2011/03/30 - 2011/04/01
261位(同エリア588件中)
極楽人さん
2011年3月末、アンマンからペトラに向かいました。
ペトラ遺跡はヨルダン屈指の世界遺産です。
紀元前1世紀頃にこの地を治めたナバテア人が交易の拠点とした古代都市です。岩山の間を縫うように続く細い道、岩盤をくりぬいて造営した巨大な宮殿。アジア的とも、ローマ風とも感じられる遺跡群は、その規模からしても"中東随一"だと言えるでしょう。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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シリアで「ガラージュ〜」と言ったバスターミナルのことを、
ヨルダンでは「ムジャンマ〜」と言います。アンマンからペトラへ向かうバスは『南バスターミナル(ムジャンマ・ジャヌーブ)』から出ています。ホテルからターミナルまではタクシーで2JD(220yen)、およそ15分で到着します。
国営バスもありますが、一日一本で早朝6時に発車してしまいました。 -
アンマンで宿泊したファラホテル(FARAH HOTEL)には「途中の死海や古城などをいくつか周って夕方ペトラに到着・解散」といういいツアーがありました。申し込んだのですが、残念ながら希望者不足で不成立。やむなく自力でペトラへ直行することになりました。
同宿の日本人青年が道連れになりました。彼も同じようにツアーを希望していましたが叶わず、一緒に行くことにしたものです。
ミニバスは、満員になると発車する仕組みです。このときは我々が最後だったので、すぐに出発となりました。
8:50 ペトラ最寄の町『ワディ・ムーサ』へ出発。約3時間の道のりで、料金は5JD(550yen)/人です。 -
アンマンから南へ伸びる高速道路は2本あると聞いていました。
『キングズ・ハイウエイ』と『デザート・ハイウエイ』です。
この道がどちらかは聞きそびれましたが、砂漠を走っているので勝手に『デザート・ハイウエイ』だろうと思っていました。こんな道が、どこまでもどこまでも続きます。
砂漠といっても木が生えていないだけで、白砂ではなく"荒地”といった感じです。 -
高速道路を外れてワディ・ムーサへ向かう道に入ると、起伏はまったく無くなりました。対向車は来ず、陽射しも強いので、つい目を閉じたくなります。
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再び起伏のある道に入り、しばらくすると町が見えてきました。
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ペトラへの拠点の町『ワディ・ムーサ』です。
11:50の到着。きっちり3時間かかった事になります。
遺跡まではまだ3Kmほどありますがバスはここが終点。ホテルや生活のための施設はこの町にほぼ集中しています。
同行のI青年はここで今日のホテルを探します。
彼とは後で落ち合うことにして、私はタクシーで遺跡近くのホテルに向かいます。 -
ワディ・ムーサの丘からペトラ方面を写しました。
町は丘の上(カメラの後側なので写っていません)、ペトラ遺跡は丘の下で、写真の上方左側です。
町から遺跡までの一本道は歩いても20分とかかりませんが、2日券を買うつもりの私は通うのに便利な遺跡近くのホテルを選びました。
写真右下に何軒かのホテルが並んでいる、このうちのひとつです。 -
次の日から2日間のつもりだった見学計画を、早く着いたのでその日の午後から始めました。ホテルにチェックインして、I青年を待って遺跡へ。
遺跡の入口付近から振り返った写真です。
通りの左側にホテル、その先の丘の上にワディ・ムーサの町が見えます。
ちょっとした広場があって、土産物屋や両替所が揃っています。 -
ペトラ遺跡を有名にした映画『インディ・ジョーンズ?/最後の聖戦』。お店の屋根に、敬意を表してポスターが貼ってあります。
ゲート前には入場を待つ団体が列を作っています。すごい人気です。 -
それで、この強気の入場料。
昨年10月末まで1日券21JD(2,300yen)だったのを、50JDへと2倍以上の値上げです。2日券は一日券に5JDの上乗せです。ディズニーランドより高い"世界一のテーマパーク"。それでもお客が入るんで、やりたい放題です。
12:30 2日券55JDを購入して入場します。
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切符の代金を支払うとき、財布に残る筈の100JDがないことに気がつきました。朝、両替したばかりです。どこで失くしたのでしょう。
思い当たるのはワディ・ムーサから乗ったタクシー、相場が1JDのところを5JDも要求してきて本気で頭にきました。事前に確認しないといつもこうです。
緑色の1JD札を2枚、投げつけるように渡して車を降りましたが、あれがどうも同じような色の50JD札だったようです。
あんな奴に、2JD(220yen)のところを100JD(11,000yen)。
運転手のビックリ顔に溜飲を下げたつもりが、実に悔しいドジをしてしまいました。
「奴は今頃、祝杯ですね。」とI青年。そう、優に一か月分は稼いだでしょう。こっちこそ、呑みたい心境です。
イッタキッラー!! (神を畏れなさい) -
ゲートを入ってしばらくは、写真のような道が続きます。
ヨルダン各地から修学旅行で来ている女学生が多く、何故か日本人を見ると韓流スターに出会ったような歓声を上げて近づいてきます。I青年は何度も彼女たちとの写真撮影に応じていました。
彼女たちを見る限り、日本の女学生と変わりません。ヨルダン・ハシミテ王国も、今のままではいられないでしょう。 -
6〜7分歩くと両側に岩壁が迫り、道は極端に細くなります。
『スーク』と書かれた表示があって、ここからが本当の遺跡の始まりでしょう。 -
更に歩くこと6〜7分。
岩に挟まれた細道の先に、かすかに"何か"が見えてきます。 -
"何か"は一歩進むごとに大きくなって・・・
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突然開けた視界いっぱいに、宝物殿『エル・ハズネ』*が現れました。
(*Wikipediaでは『エル・カズネ』としています。)
岩盤をくりぬいた堂々の大建築は、高さ43m、幅30m。
ショーン・コネリーとハリソン・フォードが並んで見上げた宮殿を、同じ場所から見ています。 -
他の旅行者と共に、しばし立ち尽くして雄姿を堪能します。
ラクダの背にいっぱいのスパイスを載せたキャラバンが行き交い、交易し、休憩した2000年前の姿がしのばれます。
観光写真用に用意されたラクダはなんとなく生気がありませんが、絵葉書そのままにいつもこの場所で待機しているようです。 -
ローマ神殿に似た特徴は、ヘレニズム文化の影響を受けたためということです。アラビア交易を独占して栄えたナバテア人の手で、紀元前100〜後200くらいに造られたそうです。
小さな広場には、売店お茶屋さん、トイレもありました。
外だと1.5lボトルの水が0.5lで1JD、トイレは0.5JDと完全な観光地価格です。 -
振り返ると、今出てきた道が。
岩の切れ目の、こんなところを進んで辿りつきました。 -
この谷は、光の加減で何通りもの色に変わります。
写真は翌日の午前中ですが、仄かでやわらかいローズ色に染まっています。
(2日目) -
午前中は涼しく、人も少なくて快適です。
エル・ハズネを上から見下ろせる道と言うのを見つけましたが、この時は柵が置いてあって進めませんでした。
(2日目) -
エル・ハズネだけを見て帰ってしまう観光客も多いようですが、
遺跡は広大で、ずっと奥まで続きます。
本格的な発掘調査は20世紀初頭からだそうで、調査はまだ半分も終わっていないとも聞きました。 -
左手に『ローマ劇場』。
(2日目) -
右手の丘には『王家の墓』と呼ばれる遺跡群が並んでいます。
遺跡全体を貫くメインストリートから丘に続く狭い道を辿って、
主に見学2日目に探訪してみました。 -
内部は広間や祭壇の跡が残り、住居と見られるたくさんの小部屋も造られています。
(2日目) -
石材は茶色の縞模様、壁や天井の一部にむき出しで使われています。
(2日目) -
石段を登ると、隣のテラスに民族衣装の男性が佇んでいました。
その岩の上で、ライオンが吼えています。
(2日目) -
遺跡以外にも、何気ない岩肌にたくさんの穴が開いていて、これも住居のあとのようでした。
一つに入ってみたら、売店のお嬢さんが暗闇の隅で用を足していました。
慌てて出てきましたが、なるほど、広大な遺跡内にちょっとトイレが少ないかもしれません。
(2日目) -
メインストリートに戻ります。
見学一日目は横道にそれず、ただ奥へ奥へと進みました。
歩き疲れた人は、ラクダにも乗れます。 -
3月末で28℃の炎天下です。
風は乾いていて、日陰に入るとヒンヤリするのが救いです。
夏場のハイ・シーズンはさぞかし大変なことでしょう。
写真は、くたびれた観光客を探すラクダ使いのお兄さんです。 -
メインストリートが大きく左にカーブして、丘の上の『王家の墓』と直角に向かい合う場所に、列柱が並んでいます。
-
『ローマ神殿』です。
今は礎石しか残っていません。 -
この場所で、古いコインや色のついた小石を売るベドウィンの少女。
何も買いませんでしたが、一緒に"龍角散のど飴"をなめました。
写真とっていいかナ、と聞くと頷いてくれて・・・
売店の人やラクダ使いも少女も、遺跡で働く人の多くは遊牧民の子孫だそうです。遺跡の中で生活しているとも聞きましたが、真偽はわかりません。 -
ローマ劇場の先の丘でモザイクが見つかり、テントを張って展示しています。古い教会の床のようです。
-
入口から道づたいに歩いてきて、ここまで2時間。
大きなレストランではビールが飲めました。
ヨルダンの定番『アムステル』です。オランダのアムステルビールをヨルダンでライセンス製造しているそうです。(ブログ『アーディでいこう』から)
バイキング形式の食事を含めて、22JD(2,500yen)の豪華ランチでした。
このレストランはドル、ユーロなどで支払いが可能です。
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今回の旅行では、いつもの国際キャッシュカードの他にドルとユーロのキャッシュを多めに持ってゆきました。ATMが少ないからです。
クレジットカード支払いもあまり好まれません。ホテルなどでも、「8%上乗せになり、薦められない。」と現金を求められました。高級ホテルなら大丈夫かもしれません。
ヨルダン・ディナールは対ユーロがほぼ1:1、ドルは0.7、円は両替場所が限られますが0.8という相場でした。 -
3時過ぎ、更に先へ進みます。
次の目的地までガイドブックの目安は1時間になっていますが、ここからの登りは結構険しく、足と腰にきます。
昔ながらの石積みの階段があればいい方で、所々は岩をつかんでよじ登ることになります。足場の悪い狭い坂道で、戻ってくる人やロバ君たちとすれ違います。ロバ君たちの排泄物を踏まないように気をつけながら・・・
ときどき、はるか遠い先を行く人の姿が見えて、「ああ、まだあんなにあるんだ。」とガッカリします。だから、足元だけ見て歩くことにします。 -
「ゼイゼイ」と「ハァハァ」の連続でカメラなど構える余裕もない状態ですが、こんなのが出てきたときは別です。
岩陰に20cmほどのトカゲが・・・ -
それからまた、延々と、更に延々と登ります。
足を引きずり、身をよじってようやく辿りついた最奥部、
巨大神殿『エド・ディル』が待っていてくれました。
エル・ハズネより更に大きい構造物。
比較すると、こちらのほうが少し地味で、華がない感じです。 -
それでも、
素朴で飾り気のない姿は、観光客が少ない静寂の中でかえって荘厳にも映りました。 -
エド・ディルの前の丘から、ペトラ全景を望みます。
遠かった、というのが感想です。 -
丘の反対側には「ビューポイント」と書かれた看板が出ていて、ペトラ渓谷の自然が一望できる場所になっています。
ここが遺跡の終点です。
一日目はお昼の12時半に入場して、ゲートまで戻ったときには5時半を過ぎていました。遺跡の閉門は午後6時、ぎりぎりで間に合いました。 -
これは2日目の靴。
3時間歩くと、砂まみれになってしまいます。 -
宿について記します。
前述の通り、安宿のほとんどはワディ・ムーサの町に集中しています。
欧米客に評判がいいという『バレンタイン・イン』(写真)も、ワディ・ムーサの丘の上にあります。
ここではビールも販売。フロント横のサロンには陽気でフレンドリーな空気が満ちていました。情報を仕入れるにはいい宿だと思います。 -
日本のバックパッカーに人気があるという『ペトラゲート・ホテル』は町外れの斜面にあります。
どちらの宿も、ヨルダン南部の砂漠や紅海付近へのツアーを企画しています。
I青年はここに宿泊しました。ペトラを1日で切り上げて、次の日は砂漠へ向かうと決めたようです。購入した2日券、誰かに譲ればお互い幸せになれますが、購入時にパスポートを提示してチケットに名前が記される仕組みなので、残念ながらできません。 -
私の宿はワディ・ムーサではなく、遺跡入口から300mの『サンセット・ホテル』です。日本のビジネスホテルのような造りで、簡素な部屋は広く清潔でした。シングル(部屋はツイン)を日本から予約、22JD/泊の朝食つきです。
遺跡への往復が楽だったり、一階がスーパーで重宝したことなどメリットは大でしたが、旅行者同士の交換ができるという雰囲気ではありません。
お客は、ほとんどが欧米の家族連れでした。 -
サンセット・ホテルのロビー。
右端がフロント、左奥がパソコンルーム、中央最奥部の角に、エル・ハズネの模型が置いてあります。
PCは3台あって自由に使えます。
うち一台は日本語が読めるので、早朝や夜は新聞を見ることができました。 -
ホテルの周辺には何軒かのレストランも並んでいます。
外人観光客向けなのでしょう、ほとんどの店でアルコールが楽しめます。
一日目の夜は、I青年と飲み歩きました。
写真は2晩目に行ったレストランお薦めのベドウィン料理です。不運にも、この店はノン・アルコールビールしかありませんでした。
この界隈、食事代はだいたい20JD(2,200yen 飲物込み)前後のようです。 -
4月1日、2泊3日のペトラを後にしてアンマンに戻ります。
ヨルダンはこの日が夏時間への切り替え日で、時計を1時間進めます。
金曜日(=休日)でもあり、バスの便も少なくなります。
8時のミニバスを逃すと大変なので、あわてて荷造りしてタクシーでワディ・ムーサの外れにある発着所に急ぎました。
でも、バスが出たのはお客が揃った9時過ぎでした。 -
アンマンまで、5JDの料金は往路と同じです。
来るときに反対側だった景色を眺めながら、3時間のバスを楽しみます。
遺跡でしょうか?
古いものが多いので、遺跡と廃墟の区別がつきません。ときには住居とも。 -
砂漠の中の、一本の木に眼が留まりました。
水は大丈夫でしょうか。
汚れたバスの窓にレンズを向けて、健気な姿を残しておきます。 -
バスで一緒になった青年は英国からの旅行者です。
寡黙だと思っていたら、挨拶した後は堰を切ったように話しかけてきます。
今日の宿が決まっていないと言うので、
私が泊まる予定のファラホテルへ一緒に行くことにしました。
12:45 無事ホテルに到着しました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- さん太さん 2011/04/27 14:37:41
- やはりペトラは素晴しいですね
- 極楽人さん こんにちわ
やはりペトラは素晴しい。
パッケージツアーで行くと、多分さわりの『エル・カズネ』だけの見学なのでしょうが、やはり個人で行って2泊の必要がありそうですね。
極楽人さんの写真を見ているとムズムズしてきます。
旅の達人 極楽人さんでさえAからEの連立方程式に戸惑ったり、ボラれたり・・・
なんとなく私にもいけそうな気がして来ました。
しかし、頭にきたときには、投げつけないように気をつけます(笑)
-
- ぺこっちさん 2011/04/27 12:41:04
- ぺトラに行って来ます
- 極楽人さん、はじめまして。
私はこのGWにヨルダンに行きます。(もうすぐ出発です)
自分でバスなどを乗り継いで移動するのが心配だったので、ドライバー付き専用車を手配済みですが、ぺトラは極楽人さんと同じように2日券利用で、丸2日間フリーで見学します。ホテルもワディ・ムーサの街の方ではなく、おそらく極楽人さんが宿泊されたホテルの近くだと思います。(極楽人さんの写真にもちょっと写ってましたので)
ぺトラでの2日間をどういう風にまわろうかなと考えているのですが、極楽人さんのように、まず最初は観光コースに素直に従ってみるのもよさそうですね。で、2日目に気になったところへ足を踏み入れてみたり、気に入った場所でぼーっとしてみたり。遺跡内のレストランが高いという情報は知っていましたが、ほんとに高いですね!街中の食事も結構高くつくようで、そのつもりでいないとですね。
出発直前にとても参考になりました。
ありがとうございました!
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