、アニョロッティ(挽肉、チーズなどを卵入り板状のパスタで包んだもの)というバター味のパスタも絶品でした。若い雌牛のすね肉のアスパラガス添えも最高でした。それに、デザートのティラミスまで付きます。<br /><br />おいしかったけど、明らかに食べ過ぎです。腹ごなしにひたすら町をぶらぶら歩きます。イタリアらしくないピンクの派手な看板が目に付きます。漢字で牡丹、peonia と書いたマッサージ屋のようです。中国人経営なのでしょう。イタリアにしては珍しいし、暇なのでマッサージを受けました。やはり中国人の店でした。<br /><br />夕食は成り行きでやや高台にある、厳密にはブラの隣の町にあるルマカというオステリアに行きました。さすがに昼食べ過ぎたので軽くしました。ロシア風サラダを頼むと、ポテトサラダ風のサラダが出てきました。イタリアでこんなサラダは初めてですが、普通においしかったです。リゾットもチーズ味だけのシンプルなものを頼みましたが、いつも食べ過ぎ気味なのでちょうどよかったです。チーズが入っているので、おかゆほどあっさりはしていませんが、ボリューム的には軽めでした。<br /><br />【世界遺産、チンクェ・テッレへ】<br />5月18日水曜日、6日目、ちょうど旅程の真ん中です。朝9時頃ブラを出発し、方向はわかっているので何とかカーナビを工夫して高速道路に乗りました。高速A6に乗りサヴォーナ経由でジェノバです。でも、今日はそこを通過し高速A12に移行し、一気にチンクェ・テッレまで行きます。チンクェ・テッレとは五つの大地という意味ですが、実際には海に面して陸路での交通が不便な五つの漁村です。一番端のモンテロッソ・アル・マーレへ行きますが、途中は山を下って行くのでぐるぐる道です。昼過ぎに着きますが、狭い道路で通行人を避けながらゆっくり進みます。<br /><br />とにかく、昼食だ! 大正解でした。野菜サラダはいつもオリーブ油とバルサミコ酢のドレッシングで。今回初めて普通のスパゲッティです。海に面していますから、新鮮なシーフードです。ムール貝、手長エビ、あさり入りです。魚のグリルも最高です。丸ごと焼いた魚ですが、ウェイターが食べやすいように目の前で身だけ取り出してくれフィレにしてくれます。<br /><br />腹ごしらえして、歩いてホテルを探します。一軒、立派なのがありフロントで聞くと、やはり駐車場は基本的に村の入り口までだそうです。値段を聞くと160ユーロもします。いつものくせで、もっと安いところを探そうと本能が働きます。しばらく探すと目立たないところに75ユーロのホテルが見つかりました。十分です。ちゃんとインターネットも繋がるようですし。名前は素敵で、Hotel Stella della Marina(海辺の星ホテル)です。<br /><br />狭い道を逆戻りして村の入り口の駐車場へ移動します。カバンだけ持ってホテルへ戻りますが、こういう時に備えて常に荷物は軽くしています。時間を有効に使いたいのでフロントの男性にアドバイスを受けました。まず4時の舟で反対側の端のリオマッジョーレへ行きます。テレビでみたことのある有名な「愛の小道」Valle dell’Amore を歩きます。海沿いの海を見下ろしながらの平坦な道です。30分たらずで隣の村、マナローラへ着きます。本来は名前通り、平坦な道をカップルがいちゃつきながら歩く道なのでしょう。もちろん、回りにはそういうカップルがたくさんいます。気のせいか、若い人が多い気がします。<br /><br />ナポリの南のアマルフィ海岸に似ているなぁと思いながら、狭い村のお店やレストランをぶらぶらします。週一回仕事で行っている病院の外来に置きたかったおみやげを兼ねた置き時計を買いました。珍しく写真をはっているレストランの焼きサバとロブスター入りのスパゲッティが気になり、少し早いけど6時過ぎに入りました。ところが、サバは売り切れです。しかも、ロブスターは2人前からです。一人旅で困るのはこれです。だいたい、こういう流れの時は失敗です。ジェノバ風ミネストローネは名前通り緑色バジル入りの野菜スープですが、まずくはないのですが、自分の好みの味ではありません。ロブスターが入っているというリンギーニは、日本並みにひとかけらのロブスターとカニは入っていますが、味も期待するイタリアのレベルからしたらそこそこでした。腹ごなしに写真を撮っていると、山の斜面にテレビで見たことのあるかかしのような人形があります。<br /><br />帰りは教えられた通り、電車でモンテロッソ・アル・マーレへ戻ります。たったの1.8ユーロです。乗る前に切符を買えなかった(切符売り場が閉まっているような田舎)ので、少しドキドキしていると短時間なのに乗務員が来ます。ヨーロッパではめったに来ないけど、摘発されると1万円程度の罰金なのを知っています。でも、言い訳するまでもなく、車内で支払うだけで問題ありませんでした。切符売り場が閉まっているようなローカル線だからでしょう。ところが、電車を降りると様子が違います。迷子状態です。小さな村ですが、船乗り場もなくなっているし、海は目の前ですが、右に行っても左に行っても昼間の街並みがありません。まさかと思って駅名を確認するとモンテロッソ・アル・マーレと確かに書いています。仕方がないので、自転車に乗った青年に道を尋ねました。思ったより、駅は離れていてずっと歩いた所にちょっとしたトンネルがあり、そこを抜けるとようやく見慣れた船乗り場の一帯へ出ました。<br /><br />予定を変更して、ここでの2泊をやめ、明日の夜までに都会のジェノバへ行くことにしました。夕食が早かったせいか、無性に夜食が食べたくなりピッツェリアを探しました。ナポリのピッツァを覚えて以来、イタリアでもそうでもないピザがたくさんあるのを知ってはいます。探し出したピッツェリアはまさにそれでした。マルゲリータを頼みましたが、見た途端こんなのはマルゲリータとは違う!と叫びたくなりました。半分、予感はしていました。分厚いピザを食べるとやはりそれなりの味です。若い頃と違い、私も残すことを覚えました。ふと回りを見るとアメリカ人の観光客ばかりです。テキサスから来ただのと盛り上がっています。アメリカには延べ3年住んだことがあり、詳しいし嫌いではない私ですが、最近はやや冷めています。アメリカ人相手の店ならこの程度のピザで十分だなと感じていました。<br /><br />【中世海運王国、ジェノバ】<br />翌朝、シャワーを浴びると珍しくちゃんと熱いお湯がたっぷり出ます。朝食も予想外に豪華でした。屋上のベランダが朝食場です。まず、海の見える景色が最高です。しかも、もともとコンチネンタルのパンとコーヒー程度のイタリアにしては、高級ホテル並みに(たぶん、実は高級ホテルに泊まったことはないので想像です!)シェフがいて、卵料理を準備してくれます。私はハム入りのオムレツを頼みました。そのせいか、おいしいのです。朝から、シャワーといい、朝食といい、安ホテルにしては想定外、予想外のサービスです。<br /><br />気持ちよくチェックアウトして、荷物を車に運んでから出発します。今日は隣の村、ヴェルナッツァまでトレッキングです。昨日の「愛の小道」と違い、山道を隣村まで歩くようです。実際、昨日と違い本格的なトレッキングの格好をした、杖を持った中高年の小グループがたくさんいます。ゲルマン系(スイス、ドイツ、オーストリア)の顔の人が結構います。私はうっかりしてペットボトルも持たずに来てしまいました。途中で休憩したり、写真を撮ったり、他の人を抜きつ抜かれつです。気になった若い女性がいたので聞くと、ロンドンに留学中のオーストラリア人でした。いずれにせよ、2時間弱歩きようやく隣村へ到着しました。結構汗もかきましたが、いつものテニスに比べればたいしたことなく水を一滴も飲まずにしのげました。ヴェルナッツァは上から見ると内海があり、ちょうどほどよいビーチになっています。山には、一人だけ乗れる急峻な坂道用のケーブルカー(?)があります。ブドウ畑の収穫用だと思います。<br /><br />ビーチの目の前の屋外レストランへ入ります。今回、初めて日本人のツアーグループに遭遇しました。中高年グループで、南仏〜リビエラのトレッキング目的のツアーのようでした。大好きなムール貝の白ワイン蒸しを軽く食べ、ついにジェノバ風トロフィエを頼みました。トロフィエはトロフィーのように少し捻ったようなショートパスタで、正直見た目はあまりおいしそうではなさそうと昨日から人のを見て思っていました。でも、運ばれてきたトロフィエをバジル・ペーストと自分でからめると絶品でした。さすがに、トロフィエもアルデンテでほどよい腰がありおいしいのです。バジル・ペーストはスパゲッティではなく、トロフィエと決まっているようです。相性なのでしょう。ペンネは辛いアラビアータが多いように。バジル・ペーストは松の実も入っています。そして、じゃがいもとさやいんげんが付け合わせ風に入っています。<br /><br />いよいよ、最後の一番不便な村、5つの村の真ん中にあるコルニーリャへ列車で行きます。ここだけは小高い山の上に村があり、本当に隔離されたような不便な場所で、駅からも階段を何百段も上ってようやくたどり着きます。10分以上かかります。本当に何もないのどかな村ですが、観光地です。夏のシーズンには相当混み合うのでしょう。<br /><br />たまたま入った惣菜屋さんで、お店の人と立ち話でずっと喋っていました。ヴェロニカという名前の彼女は40代の素敵なイタリア人女性で、日本のアニメが好きだそうで、いつか日本に来たいと言っていました。でも、今は原発事故の後だから行きたくないとも。もちろん、英語で喋っていたわけです。彼女のイタリア語訛りの英語が可愛いのです。途中で、敬意を払って少しだけイタリア語で喋ると、イタリア語でバンバン返ってくるので、申し訳ないけど英語に戻してもらいました。彼女の雰囲気がイタリアらしくて好きなので、写真を撮らせてもらいました。その代わり、メールで写真を送ってくれといいます。便利な時代になったものです。<br /><br />途中で、アメリカ人観光客がパンとチーズを買い、その場でサンドイッチを作ってもらい、外で奥さんと食べるようです。こういう発想は日本人の私にはないので、感心しました。なるほど、こういう方法もあるのかと。何も買わないと悪いと思い、桃をかじろうと一個だけ注文しました。そうしたら、ヴェロニカはサービスしてくれました。こんなエピソードだけで、この村が好きになりました。人間なんて単純なものです。これで、チンクェ(5つの)・テッレ全ての村を回りました。<br /><br />列車でモンテロッソ・アル・マーレへ戻り、村の入り口の駐車場へ行き、丸二日分の36ユーロの駐車料金を払いました。クレジットカードが使えないし人もいないので焦りましたが、かろうじて現金が足りました。もう夕方6時頃ですが、計算通り2日前に来た高速道路A12に乗ると1時間足らずでジェノバへ着きます。再度高速に乗るのにわかりやすいように、ジェノバ東側の最初のランプで降り、カーナビで近くのホテルを目指します。ところが、古い情報なのかカーナビに誘導されると海辺の狭い道路を、しかもイスに人々が座っているすぐ横を通過します。恐れていた通り、行き止まりで間違いでした。こんな狭い所をバックして戻るのは大変だと心配でしたが、幸い、何とかUターンできるところを見つけました。仕方がないので新たにホテルを入力し、ここも若干迷いましたが何とか8時頃着きました。<br /><br />今回、カーナビで面白いことに気づきました。前述したように、ここイタリアで借りたカーナビはアメリカやオーストラリアで借りたのと同じメーカーで英語版です。表示や指示の会話は全て英語です。でも、地名の表示は英語とイタリア語と両方可能なようです。イタリアの地名の英語表示も知っているつもりでしたが、ここ Genova だけは勘違いしていました。 Genoa(ジェノア)という別の都市があると思っていました。今回、しばらくしてそのことに気づきました。実は、ジェノバの英語表記だと。日本語でも、ジェノバでもいいし、ジェノヴァとVにこだわる表記もあります。<br /><br />イタリアの主な都市、Milano は Milan、 Venezia は Venice、 Firenze は Florence、Napoli は Naples そして Roma は Rome などです。今回、もう一つ知らなかったのが Torino が Turin という英語名ということです。ちょっとしたことですが、知らないとややこしいです。<br /><br />後日、アメリカ人にこのことをテストしてみました。わざと Napoli pizza と言ってみたら通じません。彼らには、あくまでも英語の地名しかわからないようです。でも、我々日本人の知っている地名のほうが正しく、イタリア本国とほぼ同じ発音なのです。ローマ字読みになれている日本人の特権でしょう。<br /><br />到着したホテル、Hotel Astor Nervi は4つ星と書いています。高そうです。でも、時間的に新たなホテルを探すのも面倒です。ところが、たったの90ユーロです。迷わず2泊にしました。あまり、ホテルで食事することはないのですが、時間的に外へ出るのは億劫です。あまり客のいない一階のホテルのレストランへ行きました。でも結論から言うと大正解でした。焼き野菜、ジェノバ風ラザーニア、本日の魚ジェノバ風です。緑色したバジルソースのラザーニアはやや薄い生地で独特の食感でした。魚料理も丸ごとで、もちろんバジルも入ったトマト、じゃがいもなどの野菜とともにオリーブ油で煮込んでいます。食べやすいように、ウェイターがフィレ状に取り分けてくれます。珍しく、デザートにアップルパイまで頼んでしまいました。もちろん、エスプレッソとともにです。部屋にはバスタブがあるので、たっぷりお湯を溜め、低温でゆっくり一時間ほど過ごし腹ごなしします。<br /><br />【実質、最終日】<br />今日はゆっくり回れる最終日です。値段の割には立派なホテルですが、朝食は昨晩の安ホテルのほうが豪華でした。本来のコンチネンタルで、野菜もないし、卵料理もありません。コーヒーもカプチーノに飽きたので、以前に覚えた単語、カフェ・ルンゴ(ロング)を頼むとカフェ・アメリカーノかと聞かれます。そうと答えると、出てきたのはエスプレッソを薄めただけのたっぷりのコーヒーで今一でした。10時過ぎにゆっくり出発します。たまたま列車の駅(Nervi)が歩いて行ける程近いので少し迷いましたが、やはり車でダウンタウンへ行くことにしました。<br /><br />高速に乗り最初は順調でしたが、やはり都会だけあって、徐々に渋滞に巻き込まれ12時頃ようやく中心部に着きました。何故か英語の City Park という駐車場へ車を置き、ここでも後は歩くことにします。あまり有名な観光地はないようですが、旧市街全体が大航海時代の名残があり世界遺産のようです。ルネッサンスやバロックの頃の建物がびっしり並んでいます。赤の宮殿、白の宮殿に行きましたが、建物はともかく、ゆっくり中の美術館に入る気もしません。それより、時間的に昼食をと思いレストランを探しますが、意外とありません。嫌な予感がします。また、トリノの二の舞か?やっと、あるビルの2階にトラットリアを見つけます。メニューも限られた店で不安でしたが、予想外に安くて美味しい店でした。中に挽肉の入ったパスタであるラビオリ、白ワインで味付けした薄切り焼き肉、生野菜と野菜焼き、最近気に入っている炭酸入りのミネラルウォーター、エスプレッソまで入れてたったの14ユーロでした。満足、満足! <br /><br />あまり有名な所はないので、ひたすら歩くことにします。不思議なことの多い町でした。まず、地下鉄が何故か休みなのです。金曜日の午後です。理由がわかりません。眺めがいいだろうとケーブルカーの駅に行きましたが、ここも休みのようで駅が閉まっています。午後2時です。おばさんがいて尋ねると、5時になったら開くと言っています。<br /><br />旧市街のバイクしか通れない狭い迷路のような所をひたすら歩くと怪しい所へ出ました。まだ明るいのに「夜の女性」たちが立っているのです。「クワント?」といつものように冷やかします。「トレンタ(30)(ユーロ)」と答えます。なるほど。わかる人にはわかる、大人の会話です。<br /><br />続けてひたすら歩きます。もちろん、疲れるとバールに入ってカフェ、つまりエスプレッソを飲みます。日本でのブレンドコーヒーはブラックで飲みますが、濃厚な苦いエスプレッソは本場風に少量にもかかわらずたっぷり一袋の砂糖を入れます。これがおいしい飲み方です。ある時テレビで芸人が、これが本場のエスプレッソ・コーヒーかと知らずにブラックで飲んでいました。明らかに、苦くてまずいのを我慢しているのがわかり笑ってしまいました。バール(Bar)という名前でわかるように、酒の飲める人にはワイン等も気楽に立ち飲みできます。<br /><br />鉄道の駅、プリンチペ駅の前にはクリストーフォロ・コロンボの像が立っています。アメリカ大陸を発見したので有名なクリストファー・コロンブスはここジェノバの出身なのです。ミラノの家族から聞いていたので有名そうな水族館へも行ってみました。動物の名前はイタリア語はともかく、英語でもわかるようでわからない。まぁそれなりに楽しんでいました。おみやげにもう一つ、イルカの置き時計を買いました。<br /><br />5時半になったので、半信半疑でケーブルカーに戻ると動いているようで、行列ができています。もちろん、てっぺんまで上りました。でも、残念ながら景色を楽しめるような公園はありません。若干不安ながら、私有地のような公園のような所へ入って行きます。木々の隙間から何とか写真を撮りました。絶景とまではいかないものの、何とか歴史のあるジェノバ港が見渡せます。ところが、恐れていた通り大きな門の扉が閉じられています。よじ登ろうかとしましたが、少し危険です。困っていると、人がいます。声をかけると、あっさりと遠隔操作で門の扉を開けてくれました。いつものことですが、何とかなるものです<br /><br />いよいよ今晩は最後のゆっくりした夕食です。水族館の近くの桟橋にあるレストランにしました。豪華な野菜サラダ、ラビオリのような詰め物のパスタにムール貝添え、魚介類のグリル(白身魚、車エビ、イカ)を海を見ながら平らげました。若い頃と違い、残すことも覚えました。おいしいのですが、さすがに量的に欲張りすぎでした。<br /><br />夜はラッシュがないので、順調に飛ばして帰りました。ところが、夜間工事で通行止めに引っかかりました。カーナビの欠点で、迂回路までは教えてくれません。大体の方向はわかるものの、ずいぶん苦労してようやく反対側からホテルへたどり着きました。しかも、今度はアメリカと違いホテルの駐車場が狭く、車を停めるのに一苦労しました。<br /><br />北イタリア(2)(おまけのヘルシンキ)へ続く<br /><br /><br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)、坂本泰樹<br /><br />

北イタリア(1)(アルプスの麓の温泉、ブラ、チンクェ・テッレ、ジェノバ)

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2011/05/13 - 2011/05/23

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

【出発】
いよいよ13回目のイタリア旅行のスタートです。何回行ってもイタリアはいいです。頭の中はおいしい食べもので一杯です! 期待に胸ふくらみます。

ただ、今回も一応目的はあります。主に、アルプスの麓の温泉視察とイタリアでも車の運転に慣れておくことです。もちろん、将来の仕事に備えての準備です。高齢者主体の健康増進ツアー(含む湯治)を組むのが私の夢です。もちろん、医者の私がエスコートします。また、昨年実現したように、癌の末期患者さんなどの重病人をエスコートするような場合は、レンタカーの方が便利なことが多いはずです。アメリカでは、ずっと運転に慣れている私も、汽車で回れるヨーロッパでは運転したことがありません。しかも、イタリアは特異なナポリを見ているので少しビビっています。

5月13日(金)出発です。仕事の関係で、いつもの金曜日出発、月曜日帰国の目一杯11日間の旅です。今回はフィンランド航空でヘルシンキ経由のミラノ入国です。福岡空港7時5分の便が少し早朝で厳しいですが、成田9時到着、11時出発と乗り継ぎはいい感じです。時差6時間のヘルシンキには13時50分と予定よりやや早目に到着です。乗り継ぎだけですが、入国審査があります。結構、ヨーロッパにしては厳格で、陰険な男性審査官は私のパスポートの後ろにメモ代わりに書いていたアメリカ入国用のESTAの有効期限の記載を見つけます。パスポートはメモ帳ではないとお説教をします。知ったことかと聞き流しますが、いきなりフィンランドの印象が悪くなります。ほどよい待ち時間で16時5分にヘルシンキを飛び立ちます。うとうとしていると早くも着陸態勢です。2時間半も、うたた寝をしたかなと思いつつ怪訝な顔をして外を見るとさっき見たヘルシンキの森林に似ています。隣の日本人のツアー客に聞くと、やはり引き返すそうです。エアコンの故障によるという説明のようです。 ? すぐに同型の飛行機に乗り換え、席も全く同じなので隣の日本人二人も同じです。18時には再出発しました。2時間遅れです。1時間の時差のミラノへ20時に到着します。

こういう時は携帯電話の有り難さがよくわかります。娘の高校留学ホームステイ先の家族にヘルシンキから電話して、2時間ほど遅れると連絡できていました。ほんの数年前に娘はお世話になったわけですが、早くも私がこの家庭に泊まるのは2回目です。しかも、有り難いことに、彼らの家はマルペンサ国際空港(ミラノ郊外)の近くです。父親のピエトロと母親のエルビラが一緒に迎えに来てくれました。

メールで聞いていた通り、そのまま家族の知人宅でのパーティへ参加します。歯科医宅らしく、ホステス役の奥さんはグアテマラ人のようです。特に、そのお母さん(おばあさん)はスペイン語で喋っていました。スペイン語もイタリア語も発展途上の私の語学力では、頭の中が混乱します。娘の知り合いも多いようなので、おみやげに持って来た娘の成人式の着物姿の写真などを見せました。期待通り、「ケ・ベッラ!」(何ときれいだ!)と言ってもらえました。親バカです!

ただ、今回は英語がわからない人も多く、少し暇をもて余しました。でも、40年も前のアメリカ留学初期の頃を思い出し、懐かしい気もしました。そして、イタリア語へ対する向学心に火が付きます。最低限の文法は勉強しているし、音もだいぶ馴染んできたので、後は語彙さえ増やせば何とかなりそうです。10代の頃のようには無理でも、少し本気で集中的に単語を覚えようと意欲が出てきました。

家へ帰ると、娘の弟(ホストブラザー)であったジュリアーノが帰ってきました。前回訪問時は留守で会えませんでした。娘とは親しかったようです。ピエトロとエルビラは再婚で、娘が留学中に結婚式をあげ、私も招待されていましたが、さすがにその時には来れませんでした。ピエトロは典型的なイタリア南部(ナポリ)出身者で明るく楽しい人間です。日本では、厳密には福岡では、ピエトロという名前はドレッシングやレストランで有名だと娘からも説明しています。そのせいでもないでしょうが、最近外国へ食品などを輸出できる資格を取ったそうです。日本ともビジネスを始めてくれれば楽しいのですが。

翌日からのやや不安な車の運転について話題にすると、エルビラもナポリは特別だと言います。NHKのイタリア語講座のイタリア人もナポリの運転はキチガイだと同じようなことを言っていました。でも、エルビラによるとナポリ独自のルールがあるらしく、意外なことに重篤な事故はミラノの方が多いそうです。

【ドライブ開始】
翌朝、昨夜会っていないイレーネ、娘のお姉ちゃん(ホストシスター)が出かける前に会います。彼女は娘とほぼ同時期に同じくAFSでインドに一年間留学していました。ジュリアーノは土曜日なのに学校があるそうです。美味しいイタリアですが、朝食は大したことはありません。エスプレッソ・コーヒー、ジュース、甘い菓子パンなどです。どうせ私の荷物は少ないので、2年前から置いたままになっている娘の服やカバンや本などの荷物をカバンごと預かることにしました。前回も少し運びました。 

レンタカーを借りるために、ピエトロとエルビラが空港まで送ってくれました。アメリカではいつもバジェット・レンタカーですが、イタリアにはないらしく、バジェットから紹介されたエービスに予約を入れています。エルビラが一緒に付いてきてくれ、手伝ってくれます。中型車ということでベンツA190のはずでしたが、代わりに BMW118 でした。日本では1シリーズの BMW は見たことありませんでしたが、まぁまぁの車でした。GPS、つまりカーナビも予約しています。ちゃんと英語版で、アメリカやオーストラリアで借りたのと同じガーミン製でした。

お礼を言って彼らと別れ、いよいよ運転して出発です。ミラノ空港からアオスタへ向けて出発です。手元には、日本で準備した大雑把なヤフーの地図15枚程度です。しばらくして気が付きましたが、どうも設定が高速道路を選ぶようになっていないらしく、ひたすら田舎道を進みます。たぶん、ほぼ真っ直ぐ西に向かっているはずです。幸い、時間的には余裕をみているので、のんびり行くことにしました。おかげで、BSテレビの「小さな村の物語イタリア」みたいな所を次々に通過します。途中で、田舎のバールに寄ってエスプレッソを飲みます。おばあさんがやっていて、ちょうど日本の駄菓子屋の雰囲気です。

どこを通っているかもはっきりしないので、カーナビ任せです。標識で目的地のアオスタの手前(東側)の Saint Vincent が見え、立ち寄ることにします。イタリア語読みで、サン・ヴィンチェンツかと思っていましたが、どうもフランス語読みでサン・ヴァンサンのようです。これでわかるように、元々はフランス領だったようです。この辺りは、アルプスの国境近くで、フランスやスイスに近いのです。事前に調べている通り、ここにも温泉はあるのですが、現在は飲泉のみのようです。でも、カジノがあるので立ち寄ると、スロットマシーンだけで、田舎のカジノでよくあるように午後3時まではアメリカゲーム(ブラックジャックなど)は開かないそうです。私はブラックジャックしかしません。ただ、貴重な情報として現在増設中で近いうちに温泉(プール)がここにもできるようです。私の目的はこういう中々手に入らない情報を現地で集めることです。

地理がわかったので、まだ時間もあり一気に宿泊地のアオスタを通過して西側に位置するクールマイヨールまで行くことにします。ここで、初めて一部高速道路を通過しました。日本と同じで有料です。アルプス山脈になるので、当然の如くトンネルばかりです。標高は1405メートルで、モンテビアンコ(モンブランのイタリア名)にかなり近い所です。でも、あいにくの雨であまり絶景を楽しむという訳にはいきませんでした。ほんの4年ほど前、スイス側からモンブラン、マッターホルン(これもイタリア名はチェルヴィーノと初めて知りました)をまとめて見ました。ここのバールでは、カフェ・マキアート(エスプレッソに少しミルクを垂らしたもの)を頼みます。カフェだけだとコーヒーのことで、イタリアでは当然の如くエスプレッソが出ます。エスプレッソの初心者のために書いておきますと、濃厚なエスプレッソはブラックでは飲めません。まずいです。イタリア人の真似をして、たっぷりの砂糖を入れて飲みます。

今回の旅行で唯一前もって予約してあるアオスタのホテルへチェックインします。部屋はまぁまぁで、アルプスの山々が見える景色は中々のものです。部屋に面して雪山が見えるのでひょっとしてモンブランが見えているのかとフロントで聞いたら、違う山でした。インターネットがロビーのみしか繋がらず、しかも最初の一時間以上は有料というのが少し不便でした。

今回の最初のちゃんとした夕食はヴェッキア・アオスタという郷土料理店へ行きました。有名らしい地元のチーズ、フォンティナを使用したチーズ・フォンデュとニョッキの料理、トウモロコシの粉入りのポレンタ添えの牛肉料理などを食べました。それなりにおいしいのですが、私の好みではありません。特に、前菜で生ハムと一緒にラードそのものの料理があります。意外と美味しいのですが、動物性脂肪そのものを食べたいとは思いません。フォアグラを好むフランス料理の影響でしょう。地理的にフランス料理に近いはずです。オーストリア国境に近いトリエステを思い出しました。そこでは、完全にゲルマン(ドイツ・オーストリア)料理であまりおいしくありませんでした。勝手にソーセージ入りのスパゲッティを想像した私がバカでした。

夏時間で9時過ぎまでは明るいので、いつものように街を散策します。あまり知られていないここアオスタの町はスイスとフランスの国境への峠道の分岐点で、ローマ時代より栄えています。何と、この町を造ったのは初代ローマ皇帝アウグストゥスだそうです。ここにも立派な教会があります。当然の如く、レストランを見つけてはメニューを読みます。予想通り、北部イタリアにはトマトソース(ポモドロ)があまりありません。リゾットが割と多い印象です。その他の珍しそうなパスタやニョッキもあります。元気があれば、昼間に立ち寄ったカジノへ出かけるのですが、眠いので早目にホテルに戻って寝ました。

【いよいよアルプスの温泉へ】
朝早く起きると部屋からは素晴らしい朝日の景色が見れます。窓を開けると山岳地方独特のひんやりした空気が心地よいです。思ったほど寒くはありません。いよいよ目的の温泉へ出発です。昨日のクールマイヨールの近くです。A5という高速道路に乗って Pre-Saint-Didier(プレ・サン・ディディエール)の温泉へ行きます。Aは有名なドイツのアウトバーンと同じかなと直感しましたが、よく考えると autostrada(高速道路)とイタリア語の標識もあります。たぶん、このAでしょう。しかも、この単語には俗語で面白い意味があることが辞書には書いています。高速道路で直線的ということから転じたのだと思います。さすが、イタリア人です。(曲線美の乏しい)セックス・アピールのない女、または単調な生活の男を意味するそうです。カーナビは使いこなせていませんが、高速道路があるのはわかっているし方向はわかるので、緑色の標識を見つけて高速に乗ります。目的地の温泉は地名と terme(温泉)と入力し、何とかなりました。

迷わず到着すると、目の前にモンテビアンコ(モンブラン)です。日本の温泉と違い、水着を着て混浴ですから、隠す必要がありません。ですから、外からも中の温泉の様子が丸見えです。日曜日なので少し高い入場料48ユーロ(1ユーロ=118円)を払います。手に入れたイタリア語の全国温泉地の本にも詳しく書いていませんでしたが、地理的に想像していた通りでした。大正解! 期待通り、大自然のまっただ中の温泉地です。マッサージを予約しようとしましたがすでに予約で一杯でした。

濡れる前に、あちこち回って全体の様子をつかみながら写真を撮ります。仕事です。旅行記にも使いますし、講演にも使います。イタリアなどの外国の温泉は日本人にはあまり知られていないので、できれば本として出版したいとも思っています。ただ、山の特徴で、たいてい雲がかかっています。絵はがきのようなモンテビアンコの写真は撮れません。室内の部分と広々とした屋外の温水プールとあります。打たせ湯、サウナ、ジャクージなど、レパートリーは豊富です。

ここの特徴として、透明な球状のビニールでできたサンルームが屋外にあり、日光浴ができます。風も入らないし、特に寒い時期にはいいでしょう。水中音楽プールも他では気が付きませんでした。外には音が漏れないのでなんだろうと入ってみてわかりました。みんなと同様に、置いてある浮き輪を利用して耳をつけて仰向けに浮かびます。すると、いかにものヒーリング・ミュージックが聞こえます。リラックス効果があるようです。サウナも2ヶ所あり、一つはちょうどモンテビアンコが見えるようになっています。ここは、標高が高く寒いことが多いのか、分厚いバスローブとバスタオルを貸してくれます。移動の時は、バスローブが役に立ちます。

私が外国の温泉を勧める理由ですが、温度が38℃以下です。これが重要です。慣れない日本人にはややぬるく感じますが、だから湯のぼせせず、ずっと温泉に浸かれるのです。医学的にも、副交感神経が優位になり、つまりα波が優位になり、ゆったりとリラックスできるのです。ちなみに、日本の温泉は43〜45℃もあることが多く、長くは浸かっておくことができません。しかも、反対に交感神経(戦闘モード)が優位になりリラックスできません。血圧をモニターすると上がったり下がったり変動が激しくなり、むしろ心筋梗塞、脳卒中を誘発します。危険です。これは医学的にも確かめられている事実です。

一方、日本でよく言われる温泉の泉質による効能はあまり医学的根拠(エビデンス)がありません。第一、泉質を気にするくらいなら長い間お湯に浸かって、じっくりと皮膚から有効成分を吸収しないと意味がありません。温泉、温泉と騒ぐ割には、入浴時間はともかく、実際にお湯に浸かっている時間は必ずしも長くありません。日本人にとっては温泉もお風呂で、体を洗うところだからです。だから、外国式の温泉の水着には精神的に抵抗があるのかもしれません。

昼食にと無料のオーガニック野菜、果物の部屋へ行きました。生のキャロット(人参)、トマト、バナナ、リンゴ、数種類のパン、ヨーグルト、ミネラルウォーターや数種類のジュースがあります。でも、軽食です。個人的には、ナポリ湾に浮かぶイスキア島のポセイドン温泉のように有料でもしっかりしたレストランがあるほうが好きです。

時間はたっぷりあるので、受付へ行き、マッサージのキャンセルがないか聞きました。正解です。3時に予約できました。その前に2時からのファンゴ(泥浴)も試してみました。10ユーロと安いだけあって、15人位まとめてです。自分たちで、ミネラルたっぷりの温泉地の泥を練ったものを体に塗りつけます。そして、サランラップのようなもので覆い、しばらく(15分程度)サウナ室で過ごします。後は、シャワーで洗い落とします。

マッサージのメニューはもちろん色々あります。今回は主に頭と顔のコースを試してみることにしました。一つの理由として、1月に行ったモロッコ名産のアルガンオイルを使うというのが気に入りました。50分で70ユーロです。料金的にはこんなものでしょう。思ったよりも気持ちのいいマッサージでした。

今まで、世界中の温泉をイタリア中心に見てきました。今回気が付いたのは、高齢者が意外と少なく、むしろ若いカップルが多いということでした。ここはイタリアです。もちろん、誰の目も気にせずに堂々といちゃついています。大自然のまっただ中。このようなデートもお薦めです。最初は高齢者のツアーをイメージして調べているのですが、ここは新婚旅行にもいいかもしれません。

視察をかねているとはいえ、自分自身十分温泉を堪能して午後6時過ぎには温泉を出ました。今日はカジノへ行きます。高速道路を使ってもアオスタの反対側のサン・ヴァンサンまでは1時間近くかかります。適当にカジノ近くのレストランへ入ります。日曜日とはいえ、誰も客がいません。不安になります。そう言えば、温泉で話をした女性も元々この辺は山で不便なのであまり食べものもおいしいものがないと言っていました。でも、さすがイタリア、そんなことは杞憂でした。前菜にニシンといか。パッケリというパスタは、穴の開いた短い麺にトマトと水牛のモッツァレラチーズ(高級)の詰め物がしてあり、緑のトマトソースがかかっています。珍しくて美味しいし、豚肉のメイン料理もおいしかったです。37ユーロです。暇なせいか、途中で挨拶に来たシェフも、いつもスパゲッティじゃ飽きるだろうと言っていました。

満足したところで、カジノへ行きます。無料ですが、パスポートを提出させられ、入場用のカードを作ってくれます。この日は絶不調で、勝てそうな気がしません。いつものブラックジャックです。100ユーロが目減りして35ユーロになったところで珍しくやめました。いつもは勝つか、ゼロになって負けるまでやるのですが。帰りは高速を降りてから、何故か迷い、川沿いをうろちょろしました。我ながらアホです。カーナビがあって何故迷うのか我ながら不思議なくらいです。

【トリノ経由でブラへ】
今日は移動日です。何とかカーナビを工夫して、緑色の標識のA4、A5
の高速道を通り、1時間半ほどで都会のトリノへ到着しました。荒川
静香が優勝して有名になった冬季オリンピックの開催された都市です。また、自動車のフィアット社のある都市です。日本でもそうですが、チンチン電車の線路のある道路は気を使いますが、何とかスムーズに目的の中心地へ着きます。今のところ、車の運転もまったく問題なく快適そのものです。今回気が付いたのは意外と日本車が少ないことです。今までは、世界中どこにいっても日本車が多いという印象でしたが。地図で見ると中心にあるピエトロ・ミッカ通りと設定して、カステッロ広場へ着き、広場に面したビルの地下駐車場へ車を置きます。後は、歩いて回ります。慣れない都会を車でうろちょろしたくないからです。路上の駐車も自信がありません。駐車料金のシステムもよくわからないからです。

少し不安のあった運転自体は、イタリアでも何の問題もありませんでした。イタリア人も意外とちゃんと交通ルールを守って運転しています。結構、譲ってくれる人も多いです。都会のトリノでも同じです。市内電車線路があるので、少し運転しにくいですが。2年前のオーストラリアでの運転が初めてのロータリー(環状交差路)にも、だいぶ慣れてきました。ただ、四つ角でなく、六つ角などの都会でのロータリーはどこで突っ込んでいいのか、タイミングといい、かなり気を遣います。

すぐ近くに、王宮やドゥオーモがあり、時間も限られるので外観のみを楽しみます。写真を撮りながらひたすら歩くことにしました。途中で腹が減ってきて、手頃なレストランが見当たらず少しあせってきます。大体、こういう時にはずれます。やっと、ちょっとした店を見つけて入ります。やはり、失敗でした。

珍しくトマトソース味のパスタメニューを見つけました。でも、少し捻れた感じのパスタはともかく、日本の喫茶店のようにけちったような、ほんの少しのトマトソースでおいしくもありません。生野菜サラダは、普通にオリーブ油とバルサミコ酢のドレッシングでおいしかったですが、しつこく頼んだ野菜のグリルは味付けといい焼き具合といい、総菜屋さんの冷えたグリル野菜のほうがおいしいくらいでした。値段は安く全部で11ユーロでした。たまに、イタリアでもはずれはあります。期待値が高いのでガッカリします。

トリノの象徴らしい三角形の塔、モーレ・アントネッリアーナにも行きます。眺めがいいので、高いところには必ず上るのですが、残念ながら月曜日で展望台へのエレベーターが休みでした。高速道路を運転中に気が付きましたが、近過ぎて全体の山々があまり見えないアオスタ地域よりも、ほどよく離れているトリノ近郊の方が遠くにアルプスの山々のシルエットが綺麗に見えます。続いてイタリア最大のポー川まで歩きます。途中で、いつもの立ち飲みバールではなく、喫茶店に近い店に入り、ちゃんといすに座って名物らしいカフェ・ビチェリンというチョコレート入りのコーヒーを頼みます。5ユーロとエスプレッソの5倍もします。まぁ、味はこんなもんでしょう。

今回は関係ない列車の駅、ポルタ・ヌオーヴァ駅もぶらぶらしました。改札がないので、中まで入れます。そうか、次に行く Bra 行きの列車もあるのだ。カステッロ広場へ戻り、広場に面したビルの地下駐車場へ行こうとしますが、何故か地下への入り口が見当たりません。何回もぐるぐるビルを回るがありません。だんだん、あせってきます。そこで、あきらめてあるオフィスの人に聞きます。ビルを間違えていました。同じ広場に面しても斜め前にあるビルでした。ようやく、地下への入り口がありました。宿泊地のブラへ向けて午後5時半頃出発します。カーナビに任せたらやはり高速道路を使わずに、それでも7時過ぎにはブラへ到着しました。トリノとジェノバの中間にある街です。

調べた時には、みんなが田舎、田舎と書いているので、ブラは小さな村かと思っていました。でも、着いてみるとむしろ小さな市です。イタリア語でも Citta’di Bra で city です。人口も3万人はいるようです。何故、こんなところに来たのか?ここは知る人ぞ知るスローフードの発祥地で本部があります。スローフードとは、マクドナルドに象徴される巨大なアメリカ資本で食文化を破壊するファーストフードに危機感を感じてできた組織、動きです。「ゆっくり」味わって食べる意味もあります。地産地消を大事にし、旬の味を大事にします。まさにイタリアの食文化そのものです。日本の伝統料理も実はそうでした。過去形なのが残念ですが。

早速、スローフード協会に行くと、あの象徴的な「かたつむり」のマークがありました。奥に認定レストラン、ボッコンディビノがありますが、手前の庭が工事中で休みのようです。明日は開くと書いてあります。そのくらいはイタリア語でも読めます。

もちろん、レストランも期待しています。特に、昼食がトリノではずれでしたから。カーナビの近くのレストラン機能を利用し、名前で
Osteria la bocca buona を選びました。オステリアとはレストランよりややカジュアルな大衆食堂です。ここは、昼間の仇討ちできる大正解の店でした。伝統的な前菜は、名高い生肉と生ソーセージが中心です。タジャリンという生ソーセージ入りのパスタもおいしいし、ピエモンテ風タリアータという牛肩ロースを焼いて薄切りにしたのも付け合わせの野菜といい、最高でした。個人的な発見は、英語でよく聞いたことがある Piedmond の意味が Piemonte 州の意味だということです。イタリア語の地名も英語になると少しずつ変わります。席も庭風の屋外で気持ちよく食事できました。厨房の中が見えますが、日本人らしい人がいます。声をかけると合計3〜4年イタリアのあちこちのレストランで働いたことのある人で、今回は4月からここで働いているそうです。エスプレッソまで付けて37ユーロです。

【スローな一日】
朝食場はここもバイキングです。驚いたことに朝から、ベルギーで有名なチョコレート・ファウンテンがあります。感動したのは、ブラッドオレンジがあることです。ジュースは大好きですが、果実のブラッドオレンジを見るのは初めてです。黄色い果実に赤味がさした感じできれいですし、酸味が強くおいしいです。ここはスローフードの街、ブラです。食べもの以外興味ないので、嫌でものんびりします。特別な名所旧跡はありません。でも、それなりのイタリアらしい教会などの建物はあります。ホテルはやや郊外にあるベストウェスタンで眺めも最高です。ここは部屋でインターネットも繋がりゆっくりできます。

隣に Coop があります。散歩がてら歩いて行くと9時前なのにもう開いています。単語の勉強で、野菜やハムなどを見て回ります。スーパーだとただみたいな値段のミネラルウォーター(1L)とブラッドオレンジジュースを買います。欲しかったエスプレッソメーカーも見つけました。15ユーロです。実は、3〜4年前娘がホストファミリーからの土産として持って帰ってくれたのですが、早速火をつけっぱなしにして取っ手を溶かしてしまったのです。

昼食に昨日閉まっていた Boccondivino へ行きますが、結局今日も休みでした。でも、人がいて駅の近くの協会認定のレストラン、バタリーノを推薦してくれました。車を置いて歩いて行きましたが、歩くと結構距離がありました。ここも庭風の席で、迷わず38ユーロのお薦め定食を頼みました。前菜は、生肉とブラ・ソーセージ(生ソーセージ)と当然の如くです。生暖かいチキンの入ったサラダ、アニョロッティ(挽肉、チーズなどを卵入り板状のパスタで包んだもの)というバター味のパスタも絶品でした。若い雌牛のすね肉のアスパラガス添えも最高でした。それに、デザートのティラミスまで付きます。

おいしかったけど、明らかに食べ過ぎです。腹ごなしにひたすら町をぶらぶら歩きます。イタリアらしくないピンクの派手な看板が目に付きます。漢字で牡丹、peonia と書いたマッサージ屋のようです。中国人経営なのでしょう。イタリアにしては珍しいし、暇なのでマッサージを受けました。やはり中国人の店でした。

夕食は成り行きでやや高台にある、厳密にはブラの隣の町にあるルマカというオステリアに行きました。さすがに昼食べ過ぎたので軽くしました。ロシア風サラダを頼むと、ポテトサラダ風のサラダが出てきました。イタリアでこんなサラダは初めてですが、普通においしかったです。リゾットもチーズ味だけのシンプルなものを頼みましたが、いつも食べ過ぎ気味なのでちょうどよかったです。チーズが入っているので、おかゆほどあっさりはしていませんが、ボリューム的には軽めでした。

【世界遺産、チンクェ・テッレへ】
5月18日水曜日、6日目、ちょうど旅程の真ん中です。朝9時頃ブラを出発し、方向はわかっているので何とかカーナビを工夫して高速道路に乗りました。高速A6に乗りサヴォーナ経由でジェノバです。でも、今日はそこを通過し高速A12に移行し、一気にチンクェ・テッレまで行きます。チンクェ・テッレとは五つの大地という意味ですが、実際には海に面して陸路での交通が不便な五つの漁村です。一番端のモンテロッソ・アル・マーレへ行きますが、途中は山を下って行くのでぐるぐる道です。昼過ぎに着きますが、狭い道路で通行人を避けながらゆっくり進みます。

とにかく、昼食だ! 大正解でした。野菜サラダはいつもオリーブ油とバルサミコ酢のドレッシングで。今回初めて普通のスパゲッティです。海に面していますから、新鮮なシーフードです。ムール貝、手長エビ、あさり入りです。魚のグリルも最高です。丸ごと焼いた魚ですが、ウェイターが食べやすいように目の前で身だけ取り出してくれフィレにしてくれます。

腹ごしらえして、歩いてホテルを探します。一軒、立派なのがありフロントで聞くと、やはり駐車場は基本的に村の入り口までだそうです。値段を聞くと160ユーロもします。いつものくせで、もっと安いところを探そうと本能が働きます。しばらく探すと目立たないところに75ユーロのホテルが見つかりました。十分です。ちゃんとインターネットも繋がるようですし。名前は素敵で、Hotel Stella della Marina(海辺の星ホテル)です。

狭い道を逆戻りして村の入り口の駐車場へ移動します。カバンだけ持ってホテルへ戻りますが、こういう時に備えて常に荷物は軽くしています。時間を有効に使いたいのでフロントの男性にアドバイスを受けました。まず4時の舟で反対側の端のリオマッジョーレへ行きます。テレビでみたことのある有名な「愛の小道」Valle dell’Amore を歩きます。海沿いの海を見下ろしながらの平坦な道です。30分たらずで隣の村、マナローラへ着きます。本来は名前通り、平坦な道をカップルがいちゃつきながら歩く道なのでしょう。もちろん、回りにはそういうカップルがたくさんいます。気のせいか、若い人が多い気がします。

ナポリの南のアマルフィ海岸に似ているなぁと思いながら、狭い村のお店やレストランをぶらぶらします。週一回仕事で行っている病院の外来に置きたかったおみやげを兼ねた置き時計を買いました。珍しく写真をはっているレストランの焼きサバとロブスター入りのスパゲッティが気になり、少し早いけど6時過ぎに入りました。ところが、サバは売り切れです。しかも、ロブスターは2人前からです。一人旅で困るのはこれです。だいたい、こういう流れの時は失敗です。ジェノバ風ミネストローネは名前通り緑色バジル入りの野菜スープですが、まずくはないのですが、自分の好みの味ではありません。ロブスターが入っているというリンギーニは、日本並みにひとかけらのロブスターとカニは入っていますが、味も期待するイタリアのレベルからしたらそこそこでした。腹ごなしに写真を撮っていると、山の斜面にテレビで見たことのあるかかしのような人形があります。

帰りは教えられた通り、電車でモンテロッソ・アル・マーレへ戻ります。たったの1.8ユーロです。乗る前に切符を買えなかった(切符売り場が閉まっているような田舎)ので、少しドキドキしていると短時間なのに乗務員が来ます。ヨーロッパではめったに来ないけど、摘発されると1万円程度の罰金なのを知っています。でも、言い訳するまでもなく、車内で支払うだけで問題ありませんでした。切符売り場が閉まっているようなローカル線だからでしょう。ところが、電車を降りると様子が違います。迷子状態です。小さな村ですが、船乗り場もなくなっているし、海は目の前ですが、右に行っても左に行っても昼間の街並みがありません。まさかと思って駅名を確認するとモンテロッソ・アル・マーレと確かに書いています。仕方がないので、自転車に乗った青年に道を尋ねました。思ったより、駅は離れていてずっと歩いた所にちょっとしたトンネルがあり、そこを抜けるとようやく見慣れた船乗り場の一帯へ出ました。

予定を変更して、ここでの2泊をやめ、明日の夜までに都会のジェノバへ行くことにしました。夕食が早かったせいか、無性に夜食が食べたくなりピッツェリアを探しました。ナポリのピッツァを覚えて以来、イタリアでもそうでもないピザがたくさんあるのを知ってはいます。探し出したピッツェリアはまさにそれでした。マルゲリータを頼みましたが、見た途端こんなのはマルゲリータとは違う!と叫びたくなりました。半分、予感はしていました。分厚いピザを食べるとやはりそれなりの味です。若い頃と違い、私も残すことを覚えました。ふと回りを見るとアメリカ人の観光客ばかりです。テキサスから来ただのと盛り上がっています。アメリカには延べ3年住んだことがあり、詳しいし嫌いではない私ですが、最近はやや冷めています。アメリカ人相手の店ならこの程度のピザで十分だなと感じていました。

【中世海運王国、ジェノバ】
翌朝、シャワーを浴びると珍しくちゃんと熱いお湯がたっぷり出ます。朝食も予想外に豪華でした。屋上のベランダが朝食場です。まず、海の見える景色が最高です。しかも、もともとコンチネンタルのパンとコーヒー程度のイタリアにしては、高級ホテル並みに(たぶん、実は高級ホテルに泊まったことはないので想像です!)シェフがいて、卵料理を準備してくれます。私はハム入りのオムレツを頼みました。そのせいか、おいしいのです。朝から、シャワーといい、朝食といい、安ホテルにしては想定外、予想外のサービスです。

気持ちよくチェックアウトして、荷物を車に運んでから出発します。今日は隣の村、ヴェルナッツァまでトレッキングです。昨日の「愛の小道」と違い、山道を隣村まで歩くようです。実際、昨日と違い本格的なトレッキングの格好をした、杖を持った中高年の小グループがたくさんいます。ゲルマン系(スイス、ドイツ、オーストリア)の顔の人が結構います。私はうっかりしてペットボトルも持たずに来てしまいました。途中で休憩したり、写真を撮ったり、他の人を抜きつ抜かれつです。気になった若い女性がいたので聞くと、ロンドンに留学中のオーストラリア人でした。いずれにせよ、2時間弱歩きようやく隣村へ到着しました。結構汗もかきましたが、いつものテニスに比べればたいしたことなく水を一滴も飲まずにしのげました。ヴェルナッツァは上から見ると内海があり、ちょうどほどよいビーチになっています。山には、一人だけ乗れる急峻な坂道用のケーブルカー(?)があります。ブドウ畑の収穫用だと思います。

ビーチの目の前の屋外レストランへ入ります。今回、初めて日本人のツアーグループに遭遇しました。中高年グループで、南仏〜リビエラのトレッキング目的のツアーのようでした。大好きなムール貝の白ワイン蒸しを軽く食べ、ついにジェノバ風トロフィエを頼みました。トロフィエはトロフィーのように少し捻ったようなショートパスタで、正直見た目はあまりおいしそうではなさそうと昨日から人のを見て思っていました。でも、運ばれてきたトロフィエをバジル・ペーストと自分でからめると絶品でした。さすがに、トロフィエもアルデンテでほどよい腰がありおいしいのです。バジル・ペーストはスパゲッティではなく、トロフィエと決まっているようです。相性なのでしょう。ペンネは辛いアラビアータが多いように。バジル・ペーストは松の実も入っています。そして、じゃがいもとさやいんげんが付け合わせ風に入っています。

いよいよ、最後の一番不便な村、5つの村の真ん中にあるコルニーリャへ列車で行きます。ここだけは小高い山の上に村があり、本当に隔離されたような不便な場所で、駅からも階段を何百段も上ってようやくたどり着きます。10分以上かかります。本当に何もないのどかな村ですが、観光地です。夏のシーズンには相当混み合うのでしょう。

たまたま入った惣菜屋さんで、お店の人と立ち話でずっと喋っていました。ヴェロニカという名前の彼女は40代の素敵なイタリア人女性で、日本のアニメが好きだそうで、いつか日本に来たいと言っていました。でも、今は原発事故の後だから行きたくないとも。もちろん、英語で喋っていたわけです。彼女のイタリア語訛りの英語が可愛いのです。途中で、敬意を払って少しだけイタリア語で喋ると、イタリア語でバンバン返ってくるので、申し訳ないけど英語に戻してもらいました。彼女の雰囲気がイタリアらしくて好きなので、写真を撮らせてもらいました。その代わり、メールで写真を送ってくれといいます。便利な時代になったものです。

途中で、アメリカ人観光客がパンとチーズを買い、その場でサンドイッチを作ってもらい、外で奥さんと食べるようです。こういう発想は日本人の私にはないので、感心しました。なるほど、こういう方法もあるのかと。何も買わないと悪いと思い、桃をかじろうと一個だけ注文しました。そうしたら、ヴェロニカはサービスしてくれました。こんなエピソードだけで、この村が好きになりました。人間なんて単純なものです。これで、チンクェ(5つの)・テッレ全ての村を回りました。

列車でモンテロッソ・アル・マーレへ戻り、村の入り口の駐車場へ行き、丸二日分の36ユーロの駐車料金を払いました。クレジットカードが使えないし人もいないので焦りましたが、かろうじて現金が足りました。もう夕方6時頃ですが、計算通り2日前に来た高速道路A12に乗ると1時間足らずでジェノバへ着きます。再度高速に乗るのにわかりやすいように、ジェノバ東側の最初のランプで降り、カーナビで近くのホテルを目指します。ところが、古い情報なのかカーナビに誘導されると海辺の狭い道路を、しかもイスに人々が座っているすぐ横を通過します。恐れていた通り、行き止まりで間違いでした。こんな狭い所をバックして戻るのは大変だと心配でしたが、幸い、何とかUターンできるところを見つけました。仕方がないので新たにホテルを入力し、ここも若干迷いましたが何とか8時頃着きました。

今回、カーナビで面白いことに気づきました。前述したように、ここイタリアで借りたカーナビはアメリカやオーストラリアで借りたのと同じメーカーで英語版です。表示や指示の会話は全て英語です。でも、地名の表示は英語とイタリア語と両方可能なようです。イタリアの地名の英語表示も知っているつもりでしたが、ここ Genova だけは勘違いしていました。 Genoa(ジェノア)という別の都市があると思っていました。今回、しばらくしてそのことに気づきました。実は、ジェノバの英語表記だと。日本語でも、ジェノバでもいいし、ジェノヴァとVにこだわる表記もあります。

イタリアの主な都市、Milano は Milan、 Venezia は Venice、 Firenze は Florence、Napoli は Naples そして Roma は Rome などです。今回、もう一つ知らなかったのが Torino が Turin という英語名ということです。ちょっとしたことですが、知らないとややこしいです。

後日、アメリカ人にこのことをテストしてみました。わざと Napoli pizza と言ってみたら通じません。彼らには、あくまでも英語の地名しかわからないようです。でも、我々日本人の知っている地名のほうが正しく、イタリア本国とほぼ同じ発音なのです。ローマ字読みになれている日本人の特権でしょう。

到着したホテル、Hotel Astor Nervi は4つ星と書いています。高そうです。でも、時間的に新たなホテルを探すのも面倒です。ところが、たったの90ユーロです。迷わず2泊にしました。あまり、ホテルで食事することはないのですが、時間的に外へ出るのは億劫です。あまり客のいない一階のホテルのレストランへ行きました。でも結論から言うと大正解でした。焼き野菜、ジェノバ風ラザーニア、本日の魚ジェノバ風です。緑色したバジルソースのラザーニアはやや薄い生地で独特の食感でした。魚料理も丸ごとで、もちろんバジルも入ったトマト、じゃがいもなどの野菜とともにオリーブ油で煮込んでいます。食べやすいように、ウェイターがフィレ状に取り分けてくれます。珍しく、デザートにアップルパイまで頼んでしまいました。もちろん、エスプレッソとともにです。部屋にはバスタブがあるので、たっぷりお湯を溜め、低温でゆっくり一時間ほど過ごし腹ごなしします。

【実質、最終日】
今日はゆっくり回れる最終日です。値段の割には立派なホテルですが、朝食は昨晩の安ホテルのほうが豪華でした。本来のコンチネンタルで、野菜もないし、卵料理もありません。コーヒーもカプチーノに飽きたので、以前に覚えた単語、カフェ・ルンゴ(ロング)を頼むとカフェ・アメリカーノかと聞かれます。そうと答えると、出てきたのはエスプレッソを薄めただけのたっぷりのコーヒーで今一でした。10時過ぎにゆっくり出発します。たまたま列車の駅(Nervi)が歩いて行ける程近いので少し迷いましたが、やはり車でダウンタウンへ行くことにしました。

高速に乗り最初は順調でしたが、やはり都会だけあって、徐々に渋滞に巻き込まれ12時頃ようやく中心部に着きました。何故か英語の City Park という駐車場へ車を置き、ここでも後は歩くことにします。あまり有名な観光地はないようですが、旧市街全体が大航海時代の名残があり世界遺産のようです。ルネッサンスやバロックの頃の建物がびっしり並んでいます。赤の宮殿、白の宮殿に行きましたが、建物はともかく、ゆっくり中の美術館に入る気もしません。それより、時間的に昼食をと思いレストランを探しますが、意外とありません。嫌な予感がします。また、トリノの二の舞か?やっと、あるビルの2階にトラットリアを見つけます。メニューも限られた店で不安でしたが、予想外に安くて美味しい店でした。中に挽肉の入ったパスタであるラビオリ、白ワインで味付けした薄切り焼き肉、生野菜と野菜焼き、最近気に入っている炭酸入りのミネラルウォーター、エスプレッソまで入れてたったの14ユーロでした。満足、満足! 

あまり有名な所はないので、ひたすら歩くことにします。不思議なことの多い町でした。まず、地下鉄が何故か休みなのです。金曜日の午後です。理由がわかりません。眺めがいいだろうとケーブルカーの駅に行きましたが、ここも休みのようで駅が閉まっています。午後2時です。おばさんがいて尋ねると、5時になったら開くと言っています。

旧市街のバイクしか通れない狭い迷路のような所をひたすら歩くと怪しい所へ出ました。まだ明るいのに「夜の女性」たちが立っているのです。「クワント?」といつものように冷やかします。「トレンタ(30)(ユーロ)」と答えます。なるほど。わかる人にはわかる、大人の会話です。

続けてひたすら歩きます。もちろん、疲れるとバールに入ってカフェ、つまりエスプレッソを飲みます。日本でのブレンドコーヒーはブラックで飲みますが、濃厚な苦いエスプレッソは本場風に少量にもかかわらずたっぷり一袋の砂糖を入れます。これがおいしい飲み方です。ある時テレビで芸人が、これが本場のエスプレッソ・コーヒーかと知らずにブラックで飲んでいました。明らかに、苦くてまずいのを我慢しているのがわかり笑ってしまいました。バール(Bar)という名前でわかるように、酒の飲める人にはワイン等も気楽に立ち飲みできます。

鉄道の駅、プリンチペ駅の前にはクリストーフォロ・コロンボの像が立っています。アメリカ大陸を発見したので有名なクリストファー・コロンブスはここジェノバの出身なのです。ミラノの家族から聞いていたので有名そうな水族館へも行ってみました。動物の名前はイタリア語はともかく、英語でもわかるようでわからない。まぁそれなりに楽しんでいました。おみやげにもう一つ、イルカの置き時計を買いました。

5時半になったので、半信半疑でケーブルカーに戻ると動いているようで、行列ができています。もちろん、てっぺんまで上りました。でも、残念ながら景色を楽しめるような公園はありません。若干不安ながら、私有地のような公園のような所へ入って行きます。木々の隙間から何とか写真を撮りました。絶景とまではいかないものの、何とか歴史のあるジェノバ港が見渡せます。ところが、恐れていた通り大きな門の扉が閉じられています。よじ登ろうかとしましたが、少し危険です。困っていると、人がいます。声をかけると、あっさりと遠隔操作で門の扉を開けてくれました。いつものことですが、何とかなるものです

いよいよ今晩は最後のゆっくりした夕食です。水族館の近くの桟橋にあるレストランにしました。豪華な野菜サラダ、ラビオリのような詰め物のパスタにムール貝添え、魚介類のグリル(白身魚、車エビ、イカ)を海を見ながら平らげました。若い頃と違い、残すことも覚えました。おいしいのですが、さすがに量的に欲張りすぎでした。

夜はラッシュがないので、順調に飛ばして帰りました。ところが、夜間工事で通行止めに引っかかりました。カーナビの欠点で、迂回路までは教えてくれません。大体の方向はわかるものの、ずいぶん苦労してようやく反対側からホテルへたどり着きました。しかも、今度はアメリカと違いホテルの駐車場が狭く、車を停めるのに一苦労しました。

北イタリア(2)(おまけのヘルシンキ)へ続く




空飛ぶドクター(登録商標)、坂本泰樹

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
レンタカー
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • フィンランド航空

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  • ヘルシンキ空港、ムーミン

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  • ミラノ、パーティ

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  • ジュリアーノ

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  • イレーネ(娘)とエルビラ(母親)

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  • ミラノ〜アオスタ<br />小さなイタリアの村

    ミラノ〜アオスタ
    小さなイタリアの村

  • アルプス

    アルプス

  • アルプス

    アルプス

  • アオスタの街

    アオスタの街

  • アオスタの広場

    アオスタの広場

  • プレ・サン・ディディエール温泉<br />ソーラールームも見える

    プレ・サン・ディディエール温泉
    ソーラールームも見える

  • アルプスに囲まれた温泉

    アルプスに囲まれた温泉

  • ジャクジー

    ジャクジー

  • モンテビアンコ(モンブラン)が雲の中に

    モンテビアンコ(モンブラン)が雲の中に

  • モンテビアンコの見える<br />広々とした温泉

    モンテビアンコの見える
    広々とした温泉

  • 大自然の中でいちゃついてるカップル

    大自然の中でいちゃついてるカップル

  • 珍しいパスタ(超太麺)

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  • 高速のサービスエリアにもバールが

    高速のサービスエリアにもバールが

  • トリノ<br />ドゥオーモ

    トリノ
    ドゥオーモ

  • モーレ・アントネッリアーナ<br />トリノ

    モーレ・アントネッリアーナ
    トリノ

  • スローフード協会本部(かたつむり)<br />ブラ

    スローフード協会本部(かたつむり)
    ブラ

  • ブラのレストランにて

    ブラのレストランにて

  • 生肉と生ソーセージ(ブラ・ソーセージ)

    生肉と生ソーセージ(ブラ・ソーセージ)

  • バタリーノ<br />スローフード協会認定のレストラン

    バタリーノ
    スローフード協会認定のレストラン

  • パスタ(アニョロッティ)

    パスタ(アニョロッティ)

  • 若い雌牛のすね肉のアスパラガス添え

    若い雌牛のすね肉のアスパラガス添え

  • ブラの街

    ブラの街

  • ブラッドオレンジ(果物の実)

    ブラッドオレンジ(果物の実)

  • チンクェ・テッレ<br />モンテロッソ・アル・マーレ

    チンクェ・テッレ
    モンテロッソ・アル・マーレ

  • リオマッジョーレ

    リオマッジョーレ

  • 「愛の小道」Valle dell’Amore 入り口

    「愛の小道」Valle dell’Amore 入り口

  • 「愛の小道」Valle dell’Amore

    「愛の小道」Valle dell’Amore

  • チンクェ・テッレ<br />夕焼け

    チンクェ・テッレ
    夕焼け

  • モンテロッソ・アル・マーレ<br />かかし??

    モンテロッソ・アル・マーレ
    かかし??

  • モンテロッソ・アル・マーレ<br />夜景

    モンテロッソ・アル・マーレ
    夜景

  • モンテロッソ・アル・マーレ〜<br />ヴェルナッツァまでのトレッキング

    モンテロッソ・アル・マーレ〜
    ヴェルナッツァまでのトレッキング

  • ヴェルナッツァ(山から)

    ヴェルナッツァ(山から)

  • ムール貝

    ムール貝

  • トロフィエ・ジェノバ風<br />(もちろん、バジルソース)

    トロフィエ・ジェノバ風
    (もちろん、バジルソース)

  • コルニーリャ<br />惣菜屋のヴェロニカ

    コルニーリャ
    惣菜屋のヴェロニカ

  • ジェノバ<br />ラザーニャ(バジル風味)

    ジェノバ
    ラザーニャ(バジル風味)

  • ジェノバ

    ジェノバ

  • ジェノバ旧市街(世界遺産)

    ジェノバ旧市街(世界遺産)

  • ジェノバ・プリンチペ駅前<br />クリストファー・コロンブス像

    ジェノバ・プリンチペ駅前
    クリストファー・コロンブス像

  • ジェノバ港

    ジェノバ港

  • ジェノバ水族館

    ジェノバ水族館

  • 高台からジェノバ港を

    高台からジェノバ港を

  • レンタカー<br />BMW118

    レンタカー
    BMW118

  • ミラノ<br />ナヴィリオ地区(旧運河)

    ミラノ
    ナヴィリオ地区(旧運河)

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