2011/05/24 - 2011/05/25
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akikoさん
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中世の街並みが今もそのままそっくり残るプラハ。「百塔の街」、「建築博物館の都」とも称される大変美しい街です。
初めて訪れ、たった一日でしたが、一瞬一瞬が今も鮮明に思い出されるほど印象的で魅力にあふれた街でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
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「黄金の都」「百塔の街」という異名をもつプラハ。
ヨーロッパで最もよく中世の姿を残す街として1992年世界遺産に登録されました。 -
中央の塔が「火薬塔」。
かつてはここが町の入口だったそうで、今は門だけが残っています。
15世紀に城門として建てられましたが、1700年代、ロシアとの戦いで火薬庫として使われたのでこの名がついたのだそうです。 -
ここからプラハ城まで続くおよそ2,5kmの道が、歴代の王が戴冠式のパレードを行ったことから「王の道」と呼ばれています。
火薬塔から「王の道」をたどって歩いてみましょう! -
火薬塔のすぐそばに「市民会館」が建っています。15世紀までこの地にボヘミヤ王の宮殿があったそうです。
歴代の王は王位につくと、宮殿からプラハ城まで行進し、聖ヴィート大聖堂で戴冠式をしたんだとか。
市民会館は市民の文化施設ですが、市民会館のイメージとは程遠く、美術館のように美しい建物で、中にスメタナホールがありました。 -
上部のアーチ部分に「プラハに栄えあれ!時の流れをものともせずすべての紆余曲折に耐えてきたように」と刻まれているとのことです。
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少し歩いて行くと、「旧市街広場」に出ます。
中央にはヤン・フス(宗教改革者)の像が立っていて、台座には「真実を愛し、真実を語り、真実を守れ」と書かれているんだそうです。
フスはカレル大学の学長で、腐敗した教会を批判し結果、異端者とみなされ火刑となりました。 -
人だかりができているところは、旧市庁舎の高い時計塔の前でした。
この時計はキリストの12使徒が現れる仕掛け時計で、15世紀に作られたんだとか。 -
時計塔は、3段で構成されていて...
上部は仕掛け人形・天文時計・カレンダー時計となっているとか。 -
仕掛け時計は、ニワトリが羽ばたきするのを合図にして、時計のまわりの人形たちが動き出します。
次に左の骸骨が紐を引っ張って鐘を鳴らし、持っていた砂時計を逆さまにすると、時計台の窓が開いてキリストの12使徒が現れるというもの。 -
仕掛け人形の下が天文時計になっていました。
地球を中心に回る太陽と月、その他天体の動きを示しながら1年かけて1周するんだとか。 -
カレンダー時計は、中心にプラハ市の紋章、その周りに12の月を象徴する獣と農村の四季の作業を描いた暦で1日に1目盛り動くんだそう。
外側の白い部分は365日分の聖人の名前が書かれています。 -
時計塔の横のオレンジ色の建物から旧市庁舎の塔にのぼることができると聞き、70mほどの塔にあがってみました。眼下には広場全体が、また遠くにプラハの街のすばらしい景色を見渡すことができるんだとか...。
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階段をあがると、チケット売り場があり、ここからエレベーターにのり展望台まで上がって行きます。
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エレベータを降りて少しだけ階段を上って行くと...
途中の小窓から「ティーン教会」が見えていて、良い眺めでした。 -
塔の上の展望台にきました!
オレンジ色の屋根が印象的なプラハ市街の景色がずっと広がっていて... -
下を見下ろすと...
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広場にいる人が米粒大に見えていたのでした。
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ブランド店が並ぶおしゃれな通りの「パリ通り」に入る角に「聖ミクラーシュ教会」が見えていました。
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こちらは、たくさんの小塔を飾りにつけたとても個性的な「ティーン教会」。鋭い二本の尖塔は8本の小塔を付属していました。
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これは「ゴルツ・キンスキー宮殿」。
淡いピンクの素敵な建物で、元々キンスキー伯爵の館でしたが、今では 2、3階は国立美術館になっているそうです。 -
塔から降り、旧市街広場に戻ります。
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旧市街広場を離れ、カルロヴァ通り(旧市街広場とカレル橋を結ぶ路地)を通り、プラハの象徴的存在のカレル橋に急ぐことに!
カレル橋は、ガイドブックで見て是非自分の目で見たいと楽しみにしていた橋でした。 -
カルロヴァ通りにある「黄金の井戸」と呼ばれる館。
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カルロヴァ通りの先まで来ると、旧市街橋塔の手前に、カレル1世の銅像があらわれました。
この橋の名前にもなっている人物で、ヴァルタヴァ川に橋を建設し、大学も設立。神聖ローマ皇帝カール4世としても権勢を誇り、首都をプラハにおき、繁栄に貢献した人物です。 -
カレル1世の銅像の先に「カレル橋」の端に建つ旧市街タワーゲートがあります。
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タワーゲートを下から見上げるとこんなふうに見えていました。
中央部分にプラハの歴史上重要人物のカレル1世、聖ヴィート、ヴァーツラフ4世の像が飾られています。 -
さぁ、橋塔アーチをぬけ、ヴァルダヴァ川に架かる橋に出てみましょう!
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幅10m近くある橋には、いろんな人の姿がありました。
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音楽に合わせて人形を操っていたり、手回しオルガンで音楽を奏でている人も!
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デキシーランドジャズを演奏していたり、露天商が彫金のアクセサリー・七宝焼き・水彩画などを売っていたり、橋の上はとてもにぎわっていました。
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そしてなんといっても有名なのが、橋の欄干に立つ30もの聖人像!
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これら聖人像は最初からあったわけではなく、18世紀か19世紀につけ加えられたそうです。
橋の途中に突き出た場所がありますが、建設当初から罪人が処刑され川に投げ入れられる場所だったんだとか。
罪人が最後の祈りを捧げるようにと向かい側にこの十字架を背負うキリスト像が立てられ、その後、次々と立て加えられたのだそうです。 -
これは日本でもお馴染みの聖フランシスコザビエルの像です。
アジアにキリスト教を伝道し貢献した人物で、ザビエルの左下に日本人のサムライとみられる人がいました。 -
確かに刀を腰にさし日本人のように見えますが、頭のちょんまげがちょっと変です。
でも長崎とプラハのつながりが、こんなところに見られるのはとても興味深いことですね。 -
これは中ほどにある「聖ヤン・ネポムツキーの像」。
南ボヘミアに生まれ、ヴァーツラフ4世の時宮廷の司祭になったとか。
ヴァーツラフ4世は王妃ソフィアが告解(犯した罪に赦しを与える方法)したと聞いて、その内容を明かすように圧力をかけたが、ネポムツキーはそれを拒み拷問にかけられても告解の秘密を決して漏らさなかったのだそうです。
それで激怒した王の命で1393年羊の皮袋に入れられ、カレル橋からヴァルタヴァ川に投げ込まれて殺害されてしまったのだとか。
この時、ネポムツキーの魂が天に昇ると、5つの星が現れてヴァルタヴァ川に浮かんだとのことです。 -
その時の様子が台座に書かれていました。
「逆さに吊るされたネポムツキーを触るといいことがある」との言い伝えがあるらしく皆が触るので銅版の一部が金ピカになっていたのでした。 -
これがネポムツキーが川に投げ込まれた場所を示す十字架です。
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これもネポムツキーが横たわっている部分が変色していていました。
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「聖バブティストのヨハネ像」
プラハ城の方を指さしているのでしょうか...。 -
橋からは下流はマーネス橋方面で、上流はレギイー橋方面。遠くにプラハ城が見えていました。
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こちらはレギイー橋方面
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旧市街塔のたもと近く、ヴァルダヴァ川に面した「スメタナ博物館」。19世紀に建てられたネオ・ルネサンス様式の建物だとか。
この前を流れるヴァルダヴァ川は、ドイツ語では「モルダウ」川で、スメタナの代表作「わが祖国」の中の楽曲にもなっています。「モルダウ」は物悲しい曲調で、「今は雨の降るような苦しい状況にあっても、いつかは必ず晴れて明るい未来がやってくる」というメッセージをに込められているそうで、大好きな曲です。 -
プラハ城方面を見たところ
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写真をとっていたら、突然ファインダーの前に現れ、写真に入り込んだきたおちゃめな2人。
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反対側の「小地区タワーゲート」が見えてきました。
塔の上にあがってみることにします! -
上り口に目立つ格好の人が立っていて、写真を撮ろうとすると、ポーズをとってくれました。
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こんな階段を上がっていきます。
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もう少し上がっていくと...
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踊り場のようなところがあり、外を見ると、このような景色が見えていました。
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カレル橋の方を振り返ると、多くの人が橋を渡っているのが見えました。
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聖ミクラーシュ方面
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ズームアップすると、
聖ミクラーシュ教会や聖ヴィート大聖堂の尖塔がこのように見えました。 -
モステッカ通りを通る人が小さく見えます。
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カレル橋をあとにし、プラハ城の正門前の「フラチャニ広場」にやってきました。
プラハ城の中に大統領府があるため、外国からの要人がよく訪れる場所でもあるのだとか。
この広場は2009年アメリカのオバマ大統領が核廃絶の演説「プラハ演説」をし、広場を埋め尽くす群衆から大喝采をあびたところとして有名です。 -
プラハ城の正門の向かって右は、市街が見渡せる展望台となっていました。
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城の正門には衛兵が常駐していて、1時間ごとに交代します。
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毎正時、きびきびした動きで交代儀式を行うところを見ることができます。正午には大がかりの交代式があるとのだとか。
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正門を入るとすぐに、第1と第2の中庭を結ぶ門である「マティアス(マーチャース)門」があります。
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マティアス門をぬけると噴水があり「コール噴水」という名前だそうです。
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第1の中庭を通って第3の中庭に入ると、聳え立つように「聖ヴィート大聖堂」があらわれました!
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聖ヴィート大聖堂は市内最大のゴシック様式の聖堂で、ロマネスク様式の教会に手を加え、ヴァーツラフ殉教1000年にあたる1929年に完成。全長(奥行き)124m、幅60mもあるとても大きな教会なんだそうです。
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入口の細かな装飾が施された西門扉付近
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中に入ると、
まず、色鮮やかなステンドグラスに目を奪われました。 -
中でも左から3番目の「聖キリルと聖メトディウス」。チェコが誇るミュシャの作品がここに見られるのでした。
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少し拡大してみます。
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右下の幼子、『聖ヴァーツラフ』は画家ミュシャが自分の子どもをモデルに描き、登場させているのだそうです。この部分が特に見たかったので、しっかり目に収めることができ大満足(*^^*)
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これは「聖ヤン・ネポムツキーの墓」
カレル橋で見たあのネポムツキーのお墓です。 -
ヴァルタヴァ川に投げ込まれたとき、水面に不思議な五つの星があらわれ、彼の体を取り巻くように煌めき始めたという伝説の通り、頭上に五つの星が飾られています。
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1719年にこの大聖堂にあった彼の墓を開けてみると、遺体は白骨化していたが「舌」だけはそのまま形をとどめていたといいます。
天使が持つ無数の光を放っているピンクのものはその舌を模しているのだそうです。 -
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西のファサードの巨大なバラ窓
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南側の黄金の扉がかつては大聖堂の入口だったそうです。そこには「最後の審判」のモザイク壁画が残っているとか。
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大聖堂を北側から見たところ。
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大聖堂の後姿
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大聖堂を出て、旧王宮に入ってみます。
外観は宮殿には見えませんが、12世紀に建造後、ハプスブルク家の支配に入るまでボヘミア王が住居として使用したんだそうです。 -
宮殿のテラスは見晴らしがよく、眼下に市街の美しい景色を見渡すことができました。
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ここは「ヴラティスラフ・ホール」
15世紀に建造され、当時の中欧で柱のないホールとして最大規模だったとか。奥行き62m幅16mもあり、馬を走らせたり、商人が商取引の場としても使われたそうです。 -
王宮を出たところに「聖イジー広場」がありました。
その広場に面して「聖イジー教会」が!
聖イジー教会は10世紀に建てられたプラハ最古の建物で、17世紀にバロック様式のファサードが付け加えられたのだそうです。 -
イジー教会の内部
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東門広場から下に降りる階段へと足を進めます。
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この階段を下りていくと・・・
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ブドウが植えられているテラス式の美しい庭園がありました。
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このテラスからも、オレンジ色の屋根が続くきれいな景色を楽しむことができました。
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次にプラハ城周辺で訪れたかった「ストラホフ修道院」に向かいます。
途中、「ロレッタ聖母教会」前を通りがかりました。 -
これが修道院の門でした。
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是非見ておきたかったのは、修道院建物の中の図書館!
ストラホフ修道院は、最古のチェコの男性修道院で、プレモンストレーという男性派が1142年に創立しました。
中世時代からプレモンストラー派は知識や勉強を大事にしました。そういうわけでストラホフ修道院の大きい図書館が残ったんだそうです。 -
これが図書館の「哲学の間」
メルク修道院の図書室も素晴らしかったですが、ここもそれを上回る美しさでした。 -
手書きの本など貴重な蔵書を保管する図書室が、このように競うように美しく立派に仕上げられているのには本当に驚かされます。
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天井のフレスコ画はウィーンの画家フランツ・アントン・マウルベルチによる「人類の精神史」という絵だという。西洋の科学やキリスト教の歴史を表しているそうです。
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ここは「神学の間」(1671-1679完成)
前期バロック型だそうで、哲学の間とは違い、天井が白い漆喰で豪華な装飾を枠として、フレスコ画が描かれていました。 -
フレスコ画は修道士であったシアルド・ノセツキーによって描かれたそうです。「主を恐れることは、知恵のもとである」と書かれているそうです。
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中央に17世紀の地球儀・天球儀が置いてありました。
右端にいるのは、聖ヤン・エヴァンゲリストという人の彫像だとか。 -
「神学の間」を出て資料などが展示されているところに1枚、心惹かれる絵がありました。
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小さくて特に美しいわけではないけれど...
私のお気に入りの絵です♪ -
日が暮れないうちにあと1カ所行きたいところがありました。
聖ヴィート大聖堂でみたミュシャ(ムハ)のステンドグラスに惹かれ、ぜひ「ミュシャ(ムハ)美術館」に行ってみたいと思い、地下鉄に乗り込んだのでした。 -
最寄り駅 Mustek から5分ほど、パンスカ通りにミュシャ美術館はありました。
こじんまりしていて本格的な美術館ではありませんでしたが、多くの原画やデッサン画などが展示されていて、とても興味深かったです。残念ながら、中は写真禁止なので... -
購入した画集から気に入った1枚を!
「桜草」という作品でした。草花を多用したとても繊細な絵で、とても物憂げで美しい女性が描かれていたのでした。 -
美術館を出て、またプラハ城の見えるところまで戻ると、ちょうど日が暮れてくるところでした。昼の顔とは違いロマンチックなムードが...。
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ヴァルダヴァ川の夕景.:*☆*:.
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空がモーヴピンク色になり...プラハ城がより美しく見えていました。
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そして遊覧船が通り過ぎて行きました。
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たった1日足らずで駆け足でまわったプラハの街。
いろんな魅力があり、まだ見切れないところがたくさんありました。これは、ぜひもう一度戻ってきて、ゆっくり時間をかけて街歩きをしてみたいと、心から思った街でした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ねもさん 2023/07/10 12:49:12
- プラハ
- akikoさん コメントしたい旅行記が多すぎて💦
とりあえずプラハから。akikoさんの6年後に、ようやく。
私はプラハの春とソ連の軍事介入を知っている世代、その街にいるのかと思うと非常に感慨深かったです。4泊もしちゃいました。
クトナーホラに行った1日を除いて、市街を歩き回っただけですが、晴天にも恵まれ、楽しい旅路(^^;)
チェスキークルムロフも良かったです。有名観光地なのに、のんびりできて。何よりウィーンに比べて、物価が半額くらい?(笑)
再訪したい国です(^^*)
- akikoさん からの返信 2023/07/10 22:00:01
- RE: プラハ
- ねもさん、こんばんは〜
ようこそ、プラハの旅行記へ(*^^*)
今、当時の旅行記を少し読み返すと、コメントの文体に統一感がなくて苦笑い^ ^
今から12年前、子育てに目処がつき、ようやく行きたかったヨーロッパ旅行に旅できるようになった頃のことでした。それからヨーロッパに心を奪われて、いろんな国に行くようになったのでした。
ねもさんはプラハの春を知っておられるとのこと。もしかして私の方がほんの少し若いのかもしれません(笑)その記憶があれば、また街の感じ方が違ってくるのでしょうね。私はその頃、特にプラハに思い入れはなかったのですが、事前に調べてより興味を持ち、訪れて想像以上に素敵な街だとわかり、もっと滞在したいと思ったのを覚えています。
クトナーホラという街は知りませんでしたが、プラハから1時間ほどで行けて、かつて「ボヘミア王国の宝石」と称される美しい町なんだとか。骸骨だらけの納骨礼拝堂が見どころの一つなんだそうですね。チェコってプラハが有名ですが、それ以外にも可愛らしい街が数多くあるんですね。
> チェスキークルムロフも良かったです。有名観光地なのに、のんびりできて。何よりウィーンに比べて、物価が半額くらい?(笑)
私もチェスキークロムロフは大好きな街です!半日くらいしか滞在できなかったのですが、とても印象に残っています。またチェコを再訪したいと思いながら、ヨーロッパには素敵な街が多すぎて、どうしても未到の地に目が向いてしまいがちです。いつかまた行けるといいですね!
akiko
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- cheriko330さん 2016/04/05 17:12:37
- プラハの街
- akikoさん、こんにちは♪♪
桜も散って来ました。どうも桜と聞くと、血が騒ぎ 前世はヨーロッパ人と思ってたけど、やはり日本人ですね。
今年は、お花見もあまり行けなかったけど 近くだけ楽しめました。ひらひらと散る様も、また風情がありますね。
ところで、本題のプラハは 本当にきれいな街ですね。私も15年以上も前に行きましたが、再訪したい所です。カレル橋からのプラハ城は絶景ですね。
ストラホフ修道院に行ったのですが、図書館は閉まってて残念でした。メルクの修道院にもあるのですね。メルクも行ってません。
私が行った、中欧のツアーは10日間(ザルツブルグ、ウィーン、プラハ、ブタペスト、2連泊ずつ)で、必ず、翌日は半日か一日フリーがあり ランチも集合のレストランへ行けば食べれて値段も 確か、秋で16万円位だったと思います。当時はサーチャージもないし。東京発の阪急のツアーでした。あれからないのですよ、こんなツアー! ただ チェスキークルムロフは、入ってなかったのです。すぐ近くだから行って欲しいわよね〜って友人と言いながら… チェスキークルムロフも、絶対に行きたいです。
イギリスの計画で 忙しいと思います。準備段階が、楽しいですよね。いざ始まると、あっという間に 終わる感じです。
では、また 遊びに来ますね。
cheriko330
- akikoさん からの返信 2016/04/05 23:07:14
- RE: プラハの街
- cheriko330さん、こんばんは〜
> 桜も散って来ました。どうも桜と聞くと、血が騒ぎ 前世はヨーロッパ人と思ってたけど、やはり日本人ですね。
もう散り始めましたか?寂しいですね〜〜 儚いのがまた美しいと言いますが、せめて2週間くらいはもってほしいですね! ところで、cherikoさんも前世はヨーロッパ人と思っていましたか??それでヨーロッパにぞっこんなのですね。私と同じ〜〜(笑)
> 今年は、お花見もあまり行けなかったけど 近くだけ楽しめました。ひらひらと散る様も、また風情がありますね。
確かに、ひらひら散る花吹雪も美しいですね〜
> ところで、本題のプラハは 本当にきれいな街ですね。私も15年以上も前に行きましたが、再訪したい所です。カレル橋からのプラハ城は絶景ですね。
15年前ですか?その頃から中欧は人気だったのでしょうか。私は学生時代と独身時代にヨーロッパに行きましたが、スイス・フランス・イタリア・イギリスがお目当てで、中欧の良さを知らずにいました。数年前にプラハやブダペストを含めた中欧の良さを知り、今では私も再訪したいところになっています。cherikoさんは先を行っていたのですね。
> ストラホフ修道院に行ったのですが、図書館は閉まってて残念でした。メルクの修道院にもあるのですね。メルクも行ってません。
ストラホフ修道院の図書館は本当に素晴らしかったです。閉まっていてかなり残念でしたね!!メルク修道院は、いつかぜひ訪ねてみて下さい。オススメです!ここが本当に修道院??と思うほど豪華でした。
> 私が行った、中欧のツアーは10日間(ザルツブルグ、ウィーン、プラハ、ブタペスト、2連泊ずつ)で、必ず、翌日は半日か一日フリーがあり ランチも集合のレストランへ行けば食べれて値段も 確か、秋で16万円位だったと思います。当時はサーチャージもないし。東京発の阪急のツアーでした。あれからないのですよ、こんなツアー! ただ チェスキークルムロフは、入ってなかったのです。すぐ近くだから行って欲しいわよね〜って友人と言いながら… チェスキークルムロフも、絶対に行きたいです。
16万で充実していますね。今もサーチャージはゼロですが、10日でその金額のツアーはないですね〜 チェスキークルムロフは素敵でした♪ チェコには他にも素敵な街があるみたいで、機会があれば私もチェコを再訪したいです。
> イギリスの計画で 忙しいと思います。準備段階が、楽しいですよね。いざ始まると、あっという間に 終わる感じです。
海外旅行は、準備段階で色々調べて、行ってみた気分になり、実際行って楽しんで、帰ってきてから思い出しながら写真の整理をする楽しみがありますね! おっしゃる通り、旅行はいざ始まるとあっという間に終わしまうのが寂しいですよね〜〜
いつも温かいメッセージをありがとうございます〜〜(^^)♪
akiko
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- パンジーさん 2011/06/08 00:49:45
- ストラホフ修道院の図書館
- 素晴らしいですね。
メルクの修道院も素晴らしかったですが
プラハにもこんな図書館をもつ修道院があったのですね。
プラハの街は哀愁があって何ともいえないよい雰囲気ですね。
お写真がどれも美しいです。
パンジー
- akikoさん からの返信 2011/06/08 21:01:15
- RE: ストラホフ修道院の図書館
- そうなんです。メルクの図書室も驚くほど立派で
素晴らしいものでした。当時、それほど手で書かれた
資料としての本が重要視され、保管場所もそれなりに
立派にしていたのでしょうね。
さきにメルクを訪れ、プラハでも同様の図書室(館)
があることを知りストラホフ修道院を訪れました。
ここはメルクより「神学の間」は天井が低く、息を
のむほどきれいでしたよ。
それから、プラハは夕方〜夜はとてもロマンチックで
哀愁がありました。ヴルダヴァ川沿いに歩いたんですが
だんだん夕闇に包まれるプラハ城方面は、今まで見た中
で5本の指にはいるほど素敵でした・・・
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