2011/03/27 - 2011/04/05
14位(同エリア206件中)
極楽人さん
2011年3月末から約3週間、シリア〜ヨルダン〜トルコを周ってきました。バックパッカーには定番ともいえるコースで、それは「遠い」「安い」「異国情緒」に加えて、比較的「安全」(*つい昨年までは)という条件に支えられていました。彼らの多くはヨルダンからエジプトへ抜けるかその逆のコースを辿り、途中ちょっと寄り道してイスラエルやイランを訪ねる人もいるようです。体力のあるうちにと、気候のよい春先を選んで挑戦を決めました。
航空券を予約した昨年末には、“中東の火の手”も“東日本の大震災”も予兆すら感じることはありませんでした。出発直前に「アラブの春」、次いで日本で発生した大震災、津波、原発事故。ふたつの“想定外”には大いに困惑しました。
東日本大震災の後、日本の報道からは中東のニュースが消えてしまいました。情報の穴を埋めてくれたのはインターネットのブログ『中東の窓』です。また、ブログの『アーディーで行こう』は、アラブ世界での旅の仕方や困難な都市間移動に大きなヒントをくれて、謎がひとつずつ解けてゆくようでした。旅は、決めたときに行かないとそれっきりになることが多いものです。二つの情報源を得て、安全に旅行できると確信しました。
旅の経路は以下の通りです。
成田⇒(モスクワ)⇒ダマスカス⇒アンマン⇒ペトラ⇒アンマン(+死海ほか)⇒(ボスラ)⇒ダマスカス(+マアルーラ)⇒ハマ(+クラック・デ・シュバリエ、アパメアほか)⇒アレッポ⇒(アンタクヤ)⇒アダナ⇒ギョレメ⇒イスタンブール⇒(モスクワ)⇒成田
なお、シリアビザは日本でマルチ(6ヶ月有効)を取ってゆきました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回のフライトは、ロシアのアエロフロート航空。
アラブ系各社とも比較の上、圧倒的な安さから決定しました。
往路は、成田〜モスクワ〜ダマスカス。
復路はイスタンブール〜モスクワ〜成田となります。
復路はダマスカスのほかベイルート(レバノン)、カイロ(エジプト)、アンタルヤ(トルコ)など検討しましたが、いづれも現地を深夜発で早朝モスクワ着となります。
そうなると、モスクワ空港で成田便が出る夜まで15時間以上も缶詰になってしまい、これは耐えられません。
イスタンブール発を調べると、12:30発と好都合でした。 -
生まれて初めて乗った飛行機が、同じアエロフロートでした。1970年の初め、横浜大桟橋からロシア船に乗り、厳冬のシベリアを鉄道と飛行機を乗り継いでモスクワに向かいました。出発から2週間かけてウイーンまで抜ける片道切符の旅でした。
「ソ連の飛行機はバスと一緒」と、当時から言われていました。広大な国土の移動は飛行機なしに考えられず、飾り気もサービスもない乗り物でしたが、それなりに感動しました。今回の飛行機も、座席モニターはなし乗員の愛嬌もなし。それでも食事は暖かく、遅れもなく、荷物も無くならず、全く問題ありません。
この日、乗客の半分はロシア人家族でした。地震や原発事故のため、日本での勤務を切り上げて故国に帰る旅だったようです。 -
10時間でモスクワ到着、現地時間16:40。
シュレメチボ空港はアエロフロートの母港です。
少し前に別の空港でテロがあったことで警備が多少ピリピリしているようですが、
新設のDターミナルはとても明るくきれいです。
アエロフロートを選んだ理由には、“10時間の我慢”で煙草が吸えることにもありました。
写真はそのうれしい喫煙室です。 -
ダマスカス便が出発するターミナルFまで、長い廊下を指示板に従って進みます。
Fに着くと、とたんに雰囲気が変わりました。まるで新橋・駅地下の雑踏、タバコもその辺で自由に吸えます。これこそ、かすかな記憶にある「ソ連の空港」の雰囲気です。嬉しくなって立ち飲みのビールを頼んだら一杯10$と言われてビックリ。一流空港の立派なお値段でした。
どこかよく分からない国の、マイナーな都市(?)に行く便はここに纏められているようです。
21:20 バス停のような搭乗口から、ダマスカス行きに乗り込みました。 -
24:40 ダマスカス空港到着。
時差のため、時計を1時間戻します。
春先のこの時期、各国が夏時間への切り替えをバラバラに行います。時差と切り替えが重なって混乱し、近くの人に何度も聞いて時計を合わせました。
ダマスカス空港には、ホテルのピックアップ・サービスを依頼してありました。空港タクシー(一般タクシーは入れない)より安い、25$は良心的です。
名前のカードを持った人の良さそうなお兄さんに迎えられて、深夜の街を一路ホテルに向かいました。外は見えません。左ハンドルで右側通行なんだ、そんなことを思いながらホテルまで30分で到着しました。 -
次の日の夜明け。
世界のどこでも、時差があっても、早朝5時半に起きてしまうのは“特技”でしょうか、“ビョーキ”でしょうか。
ホテルを抜け出し、外に出るとすぐこの建物。『ヒジャーズ駅』です。当時この地を支配していたオスマン帝国が、サウジアラビアのメッカまで巡礼者を運ぶために建設したヒジャーズ鉄道の起点。完成まもなくアラビアのロレンス等が破壊して、鉄道は寸断されました。
日本で、よく分からない地図を眺めつつ旅行の検討していたとき、ダマスカスの中心にはいつもこの駅がありました。 -
ヒジャーズ駅の中は、今は本屋さんになっていました。
現在の鉄道駅はここから5kmほど離れたカダム駅。
鉄道も復旧していますが、列車の本数が少ないので今回は利用する機会がありませんでした。 -
さて、駅を背にして右側の道。
まっすぐ進むと、500mほどでオールドタウンに達します。 -
これは駅を背にした正面の道。
今はこの道を進むことにします。 -
まっすぐ行くと、5分ほどで新市街の中心へ。
新しいビルが建ち並び、日本の地方都市と変わりない様子です。
街の一角に『観光案内所』があり、ここで情報を仕入れるつもりでした。
訪ねてみると、だだっ広いオフィスにやる気のなさそうなオバサン1人。地図だけもらって早々に引き返しました。 -
少し戻ったここは『マルジェ広場』、新市街と旧市街のちょうど真ん中あたりです。
広場自体は小さく、特に何もなく、周辺にたくさんのお店が並んでいます。 -
その先の路地に、安宿街が。
有名なバックパッカーの定宿『アル・ハラメイン』が左端に見えます。
ここも検討しましたが、後に述べる理由で別なホテルを選びました。 -
大通りに出ると、「ここからがオールド・ダマスカス」の看板。この道はヒジャーズ駅を背にして右手に伸びていた、あの通りです。
1万年以上も前から人が定住していたという、世界最古の都市。英語読みは『ダマスカス』でも、現地では『ディマシュク』とか『シャーム』とか呼ばれます。
同様に、アレッポは『ハラブ』、クラック・デ・シュバリエは『カラート・アル・ホスン』となり、英語読みでは理解されないことがあります。旅行者は、現地名と英語名の両方を覚えてゆくと便利です。 -
賑やかな下町、といった感じの通りに出ました。
若者達には珍しい風景に映るのでしょうが、
戦後すぐに子供時代を経験した世代にはむしろ、ほろ苦く懐かしい感情が湧いてきます。
質素なマーケットに群がる生活に必死な大人たち、その周りを走り回る子供たち、立ち上がる砂ほこり。
少し前の日本にも、あちこちにこんな情景がありました。
♪右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム・・・ -
城壁と思しき建造物。
その右手にスーク(買い物横丁)の入口が見えます。
通りの向こう側へは、地下道を通って渡ります。 -
ダマスカスのスークは、アラブ世界で1・2を競う規模だそうです。
大きなアーケードが2本あって、
これは『ハミティーエ』と呼ばれるスークです。
衣料品や宝飾店が多く目に付きましたが、
ここは穀物を扱うお店(?)。 -
アラブ圏にしかないブティックのウインドゥ。
どうやら、高校生くらいから女性はスカーフをするようです。
年配のご婦人の中には顔全体をすっぽり黒い布で覆った方もいて、
暑さも我慢、歩くのも不便かと余計な心配をしました。 -
香辛料の専門店。
-
1kmほど続くモールを抜けた出口がこの写真。
スークの中ではカメラの前を絶えず人が横切り、またぶつかってきて、思うように写真が撮れませんでした。
見慣れない東洋の外人旅行者にはどこからか頻繁に声がかかり、その都度振り返りながらも人波に押されて歩いていました。 -
スークの外にも、こんな派手なお店が。
これも香辛料のようです。 -
スークの出口に向かい合って、『ウマイヤド・モスク』が建っています。
古いキリスト教会を、8世紀にイスラムのモスクとして改修したもの。規模と、現在までずっと使用されている点で、世界的だそうです。 -
信者以外は、スークに向かい合ったこの北門からの入場となります。
入場料50SP(100yen)を支払って内部へ。靴を脱いで手に持ち、裸足で入ることになります。
冷たい石の床が気持ちよく、あちこちで旅行者が座り込んでガイドブックを広げたりしています。 -
これは最奥から。
一番先(写真の右上部)が入場してきた北門です。 -
屋内はじゅうたん敷き。
勉強会の小グループが、小声でコーランを読みまわしたりしていました。
子供たちはかまわず走り回っています。 -
午後、近郊のカシオン山に向かいました。
旧約聖書で、カインが弟のアベルを殺した“人類最初の殺人現場"とされる山ですが、
私の方は高みからダマスカスを一望したかったのです。
ここには軍事施設があり、勝手には動けません。
交通機関もないのでタクシーを借り切ることになります。
ホテルから電話してもらい、1000SP(2000yen)でチャーターしました。ガイドブックにはずっと安く記載されていましたが、どうしても今行きたい弱みで妥協しました。 -
タクシーとは言っても街を流す黄色い車体とは違い、
白いワゴンに優しそうな若い運転手。
見るからに気の弱そうな青年です。
渋滞の街をスルスルと抜け、小高い丘に進みます。 -
丘のふもとは高級住宅街。
そこを抜けると、段々畑が目につきます。
野原では、若い家族がピクニックを楽しんでいます。 -
更に登ると、ダマスカスの街が見えてきました。
大金(?)を払ったので、何度も気に入った場所で停車してもらいました。 -
丘から見たダマスカス。
ぎっしりと家が詰まった旧市街と、その向こうに続く新市街のビル群。
家々は、大地と同じ白っぽい土の色をしています。 -
たっぷり2時間のパノラマ見学。
やはり、知らないところでは高い場所に登るのがいちばんです。 -
夕方、夜景を見ようとオールド・ダマスカスに出かけました。
ウマイヤド・モスクの先の『まっすぐな道』。
キリストの奇跡にまつわるという1.5kmの通りは、工芸品のお店が並んでいました。
夜7時、街灯に灯がともります。 -
少し戻った街頭で、ニュースキャスターが実況放送中。
この放送を、運良くその日の夕食時に食堂のテレビで見ることが出来ました。金曜日の集団礼拝後に繰り返すデモについて、「ダマスカスは平穏です。」と強調する内容だったようです。 -
実際、ホテルの従業員やそこで出会った人たちは、
この国の大統領支持が極めて高いこと、
反政府勢力は南部の遊牧民族などほんの一部であること
などを強調し、外国の報道は極端すぎて理解できないと言っていました。
たしかに、街には大統領派を示す写真や旗があふれて・・・ -
喫茶店のテラスでは、若者たちがいつものように水タバコを楽しんでいます。このあたりに緊迫した空気は流れていません。
水タバコですが、一度試したいというの思いは
後で訪ねたハマのレストランで実現することになりました。 -
夜のウマイヤド・モスク。
闇の中に、昼光とは違った威厳が浮かび上がります。 -
その中庭。
-
スーク入口。
人通り夜10時過ぎまで絶えず、廃墟の奥に怪しい光と影が交錯します。 -
スークの中も、大統領を支持する旗、写真。
次の日に行われる大規模な『大統領支持デモ』に備えて、国旗を売るお店が盛況していました。
▼▼▼▼▼▼▼
追記(5/8)】
帰国していく日も経たないというのに、シリア情勢の急速な深刻化が報じられるようになりました。「民主化要求」が「政権打倒」へと進み、治安部隊の実力行使に相当数の死者も出ている模様です。
「大したことにはならないよ。」つい数週間前、シリアで出会った人々は自信たっぷりに語っていました。デモは少数による限定的なもので、チュニジアやエジプトとは違う、と。たしかに当時は、騒然とした空気もありましたが、通り一本越えればすぐ“いつもの日常”に戻れました。
事態は今、彼らの思惑とはまったく反対の方向に進んでいるようで、あの発言との落差に驚いています。
おそらく、誰もが変化を感じながらも、安定や平穏を期待する気持ちが「大したことには・・・」と、情況を甘読みさせてしまったのでしょうね。
シリア情勢から、当分目が離せません。 -
こちらの大統領支持派は、もう盛り上がっているようです。
-
大通りに戻って、政府の施設もライトアップ。
-
繁華街に移ります。
ネオンさんもご苦労さん! -
マルジェ広場。
この界隈には、インターネットカフェが集中していて、日本の新聞を読むために地下の店を2度ほど利用しました。
1時間75SP(150yen)。
日本語で書くことは出来ませんが、英語やローマ字でならメールも打てます。細長い部屋の両側にサムソン製の古いデスクトップがズラリ。若者達が熱心に向き合っています。
彼らが世界の常識との落差を知れば、今は安定しているというシリアもこのままではいられないでしょう。 -
マルジェ広場の脇に、怪しげなレストラン。
『タル・アル・カムル』ではビールが飲めると、『〜歩き方』に書いてありました。他に客はなく、なんとなく入りづらい雰囲気。テリーサラバス風のオーナーが大声で従業員を叱り飛ばしています。
「ビールを!」と頼むと、「何だそれは?」という顔をしつつも、従業員が走ってどこかへ買いに行くシステム(?)です。
揺らして帰ってきたのか、開けたとたんに泡が噴き出しました。どこで買うのか教えて欲しかったけれど、それは聞けませんでした。 -
シリアの料理は、香辛料が豊富なので深みのある複雑な味がします。このときはケバブを頼みましたが、鶏料理が多く、どれもいい味でした。
次の日も、夕刻に近くを通ったら「今日も客が来ないから、入れ!」と捕まって2日連続の入場となりました。
無愛想でコワモテのオーナーが、別れ際に力一杯のハグをしてくれました。
料金は、500〜600SP(1000〜1200yen)程度です。 -
夜景の締めは、やっぱりヒジャーズ駅。
何度も眺めるうちに、愛着がわいてきます。 -
ダマスカスのホテルについて記しておきます。
ヒジャーズ駅のすぐ横に建つビルの2階、『SULTAN』に決めました。旅の始めに2泊、ヨルダンから戻って2泊の計4泊お世話になりました。
文字も数字も違う国の地図は分かりにくく、とくに初日は深夜着でした。ならばヒジャーズ駅をランドマークにすれば、歩いてでもタクシーででも辿りつくだろう、と考えました。迷ったときの用心のため、ヒジャーズ駅の写真を持参してゆきました。 -
今度の旅行では、ほとんどのホテルを日本から予約してゆきました。万が一のとき、家族がいつでも連絡できるようにするためです。
当初は、ドミトリーを利用して旅行の総予算を15万円と組んでいましたが、結果はシングルルームを選んだために若干膨らみました。
それでも充分、経済的な旅です。 -
スルタンホテルは建物も調度も古く、テレビや冷蔵庫もありません。一泊38.5$の料金は、シリアでは“中級”の部類に入ります。
ここを「中級とするには無理がある」という旅行者の意見もありましたが、どっこい、ここは立派な中級ホテルです。
清潔に整えられた部屋、従業員の紳士的な態度、尋ねれば正確な情報が戻ってきます。
安宿のフレンドリーな対応もいいですが、老舗らしい落ち着いた対応も気に入りました。ただ、仲間を探したり情報交換するには少し不向きかな、と感じます。 -
ロビー横の、アラブ風サロンと食堂。パンとゆで卵、ジャムと紅茶の簡素な朝食はここで摂ります。
お客は年配の常連者が多く、それも落ち着いた雰囲気を助けています。喧騒の街から戻ると、いつも静かな空気に満たされました。
このホテルが、ダマスカスの思い出のひとつになりました。
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