カサブランカ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
【出発】<br />今回の旅行はいつもの私の旅行スタイルとは少し違います。SNSを通じて知り合った東京でモロッコ料理店を営むベルベル人、モハさんを信頼し、彼の斡旋で現地個人ガイドを雇いました。従って、旅行行程、ホテルは全てお任せです。モロッコの6日間は全てお任せで、一日3万円を払いました。少し高いとも思いましたが、たまには思い切ってこういう旅行もやってみようと。一つには、砂漠のラクダの手配等少し不安もありました。そして、後半はいつものようにチュニジアを4日間適当に旅行する予定です。初めてのアフリカ、せめて2ヶ国を周遊です。<br /><br />2日がかりにはなりますが、夕方の出発なのでのんびりです。1月14日17時50分に福岡を出発し伊丹空港へ、そして23時20分の関西空港のエミレーツ航空に乗るために、空港間移動です。11時間で時差5時間のドバイへ到着します。適切な2時間程度の乗り継ぎ時間で、カサブランカ便に乗ります。更に9時間で日本との時差9時間の目的地へ到着します。現地は翌日、午後1時頃です。<br /><br />どんなガイドが来るかと少し不安でしたが、20代前半の若いサイド君が出迎えに来ていました。なかなか感じのいい青年でした。早速、トヨタの四輪駆動車でカサブランカ空港を後にして、3時間ほどで夕方5時には古都マラケシュへ着きました。<br /><br />わかりやすく、今回の旅程をまとめます。モロッコ中央西部、大西洋に面するのが国際線フライトの中心地カサブランカです。南下するとマラケシュです。そこから、内陸部の東に向かうとサハラ砂漠の入り口、メルズーガの村です。アルジェリアとの国境も近いようです。そこから、北上すると古都フェズ、そして西へ向かうと首都ラバトです。そこからほんの100kmも西へ行くとカサブランカへ戻ります。今回は反時計回りにモロッコの主な都市を駆け足です。海に面するのはラバトとカサブランカだけです。<br /><br />第一印象は、前回旅行のコスタリカと違い、高速道路が立派でした。しかも、サハラ砂漠のある国なのに、途中の景色は花もあり、緑豊かな平野でした。意外でした。昼間は暖かかったのですが、夜はかなり冷え込みます。アフリカとはいえ、ここ北アフリカ、モロッコは黒人ではなく、アラブ人でやはり地中海という感じです。マラケシュでは、目立つクトゥビア(塔)の近くのメディナ(旧市街)の迷路の中にある Riad Maranna へ案内されました。リアドとは民宿のようです。部屋にはテレビもなく、シャワーのみでした。それはともかく、暖房があるものの効きが悪く、少し寒いのでした。2時間ほど仮眠させられ、午後7時半に再度迎えに来るということでした。本当ならそんなに眠くもないし、にぎやかなジャマ・エル・フナ広場をうろちょろしたかったのですが、あまりにこのリアドが迷路の中にあり、自分で歩いて帰って来れる自信がなかったので、部屋で仮眠しました。このマラケシュのメディナ自体が世界遺産のようです。<br /><br />夕食は Caf&amp;eacute; Bania というレストランへ連れて行ってくれました。最初の野菜サラダはゆでじゃが、赤ビート、オリーブの実などが入っていてなかなか好みの味でした。次が、日本でも流行っているタジン鍋です。そうです、タジン鍋のルーツはここモロッコなのです。東京でも食べたミンチ肉に目玉焼きが入った料理です。まずくはないのですが、これは腹が張って食が進まないのであまり好きではありません。要するに、そんなにはおいしくないのです。カレーライスも少し出ました。ボリュームはあります。デザートには、焼き菓子とオレンジのシナモン添えが出ました。飲み物はコーヒーではなく、ミント茶です。これはいけます。<br /><br />帰りは腹ごなしも兼ね、通りを抜けてジャマ・エル・フナ広場を通ってリアドへ戻ります。サイド君は10分間だけ広場でゆっくりしていいと言うので、せめて30分間くれと頼み、待ち合わせ場所を決め、少しだけぶらぶらさせてもらいました。私にとっては、自由に歩き回るのが楽しいのです。まずは、屋台風の食堂の数々をいつものように覗いて歩きます。おいしそうです。でも、腹が一杯です。本当はこんなところで食べる方が安くておいしいのです。いつもの一人旅だったら迷わずこういう場所へ来ます。しかも、予想通り物価が安い! サラダが5〜10Dh(1ディルハム&amp;not;=約10円)、つまりたったの50円〜100円です。どう考えても、千円も出さずにおいしそうなものを山ほど食べれそうです。私の好きなオリーブも豊富にあります。新鮮な絞りたてのオレンジジュースを飲みました。<br /><br />大道芸人がたくさんいて、お祭り騒ぎで楽しい広場です。ダンスを踊っているので見に行くと、ベリーダンスかと期待したら、おへそも顔も出していないけど、くねくね踊ってはいます。後で、サイド君に尋ねたら、実はダンサーは男らしいです。ベルベル・ダンスだそうです。よく考えると、へそどころか顔まで隠していて、ベリーダンスと正反対の踊りです。目の保養にもなりません。<br /><br />早くも少し後悔です。あの民宿といい、今晩のレストランといい、この国の物価を考えたら、車での移動、ガイド料、ホテル代、食事代を入れても一日3万円はかなり割高な気がしてきました。リアドに戻っても、寒いし、本を読むにも暗過ぎるしすることもありません。部屋が寒過ぎてシャワーを浴びる気もしません。仕方なく、ベッドにもぐり込んで早く寝ました。<br /><br />後日談です。この原稿を書いている3ヶ月後、4月28日このジャマ・エル・フナ広場にあるカフェ・アルガナでテロとみられる大きな爆発があり、外国人を含む14人が死亡、20人が負傷したそうです。日本人4人が巻き添えになったとの情報もあるそうです。何と、このカフェは私がサイド君と待ち合わせた場所です。比較的安全と思われるモロッコでもこんな事件が起こります。つくづく世の中、先のことはわからないと思います。いずれにせよ、よっぽど運の悪い人が巻き込まれるのでしょうが。<br /><br />【16(日)】<br />朝早く目が覚めて、一階のロビー風の部屋に降りてもまだ真っ暗ですし、人もいません。しばらく待っているとようやく、誰か来ます。ようやく朝食を準備してくれそうです。いかにも田舎風のパン(あまりおいしくない)にはジャムやハチミツを付け何とか口に放り込みます。ミントティーは結構おいしいです。だいいち、ミントがポットにもグラスにもたっぷり入っています。熱いお茶なのに、何故か透明の割れやすそうなグラスに注ぐのです。そのうちサイド君がやって来て、ここで彼も朝食を食べます。知り合いのようです。7時半過ぎには出発です。<br /><br />今日は一気に内陸のサハラ砂漠の入り口の町まで行くようです。オートアトラス山脈を越えたあたりから、だんだん緑が消えた景色になり、砂漠に近づいているのがわかります。途中のハイライトが Ait Ben Haddou(アイト・ベン・ハッドゥ)で、「アラビアのロレンス」の映画以来たびたび映画の舞台として使われたらしいです。こういうのは映画の印象が強くないと、あぁそう!程度の感激です。アメリカで言えば、西部劇の砦という感じの建物です。浅い小川の向こうにあります。茶色い日干しレンガ造りの建物で、アメリカ西部、アルバカーキに住んだことのある私には懐かしいアドビと同じです。<br /><br />12時過ぎにワルザザートの町へ着きます。やはり、見かける女性は黒いスカーフ?(名前がわかりません)で顔を隠した人が多いです。でも、顔の隠し方、露出度にはかなり個人差があるようです。みんながみんな、顔を全部隠して目玉だけを出している訳ではありません。顔はほとんど見せている人も結構います。またスカーフの色も黒だけではありません。タウリルトのカスバ(要塞)のレストランへ案内されます。屋上にあり、周りの景色を楽しめるしゃれたレストランです。でも、サイド君は別の所で食べるらしく一人だけです(一人旅で慣れてはいますが)。牛カバブ(ケバブ?)、オリーブの実、スープ、最後にエスプレッソとまぁまぁの味でした。<br /><br />途中で黒い羊を見ました。初めてです。私にとって羊とはちょっと茶色がかった白色です。車の助手席に座っている私はサイド君とずっと一緒です。中々愉快な青年で、時々ベルベル音楽らしく、変な歌を口ずさみます。ツゥクツゥク♪、タクタク♪、ティクティク♪と。時々は、ハンドルから手を離し、手を使ってリズムを取ります。その単調さが愉快です。サイド君は当然の如くベルベル語、アラビア語、元領主国のフランス語、英語が喋れます。海を挟んで国境の近いスペイン語も少しは喋れそうです。少し気になったのが、次に行く予定のチュニジアがやばそうだと教えてくれたことでした。でも、まだ軽く考えていました。 <br /><br />カスバ街道を通って東へ向かいます。途中で、スペクタクルな景勝地、トドラ峡谷へ寄ります。美しい水のトドラ川に面して、切り立った岸壁が立ちはだかる峡谷があります。エルフードの町を過ぎ目的地のメルズーガ村へ明るいうちに着きます。ここにモハさんの経営するホテル、Riad mamouche があります。モハさんの弟や親戚が働いているようです。<br /><br />ここも部屋は非常に質素です。テレビもないし、シャワーだけ。トイレもモハさんの自慢していた日本製のウォシュレットもありません。でも、洋式水洗トイレです。しかも昨夜のリアドと同じで暖房があまり効かない。要するに寒いのです。とてもシャワーを浴びる気にもなりません。でも何とかインターネットは繋がります。チュニジアの件、気になってヤフーニュースを読むと、やはり首都のチュニスは政情不安で、かなりやばい状態のようです。広場にはデモで人が溢れているようです。空港が閉鎖される恐れもあります。さすがの私も予定通り4日後に訪れるのはきっぱり諦めました。<br /><br />となると、次にすることは帰りのチケットをどうするかです。普通、格安航空券は変更できません。帰りのチケットは無効でパーです。しかも、新たに帰りのチケットを手配しないといけません。格安航空券の場合、片道も往復もあまり料金は変わらないので、新たに10万円以上は必要でしょう。余計な出費を覚悟します。<br /><br />夕食は専用のレストランへ呼ばれます。米の入ったサラダとラム肉の入ったタジン鍋料理です。期待したほどおいしくはありません。まずくもありませんが。デザートはオレンジですが、ここでもシナモンパウダーが振ってあります。たぶん、これがモロッコ料理の特徴なのでしょう。別に、ちょっとしたお菓子のデザートも付いてきました。モロッコ茶はまぁまぁです。<br /><br />食事後、インターネットでエミレーツ航空の正規フライトをチェックすると、帰りのフライトのチュニスからドバイの代わりに、カサブランカからドバイが4〜5万円程度で取れそうです。時間的にドバイから関空への乗り継ぎもうまくいきます。でも気になったのが、格安航空券などは全日程を予定通りに実行しないと無効になる、つまり私の場合、勝手にドバイまでをチュニスからでなくカサブランカへ変更すると以降のフライトは無効になると聞いたことがあります。時差の関係で真夜中まで待ちます。部屋からは携帯の電波が届かないので、ホテルの暗い一角で何とか電波が届くところから電話番号のわかった名古屋のエミレーツ航空事務所へ電話しました。結果は、やはり私が恐れていたとおりでした。この方法は無効だそうです。<br /><br />ということは、やはり新たに復路の航空券を取らないといけません。物価の関係で、モロッコの旅行代理店で取った方が安いかもしれませんが、毎日移動中でもあり、かなり難しいのです。それで、今回のチケットを取得した福岡の代理店へメールして調べてもらいました。<br /><br />【17(月)】<br />たいしておいしくないクレープとパンにマーマレイドを塗り、コーヒーで流し込むような朝食を終えました。午前中は、同じアフリカでも黒人のセネガル人による黒人音楽の場所へ連れて行ってもらった、と言うより連れて行かれたという感じでした。何せ、今回は全てお任せで個人とは言えツアーのようなものです。そんなに興味も無かったのですが、たった一人の私のために7人くらいで色々な楽器を演奏してくれました。義理堅く、CDを100Dh(1ディルハム=10円)で買いました。<br /><br />次に、リッサニの町へ連れて行かれました。サイド君は何故か町の案内役といって少年を連れて来ました。もちろん、チップとして帰りに40Dhほど払わされましたが。ツアーでよくあるおみやげ屋への案内風です。市場を案内され、ミント茶を150Dhで買いました。ここでもおじさんが見本を見せてくれましたが、モロッコ式お茶の入れ方はポットを徐々に高く上げ、かなり高いところからお茶をカップに注ぎます。温度を下げているのか?理由は不明です。<br /><br />次に、ターバンなどを売っているお店へ連れて行かれました。今回の旅のハイライト、「砂漠」しか頭にない私は珍しくターバンとそれに合う上着とズボンを買いました。少し値切りましたが、1750Dhもします。鏡に映る自分を見ながら、もう心は「怪傑ハリマオ」になりきっています。珍しくお金を散在しました。しかも、後で冷静に生地を見ると服に疎い私が見ても安物で、きっと物価を考慮したら千円程度の物でしょう。10倍以上ぼられているでしょう。でも今回はこの格好でラクダに乗って写真を撮るというイメージが出来上がっているので、迷わず買いました。<br /><br />町でベルベルピザを買い、サイド君の親戚(知り合い?)の家へ行きました。こういうのは好きです。庶民がどんな家に住んでいるのかわかります。子だくさんの家庭でした。マトンのミンチ入りのベルベルピザは大しておいしくはありませんでした。<br /><br />砂漠へのツアーまで時間があるらしく、4WDのバギードライブを誘われました。これは別料金で30分、700Dhです。面白そうなので、もちろんオーケーしました。案内役のバギーを追いかけるように運転して砂漠の入り口近くで楽しみました。砂丘の丘が適度のアップ、ダウンがあり、十分楽しめました。案内役も慣れたもので、色々なアングルから私のカメラで記念写真を撮ってくれます。<br /><br />自分の荷物は昨夜の部屋に残したままですが、午後5時半頃ラクダを引いたベルベル人がやって来ました。ラクダにも種類があるようです。ラクダのこぶは二つで、そのへこみを利用してその間に座るものとばかり思っていました。でも、やって来たラクダをよく見るとこぶは一つで、その前に座布団を敷くかたちで人が乗れるようになっているのでした。馬に乗るのと同様に、ラクダの背中も結構高いです。ラクダ引きがゆっくり引いてくれるとおっちら、おっちらと少し横揺れしながら、進んで行きます。ついに夢見たラクダ乗りです。今回は判断ミスで少し薄着のまま来てしまったのですが、はずみで買った「怪傑ハリマオ」の服を上から着ているおかげで、寒さもほどほどに抑えられています。<br /><br />途中で、日没の写真を撮れるように休憩してくれます。時間はたっぷりあるので、色々なアングルから記念に写真を撮ります。ラクダは温和しい動物のようで、前脚、後ろ脚を折りたたみ、正座したような形でずっと静かにたたずんでいます。鼻息は荒いですが、全然啼いたりしません。それから再度出発です。どこまで行くのだろうか、どこでテントを広げるのだろうか、などと考えながらずっとラクダに揺られていました。だいぶ薄く暗くなった頃、ようやく到着しました。すでに三角形ではなく、小屋風のテントが三つある場所へ着きました。ベルベルテントと呼んでいました。ここが、今夜の宿のようです。ここ、サハラ砂漠は砂丘が美しく、小高い山に囲まれた谷でキャンプするイメージです。周囲は当然の如く静寂そのものです。<br /><br />私の寝床らしいテントに荷物を置き、台所の役割のテントに入りました。どうせ暇ですし、ラクダ引きの料理を作るのをずっと観察していました。中に鳥が入って来て飛び回っています。中には、ガスもあり、皿や香辛料、調味料などが装備されています。外に出ると、小さな昆虫もいるし、草も少しだけ生えています。自分の無知を思い知らされました。砂漠には、砂しかないと思っていました。<br /><br />料理はもちろんタジン鍋を使っています。真ん中にチキンが入っています。縦長に切った野菜(にんじん、パプリカ、トマト、タマネギなど)を全周性に立てかけます。うまく三角形になるのでタジンの蓋が収まります。塩とこしょうとスパイスで味付けし、オリーブ油をかけ、蓋をしてしばらく焼きます。塩にはビックリしました。大きな真っ白な岩塩のようです。初めて見ました。最初は砂糖かと思いました。かなり硬そうなのを叩いて割って使っていました。ほどよく、焼けたところで水を追加します。そして、再度蓋をして40分ほど蒸すのでした。<br /><br />その間、ずいぶん話をしました。何と学校なんかにはほとんど行ったことがないという彼は、それなりの英語ができます。十分会話ができます。もちろん、サイド君と同様にベルベル語、アラビア語、フランス語もできるようです。やはり、生活の知恵、生活の必需品なのでしょう。日本人とはずいぶん違います。日本人の客も少なくないようで、少し日本語もできます。独特の抑揚で、「わかったぁ?」と聞きます。合わせて「わかったぁ!」と答えます。ようやく、料理が完成しました。何と、これがまたおいしいのです。今回は今までのところ、大しておいしいものがなかったのですが、これが最高においしかった。彼は料理名人でもあるのです。他に、スープも作ってくれています。ただ、量が多くてとても食べきれません。しかも、彼は夜寝る前にたくさん食べるのは体によくないと知っていて、軽くしか食べないのです。私がもう食べきれないのを確認すると、残り物は全て外で温和しく待っているラクダの餌として与えるのでした。エコです。うまくできています。食料をムダにしないし、ゴミも出さない。一石二鳥です。ジッと待っていたラクダはむしゃむしゃとおいしそうに食べます。ずっと見ていると、ラクダが愛おしく思えてきます。愛すべき動物です。何枚か写真を撮りました。<br /><br />夜は結構冷えますが、テントの中のふとんは分厚く、十分暖かいのでした。途中で、二度ほど夜間頻尿、つまり目が覚めてトイレをしました。もちろん、外で立ちションです。びっくりしました。ちょうど満月で月光のもとでは外は真っ暗ではなく、結構明るいのでした。こんなのは久しぶりです。もちろん、静寂そのものです。50m先にいるラクダは繋がれていません。ただ、温和しく座っているのです。月明かりではっきりと見えます。私も歳のせいか、夜間に一回くらい起きてトイレに行くことが増えましたが、今回だけは目が覚めてよかったと思いました。満月の中のサハラ砂漠、静寂、そして美しい砂丘の稜線が見えます。何か、これだけで幸せな気持ちになれました。生きていて、よかった!ついに、憧れの砂漠で過ごしているのです。ここがまさに今回の旅行のハイライトでした。<br /><br />【18日(火)】<br />翌朝、目が覚めました。でも少し興ざめでした。何故なら、コケコッコーという鶏の鳴き声で目が覚めたからでした。ここは砂漠のはず。日本の農村じゃあるまいし、何故?ラクダ引きが答えを教えてくれました。近くにテントがあり、鶏を飼っているのだそうです。なるほど!<br /><br />まだ日の出前です。砂漠での朝日の写真を撮るために、歩いて砂丘の小高いところへ登ります。すると、人の気配があります。声が聞こえてきます。またしても、興ざめでした。聞こえてくるのは、日本語で、しかも関西弁です。若いカップルのようです。関西弁は嫌いではありませんが、ここ砂漠で感動している私にとっては少し場違いでした。ここで、面白いアイデアがひらめきました。砂の上に、「空飛ぶドクター」と「Flying Doctor」と書き写真に撮ることです。我ながら、いいアイデアです。<br /><br />軽い朝食後、再びラクダに乗りホテルまで帰りました。帰りは1時間10分程でした。昨日と違い、まだ朝早く砂漠に長い影が映るのでした。ここでも、すぐに写真を撮りました。絵になります。満足した私はラクダ引きにチップを100Dhと奮発しました。<br /><br />部屋に戻ってシャワーを浴びてもいいと言われましたが、その代わりにパソコンでメールをチェックしたりしました。福岡の代理店からはカタール航空で10万円程度のチケットがあるが・・・という状況でした。結論から言うと、今回のガイド付きツアーで良かったのはここまででした。<br /><br />朝10時頃出発です。今日は移動日で、ほぼ一気に北上して古都、フェズまで行きます。出発してしばらくすると止まり、途中で友人一人乗せます。次に、1時間ほどでエルフードの町に着き、友人を降ろしサイド君の兄を乗せます。このあたりから雲行きがおかしくなります。当然の如く、彼らはベルベル後で喋っています。私は暇です。オリーブの木とヤシの木々の豊富なエルラシディアを通過します。ミデルトの町外れのホテルのレストランで昼食です。もう2時半を過ぎています。これが、私がガイドを嫌う一つの理由です。彼らはきっとマージンをもらうために知り合いのレストランへ連れて行くのです。そのためには、食事の時間がずれようが構いません。必ず、彼らはどこかへ消えます。たぶん、ただで食事にありつけるのでしょう。但し、このレストランで食べたカバブはおいしかったですが。再出発後、大きな岩山のあるアズルーを通過し、スイス風のリッチな家並みの町、イフレンも通過します。途中で猿山があり、停まって見ていくかと誘われましたが、地元、大分の高崎山で猿は何度も見ているのでパスしました。<br /><br />うす暗くなった頃には、大都市らしいフェズに到着します。ライトアップした噴水の賑やかなところを通過し、街中をしばらく走ってメディナの中にあるリアドに着きました。夕食は世界最小のパスタというアフリカ名物のクスクス料理とサラダでした。さかんにサイド君の兄(名前も覚えていない)が恩着せがましく、ここの料理は家庭の味だと自慢していました。でも、大して感動しません。まずくはありませんが、それほどおいしくもありません。ミントティーはおいしいです。この頃には、この国の人の真似で、ポットを目一杯高く持ち上げて上からたたきつけるようにお茶を注ぎます。取り敢えず、敬意を払って真似をするのが私の流儀です。すぐに感化されます。<br /><br />ただ、このリアドは初めてテレビやまともな暖房のついた部屋でした。テレビのチャンネルも多く、ヨーロッパのたくさんのチャンネルが見れます。バックグランド音楽として、歌番組をかけていました。シャワーだけでなく珍しくバスタブもあります。もちろん、ゆっくり風呂に入りました。インターネットも繋がります。明後日が本来ならカサブランカからチュニスへの移動日です。そろそろ、チケットの変更、再取得を確定しなければなりません。<br /><br />福岡から嬉しいメールが届いていました。何と担当者が私のために頑張ってくれていたのです。今回のチケットの変更は私の個人的理由ではなく国の政変だということで、エミレーツ航空と交渉して、特別に無料で変更ができたのです!! 有り難いことです。もともと、空席があることは私も確認していました。こういう事があると、信頼して次回からもこの代理店を迷わず使います。ありがたや、ありがたや!<br /><br />【19日(水)】<br />この日から完全に今回のガイド付きツアーに不満が爆発してきます。全ては、サイド君の兄が加わってからです。第一、怒ったようなしゃべり方で、発音もよく聞き取れません。サイド君とは兄弟とはいえ正反対の性格のようです。<br /><br />朝食後、古都フェズのメディナ(旧市街)の入り口、ブー・ジュルード門へ行き、写真を撮らせてくれます。でも、一歩も中には入れません。決まったガイドコースかの如くです。そして、急いでメディナの北、城壁の外の小高い丘にあるマリーン朝の墓地へ連れて行かれます。確かに、ここからはさっき入り口だけ見たメディナを含めて町の全景が見下ろせます。ここで、数枚写真を撮っておしまい!あまりにバカにされています。日本のおのぼりさん扱いです。日本で言えば京都にあたるフェズにせっかく一泊したのに、寺の写真を数枚撮って素通りのようなものです。<br /><br />勝手に急かされて首都のラバトへ向かう途中の車の中で、モハさんの日程表を読み直すと、フェズでは熟知したガイドが町を案内すると書いてあります。確かにガイドブックによると、フェズのメディナは世界一複雑な迷路らしいです。なのに、不満そうな私にサイド君の兄がうそぶいたのは、フェズのメディナはよっぽど詳しい現地のガイド以外は迷子になるから、中には入らない! ふざけています。何のために、サイド君に加わったのか意味がありません。むしろ、こいつが加わってから雰囲気まで悪くなりました。どうも、強引な性格で、しかも自分の都合でガイドを一方的に進めています。気にくわない奴です!<br /><br />昨日と同じで、明らかに自分たちの厚意にしているラバトのレストランへ連れて行きます。ここは立派なフランス料理店で、フランスパンもおいしいし、ヒラメのムニエル、サラダ、スープと味には満足しました。でも、ここに着いたのは1時半とやや遅いし、だからこそ、朝フェズで少しも観光させなかったのが見え見えです。どうせ、兄弟でただ飯とマージンをもらっているのです。<br /><br />ただ、ここラバトでは少しは時間があり、同じ敷地内にあるムハンマド5世の霊廟とハッサンの尖塔(ミナレット)はゆっくり見物できました。そして、派手な格好のウォーターマンも見かけ、早速写真を撮りました。ガイドブックにもよく写真がでてきます。赤が基調の服にヒラヒラ付きの帽子をかぶり、体中に水筒とカップをたくさんぶら下げています。よくわかりませんが、もともと砂漠で水を提供する人のようです。とにかく、絵になる派手な格好です。写真の被写体には絶好です。<br /><br />最初の予定と違い、チュニス行きを止めたのでゆっくりカサブランカで過ごすと知っているはずなのに、ラバトもそこそこに切り上げ、4時半頃にはもうカサブランカへ到着します。翌日の予定のハッサン2世モスクの見物もこの日で終わらせます。もちろん、外から少し見物するだけです。ここは、カサブランカでも一番の観光地のようですが、海に面した公園にもなっているようで、明らかに地元の人がたくさんいます。意外と美女が多いのにもビックリします。都会で近代的なこの町はスカーフで顔を隠していない若い女性も多そうです。<br /><br />もう5時にはアジアドホテルへチェックインです。さすがに、都会のカサブランカでは民宿のリアドではなく、ホテルです。でも、きっと安ホテルだろうと疑っています。早速、変更した帰りの e-ticket のプリントアウトをホテルのプリンターでします。一安心です。<br /><br />夕食付きだというので、7時半に広間風のレストランへ行くと、学生食堂の雰囲気です。失礼ながら、いかにも労働者風の大勢の人が食い散らかしています。バイキング料理のようですが、ほとんど、ろくな物は残っていません。このホテルは外見上少しはましですが、私の予感通り、相当の安ホテルのようです。しかも、部屋からはインターネットが繋がらず、メールのチェック等もあるのでインターネットカフェを探しに行きました。ただ、バスタブはあり、熱いお湯も出るのでお風呂にはゆっくりつかれました。テレビもあり、歌番組をつけっぱなしにしました。<br /><br />【20日(木)】<br />ガイド最後の朝、約束通り二人で来るのかと思ったら、何と兄一人だけで来ているのです。最悪です。本当か嘘か、サイド君は病気だと言います。サイド君には、少しチップをはずもうかと思っていましたが止めました。本人がいないし、こんな奴に払う気も、預ける気もありません。いくら、本来はチュニス行きの空港まで送ってもらう前にハッサン2世モスクの見物だけの予定とは言え、せめて海岸のアイン・ディアブのドライブを要求したのでした。本当は、せめて片道でいいから90km先のアル・ジャディーダまで送ってくれといったら、はっきりと反対方向だから嫌だと言います。メルズーガまで帰らないと行けないと言います。じゃ、他にお客さんがいるのかと聞くと、いないとしゃあしゃあと答えます。要するに、面倒くさいだけです。もうこんな奴といると気分が悪いので、せめて嫌がらせにタクシーでも行ける程度のどうでもいい市内のドライブをさせたのでした。と言うのは、昨日予定を繰り上げてハッサン2世モスクを終わらせたのが、あわよくば今日は何もなしにしようという魂胆が見え見えだったからです。こちらとしては、計算上はこの日も3万円も払っています。 <br /><br />若干気分は悪いものの、すっきりと気持ちを切り替えていつもの一人旅に戻ります。まずは、これからもう3泊するホテルを決めます。昨夜の安ホテルから歩いて行ける範囲にほどよいのを見つけました。もちろん、インターネットが繋がるのを確認しています。今までは運転手付きで慌ただしく国内を移動したので、残りの3日間はカサブランカ市内でゆっくりすることに決めました。<br /><br />まずは昨日外からだけ見たハッサン2世モスクの中をゆっくり見物しに再度行きます。タクシーで50円ちょっとだということももうわかっています。有料の内部案内は、フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語グループに分かれています。もちろん英語グループに加わった私ですが、カナダ人、オランダ人、デンマーク人が一緒でした。絵になるミナレット(尖塔)の高さは200mで、見学した内部には2万5千人、全敷地には8万人収容できるというとんでもない広さです。大西洋に面したモロッコ最大のモスクで、世界でも最大級のようです。<br /><br />帰りは、しばらく海岸沿いに歩いてみました。途中で、すこしやばそうな旧メディナへ迷い込みました。ごみごみした人通りで、途中からスーク(商店街)になり、食べものから小物まで何でも売っています。タクシーに乗り、安そうなスナックアミンへ昼食に行きます。たっぷりの魚のフライ、炭酸水でたったの60Dh(1Dh=10円)です。向かい側に中央市場があり、中に魚のおいしそうな食堂がたくさんあるのに気づき、明日以降に行こうと決めます。旧メディナの広場で安物のベルトを買いました。たったの135Dhです。<br /><br />タクシーでトルコ風ハマム、“Le Pacha”へ行こうとしました。そんなに遠くないはずなのに、空港に行く方向で、帰りもタクシーが拾えないから待っていてやると言います。往復250Dhと言います。たぶん、ぼられていると思いましたが、帰りのタクシーが拾えるかがやや不安だったのもあり、オーケーしました。ハマムはサウナ、あかすり、アラガンマッサージ全部込みで385Dhです。物価を考慮すればこんなものでしょう。タクシーは距離的にそこまでは遠くないし、たぶん割高だろうとは思いましたが、2時間もずっと待ってくれているのだからよしとしました。<br /><br />夜はホテルから歩いて行ける食堂でサラダだけ頼むとたったの12Dhで、隣の食堂へ移動して魚のタジン鍋とオリーブの実とパンがついてたったの46Dhです。気が付いたことは、ほとんどのモロッコの土地と違い、ここ都会カサブランカはパンもおいしいのです。洗練された感じがします。しばらく腹ごなしに歩き回り、タクシーに乗ろうとすると100Dhと明らかにぼられそうになります。拒否して、他の Petit taxi を見つけると、まじめにメーターを倒します。何とたったの11Dhで、端数まで切り捨てます。後でわかったのですが、Petit taxi とは名前通り小さいタクシーで、主に市内の近場を運転するようです。しかも、相乗りが普通です。ですから、人が乗っていても手を上げれば停まってくれます。行き先が反対方向でなければ乗せてくれます。これでわかるように、値段も適当です! 空港などの遠距離の場合はちゃんとしたタクシーになります。<br /><br />夜部屋に帰って風呂を溜めようとしたら壊れていました。でも、サウナにも行ったし、まぁいいか。<br /><br />【21日(金)】<br />朝、ホテルから少し離れたカサ・ヴォワジャー駅へ行き、アル・ジャディーダ行きの列車を調べました。ちょうどタイミングが悪く次の列車まで2時間もあります。また、帰りの電車の時間も調べるとそんなに長くいれません。一カ所くらい郊外に行こうかと思いましたが、ビーチリゾートというだけで、どれだけの観光地かもわからないのであっさり止めました。駅の近くの喫茶店でいつものようにミントティーを飲みます。テレビでは、イスラム教のお祈りの中継のようです。聞くとメッカからのようです。歩いてハッブース街へ行きました。フランス人によって造られた新市街地らしく、モスクやスークがあります。モロッコでミントティーにはまった私は紅茶ポットを買いました。100Dhです。<br /><br />昼は、Marche central(中央市場)へ行き、お目当ての屋外食堂へ。<br />エビ、白身の焼き魚、きざみサラダと小さい豆料理を頼みました。お<br />いしかったですが、値段は思ったより高く160Dhでした。続いて、<br />またしてもハッサン2世モスクへ行きました。少し距離がありますが、<br />腹ごなしに歩いて行きました。途中で、休憩して喫茶店に入り、気に入ったミントティーを頼みます。もちろん、ポットを高く、高く上げます。他人のを見ていて気が付いたことは、少し砂糖が入っているのに砂糖を追加する人が多いのです。どうも、何回も高いところから注ぎ、ポットに戻すことにより砂糖を混ぜているようなのです。モスクへ何度も行く目的はピープルウォッチングです。色々な人が来ていて、見ていてあきません。場所柄、じろじろ観察できます。アラブ美人もたくさんいます。<br /><br />夕食は、たまにはと Port de Peche という少ししゃれた海に面したレストランへ行きました。私の好きなムール貝はよかったのですが、魚介類のグラタンは失敗でした。カラメルデザートと合わせて220Dhとこちらでは少し高いです。高級レストランだから当然ですが。いつもの fleur caf&amp;eacute; で the a alla mente(ミントティー)を頼みます。怪しい喫茶店で、こういう国では珍しい女性だけのグループがたくさんいます。夜の女性たちかもしれません。トルコを思い出し、ベリーダンスのやっているお店がないか聞きましたがはっきりしません。<br /><br />【22(土)】<br />実質最終日です。パソコンをしたりしてのんびり過ごし、11時頃ホテルを出て、歩いてアラブ連盟公園へ行きます。遊園地があるので入ろうとしましたが、小銭がありません。たったの2Dh(20円)なのですが。入り口で交渉すると、出る時に払えばいいと言われました。海外で思うのは、日本人は信用が高いのでこういう時は便利です。中で、アイスクリームを買ってすぐに小銭を作ります。<br /><br />続いて、タクシーでリックス・カフェへ行きます。ここはハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンで有名な映画「カサブランカ」に出てくる Caf&amp;eacute; American に似せて造られたレストランだそうです。本来はメキシコ料理の Chili con carne を頼みました。正しくはスペイン語で「チリ・コン・カルネ」ですが、テキサス料理として有名でアメリカ人は「チリ・コン・カーン」と発音します。ニューメキシコ州に住んだことのある私はこういうのは詳しいのです。その後、またしても近くのハッサン2世モスクへ歩いて行きます。 <br /><br />もうあまり行く観光地もなさそうなので、またトルコ風ハマム、パシャへ行くことにしました。何と、今度のタクシー代はたったの20Dhです。道理で、2日前の悪徳タクシー運転手は2時間でも待っていたはずです。思っていたよりはるかに高額ぼられていました。でも、日本のタクシー代を考えると大したことはないのです。最近はそう考えることにしています。ただ、その代わり帰りのタクシーを拾うのには意外と時間がかかりました。<br /><br />最後の夕食は中央市場の近くの大衆食堂へ行き、おいしそうな丸焼きチキン1/4 を頼みました。何とたったの20Dhです。サラダは10Dhで、オリーブの実とカレー焼き飯まで付きます。得した気分になります。しばらくして、夜食代わりに以前気に入ったスナックアミンへ。<br />たった50Dhの舌ヒラメの料理を注文すると、5匹もの多すぎるほどの魚がきます。ミネラルウォーターもたったの7Dhです。<br /><br />夜、ベリーダンスでもやっている店はないのかと期待して、アイン・ディアブへタクシーで行きました。土曜日の夜で賑わってはいますが、それらしい店は皆無です。途中で雷は鳴り始めるし、雨も降り出して濡れながら、何とか苦労して帰りのタクシーを拾いました。<br />              <br />【23日(日)】<br />今日は帰国の日ですが、時間があるので再度アラブ連盟公園へタクシーで行きました。公園で若い女性に声をかけると、地元のアメリカンセンターの生徒で英語も上手でした。彼女によると、チュニジアと違い、国民は国王を信頼しているので、モロッコでは政情不安が飛び火するようなことはないだろうと言っていました。時間もあるので、散歩を兼ねてゆっくりホテルまで歩いて帰りました。<br /><br />ホテルで空港までのタクシーを頼むと、いつもの乗り合いも多い Petit taxi ではなく、クリーム色のベンツのタクシーがやって来ました。空港まで35分で着きましたが、高速道路を通っており、250Dhで適正な値段だろうと思います。<br /><br />色々、冷や冷やしましたが、無事に無料で変更できたカサブランカからドバイ経由のエミレーツ航空便に乗れました。ドバイから関空の便は久しぶりの超閑散便で、楽勝です。ガラガラなのをいいことに、3席使って横になって寝れます。これなら、ビジネスクラスの料金を払う必要もありません。<br /><br />暇な時間に、いつものように CA の所に遊びに行くと、チュニジア出身のフランス人男性 CA と話が盛り上がりました。当然の如く、自分の国、チュニジアに誇りを持っています。私の興味のある食べ物も、イタリアに近いぶん、モロッコよりはるかにおいしいと自慢していました。政変のおかげで、チュニスに行きそびれた私には、よだれの出そうな話でした。もちろん、肝心のチュニジアの政権崩壊についても詳しく説明してくれました。<br /><br />今回の旅行を総括すると、思い切って頼んだ個人ガイドは半分正解、半分失敗でした。前半のサイド君とのサハラ砂漠までの旅は最高でした。でも、彼の兄が加わってからは最低でした。やはり、私には最後のカサブランカのような気ままな旅が合っています。チュニジアの件は不可抗力で仕方がありません。運が悪いとも言えますが、最悪チュニス空港閉鎖などを考えれば、前向きな私はむしろ運が良かったと考えます。当然の如く、帰国翌日には仕事を入れている私ですから、空港閉鎖などに巻き込まれると困ります。物は考えようです。<br /><br /><br />(終わり)<br /><br /><br /><br />私は医者として(海外)旅行へ添乗する本邦初の専門医です。<br />興味のある方は、以下のウェブサイトへ<br /><br />http://www.kanoya-travelmedica.com<br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />

サハラ砂漠のモロッコへ

8いいね!

2011/01/14 - 2011/01/24

200位(同エリア393件中)

3

55

空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

【出発】
今回の旅行はいつもの私の旅行スタイルとは少し違います。SNSを通じて知り合った東京でモロッコ料理店を営むベルベル人、モハさんを信頼し、彼の斡旋で現地個人ガイドを雇いました。従って、旅行行程、ホテルは全てお任せです。モロッコの6日間は全てお任せで、一日3万円を払いました。少し高いとも思いましたが、たまには思い切ってこういう旅行もやってみようと。一つには、砂漠のラクダの手配等少し不安もありました。そして、後半はいつものようにチュニジアを4日間適当に旅行する予定です。初めてのアフリカ、せめて2ヶ国を周遊です。

2日がかりにはなりますが、夕方の出発なのでのんびりです。1月14日17時50分に福岡を出発し伊丹空港へ、そして23時20分の関西空港のエミレーツ航空に乗るために、空港間移動です。11時間で時差5時間のドバイへ到着します。適切な2時間程度の乗り継ぎ時間で、カサブランカ便に乗ります。更に9時間で日本との時差9時間の目的地へ到着します。現地は翌日、午後1時頃です。

どんなガイドが来るかと少し不安でしたが、20代前半の若いサイド君が出迎えに来ていました。なかなか感じのいい青年でした。早速、トヨタの四輪駆動車でカサブランカ空港を後にして、3時間ほどで夕方5時には古都マラケシュへ着きました。

わかりやすく、今回の旅程をまとめます。モロッコ中央西部、大西洋に面するのが国際線フライトの中心地カサブランカです。南下するとマラケシュです。そこから、内陸部の東に向かうとサハラ砂漠の入り口、メルズーガの村です。アルジェリアとの国境も近いようです。そこから、北上すると古都フェズ、そして西へ向かうと首都ラバトです。そこからほんの100kmも西へ行くとカサブランカへ戻ります。今回は反時計回りにモロッコの主な都市を駆け足です。海に面するのはラバトとカサブランカだけです。

第一印象は、前回旅行のコスタリカと違い、高速道路が立派でした。しかも、サハラ砂漠のある国なのに、途中の景色は花もあり、緑豊かな平野でした。意外でした。昼間は暖かかったのですが、夜はかなり冷え込みます。アフリカとはいえ、ここ北アフリカ、モロッコは黒人ではなく、アラブ人でやはり地中海という感じです。マラケシュでは、目立つクトゥビア(塔)の近くのメディナ(旧市街)の迷路の中にある Riad Maranna へ案内されました。リアドとは民宿のようです。部屋にはテレビもなく、シャワーのみでした。それはともかく、暖房があるものの効きが悪く、少し寒いのでした。2時間ほど仮眠させられ、午後7時半に再度迎えに来るということでした。本当ならそんなに眠くもないし、にぎやかなジャマ・エル・フナ広場をうろちょろしたかったのですが、あまりにこのリアドが迷路の中にあり、自分で歩いて帰って来れる自信がなかったので、部屋で仮眠しました。このマラケシュのメディナ自体が世界遺産のようです。

夕食は Caf&eacute; Bania というレストランへ連れて行ってくれました。最初の野菜サラダはゆでじゃが、赤ビート、オリーブの実などが入っていてなかなか好みの味でした。次が、日本でも流行っているタジン鍋です。そうです、タジン鍋のルーツはここモロッコなのです。東京でも食べたミンチ肉に目玉焼きが入った料理です。まずくはないのですが、これは腹が張って食が進まないのであまり好きではありません。要するに、そんなにはおいしくないのです。カレーライスも少し出ました。ボリュームはあります。デザートには、焼き菓子とオレンジのシナモン添えが出ました。飲み物はコーヒーではなく、ミント茶です。これはいけます。

帰りは腹ごなしも兼ね、通りを抜けてジャマ・エル・フナ広場を通ってリアドへ戻ります。サイド君は10分間だけ広場でゆっくりしていいと言うので、せめて30分間くれと頼み、待ち合わせ場所を決め、少しだけぶらぶらさせてもらいました。私にとっては、自由に歩き回るのが楽しいのです。まずは、屋台風の食堂の数々をいつものように覗いて歩きます。おいしそうです。でも、腹が一杯です。本当はこんなところで食べる方が安くておいしいのです。いつもの一人旅だったら迷わずこういう場所へ来ます。しかも、予想通り物価が安い! サラダが5〜10Dh(1ディルハム&not;=約10円)、つまりたったの50円〜100円です。どう考えても、千円も出さずにおいしそうなものを山ほど食べれそうです。私の好きなオリーブも豊富にあります。新鮮な絞りたてのオレンジジュースを飲みました。

大道芸人がたくさんいて、お祭り騒ぎで楽しい広場です。ダンスを踊っているので見に行くと、ベリーダンスかと期待したら、おへそも顔も出していないけど、くねくね踊ってはいます。後で、サイド君に尋ねたら、実はダンサーは男らしいです。ベルベル・ダンスだそうです。よく考えると、へそどころか顔まで隠していて、ベリーダンスと正反対の踊りです。目の保養にもなりません。

早くも少し後悔です。あの民宿といい、今晩のレストランといい、この国の物価を考えたら、車での移動、ガイド料、ホテル代、食事代を入れても一日3万円はかなり割高な気がしてきました。リアドに戻っても、寒いし、本を読むにも暗過ぎるしすることもありません。部屋が寒過ぎてシャワーを浴びる気もしません。仕方なく、ベッドにもぐり込んで早く寝ました。

後日談です。この原稿を書いている3ヶ月後、4月28日このジャマ・エル・フナ広場にあるカフェ・アルガナでテロとみられる大きな爆発があり、外国人を含む14人が死亡、20人が負傷したそうです。日本人4人が巻き添えになったとの情報もあるそうです。何と、このカフェは私がサイド君と待ち合わせた場所です。比較的安全と思われるモロッコでもこんな事件が起こります。つくづく世の中、先のことはわからないと思います。いずれにせよ、よっぽど運の悪い人が巻き込まれるのでしょうが。

【16(日)】
朝早く目が覚めて、一階のロビー風の部屋に降りてもまだ真っ暗ですし、人もいません。しばらく待っているとようやく、誰か来ます。ようやく朝食を準備してくれそうです。いかにも田舎風のパン(あまりおいしくない)にはジャムやハチミツを付け何とか口に放り込みます。ミントティーは結構おいしいです。だいいち、ミントがポットにもグラスにもたっぷり入っています。熱いお茶なのに、何故か透明の割れやすそうなグラスに注ぐのです。そのうちサイド君がやって来て、ここで彼も朝食を食べます。知り合いのようです。7時半過ぎには出発です。

今日は一気に内陸のサハラ砂漠の入り口の町まで行くようです。オートアトラス山脈を越えたあたりから、だんだん緑が消えた景色になり、砂漠に近づいているのがわかります。途中のハイライトが Ait Ben Haddou(アイト・ベン・ハッドゥ)で、「アラビアのロレンス」の映画以来たびたび映画の舞台として使われたらしいです。こういうのは映画の印象が強くないと、あぁそう!程度の感激です。アメリカで言えば、西部劇の砦という感じの建物です。浅い小川の向こうにあります。茶色い日干しレンガ造りの建物で、アメリカ西部、アルバカーキに住んだことのある私には懐かしいアドビと同じです。

12時過ぎにワルザザートの町へ着きます。やはり、見かける女性は黒いスカーフ?(名前がわかりません)で顔を隠した人が多いです。でも、顔の隠し方、露出度にはかなり個人差があるようです。みんながみんな、顔を全部隠して目玉だけを出している訳ではありません。顔はほとんど見せている人も結構います。またスカーフの色も黒だけではありません。タウリルトのカスバ(要塞)のレストランへ案内されます。屋上にあり、周りの景色を楽しめるしゃれたレストランです。でも、サイド君は別の所で食べるらしく一人だけです(一人旅で慣れてはいますが)。牛カバブ(ケバブ?)、オリーブの実、スープ、最後にエスプレッソとまぁまぁの味でした。

途中で黒い羊を見ました。初めてです。私にとって羊とはちょっと茶色がかった白色です。車の助手席に座っている私はサイド君とずっと一緒です。中々愉快な青年で、時々ベルベル音楽らしく、変な歌を口ずさみます。ツゥクツゥク♪、タクタク♪、ティクティク♪と。時々は、ハンドルから手を離し、手を使ってリズムを取ります。その単調さが愉快です。サイド君は当然の如くベルベル語、アラビア語、元領主国のフランス語、英語が喋れます。海を挟んで国境の近いスペイン語も少しは喋れそうです。少し気になったのが、次に行く予定のチュニジアがやばそうだと教えてくれたことでした。でも、まだ軽く考えていました。 

カスバ街道を通って東へ向かいます。途中で、スペクタクルな景勝地、トドラ峡谷へ寄ります。美しい水のトドラ川に面して、切り立った岸壁が立ちはだかる峡谷があります。エルフードの町を過ぎ目的地のメルズーガ村へ明るいうちに着きます。ここにモハさんの経営するホテル、Riad mamouche があります。モハさんの弟や親戚が働いているようです。

ここも部屋は非常に質素です。テレビもないし、シャワーだけ。トイレもモハさんの自慢していた日本製のウォシュレットもありません。でも、洋式水洗トイレです。しかも昨夜のリアドと同じで暖房があまり効かない。要するに寒いのです。とてもシャワーを浴びる気にもなりません。でも何とかインターネットは繋がります。チュニジアの件、気になってヤフーニュースを読むと、やはり首都のチュニスは政情不安で、かなりやばい状態のようです。広場にはデモで人が溢れているようです。空港が閉鎖される恐れもあります。さすがの私も予定通り4日後に訪れるのはきっぱり諦めました。

となると、次にすることは帰りのチケットをどうするかです。普通、格安航空券は変更できません。帰りのチケットは無効でパーです。しかも、新たに帰りのチケットを手配しないといけません。格安航空券の場合、片道も往復もあまり料金は変わらないので、新たに10万円以上は必要でしょう。余計な出費を覚悟します。

夕食は専用のレストランへ呼ばれます。米の入ったサラダとラム肉の入ったタジン鍋料理です。期待したほどおいしくはありません。まずくもありませんが。デザートはオレンジですが、ここでもシナモンパウダーが振ってあります。たぶん、これがモロッコ料理の特徴なのでしょう。別に、ちょっとしたお菓子のデザートも付いてきました。モロッコ茶はまぁまぁです。

食事後、インターネットでエミレーツ航空の正規フライトをチェックすると、帰りのフライトのチュニスからドバイの代わりに、カサブランカからドバイが4〜5万円程度で取れそうです。時間的にドバイから関空への乗り継ぎもうまくいきます。でも気になったのが、格安航空券などは全日程を予定通りに実行しないと無効になる、つまり私の場合、勝手にドバイまでをチュニスからでなくカサブランカへ変更すると以降のフライトは無効になると聞いたことがあります。時差の関係で真夜中まで待ちます。部屋からは携帯の電波が届かないので、ホテルの暗い一角で何とか電波が届くところから電話番号のわかった名古屋のエミレーツ航空事務所へ電話しました。結果は、やはり私が恐れていたとおりでした。この方法は無効だそうです。

ということは、やはり新たに復路の航空券を取らないといけません。物価の関係で、モロッコの旅行代理店で取った方が安いかもしれませんが、毎日移動中でもあり、かなり難しいのです。それで、今回のチケットを取得した福岡の代理店へメールして調べてもらいました。

【17(月)】
たいしておいしくないクレープとパンにマーマレイドを塗り、コーヒーで流し込むような朝食を終えました。午前中は、同じアフリカでも黒人のセネガル人による黒人音楽の場所へ連れて行ってもらった、と言うより連れて行かれたという感じでした。何せ、今回は全てお任せで個人とは言えツアーのようなものです。そんなに興味も無かったのですが、たった一人の私のために7人くらいで色々な楽器を演奏してくれました。義理堅く、CDを100Dh(1ディルハム=10円)で買いました。

次に、リッサニの町へ連れて行かれました。サイド君は何故か町の案内役といって少年を連れて来ました。もちろん、チップとして帰りに40Dhほど払わされましたが。ツアーでよくあるおみやげ屋への案内風です。市場を案内され、ミント茶を150Dhで買いました。ここでもおじさんが見本を見せてくれましたが、モロッコ式お茶の入れ方はポットを徐々に高く上げ、かなり高いところからお茶をカップに注ぎます。温度を下げているのか?理由は不明です。

次に、ターバンなどを売っているお店へ連れて行かれました。今回の旅のハイライト、「砂漠」しか頭にない私は珍しくターバンとそれに合う上着とズボンを買いました。少し値切りましたが、1750Dhもします。鏡に映る自分を見ながら、もう心は「怪傑ハリマオ」になりきっています。珍しくお金を散在しました。しかも、後で冷静に生地を見ると服に疎い私が見ても安物で、きっと物価を考慮したら千円程度の物でしょう。10倍以上ぼられているでしょう。でも今回はこの格好でラクダに乗って写真を撮るというイメージが出来上がっているので、迷わず買いました。

町でベルベルピザを買い、サイド君の親戚(知り合い?)の家へ行きました。こういうのは好きです。庶民がどんな家に住んでいるのかわかります。子だくさんの家庭でした。マトンのミンチ入りのベルベルピザは大しておいしくはありませんでした。

砂漠へのツアーまで時間があるらしく、4WDのバギードライブを誘われました。これは別料金で30分、700Dhです。面白そうなので、もちろんオーケーしました。案内役のバギーを追いかけるように運転して砂漠の入り口近くで楽しみました。砂丘の丘が適度のアップ、ダウンがあり、十分楽しめました。案内役も慣れたもので、色々なアングルから私のカメラで記念写真を撮ってくれます。

自分の荷物は昨夜の部屋に残したままですが、午後5時半頃ラクダを引いたベルベル人がやって来ました。ラクダにも種類があるようです。ラクダのこぶは二つで、そのへこみを利用してその間に座るものとばかり思っていました。でも、やって来たラクダをよく見るとこぶは一つで、その前に座布団を敷くかたちで人が乗れるようになっているのでした。馬に乗るのと同様に、ラクダの背中も結構高いです。ラクダ引きがゆっくり引いてくれるとおっちら、おっちらと少し横揺れしながら、進んで行きます。ついに夢見たラクダ乗りです。今回は判断ミスで少し薄着のまま来てしまったのですが、はずみで買った「怪傑ハリマオ」の服を上から着ているおかげで、寒さもほどほどに抑えられています。

途中で、日没の写真を撮れるように休憩してくれます。時間はたっぷりあるので、色々なアングルから記念に写真を撮ります。ラクダは温和しい動物のようで、前脚、後ろ脚を折りたたみ、正座したような形でずっと静かにたたずんでいます。鼻息は荒いですが、全然啼いたりしません。それから再度出発です。どこまで行くのだろうか、どこでテントを広げるのだろうか、などと考えながらずっとラクダに揺られていました。だいぶ薄く暗くなった頃、ようやく到着しました。すでに三角形ではなく、小屋風のテントが三つある場所へ着きました。ベルベルテントと呼んでいました。ここが、今夜の宿のようです。ここ、サハラ砂漠は砂丘が美しく、小高い山に囲まれた谷でキャンプするイメージです。周囲は当然の如く静寂そのものです。

私の寝床らしいテントに荷物を置き、台所の役割のテントに入りました。どうせ暇ですし、ラクダ引きの料理を作るのをずっと観察していました。中に鳥が入って来て飛び回っています。中には、ガスもあり、皿や香辛料、調味料などが装備されています。外に出ると、小さな昆虫もいるし、草も少しだけ生えています。自分の無知を思い知らされました。砂漠には、砂しかないと思っていました。

料理はもちろんタジン鍋を使っています。真ん中にチキンが入っています。縦長に切った野菜(にんじん、パプリカ、トマト、タマネギなど)を全周性に立てかけます。うまく三角形になるのでタジンの蓋が収まります。塩とこしょうとスパイスで味付けし、オリーブ油をかけ、蓋をしてしばらく焼きます。塩にはビックリしました。大きな真っ白な岩塩のようです。初めて見ました。最初は砂糖かと思いました。かなり硬そうなのを叩いて割って使っていました。ほどよく、焼けたところで水を追加します。そして、再度蓋をして40分ほど蒸すのでした。

その間、ずいぶん話をしました。何と学校なんかにはほとんど行ったことがないという彼は、それなりの英語ができます。十分会話ができます。もちろん、サイド君と同様にベルベル語、アラビア語、フランス語もできるようです。やはり、生活の知恵、生活の必需品なのでしょう。日本人とはずいぶん違います。日本人の客も少なくないようで、少し日本語もできます。独特の抑揚で、「わかったぁ?」と聞きます。合わせて「わかったぁ!」と答えます。ようやく、料理が完成しました。何と、これがまたおいしいのです。今回は今までのところ、大しておいしいものがなかったのですが、これが最高においしかった。彼は料理名人でもあるのです。他に、スープも作ってくれています。ただ、量が多くてとても食べきれません。しかも、彼は夜寝る前にたくさん食べるのは体によくないと知っていて、軽くしか食べないのです。私がもう食べきれないのを確認すると、残り物は全て外で温和しく待っているラクダの餌として与えるのでした。エコです。うまくできています。食料をムダにしないし、ゴミも出さない。一石二鳥です。ジッと待っていたラクダはむしゃむしゃとおいしそうに食べます。ずっと見ていると、ラクダが愛おしく思えてきます。愛すべき動物です。何枚か写真を撮りました。

夜は結構冷えますが、テントの中のふとんは分厚く、十分暖かいのでした。途中で、二度ほど夜間頻尿、つまり目が覚めてトイレをしました。もちろん、外で立ちションです。びっくりしました。ちょうど満月で月光のもとでは外は真っ暗ではなく、結構明るいのでした。こんなのは久しぶりです。もちろん、静寂そのものです。50m先にいるラクダは繋がれていません。ただ、温和しく座っているのです。月明かりではっきりと見えます。私も歳のせいか、夜間に一回くらい起きてトイレに行くことが増えましたが、今回だけは目が覚めてよかったと思いました。満月の中のサハラ砂漠、静寂、そして美しい砂丘の稜線が見えます。何か、これだけで幸せな気持ちになれました。生きていて、よかった!ついに、憧れの砂漠で過ごしているのです。ここがまさに今回の旅行のハイライトでした。

【18日(火)】
翌朝、目が覚めました。でも少し興ざめでした。何故なら、コケコッコーという鶏の鳴き声で目が覚めたからでした。ここは砂漠のはず。日本の農村じゃあるまいし、何故?ラクダ引きが答えを教えてくれました。近くにテントがあり、鶏を飼っているのだそうです。なるほど!

まだ日の出前です。砂漠での朝日の写真を撮るために、歩いて砂丘の小高いところへ登ります。すると、人の気配があります。声が聞こえてきます。またしても、興ざめでした。聞こえてくるのは、日本語で、しかも関西弁です。若いカップルのようです。関西弁は嫌いではありませんが、ここ砂漠で感動している私にとっては少し場違いでした。ここで、面白いアイデアがひらめきました。砂の上に、「空飛ぶドクター」と「Flying Doctor」と書き写真に撮ることです。我ながら、いいアイデアです。

軽い朝食後、再びラクダに乗りホテルまで帰りました。帰りは1時間10分程でした。昨日と違い、まだ朝早く砂漠に長い影が映るのでした。ここでも、すぐに写真を撮りました。絵になります。満足した私はラクダ引きにチップを100Dhと奮発しました。

部屋に戻ってシャワーを浴びてもいいと言われましたが、その代わりにパソコンでメールをチェックしたりしました。福岡の代理店からはカタール航空で10万円程度のチケットがあるが・・・という状況でした。結論から言うと、今回のガイド付きツアーで良かったのはここまででした。

朝10時頃出発です。今日は移動日で、ほぼ一気に北上して古都、フェズまで行きます。出発してしばらくすると止まり、途中で友人一人乗せます。次に、1時間ほどでエルフードの町に着き、友人を降ろしサイド君の兄を乗せます。このあたりから雲行きがおかしくなります。当然の如く、彼らはベルベル後で喋っています。私は暇です。オリーブの木とヤシの木々の豊富なエルラシディアを通過します。ミデルトの町外れのホテルのレストランで昼食です。もう2時半を過ぎています。これが、私がガイドを嫌う一つの理由です。彼らはきっとマージンをもらうために知り合いのレストランへ連れて行くのです。そのためには、食事の時間がずれようが構いません。必ず、彼らはどこかへ消えます。たぶん、ただで食事にありつけるのでしょう。但し、このレストランで食べたカバブはおいしかったですが。再出発後、大きな岩山のあるアズルーを通過し、スイス風のリッチな家並みの町、イフレンも通過します。途中で猿山があり、停まって見ていくかと誘われましたが、地元、大分の高崎山で猿は何度も見ているのでパスしました。

うす暗くなった頃には、大都市らしいフェズに到着します。ライトアップした噴水の賑やかなところを通過し、街中をしばらく走ってメディナの中にあるリアドに着きました。夕食は世界最小のパスタというアフリカ名物のクスクス料理とサラダでした。さかんにサイド君の兄(名前も覚えていない)が恩着せがましく、ここの料理は家庭の味だと自慢していました。でも、大して感動しません。まずくはありませんが、それほどおいしくもありません。ミントティーはおいしいです。この頃には、この国の人の真似で、ポットを目一杯高く持ち上げて上からたたきつけるようにお茶を注ぎます。取り敢えず、敬意を払って真似をするのが私の流儀です。すぐに感化されます。

ただ、このリアドは初めてテレビやまともな暖房のついた部屋でした。テレビのチャンネルも多く、ヨーロッパのたくさんのチャンネルが見れます。バックグランド音楽として、歌番組をかけていました。シャワーだけでなく珍しくバスタブもあります。もちろん、ゆっくり風呂に入りました。インターネットも繋がります。明後日が本来ならカサブランカからチュニスへの移動日です。そろそろ、チケットの変更、再取得を確定しなければなりません。

福岡から嬉しいメールが届いていました。何と担当者が私のために頑張ってくれていたのです。今回のチケットの変更は私の個人的理由ではなく国の政変だということで、エミレーツ航空と交渉して、特別に無料で変更ができたのです!! 有り難いことです。もともと、空席があることは私も確認していました。こういう事があると、信頼して次回からもこの代理店を迷わず使います。ありがたや、ありがたや!

【19日(水)】
この日から完全に今回のガイド付きツアーに不満が爆発してきます。全ては、サイド君の兄が加わってからです。第一、怒ったようなしゃべり方で、発音もよく聞き取れません。サイド君とは兄弟とはいえ正反対の性格のようです。

朝食後、古都フェズのメディナ(旧市街)の入り口、ブー・ジュルード門へ行き、写真を撮らせてくれます。でも、一歩も中には入れません。決まったガイドコースかの如くです。そして、急いでメディナの北、城壁の外の小高い丘にあるマリーン朝の墓地へ連れて行かれます。確かに、ここからはさっき入り口だけ見たメディナを含めて町の全景が見下ろせます。ここで、数枚写真を撮っておしまい!あまりにバカにされています。日本のおのぼりさん扱いです。日本で言えば京都にあたるフェズにせっかく一泊したのに、寺の写真を数枚撮って素通りのようなものです。

勝手に急かされて首都のラバトへ向かう途中の車の中で、モハさんの日程表を読み直すと、フェズでは熟知したガイドが町を案内すると書いてあります。確かにガイドブックによると、フェズのメディナは世界一複雑な迷路らしいです。なのに、不満そうな私にサイド君の兄がうそぶいたのは、フェズのメディナはよっぽど詳しい現地のガイド以外は迷子になるから、中には入らない! ふざけています。何のために、サイド君に加わったのか意味がありません。むしろ、こいつが加わってから雰囲気まで悪くなりました。どうも、強引な性格で、しかも自分の都合でガイドを一方的に進めています。気にくわない奴です!

昨日と同じで、明らかに自分たちの厚意にしているラバトのレストランへ連れて行きます。ここは立派なフランス料理店で、フランスパンもおいしいし、ヒラメのムニエル、サラダ、スープと味には満足しました。でも、ここに着いたのは1時半とやや遅いし、だからこそ、朝フェズで少しも観光させなかったのが見え見えです。どうせ、兄弟でただ飯とマージンをもらっているのです。

ただ、ここラバトでは少しは時間があり、同じ敷地内にあるムハンマド5世の霊廟とハッサンの尖塔(ミナレット)はゆっくり見物できました。そして、派手な格好のウォーターマンも見かけ、早速写真を撮りました。ガイドブックにもよく写真がでてきます。赤が基調の服にヒラヒラ付きの帽子をかぶり、体中に水筒とカップをたくさんぶら下げています。よくわかりませんが、もともと砂漠で水を提供する人のようです。とにかく、絵になる派手な格好です。写真の被写体には絶好です。

最初の予定と違い、チュニス行きを止めたのでゆっくりカサブランカで過ごすと知っているはずなのに、ラバトもそこそこに切り上げ、4時半頃にはもうカサブランカへ到着します。翌日の予定のハッサン2世モスクの見物もこの日で終わらせます。もちろん、外から少し見物するだけです。ここは、カサブランカでも一番の観光地のようですが、海に面した公園にもなっているようで、明らかに地元の人がたくさんいます。意外と美女が多いのにもビックリします。都会で近代的なこの町はスカーフで顔を隠していない若い女性も多そうです。

もう5時にはアジアドホテルへチェックインです。さすがに、都会のカサブランカでは民宿のリアドではなく、ホテルです。でも、きっと安ホテルだろうと疑っています。早速、変更した帰りの e-ticket のプリントアウトをホテルのプリンターでします。一安心です。

夕食付きだというので、7時半に広間風のレストランへ行くと、学生食堂の雰囲気です。失礼ながら、いかにも労働者風の大勢の人が食い散らかしています。バイキング料理のようですが、ほとんど、ろくな物は残っていません。このホテルは外見上少しはましですが、私の予感通り、相当の安ホテルのようです。しかも、部屋からはインターネットが繋がらず、メールのチェック等もあるのでインターネットカフェを探しに行きました。ただ、バスタブはあり、熱いお湯も出るのでお風呂にはゆっくりつかれました。テレビもあり、歌番組をつけっぱなしにしました。

【20日(木)】
ガイド最後の朝、約束通り二人で来るのかと思ったら、何と兄一人だけで来ているのです。最悪です。本当か嘘か、サイド君は病気だと言います。サイド君には、少しチップをはずもうかと思っていましたが止めました。本人がいないし、こんな奴に払う気も、預ける気もありません。いくら、本来はチュニス行きの空港まで送ってもらう前にハッサン2世モスクの見物だけの予定とは言え、せめて海岸のアイン・ディアブのドライブを要求したのでした。本当は、せめて片道でいいから90km先のアル・ジャディーダまで送ってくれといったら、はっきりと反対方向だから嫌だと言います。メルズーガまで帰らないと行けないと言います。じゃ、他にお客さんがいるのかと聞くと、いないとしゃあしゃあと答えます。要するに、面倒くさいだけです。もうこんな奴といると気分が悪いので、せめて嫌がらせにタクシーでも行ける程度のどうでもいい市内のドライブをさせたのでした。と言うのは、昨日予定を繰り上げてハッサン2世モスクを終わらせたのが、あわよくば今日は何もなしにしようという魂胆が見え見えだったからです。こちらとしては、計算上はこの日も3万円も払っています。 

若干気分は悪いものの、すっきりと気持ちを切り替えていつもの一人旅に戻ります。まずは、これからもう3泊するホテルを決めます。昨夜の安ホテルから歩いて行ける範囲にほどよいのを見つけました。もちろん、インターネットが繋がるのを確認しています。今までは運転手付きで慌ただしく国内を移動したので、残りの3日間はカサブランカ市内でゆっくりすることに決めました。

まずは昨日外からだけ見たハッサン2世モスクの中をゆっくり見物しに再度行きます。タクシーで50円ちょっとだということももうわかっています。有料の内部案内は、フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語グループに分かれています。もちろん英語グループに加わった私ですが、カナダ人、オランダ人、デンマーク人が一緒でした。絵になるミナレット(尖塔)の高さは200mで、見学した内部には2万5千人、全敷地には8万人収容できるというとんでもない広さです。大西洋に面したモロッコ最大のモスクで、世界でも最大級のようです。

帰りは、しばらく海岸沿いに歩いてみました。途中で、すこしやばそうな旧メディナへ迷い込みました。ごみごみした人通りで、途中からスーク(商店街)になり、食べものから小物まで何でも売っています。タクシーに乗り、安そうなスナックアミンへ昼食に行きます。たっぷりの魚のフライ、炭酸水でたったの60Dh(1Dh=10円)です。向かい側に中央市場があり、中に魚のおいしそうな食堂がたくさんあるのに気づき、明日以降に行こうと決めます。旧メディナの広場で安物のベルトを買いました。たったの135Dhです。

タクシーでトルコ風ハマム、“Le Pacha”へ行こうとしました。そんなに遠くないはずなのに、空港に行く方向で、帰りもタクシーが拾えないから待っていてやると言います。往復250Dhと言います。たぶん、ぼられていると思いましたが、帰りのタクシーが拾えるかがやや不安だったのもあり、オーケーしました。ハマムはサウナ、あかすり、アラガンマッサージ全部込みで385Dhです。物価を考慮すればこんなものでしょう。タクシーは距離的にそこまでは遠くないし、たぶん割高だろうとは思いましたが、2時間もずっと待ってくれているのだからよしとしました。

夜はホテルから歩いて行ける食堂でサラダだけ頼むとたったの12Dhで、隣の食堂へ移動して魚のタジン鍋とオリーブの実とパンがついてたったの46Dhです。気が付いたことは、ほとんどのモロッコの土地と違い、ここ都会カサブランカはパンもおいしいのです。洗練された感じがします。しばらく腹ごなしに歩き回り、タクシーに乗ろうとすると100Dhと明らかにぼられそうになります。拒否して、他の Petit taxi を見つけると、まじめにメーターを倒します。何とたったの11Dhで、端数まで切り捨てます。後でわかったのですが、Petit taxi とは名前通り小さいタクシーで、主に市内の近場を運転するようです。しかも、相乗りが普通です。ですから、人が乗っていても手を上げれば停まってくれます。行き先が反対方向でなければ乗せてくれます。これでわかるように、値段も適当です! 空港などの遠距離の場合はちゃんとしたタクシーになります。

夜部屋に帰って風呂を溜めようとしたら壊れていました。でも、サウナにも行ったし、まぁいいか。

【21日(金)】
朝、ホテルから少し離れたカサ・ヴォワジャー駅へ行き、アル・ジャディーダ行きの列車を調べました。ちょうどタイミングが悪く次の列車まで2時間もあります。また、帰りの電車の時間も調べるとそんなに長くいれません。一カ所くらい郊外に行こうかと思いましたが、ビーチリゾートというだけで、どれだけの観光地かもわからないのであっさり止めました。駅の近くの喫茶店でいつものようにミントティーを飲みます。テレビでは、イスラム教のお祈りの中継のようです。聞くとメッカからのようです。歩いてハッブース街へ行きました。フランス人によって造られた新市街地らしく、モスクやスークがあります。モロッコでミントティーにはまった私は紅茶ポットを買いました。100Dhです。

昼は、Marche central(中央市場)へ行き、お目当ての屋外食堂へ。
エビ、白身の焼き魚、きざみサラダと小さい豆料理を頼みました。お
いしかったですが、値段は思ったより高く160Dhでした。続いて、
またしてもハッサン2世モスクへ行きました。少し距離がありますが、
腹ごなしに歩いて行きました。途中で、休憩して喫茶店に入り、気に入ったミントティーを頼みます。もちろん、ポットを高く、高く上げます。他人のを見ていて気が付いたことは、少し砂糖が入っているのに砂糖を追加する人が多いのです。どうも、何回も高いところから注ぎ、ポットに戻すことにより砂糖を混ぜているようなのです。モスクへ何度も行く目的はピープルウォッチングです。色々な人が来ていて、見ていてあきません。場所柄、じろじろ観察できます。アラブ美人もたくさんいます。

夕食は、たまにはと Port de Peche という少ししゃれた海に面したレストランへ行きました。私の好きなムール貝はよかったのですが、魚介類のグラタンは失敗でした。カラメルデザートと合わせて220Dhとこちらでは少し高いです。高級レストランだから当然ですが。いつもの fleur caf&eacute; で the a alla mente(ミントティー)を頼みます。怪しい喫茶店で、こういう国では珍しい女性だけのグループがたくさんいます。夜の女性たちかもしれません。トルコを思い出し、ベリーダンスのやっているお店がないか聞きましたがはっきりしません。

【22(土)】
実質最終日です。パソコンをしたりしてのんびり過ごし、11時頃ホテルを出て、歩いてアラブ連盟公園へ行きます。遊園地があるので入ろうとしましたが、小銭がありません。たったの2Dh(20円)なのですが。入り口で交渉すると、出る時に払えばいいと言われました。海外で思うのは、日本人は信用が高いのでこういう時は便利です。中で、アイスクリームを買ってすぐに小銭を作ります。

続いて、タクシーでリックス・カフェへ行きます。ここはハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンで有名な映画「カサブランカ」に出てくる Caf&eacute; American に似せて造られたレストランだそうです。本来はメキシコ料理の Chili con carne を頼みました。正しくはスペイン語で「チリ・コン・カルネ」ですが、テキサス料理として有名でアメリカ人は「チリ・コン・カーン」と発音します。ニューメキシコ州に住んだことのある私はこういうのは詳しいのです。その後、またしても近くのハッサン2世モスクへ歩いて行きます。

もうあまり行く観光地もなさそうなので、またトルコ風ハマム、パシャへ行くことにしました。何と、今度のタクシー代はたったの20Dhです。道理で、2日前の悪徳タクシー運転手は2時間でも待っていたはずです。思っていたよりはるかに高額ぼられていました。でも、日本のタクシー代を考えると大したことはないのです。最近はそう考えることにしています。ただ、その代わり帰りのタクシーを拾うのには意外と時間がかかりました。

最後の夕食は中央市場の近くの大衆食堂へ行き、おいしそうな丸焼きチキン1/4 を頼みました。何とたったの20Dhです。サラダは10Dhで、オリーブの実とカレー焼き飯まで付きます。得した気分になります。しばらくして、夜食代わりに以前気に入ったスナックアミンへ。
たった50Dhの舌ヒラメの料理を注文すると、5匹もの多すぎるほどの魚がきます。ミネラルウォーターもたったの7Dhです。

夜、ベリーダンスでもやっている店はないのかと期待して、アイン・ディアブへタクシーで行きました。土曜日の夜で賑わってはいますが、それらしい店は皆無です。途中で雷は鳴り始めるし、雨も降り出して濡れながら、何とか苦労して帰りのタクシーを拾いました。
              
【23日(日)】
今日は帰国の日ですが、時間があるので再度アラブ連盟公園へタクシーで行きました。公園で若い女性に声をかけると、地元のアメリカンセンターの生徒で英語も上手でした。彼女によると、チュニジアと違い、国民は国王を信頼しているので、モロッコでは政情不安が飛び火するようなことはないだろうと言っていました。時間もあるので、散歩を兼ねてゆっくりホテルまで歩いて帰りました。

ホテルで空港までのタクシーを頼むと、いつもの乗り合いも多い Petit taxi ではなく、クリーム色のベンツのタクシーがやって来ました。空港まで35分で着きましたが、高速道路を通っており、250Dhで適正な値段だろうと思います。

色々、冷や冷やしましたが、無事に無料で変更できたカサブランカからドバイ経由のエミレーツ航空便に乗れました。ドバイから関空の便は久しぶりの超閑散便で、楽勝です。ガラガラなのをいいことに、3席使って横になって寝れます。これなら、ビジネスクラスの料金を払う必要もありません。

暇な時間に、いつものように CA の所に遊びに行くと、チュニジア出身のフランス人男性 CA と話が盛り上がりました。当然の如く、自分の国、チュニジアに誇りを持っています。私の興味のある食べ物も、イタリアに近いぶん、モロッコよりはるかにおいしいと自慢していました。政変のおかげで、チュニスに行きそびれた私には、よだれの出そうな話でした。もちろん、肝心のチュニジアの政権崩壊についても詳しく説明してくれました。

今回の旅行を総括すると、思い切って頼んだ個人ガイドは半分正解、半分失敗でした。前半のサイド君とのサハラ砂漠までの旅は最高でした。でも、彼の兄が加わってからは最低でした。やはり、私には最後のカサブランカのような気ままな旅が合っています。チュニジアの件は不可抗力で仕方がありません。運が悪いとも言えますが、最悪チュニス空港閉鎖などを考えれば、前向きな私はむしろ運が良かったと考えます。当然の如く、帰国翌日には仕事を入れている私ですから、空港閉鎖などに巻き込まれると困ります。物は考えようです。


(終わり)



私は医者として(海外)旅行へ添乗する本邦初の専門医です。
興味のある方は、以下のウェブサイトへ

http://www.kanoya-travelmedica.com

空飛ぶドクター(登録商標)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
2.5
グルメ
2.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • エミレーツ航空<br />機内

    エミレーツ航空
    機内

  • ドバイ空港室内

    ドバイ空港室内

  • ドバイのホテル群

    ドバイのホテル群

  • 夜のマラケシュ<br />クトゥビア(塔)

    夜のマラケシュ
    クトゥビア(塔)

  • 豪華に並ぶタジン鍋

    豪華に並ぶタジン鍋

  • マラケシュ<br />ジャマ・エル・フナ広場

    マラケシュ
    ジャマ・エル・フナ広場

  • ジャマ・エル・フナ広場<br />食堂街

    ジャマ・エル・フナ広場
    食堂街

  • クトゥビアとガイドのサイド君

    クトゥビアとガイドのサイド君

  • アラガン油の精製場で働く女性たち

    アラガン油の精製場で働く女性たち

  • 遠景のアイト・ベン・ハッドゥ

    遠景のアイト・ベン・ハッドゥ

  • 近景のアイト・ベン・ハッドゥ

    近景のアイト・ベン・ハッドゥ

  • タウリルトのカスバ<br />野外レストラン

    タウリルトのカスバ
    野外レストラン

  • 愉快なサイド君<br />ベルベルの歌を歌いながら

    愉快なサイド君
    ベルベルの歌を歌いながら

  • カスバ街道

    カスバ街道

  • トドラ峡谷

    トドラ峡谷

  • メルズーガ村<br />セネガル人の音楽

    メルズーガ村
    セネガル人の音楽

  • メルズーガ村<br />砂漠の入り口

    メルズーガ村
    砂漠の入り口

  • リッサニ町

    リッサニ町

  • モロッコ式<br />お茶の入れ方

    モロッコ式
    お茶の入れ方

  • 「怪傑ハリマオ」に変身

    「怪傑ハリマオ」に変身

  • ベルベル人の娘さんと

    ベルベル人の娘さんと

  • 四輪駆動車<br />バギー

    四輪駆動車
    バギー

  • いよいよラクダに乗って

    いよいよラクダに乗って

  • 「怪傑ハリマオ」に変身

    「怪傑ハリマオ」に変身

  • 夕焼けのラクダ<br />サハラ砂漠

    夕焼けのラクダ
    サハラ砂漠

  • 料理中のラクダ引き

    料理中のラクダ引き

  • 朝日のサハラ砂漠

    朝日のサハラ砂漠

  • 砂丘の<br />「空飛ぶドクター」

    砂丘の
    「空飛ぶドクター」

  • 砂漠の影絵

    砂漠の影絵

  • 味はともかく<br />タジンが可愛い<br />朝食

    味はともかく
    タジンが可愛い
    朝食

  • リアド・マームッシュの前で

    リアド・マームッシュの前で

  • 砂漠の近くの道路

    砂漠の近くの道路

  • モロッコの赤ちゃん

    モロッコの赤ちゃん

  • 古都フェズ<br />ブー・ジュルード門<br />メディナの入り口

    古都フェズ
    ブー・ジュルード門
    メディナの入り口

  • フェズからラバトへ<br />意外と緑が多い

    フェズからラバトへ
    意外と緑が多い

  • ハッサンの塔<br />首都ラバト

    ハッサンの塔
    首都ラバト

  • ムハンマド5世の霊廟<br />首都ラバト

    ムハンマド5世の霊廟
    首都ラバト

  • ハッサンの塔を背景に<br />有名な「ウォーターマン」<br />首都ラバト

    ハッサンの塔を背景に
    有名な「ウォーターマン」
    首都ラバト

  • ハッサン2世モスク<br />商都カサブランカ

    ハッサン2世モスク
    商都カサブランカ

  • ハッサン2世モスク<br />(別アングルから)<br />商都カサブランカ

    ハッサン2世モスク
    (別アングルから)
    商都カサブランカ

  • モダンな女性もいる<br />商都カサブランカ

    モダンな女性もいる
    商都カサブランカ

  • ハッサン2世モスク<br />内部から

    ハッサン2世モスク
    内部から

  • カサブランカ<br />旧メディナ

    カサブランカ
    旧メディナ

  • ボリュームたっぷりの食事

    ボリュームたっぷりの食事

  • カサブランカ<br />中央市場<br />魚屋

    カサブランカ
    中央市場
    魚屋

  • ハッブース街<br />カサブランカ

    ハッブース街
    カサブランカ

  • ハッブース街<br />

    ハッブース街

  • カサブランカ<br />中央市場<br />食堂

    カサブランカ
    中央市場
    食堂

  • ハッサン2世モスクを背景に<br />(海に面している)<br />地元の若者たち

    ハッサン2世モスクを背景に
    (海に面している)
    地元の若者たち

  • ハッサン2世モスクを背景に<br />子供とお母さん

    ハッサン2世モスクを背景に
    子供とお母さん

  • メディナ<br />カサブランカ

    メディナ
    カサブランカ

  • 映画「カサブランカ」<br />リックス・カフェ

    映画「カサブランカ」
    リックス・カフェ

  • アラブ連盟公園<br />カサブランカ<br />大学生たち

    アラブ連盟公園
    カサブランカ
    大学生たち

  • ボリューム満点の食事

    ボリューム満点の食事

  • カサブランカの街並み

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この旅行記へのコメント (3)

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  • LIFEさん 2011/05/21 18:37:06
    とっても楽しい旅行記ですね
    初めまして
    先日マラケッシュから帰って来た所です♪旅行記を早速アップしようと思ったら・・・メンテナンス中で出来ないんですね。というこで、空飛ぶドクターさんの旅行記を拝見させて頂きました。
    そしたら、サイード君を発見!!!丁度私も彼がガイドでした!
    私はオンラインでマラケッシュから アイトベンハッドゥを通ってワルザザードを見学、マラケッシュに戻るという13時間のツアーでした。参加者は同じオンラインで予約したという私を含め5人のイギリス人とアメリカ人。料金はレストランでのランチもついて5000円弱。’プライベートツアーなんだから見学したい所があれば、いつでも言ってね’とサービス精神旺盛。お言葉に甘えてみんなで色んな所で’停まってくれ!’といって写真撮影させてもらいました。嫌な顔一つせず笑顔でいつも対応してくれるガイドさんで大満足。
    人懐っこくて親切で旅行を盛り上げてくれてとても充実した一日でした。私たちが観光している間は本を読んで勉強するような一面もあり、凄いなと関心。
    自分の希望にそったツアーも組んでくれるということで、時間があったら是非砂漠へ行きたかったーー。

    ちなみにサイード君、フナ広場のテロの一時間前にあのカフェに居たそうですよ。運が良かったですよね♪

    近いうちにマラケッシュの旅行記をアップするので良かったら見に来て下さいね♪

    空飛ぶドクター

    空飛ぶドクターさん からの返信 2011/05/22 07:03:52
    RE: とっても楽しい旅行記ですね
    > そしたら、サイード君を発見!!!丁度私も彼がガイドでした!

    写真も載せてあるので、あのサイド君に間違いないですね。

    何と言う奇遇なのでしょう。


    > 料金はレストランでのランチもついて5000円弱。

    やはり、相場はそんなものでしょうね。今回は私は高く
    つきました。


    > 自分の希望にそったツアーも組んでくれるということで、時間があったら是非砂漠へ行きたかったーー。


    その代わり、一番の楽しみの砂漠はたっぷり楽しめました。


    > ちなみにサイード君、フナ広場のテロの一時間前にあのカフェに居たそうですよ。運が良かったですよね♪

    そうか、サイド君にとってはいつもの場所ですよね。

    > 近いうちにマラケッシュの旅行記をアップするので良かったら見に来て下さいね♪

    了解しました。


    ちなみに、今私はヘルシンキのホテルにいます。乗り換えが
    一日あるので、明日帰る前に半日ちょっと観光します。

    そのうち、書きますが、今回は主にイタリア旅行です。
    ヨーロッパでは初めてのレンタカーで、日本人があま
    り知らない、アオスタの温泉(モンブランを見ながら
    入浴)、ブラ(スローフードの発祥地)、チンクェ・
    テッレ、ジェノバを回りました。出入国はミラノです。


    空飛ぶドクター(登録商標)

    LIFE

    LIFEさん からの返信 2011/05/25 22:51:16
    RE: とっても楽しい旅行記ですね
    ヘルシンキからですか??(もう既に日本に帰国されてる頃ですね?)
    ヘルシンキは乗り換えで空港に寄った事があるだけで実際市街は見た事がありませんが、北欧は町並みが素敵そうでシーフドが美味しいイメージがあります♪

    今回のご旅行はイタリアだったんですね?私も丁度ミラノ(2月)に行った所でした。ヨーロッパでのレンタカーされたんですね?イタリアは特に運転が荒そうだし、駐車場ではぶつけられそうだし・・・っていうネガティブな発想が出て来てしまいます・・汗 いかがでしたか?

    それにしても楽しそうな日程ですね?チンクェテレは一度見てみたい岸壁の町並みですねー。ジェノバまでは行ったけど時間がなくってチェンクまでは行けなかった悔しさがあります。モンブランを見ながらの温泉も気持ち良さそう♪旅行記楽しみにまってます!

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