2010/10/28 - 2010/10/30
883位(同エリア5393件中)
ぱぶさん
平城(奈良)遷都1300年祭も終わりに近づいた2010年10月末、大学卒業後46年のロートル・グループの有志20名が前日大阪に集いお互いの元気を確認・乾杯!大いに旧交を温め、近況の報告を行い、一夕を楽しむ。次の日に奈良に繰り出す!同級生の中に、奈良に住み、まほろば・ガイド(多分最高級)の資格を持つものがおり、ボランティアーでプランを準備、我々同級生をこの素晴らしい古都・古刹、歴史サイト、遷都祭のスポットにご案内してくださった。遷都祭のマスコット、遷都くん、有名な奈良公園の鹿さん、今回遷都祭のために復元された大極殿、朱雀門、遣唐使船等に迎えられ好天の奈良を散策した。ぱぶさんともう一人の友人は1日延長して、まほろば・ガイドの運転つきで正倉院展、興福寺、法隆寺と奈良を満喫した!まほろば・ガイドの友人に感謝。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 私鉄 自家用車
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同窓会はいつもは博多で開かれるのであるが、初めて東京地区と九州地区の中間の関西で持たれた。いつもは次の日、ゴルフ他のプランであるが、今回は奈良の遷都1300年祭に参加することでまとまった。ホテルの場所は1970年の大阪万博サイトの近くで、岡本太郎の「太陽の塔」が会場の部屋からも見えたが途中のモノレールからは真近に見えた。
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同窓会では、乾杯のあと、各自が立って、それぞれの近況報告がなされた。皆さん孫のことや家族のこと、趣味の活動等多かったが、中でもぱぶさんの関心の高かったのは息子や娘が「やっと結婚した!」との報告である。一次会のお開きの後は、それぞれの昔の仲間グループで部屋での追加飲み会、色々な部屋を巡って仲間の話題に参加、最後は温泉風呂であった。次の朝、ホテルの前で全員集合のスナップを撮り、用事があって奈良遷都祭ツアーに参加できない2名を除き、全員バスで奈良に向かう。
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最初のサイトは薬師寺。昭和42年、当事の高田好胤管主の白鳳伽藍復興発願で写経勧進により金堂、西塔、中門、回廊と復興され、平成15年3月に大講堂がなった。金堂に収められている薬師三尊像(薬師如来、日光、月光菩薩)は写実的で美しい最高な仏像で国宝である。昭和56年に復興された西塔は最も良く知られた華麗な塔である。
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ぱぶさんはこの記念西塔を背景に友人のスナップを撮る。
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東塔は各層に裳階(もこし)をつけているので六重の塔の様に見えるが、これは三重の塔である。これから解体修理に入るためこの先何年かクローズとなる予定である。それで、今は基壇の上に登り、外から内陣の天井絵が特別拝観出来た。友人の中には納経回向料を払い、写経を申し込むものもいた。別の友人もこの素晴らしい塔をバックににっこり笑顔である。
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次に向かったのは唐招提寺。南大門から国宝金堂を見る。中には像高3メートルの慮舎那仏坐像を含む乾漆造りの巨大な三尊がある。この建物はギリシャエンタシス列柱がシルクロードを通じて日本に伝来したものと言われている。この寺は天平宝字三年(759)鑑真和上が創建した。井上靖の「天平の甍」と言う小説には鑑真和上の苦労のストーリーが書かれている。
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鑑真和上は日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意するも当時の航海はきわめて難しく、五度失敗。盲目の身となりながらも753年12月、12年の苦労、6度目にしてやっと日本に上陸出来た。戒壇を築き日本最初の正式授戒を4百余人の僧侶に行った。御影堂には東山魁夷画伯の障壁画がある。《ぱぶさんは完成当時、日本橋三越で行われた展示会でこれを見たことがある。日本の風土をテーマとして、色鮮やかに描かれた「山雲(さんうん)」「濤声(とうせい)」と、墨一色で描かれた和上の故郷中国の壮大な風景「揚州薫風(ようしゅうくんぷう)」「黄山暁雲(こうざんぎょううん)」「桂林月宵(けいりんげっしょう)」等である。画伯は日本の美しい山と海を求め、日本各地のスケッチの旅に出掛け10年の歳月の後、完成しました!障壁画は毎年6月6日開山の日に公開される。》
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お寺の中には緑のコケに覆われた木立の生い茂る庭もあり、心落ち着く風情である。
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お昼の時間となり、我々は「木曽路」奈良店で昼食を取る。
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午後は今回メインの目的地である平城遷都1300年祭の会場に入る。広い場所なので、朱雀門を入ると、踏切があり、中を近鉄奈良線が走っている!途中には発掘中の様子の場所もある。
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復元された大極殿に向かう前に朱雀門を背景に全員集合写真を撮る
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はるか遠くに見える復元された大極殿に向かってのろのろと歩く!
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段々、大極殿に近づく。
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広い会場内には復元された遣唐使船もあり、大極殿の中には天皇が決裁の際座る高御座(たかみくら)が置かれている。この様な大きさの遣唐使船に乗って鑑真も日本にやって来たのだ。阿倍仲麻呂は遣唐使として唐の首都、長安、現在の西安で勉学し、唐の玄宗皇帝の役人としてしばらく働き、やがて帰国の途に着くも遭難!結局帰国を断念して再び唐の官途に就く。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と望郷の念に駆られながら生涯を終えた。西安と奈良は姉妹都市である。ぱぶさんは西安の興慶宮公園で阿部仲麻呂、青龍寺で空海の彼の地での足跡、記念碑等見たのを思い出す。
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翌日は毎年この時期に開かれる正倉院展に出掛ける。とても人気が高いので、毎年この時期はホテルも満杯!ぱぶさんは3週間くらい前からホテルを探していたが、予約が奈良市内では全く取れず、大阪に泊まる。奈良駅に9時に着き、今日の散策の仲間と合流。正倉院展の開かれる奈良国立博物館の周りは長蛇の列である。1時間半くらい待ってやっと中に入れる。
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今回展示の最高なお宝は、19年振り出品の「螺鈿紫檀五絃琵琶」である。聖武天皇遺愛の品で琵琶の表面にはフタコブラクダの上で四弦琵琶を弾く人物が描かれており、裏面には全面に花模様が描かれている。他に仮面舞踏劇用の酔湖王の伎樂面(酒に酔って楽しんでいる顔)やぬいの線鞋(せんがい) =刺繍飾りの室内用履物 (女性用):聖武天皇の后、光明皇后の室内履かも? と言った数々の展示品を音声ガイドも借りて説明を聞く。
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博物館の外に出て、しばし、奈良の名物鹿を楽しむ。
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友人にお願いして近くの興福寺に行く。ここでは国宝館に入り、かの有名な阿修羅像を見る。他にも文殊菩薩像、正了知大将像、薬師三尊像等も見る。
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イチオシ
あと、どうしても見ておきたい法隆寺に向かう。これが、梅原猛の「隠された十字架」で述べられている、門の真ん中に柱がある、中門である。この門は聖徳太子の一族が政略で惨たらしい最期を迎え全滅させられたのに対し、怨霊を恐れた政治権力がこれを封じ込めるためにこの様に建てたのだと言う。左の五重塔(飛鳥時代)は「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」のシンボルでもある。
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法隆寺には時代様式を代表する沢山の建築物がある。金堂、五重塔(飛鳥)、講堂(平安)、聖霊院(鎌倉)、夢殿(奈良)等である。夢殿は昔の“聖徳太子”1万円札・・これが万円札の別名だった・・のすかし模様として入っていた。
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法隆寺には沢山のお宝作品がある。金堂内陣旧壁画(白鳳時代の飛天図:ペアー)や釈迦三尊像、薬師如来像、広目天像、夢違観音像、本尊薬師如来像、聖徳太子像(複数)等である。ぱぶさんが目に付けているのは玉虫厨子とそこに描かれている「捨身飼虎」(しゃしんしこ) これは飢えたトラの親子のために、自らの身を投げ出す皇子の話を描いたものといわれる。今の政治家・官僚・多くの財界人に全く欠乏している、深い思いやり・慈悲のこころあふれる天平の時代なのだ! 今回もじっくり眺めてきた!
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法隆寺境内を歩いていると、子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑にめぐり合った!
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まほろば・ガイドの同級生のお世話になり、まる二日奈良を楽しむことが出来た。「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今さかりなり」(万葉集:小野老=おののおゆ) まほろば・ガイドの同級生に感謝・感謝である。
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この旅行記へのコメント (7)
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- ぬまちゃんさん 2011/05/03 14:04:00
- あをによし奈良の都! ありがとう!
- ぱぶさんへ
ブログのご案内ありがとうございます。
ぱぶさんのブログいつも楽しく拝見しております。
ブログの中にある「天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山にいでし月かも」という歌、若いころ
百人一首で、一生懸命に覚えましたので、
懐かしく思い出されます。
奈良と言えばシカですね。シカさん可愛らしくて、癒されます。
人生を満喫されているぱぶさんに一票です。
- ぱぶさん からの返信 2011/05/03 22:47:56
- RE: あをによし奈良の都! ありがとう!
- ぬまちゃんさん:
何時も、何時もごひいきに一票、カキコ有難うございます。
ちょっと今回の奈良は色々感情移入というか思い入れがあり、
まとまりの悪いものとなっています。
遣唐使、留学僧、鑑真、航海の危険、当時の首都長安(西安)、
阿倍仲麻呂と三笠の山の句、奈良と西安が姉妹都市・・・
この旅行記は同窓会(大阪)と遷都1300年祭参加が正倉院展、
法隆寺・・・と千路に乱れてしまいました。
まあ、いいか、こんな旅行だったのだ! ですね。 (*^_^*)
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- スーさんさん 2011/05/02 12:12:56
- 子規
- 鐘が鳴るなり・・子規だったんですね
15年くらい前カナダに留学していた近所の方が 何かご一緒に勉強しましょうという事になり、彼女は当時30歳前or25歳過ぎ、(未だ知らない歳)
英語だと一方的になるので、日本史を1年間 週一回 古代から奈良・平安・室町辺りで1年間で終了、懐かしく 忘れていること多く、でも興味深く観てきました。何時もながら脱帽!!
ありがとうございました。この旅行記だけでもすごく勉強になります。
また、尋ねてみたくなるこの掲示板でした。
- ぱぶさん からの返信 2011/05/02 23:04:38
- RE: 子規/
- スーさんさん:
何時もぱぶさんサイトご訪問、コメント有難うございます。
スーさんさんは岡本太郎展に行かれたのですね!彼は”芸術は爆発だ!”と
言う勇ましい言葉を残していますよね。他にも沢山の自由発言が残されて
いたのですね!
奈良と言えば「天平の甍」の鑑真のこと、沢山の遣唐使に代表される
留学生、中でも安倍仲麻呂の百人一首に取り上げられている
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
と望郷の念に駆られながら西安で生涯を終えました。ぱぶさんも
若い頃アメリカに留学しました。聖徳太子の一族のことも何か引かれる
ものがあります・・・と言った訳で、余りうまく表現できませんが
色々オーバーラップして感じる思い入れもあり、「あをによし・・・」
は正倉院展のお宝も含め、ちょっと宙ぶらりんです。
子規の句も良いですが、飛鳥・天平時代は天智天皇、天武天皇、聖武天皇、
額田王、持統天皇・・・と陰謀やロマンの渦巻く時代で、感銘を受ける
和歌も沢山ありますよね!
スーさんさんのこの時代の歴史勉強も楽しかったことでしょう。(*^_^*)
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- スーさんさん 2011/05/02 11:50:56
- あをによし
- お久し振りです
出来ましたね楽しみしていました
青丹よしこれを「あを」と書くのですね
昔はよく耳にしましたが最近は聞く事もなくなっていました。
昨1日「東京国立近代美術館」岡本太郎展行って参りました。わたくしは興味ないのですが、油絵を描く友人に誘われ、ばぶさんの奈良ほどであはりませんが、待ち行列 午後3時半というのに若い方が多かった。
色使いの強烈な事、帰りに太郎のことばをどうぞと戴いてきました。
「好かれるヤツほどダメになる」
「人生に命を賭けていないんだ。
だからとかくただの傍観者になってしまう。」
「評価されるなんて一切必要なし!」ですって
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- 385さん 2011/05/01 13:13:16
- 古都奈良の都 ☆
- ばぶさん
今回の奈良ブログは歴史の深い勉強を覚え興味が倍化しました。
奈良・京都は何回か訪問した処ですが、特に奈良は惹かれますね
塔塔は昨年同じ季節に訪れました。ばぶさんの深い紹介にうなずかれ
きずかされました。東塔は近く取り壊され10年後完成との事!
東塔は各層に(裳階)を就けていて3重の塔とは勉強になりました。
興福寺は好きな寺で娘が音大に入学が決まった時にも訪れ又、感慨を
新たにしました。疎水から南禅寺〜哲学の路も再び尋ねたい地です。
眠っていた細胞がおかげで本を開く気持ちになり訪れたい心境です。
感謝に1票です。
385
- ぱぶさん からの返信 2011/05/01 17:58:15
- RE: 古都奈良の都 ☆
- 385さん:
何時もぱぶさんサイトご訪問、また1票有難うございます。
しばらく4tra、上げてなかったもので、ちょっと戸惑いました。
いざ、書くとなると、案外内容について詳しくなく、薄っぺらな
ものとなりました。385さんは色々奈良についても詳しそうですね。
まあ、今回の記録は同窓会、法隆寺、正倉院展でしたから
十分欲張った旅行だったかと思います!
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