2011/05/08 - 2011/05/08
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のーとくんさん
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宇治にある萬福寺は、中国から渡来した隠元禅師によって1661年に開かれたお寺です。
毎月の八日には、ほていまつりがおこなわれており、また今年の5月8日をもって開創350年を迎えるため、記念慶讃事業を計画しているとのことです。
萬福寺、着いたのは午後になってしまい、手作り市は境内で行われているのですが、なぜか人はそんなに集まっていません。
開創350年の記念慶讃事業は、東日本大震災のため延期され、ほていまつりの法要も午前中に終わっていたようです。
主要な建物が火災などに全く遭っておらず、中国明朝様式を取り入れた七堂伽藍が回廊で結ばれいる状態が、創建のときのままの残っているこの萬福寺、境内にいると人が少ないせいもあるでしょうが、時間がゆっくり進んでいるようで、このお寺の大きな包容力を感じてしまいます。
【写真は、手作り市も見える萬福寺の境内です。】
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萬福寺の三門から、天王殿が見えています。
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天王殿の中に安置されている、ほていさまです。
このほていさま、弥勒菩薩としてお祀りされています。
弥勒菩薩は、お釈迦様のあと五十六億七千万年後、一切の衆生を救済するために現れるといわれていますが、この萬福寺では5月8日に現れるといわれているので、毎月8日をほていさまの縁日とし‘ほていまつり’をしているのだそうです。 -
天王殿には、四天王も祀られています。
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本堂の大雄寶殿(だいおうほうでん)です。
大王殿の通り抜けたところから撮った物です。
これは、チーク材を使った日本で唯一の、そして最大の建造物です。 -
大王殿から回廊を歩いていると、賣茶堂でお茶が、ということで入ってみました。
賣茶堂の入り口からの外の風景です。 -
ここでお茶がいただけます。
庭には、野草が咲いています。
野草をのこして、雑草ぬきをしているとのことです。 -
そうでした、萬福寺は煎茶道なんです。
日本での煎茶道の開祖は、黄檗宗を開いた隠元禅師で、今も全日本煎茶道連盟の事務局はこの黄檗山萬福寺内に置かれています。
毎月八日にお茶がたしなさまわれるそうで、この日は、水は方円の器に従うの故事からとったのでしょう、方円流でした。
煎茶、一煎目のお茶、甘くにがい、絶妙な美味しさです。 -
回廊にも手作り市が出ています。
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伽藍堂(がらんどう)には、境内の伽藍を護るため、華光菩薩が祀られています。
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右側扁額のかかっている建物は、食事をするところである斎堂です。
手前に、時の合図などに打ち鳴らす雲板(うんぱん)が見えます。 -
開版(かいぱん)です。
食事や法要の時を報せるためのもので、木魚の原型ともいわれています。 -
斎堂を右にまがって売店に行く途中に、かきつばたがありました。
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本堂である大雄寶殿(だいおうほうでん)にきました。
堂の前にある香炉です。 -
大雄寶殿の内部です。
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大雄寶殿には本尊として釈迦如来、その脇侍として阿難尊者と迦葉尊者が安置されています。
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大雄寶殿内の両端には、十八羅漢像が並んでいます。
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法堂(はっとう)です。
伽藍配置ですが、三門、天王殿、大雄寶殿、法堂は一直線上に並んでいます。 -
法堂の中国明朝様式の卍崩しの欄干です。
左側のお堂は大雄寶殿で、順に禅堂そして慈光堂と続きます。 -
慈光堂のまえには、つつじが咲いています。
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右の大雄寶殿と左の法堂の間にある、おちつき感のあるいい感じの空間です。
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修行僧が坐禅をする、禅堂です。
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禅堂の近くから見た、大雄寶殿です。
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祖師堂の中の、達磨大師像です。
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さらに回廊を歩いていきます。
この辺りは、紅葉のときはきれいでしょうね。 -
回廊は、さらに続きます。
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回廊の途中にある、合山鐘です。
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開山堂にも、卍崩しの欄干があります。
右の屋根は、三門です。 -
一字庵菊舎(いちじあん きくしゃ)の詠んだ「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」の歌碑です。
萬福寺があまりにも明朝の雰囲気なので、境内にいると異国に来ていると勘違いしてしまいます。
門をでると茶摘歌が聞こえ、それによって我にかえり、ここは日本だったんだと気がついたんですね。 -
三門の外にある総門です。
ここから一切経の版木のある、萬福寺の塔頭の宝蔵院へ行きます。 -
総門から歩いて、5分もかからないところにある、宝蔵院の山門です。
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鉄眼禅師のつくった一切経の版木が保管されているのは、あの建物のようです。
宝蔵院で住職に、見学したいというと、案内してくれました。 -
鉄眼禅師は江戸時代初期の禅僧で、隠元禅師に参じ、禅を修めた後、隠元が宇治に開いた黄檗山万福寺に入り、黄檗宗の熱心な布教に努め、寛文8年(1668)一切経の版木の作成を志し、喜捨をもとめて全国を行脚し、十余年かかって約6万枚から成る版木を完成させました。
住職はとても親切で、いろいろ説明をしていただけました。 -
なんと、建物の隅では、今もここの版木を使って、手刷りしています。
ほとんどが重要文化財の指定を受けている版木、外に持ち出せないのでしょうね。 -
鉄眼禅師像です。
このあっとう的な版木の数といい、今もこうして刷られているという事、鉄眼禅師の意思のものすごさが伝わってきます。 -
鉄眼禅師像のとなりに祀られている韋駄天像です。
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宝蔵院から、萬福寺に戻る途中で見つけた龍目井です。
寛文元年冬、隠元禅師が掘らせた井戸で萬福寺を龍に譬えて、この井戸を龍目としました。
禅師曰く、「山に宗あり、水に源あり、龍に目あり、古に耀き、今に騰る」と。
(おしまい)
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