2011/05/09 - 2011/05/09
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りょしゅうさん
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古代出雲海人族(こだいいずもあまぞく)の末裔かも知れない友人(漁協関係者)に聞くと、日本海を北東に流れる対馬海流は、能登半島方面へ向かう本流と、出雲のウップルイ(十六島)湾に流れ込む支流があるという。
この海流に乗り、十六島湾の河下浦に辿り着いた古代海人族。その末裔がひっそりと暮らす島根県出雲市の鰐淵地区。
出雲市立鰐淵小学校は出雲市河下町にあり、河下町と別所町、唐川町の三町を校区としている。
今回はその鰐淵地区に建つ「鰐淵寺」と、河下浦の隣「猪目浦」にあって、地元の者が「出雲国風土記」に言うところの「黄泉の穴」では?とする「猪目洞窟」を訪れた。
アクセス:山陰道宍道ICより県道184号線経由、車で約30分
(自家用車、レンタカーでないと無理)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
古代“出雲海人族”の足跡?⇔神々の国のかくれ里「唐川」とパワースポット「韓竈神社」から続く
http://4travel.jp/traveler/ryosyuu/album/10567156/
出雲市立鰐淵小学校:出雲市河下町。
河下町、別所町、唐川町の3町が校区だが、児童数はたったの27名。
※「鰐淵」は(わにぶち)と読む。 -
「仁王門」:島根県出雲市別所町
天台宗の古刹「鰐淵寺」はここからしばらく歩きます。
※「鰐淵寺」は(がくえんじ)と読む -
弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたという。 その後比叡山へと移り、源義経に出会ったとも・・・(?)
「ほんとうだろうか?」(笑) -
この看板を読めば鰐淵寺の全てが分かります。
創建年 伝・推古天皇2年(594年) -
川沿いに「本坊」をながめる。
仁王門から本坊までの参道には新緑の立ち木が続く。 -
開祖「智春上人」が出雲の旅伏山(たぶしさん)に着き、推古天皇の眼の病を治すために当地の浮浪の滝に祈ったところ、平癒されたので、その報賽(ほうさい)として建立された勅願寺だとか。
同じ出雲市には目のお薬師として「一畑薬師」が有名だが、鰐淵寺は、かっては出雲大社の別当寺として権勢を振るった歴史もあり、格式が違います。 -
本坊入り口(西)にある「お成り門」(皇族専用)
皇太子殿下が幼い頃通られて以来“開かずの門”。 -
境内案内板。 -
かつて、あの武蔵坊弁慶が釣鐘をかついであがったとされる石段。
新緑が目に眩い! -
11月中旬は山陰屈指の紅葉が見頃。
5月のいまは、本堂への階段は緑のトンネル。 -
誰もいない!
全山、むせるような新緑に、樹齢数百年の老杉がそびえ立つ浮浪山・・この雰囲気・佇まい・・・。
贅沢にも独り占めにしています。 -
「根本堂」
智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時、誤って滝壺に落としてしまった仏器を、鰐(わに)がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたことから“浮浪山鰐淵寺”と称するようになったという。 -
この鰐(わに)こそ、神話の因幡の白兎で有名な「ワニ」と同族で、その名の如く海に関係した部族・・・古代海人族そのものではないだろうか?(自説)
つまり「鰐淵寺」は「ワニ」族の末裔によって支えられているのだ。 -
出雲大社とはとっくに縁が切れているのに、根本堂の隣には神社も・・・。 -
この大杉の直径は1尋(=6尺)はありそうです。
出雲大社の境内で発掘された「古代柱」より、ふた周りは太い。 -
かの武蔵坊弁慶は、大山寺(鳥取県大山町)の釣鐘を、101kmも離れているこの鰐淵寺まで、一夜にして運んだとされている。
秋には「弁慶まつり」が執り行われ、地元住民による弁慶など僧兵達の勇壮な行列を見ながら、往時を偲ぶことができる。 -
これがその釣鐘。国の重要文化財。
さほど大きくありません。 -
趣のある建物はあちこちに・・・ -
しかし・・・
「国中第一の伽藍」と言われていた栄華は何処に・・・。
ただ苔生す石垣は、栄華の夢を知っている。 -
ここは中国自然歩道になっている。
かって、出雲大社から山越えして、この鰐淵寺まで来たことを思い出す。
当時は、僕が修験者のようだったが・・・(笑) -
鰐(わに)がでたという浮浪の滝へ。 -
浮浪の滝は修験者の守護神“蔵王権現”の聖地とされ、石段下から谷川沿いの小道を西へ8分ほど行ったところにある。
-
独特な静けさを漂わせ、ここが修験道の霊地であったことを偲ばせていた。 -
滝の少し手前には東屋が・・・。 -
目的の浮浪滝は・・・、あいにく水は流れていなかった。
しかし、こんな山深い滝に鰐(わに)が・・・?! -
滝の裏は岩窟になっており、滝壺の奥には「蔵王堂」がはめ込まれるように建っている。 -
「蔵王堂」
水が落ちていないのは残念だが、弁慶もこの滝に打たれて修行したと伝えられ、神秘的な雰囲気に包まれていた。 -
「鰐淵寺」「浮浪滝」
晩秋に訪れればこのような感じです。
(写真はWEB情報誌より) -
いまは、五月。
「鰐淵寺」は、誰一人出会うこともなく、ひっそりと、不気味なくらい静まりかえっていた。 -
河下浦から眺める十六島。
その先端、十六島鼻(うっぷるいばな)を目印に、古代海人族である「ワニ族」はこの地を目指し、そして住みついた。
出雲神話は、ワニに関する伝説や伝承にこと欠かない。
「鰐淵」という地名には、もしかすると「古代海人族」のメッセージが込められているのかもしれない。 -
島根半島42浦の1つ「猪目浦」
中世においては、杵築大社領12郷7浦の一つとされていた。 -
現在、町は40世帯そこそこ、人口は130人に満たない。
その中に立派なお屋敷があった。
このひなびた地でも、かっては「○○屋」という屋号で、廻船業を営み活躍していた家も数軒あったという。 -
「黄泉の穴」といわれるのがこの洞窟。
洞窟は幅30m、奥行きは30m。奥へ行くと天井が低くなっている。
「ここが本当に黄泉の穴?」
史跡は恰好の船着場になっていた。(笑) -
反対の海岸側は、その舟の出入り口。
猪目(いのめ)の集落から100mも離れていません。 -
「出雲国風土記」の記述では・・
「磯より西の方に窟戸あり。高さ広さ各6尺許なり。窟の内に穴あり。人入ることを得ず。深き浅きを知らず。夢にこの磯の窟の辺りに至る者は必ず死ぬ。故、俗人、古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり・・」
要するに、この洞窟を夢に見ると、その人は数日の内に死んでしまうということらしい。 -
「イザナギ」「イザナミ」伝承の、東出雲町の「黄泉比良坂(よもつひらさか)」も同じような話である。果たしてどちらが本当だろうか?
※最近地元の大社町の歴史家から、鷺浦にある洞窟「大国主命の室屋」が風土記の記述順から見て黄泉の穴と言う新説が出て注目されいる。 -
洞穴上部の地層を見ると、何だか鉱脈を思わせるような色彩である。
明治の終わりまで、このあたりに銅鉱山があった。また当地と同じ「ワニ伝説」がある斐伊川上流「鬼の舌震」付近は鉄の産地。
ということは・・・古代海人族でも「ワニ」族は、当時のハイテク集団だったかも知れない。 -
この「猪目洞窟」では、昭和23年に貝輪を腕にはめた人骨や、舟材を使った木棺墓に葬られた、縄文から古墳時代の人骨が13体発見されている。
「黄泉の穴」
ここは古代海人族の埋葬の場だったのだ。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 前日光さん 2011/09/26 00:10:23
- 浮浪の滝には行けませんでした!
- こんばんは。
この旅行記、以前からコメントしようと思っていたのですが、なかなか忙しくて。。。
この浮浪の滝、標識は確かに見ていて、気にはなっていたのですが、ここに寄っていると韓竈神社に行く時間がなくなると思い、諦めました。
蔵王堂もとても気になる建造物です。
三佛寺を思わせるような佇まいですよね。
鰐淵寺には再訪の予感がありますので、その時にはこの滝と蔵王堂、ぜひ行ってみようと思っています。
猪目洞窟は、りょしゅうさんも行かれたのですね。
猪目町のかつての立派な屋敷は、私もとても気になりましたが、廻船業を営んでいたのですね。
私は出雲大社と神楽殿の間の細い山道を通り、猪目漁港に向かったのですが、あの辺りの雰囲気は独特のものがありますね。
そして猪目洞窟、私には不気味な場所でした。
お隣の鷺浦町にも興味があったのですが。
宍道湖の北側の海辺って、日本書紀(あるいはもっと以前の?)などの舞台になっているような所がありますよね。
いずれ時間を掛けて、巡ってみたいところです。
機会がありましたらまたご紹介くださいませ。
江津以後の旅行記がなかなかアップできません。
そのうちまた。。。
前日光
- りょしゅうさん からの返信 2011/09/26 11:06:52
- RE: 浮浪の滝には行けませんでした!
鰐淵寺は僕が行った新緑の季節もいいですが、なんといっても晩秋の紅葉の頃が最高です。
それに浮浪の滝はやはり水が落ちていなければ絵になりません、僕が行ったときは残念ながら滝とは言えないものでしたが・・・。
島根県の廻船業者は全国的には規模の小さい業者がほとんどで、持ち船も300石積み程度の船が多かったといいます。
猪目の隣鵜峠(うど)には星野家といって明治時代は貴族院議員などを歴任して島根半島42浦きっての廻船業者といわれた家もあったようです(今は蔵が半分しか残っていません)。
鷺浦は僕の大好きなところです。高校時代はここで毎年キャンプをしました。その頃から半世紀近く経ちますが、人口が減っただけで街並みは全く当時と変わりません。江戸時代から続く裕福な家が多く、それが今でも守られています。
縄文時代の「隠岐の黒曜石」が遠くロシアのウラジオで発掘されているそうです。黒曜石は当時の最先端の道具であり、武器であったはずです。 そしてそれを環日本海の各地に流通させた“海人族”がいたはずです。その海人族の拠点や活躍した舞台が、この出雲だと僕は思っています。
韓竈神社期待して待っています。
りょしゅう
追伸。
前日光山に紹介したいものがありますが、メールボックスの方に入れさせて頂きます。
-
- こんぱすさん 2011/05/29 15:01:02
- 出雲人にしか書けないブログのよう・・・・
- むろんこういう面は、当方は全く詳しくありませんが、多くの人が
出雲に興味を持ってくれるといいですね。
神話のことなどは分からない点が多いです。
どの程度の人が読みこなせるかも興味点です。
- りょしゅうさん からの返信 2011/05/29 16:58:30
- RE: 出雲人にしか書けないブログのよう・・・・
- 書き込み・投票ありがとうございます。
僕の場合、国内と外国旅行の読者が違うくらいですから、お察しの通り、このブログのように“旅行”のブログとして的外れのものは、やはりアクセス等も少ないですね。 内容が重過ぎると自覚しています。
もう1本、続編(日御碕付近)をアップしたら、この手の独断と偏見的ブログはひとまず中断です。
来年は「古事記編纂1300年」ということで観光“出雲”は、行政の指導の下、神話の勉強会を始めています。
今回のブログアップ後で手遅れかもしれませんが、これに参加して、勉強のし直しをしようかなと考えているところです。
りょしゅう
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