2010/12/24 - 2011/01/08
724位(同エリア833件中)
ちゃおさん
このフエ駅の赤レンガの造りは、どことなく今改装中の旧東京駅ビルに感じが似ている。そう言えば、太平洋戦争中の一時期、日本軍政府がこのベトナムを軍政下に置いたこともあった。しかしそれは僅か3−4年の短い期間であり、そんな短時間にこんな立派な駅舎など作りようもないだろう。矢張りフランス植民地政府が造ったに違いない。その証拠は後でホームへ出た際に発見できた。
それは兎も角、発車の15分〜20分前頃待合室の部屋開けられ、しばらくすると、ホームへのゲートも開けられる。外人客がちらほら。体格が良いので、豪州人だろう。他はもう全員がベトナム人で、合計しても30〜40人、最大みても50人の乗客もいないだろう。1日に3−4本しか出ていない列車、中国人程移動は激しくないのかも知れない。或いは大方はバスを利用しているのか・・。
ホームへ出ると、この駅がフランスにより造営されたことの証拠を見ることができた。ここフエはハノイとサイゴン(現ホーチミン)のほぼ中間位の場所にあり、ホーム上の表示に「ハノイ」まで686キロ、「サイゴン」まで1041キロと出ているが、そのすぐ下に次の駅の「Tourane」まで103キロと出ている。これは「Danang」のフランス読みで、植民地時代「ダナン」は「ツーロン」と呼ばれていた。フランスの軍港、「ツーロン(Toulon)」と同じ呼び方だ。少しスペルは違うが・・。
こうした形でフランスの遺物を見ることができたが、地元のベトナム人はこの表示をどんな思いで眺めているだろうか。先年台湾を旅行した時、台南の小さな駅舎が戦前の日本統治時代に作られた駅舎の内、現在まで残された唯一のものだったが、その白を基調としたシンプルな形の駅舎にある種感動を覚えたが、それは当時、同じような造りの駅舎が日本各地にも造られたが、戦後それら大正時代の駅舎はすべて無味乾燥のコンクリート駅舎に立て替えられたが、この台湾の地において、唯一残されている。そしてつい最近まで駅舎として使用され続け、漸く今は重要建造物として保存されている。そうした台湾の人々に対する感謝の気持ちもあったないまぜのものだったが、もしも今日ここにフランス人観光客がいたとすれば、当時僕が台南駅に抱いたと同じような感動乃至感激を覚えるに違いない。そんな風に眺めていると、漸く列車がやってきた。
ベトナム戦争時、全土が米軍の爆撃機により、廃墟になったかと思っていた最初の訪問都市フエにおいて、阮朝時代の王宮、霊園、ミンマン廟、そしてこの駅舎。ベトナム戦争は第2次大戦の全面戦争と違って、中立国の目もあり、マスコミの目もあり、米軍としても枯葉作戦まではできたとしても、東京大空襲、ライプチッヒ絨毯爆撃、広島、長崎のジェノサイド、等々、無謀な爆撃は出来なかったに違いない。
- 旅行の満足度
- 4.0
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発車時刻の20分位前に待合室が開けられ、人々は部屋で列車を待つこともできる。
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待合室内にはサムスンの薄型テレビも置いてある。
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今日、これから乗車するフエーダナン間の切符。
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待合室からホームへ出てみる。
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ホームには外人客もちらほら見える。
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ホームに掲げられている市内のホテル案内板。案外数が多いのに驚く。
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ちょっとしたキオスクのような売店もある。
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あれれ、日本語の荷物もある。誰かが手荷物で運ぶのか・・。
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良く見るとリンナイとか、クリームケーキ。案外、日本製品も浸透しているのか。
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フエはハノイとサイゴンのほぼ中程。ハノイまでは688キロ。
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サイゴンまでは1041キロ。あれ、ちょっと待てよ、その下の「Tourane」はフランス流の「Danang」のことではないか!
そうか、矢張りこの駅はフランス植民地時代のものだったのだのだ。漸く納得した。 -
さて、そろそろ列車がやってきた。
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