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南から北へ千住大橋を渡る。<br /><br />”奥の細道を訪ねて”の旅に参加しなかったら、千住大橋を徒歩で渡るなどという機会は有り得なかっただろう。<br /><br />主催者提供の資料によると、隅田川に橋の建設を命じたのは徳川家康。<br /><br />完成当初は単に”大橋”と呼ばれていたらしいが、明暦の大火(1657)で多くの死者を出した反省から、隅田川に何本かの橋が架けられ、それらの橋と区別する必要に迫られ、”千住大橋”と呼ばれるようになった。<br /><br />現在目にする鉄製の橋になったのは1927年(昭和2年)、更に交通量の増加で1973年、下流側に「千住新橋」が架けられた。<br /><br />千住大橋の袂の河岸は江戸時代の船着場で、芭蕉もここに上陸。<br /><br />現在ここは大橋公園と呼ばれており、「奥の細道矢立初めの碑」が建ち、河岸のテラスには奥の細道関連の浮世絵なども有り、芭蕉の奥の細道の旅のスート地点としてアピールしている。<br /><br />千住大橋の上を渡っているのは現在の日光街道。<br /><br />大橋公園を出て日光街道を横断した所に芭蕉像が建っており、案内板には日光街道から別れて伸びる町道的な道が旧日光街道で、近くに”やっちゃ場”が有ったと記してある。<br /><br />そう云えば日光街道の対岸に、「足立市場」の看板が見えた。

奥の細道を訪ねて[第2回]②大橋公園 in 東京都足立区

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2011/04/23 - 2011/04/23

334位(同エリア543件中)

WT信

WT信さん

南から北へ千住大橋を渡る。

”奥の細道を訪ねて”の旅に参加しなかったら、千住大橋を徒歩で渡るなどという機会は有り得なかっただろう。

主催者提供の資料によると、隅田川に橋の建設を命じたのは徳川家康。

完成当初は単に”大橋”と呼ばれていたらしいが、明暦の大火(1657)で多くの死者を出した反省から、隅田川に何本かの橋が架けられ、それらの橋と区別する必要に迫られ、”千住大橋”と呼ばれるようになった。

現在目にする鉄製の橋になったのは1927年(昭和2年)、更に交通量の増加で1973年、下流側に「千住新橋」が架けられた。

千住大橋の袂の河岸は江戸時代の船着場で、芭蕉もここに上陸。

現在ここは大橋公園と呼ばれており、「奥の細道矢立初めの碑」が建ち、河岸のテラスには奥の細道関連の浮世絵なども有り、芭蕉の奥の細道の旅のスート地点としてアピールしている。

千住大橋の上を渡っているのは現在の日光街道。

大橋公園を出て日光街道を横断した所に芭蕉像が建っており、案内板には日光街道から別れて伸びる町道的な道が旧日光街道で、近くに”やっちゃ場”が有ったと記してある。

そう云えば日光街道の対岸に、「足立市場」の看板が見えた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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