2011/06/24 - 2011/06/28
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fernandoさん
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家康の天下統一により、戦のない世の到来をもたらしました。
もう思い残すことはないと悟ったのでしょうか?
1602年、75歳の生涯を閉じました。
24日が京都。
28日が江戸です。
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1602年。
伏見城で家康らに看取られながら、75歳の生涯を閉じました。
写真のお城は前編でも取り上げましたが、伏見城のレプリカです。 -
京都の足はバスが便利です。
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知恩院。
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知恩院は浄土宗の総本山です。
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三門。
木造の門としては世界一だそうな。 -
御影堂(ミエイドウ)。
「於大の方」の葬儀はここ知恩院で営まれました。 -
戒名は「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」。
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「千姫の墓」があります。
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濡髪大明神。
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知恩院での葬儀が済むと、遺骸は直ちに江戸表に送られます。
写真は智香寺。 -
荼毘に付された場所に、智香寺が建てられたそうです。
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その場所に建てられていた塔。
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現在の住所は、
東京都文京区大塚3丁目 ですが、区画整理のためこちらに移ってきたとのこと。
前の場所は、もう少し傳通院よりであったそうですが、今は跡形もないそうです。 -
傳通院。
今工事中です。 -
正門がそろそろ竣工しそうである。
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「於大の方」は傳通院に葬られました。
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観音堂(休憩所)。
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「於大の墓」の立て札。
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「於大の方」が永眠しています。
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傳通院近くにある高校。
私の奥さんの出身校です。 -
増上寺(東京都港区)。
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最初に、遺骸は江戸に運ばれ、増上寺に納められた。
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増上寺にとっては、於大の菩提を弔い、葬儀を行うことは、きわめて名誉なことである。
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しかし、増上寺の僧正が次のように強く家康に訴えた。「本山の開祖聖聴上人は、吉永山伝法院の開祖了誉聖冏上人の恩徳に深く帰依されていた。了誉上人は著述も五百巻に及び、神道、歌道の哲人であり、和漢孔老の学問にも造詣が深かった。上人は武蔵国豊島郡小石川の清泉のほとりに、小さな草庵を結び、そこで天寿をまっとうされた。今は、このような名徳の旧跡もあとかたもなく消え失せている。この機会に是非、了誉上人の遺跡を再興したいため、その地で葬儀を行いたい」と。
家康は大いに喜び、本多佐渡守等に命じ、新寺の建立にあたらせた。これが伝通院のおこりである。
参考 文京区史跡さんぽ実施報告書より -
徳川家霊廟。
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於大の方の法要は、縁のある各所で営まれました。
遺髪は洞雲院(阿久比町)と大泉寺(岡崎市)に納められました。
写真は洞雲院。 -
洞雲院の遺髪墓。
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大泉寺のお墓。
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位牌は善導寺、乾坤院、洞雲院、楞厳寺、光岳寺などに祀られている。
光岳寺は野田市教育委員会による。
また東京調布に光岳寺があり、2011年12月に訪問しました。
「光岳寺」と「ゲゲゲの女房」でレポートしています。
写真は善導寺内観音堂(愛知県)。 -
光岳寺(野田市)。
参考 「於大の方と水野氏」(東浦町教育委員会)
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