2008/04/27 - 2008/04/28
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frau.himmelさん
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一人旅4日目。
ツアーでの9日間プラス一人旅3日間の旅の疲れが最高潮に達しているようです。一人でずーっと回っていると、ついつい無理をしてしまうのですね。
今日はスケジュールを大幅に見直して、ダルムシュタット1箇所だけ訪問することにしました。
ちなみに私が予定していた訪問地とは、
①フルダ、アルスフェルト、シュタイナウ、
②イットシュタイン、ヴィースバーデン、リンブルク、
③ヴォルムス、シュパイヤー、ダルムシュタット、
そして予備として、
④アッシャッフェンブルク、ミルテンブルク。
行きたいところがありすぎて、ちょっと欲張り過ぎました。
もちろんこれを全て消化しようとは思っていませんでしたが…。
齢も齢ですし、何よりも健康あっての旅ですから、その日の体調によっては、いかようにも予定変更出来るところが個人旅行のいいところですね。
元気であればまた何時でも訪問出来ますものね!
◆◇
追記:2011年4月現在
上記の予定地の中でこの時行けなかった、リンブルク(2009年訪問)、ヴォルムス・シュパイヤー(2010年訪問)、アッシャフェンブルク・ミルテンブルク(既訪問済み)になり、残るはシュタイナウだけになりました。
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ダルムシュタットはフランクフルトから30分ほどの街です。
この街の一番のメインのマチルダの丘を目指します。
「地球の歩き方」によると駅からF番のバスで行ける、と書いてあります。
バス停でF番の停留所をどんなに探しても…、ない!
一緒に探してくれた親切なおじさまが、街の中心までバスで行ってそこからら歩いても20分位だよ、と教えてくれました。
で、そのバスに乗って街中に向かっていると…。
私の乗っているバスの目の前をF番が走っているではない!
急いで降りてそれに乗り換えました。
私を待っていてくれたF番のバス運転手さんありがとう! -
降りたところは「Mathildenhoehe」というバス停。
ここはダルムシュタットの東側はずれにあり、周りは静かな住宅街です。 -
少し歩くと前方に目的地の塔が見えます。
-
もっと近づきます。
5本の指の形をした風変わりな塔です。
ここマチルダの丘は、ヘッセン・ダルムシュタット大公国の最後の大公エルンスト・ルートヴィッヒが、ユーゲントシュティール様式(フランスではアール・ヌーヴォー)で1899年に造らせた芸術家コロニーなのです。 -
色鮮やかなタイルの模様。
芸術家コロニー集団の責任者はオーストリアの建築家、ヨゼフ・M・オルブリッヒ。
彼はオットー・ワーグナーの弟子でもあり、世紀末のウィーンの画家クリムトなどのウィーン分離派にも参加していました。
だからこのキンキラキンのモザイクなのね…。 -
モザイクのある建物を見上げると…、
あっ危ない!屋根の上に人が…。
心配には及びません、ここは芸術家コロニーの美術館、この屋根の上の危なっかしい人もモチーフなんですって。 -
5本の指の下の部分。
この塔は結婚記念塔。
最後の大公エルンスト・ルートヴィッヒとマチルダ妃の結婚を記念して1908年に造られた…と、どの説明書にもあります。
が…、不思議なんです…。
エルンスト・ルートヴィッヒのお妃はマチルダという名前ではないんですよね。
1回目の結婚はヴィクトリア・メリア、2度目はエレオノーレになっているんです。 -
記念塔外壁には日時計があります。
12星座のモザイクになっています。
◆◇
気持ちが悪いのでもっと調べてみました。
エルンスト・ルートヴィッヒ大公より2代前の大公、ルートヴィッヒ3世(1806−1877)のお妃の名前が、マチルデ・カロリーネ・フリードリケになっています…。彼女はバイエルン王ルートヴィッヒ1世の娘です。
どうなっているんでしょう?
お解りになる方、教えて! -
階段を登って塔の建物のほうに行って見ましょう。
中は催事場にになっています。 -
私が行った2008年は、ちょうど記念塔が出来てから100年目にあたるようでした。
100年記念の特別展をやっていました。 -
-
結婚記念塔の踊り場の天井部分。
見事なモザイクです。
よく見ると真ん中にはヘッセン方伯の獅子の紋章が見えます。
(逆さまになっていますが) -
結婚の塔のからロシア教会が見えます。
エルンスト・ルートヴィッヒの妹君であるアリックス皇女が、ロシアの皇帝ニコライ2世と結婚していますので、それを記念して建てられた教会なのかしら?
ものすごく鮮やかーー! -
再びロシア教会。
ウィーン分離派と聞けば鮮やかなのもナットクか…。 -
今日は日曜日とあって、ロシア教会には大勢の信者が参拝に来ていました。
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ヨーロッパ・プラッツといわれる広場から、結婚記念塔の全体像を臨みます。
忘れていました、5本の指の形は、エルンスト・ルートヴィッヒ大公が結婚に際して宣誓しているモチーフだそうです。 -
結婚記念塔を背にして、右側にはプラタナスの庭園があります。
まだ芽吹きには早い季節ですが、裸のプラタナスもここにあると芸術!って思えます。
子供が手を広げている門の上には…。 -
この像、ネコかヒョウの背中に乗っている天使の像、同じものをブレーメンのシュノーア地区でも見かけました。
(北ドイツ漫遊ツアー ブレーメン編参照) -
庭園の奥にあった彫刻。
さすがにウィーン分離派の彫刻といった感じ。 -
結婚記念塔を背にして左側には、ユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)の芸術家の個性的な家々が建っています。
この辺一帯が野外博物館なのです。 -
野外のユーゲントシュティールの家々。
手前の黒い枠のある家はベーレンス・ハウス(ベーレンス作)、木立のカゲでよく見えませんが、その横がグリュッケルトハウス(オルブリッヒ作)、その奥にハウス・ダイタース(オルブリッヒ作)などがあります。
◇◆
ところで、写真の右隅でキスしているのはホモちゃん?
なんとまあ、大胆な…。
それを撮る私も大胆?(笑) -
最後の大公エルンスト・ルートヴィッヒは、1918年ドイツ帝国の崩壊でワイマール共和国の誕生と共に君主の地位を失い、普通の人となりました。
そして1937年に死去したそうです。
そろそろマチルダの丘ともお別れです。
ホントに庭のサクラがきれいでした。 -
サクラの花の上にはこんもりと丸まった小鳥の巣があります。
ヨーロッパでよく見かけますね。 -
子供たちが木登りをして遊んでいます。
かわいいーーー! -
丘の上からダルムシュタットの街が見えます。
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これからバスで街中に出ようと思います。
バス停を探しているうちに…。 -
立派な教会の前に出ました。
聖エリザベートシュティフト教会です。
さっき、行きのバスの中で、人の良さそうなおじいちゃんがいろいろ見所を教えてくれました。
でも、方言が強くて、その時は何を言っているのかサッパリ!だったけど、歩いているうちに、ああーここは…、なんておじいちゃんの言った地名がどこそこに出てきます。
じんわりと、おじいちゃんの親切が身にしみこんできました。 -
聖エリザベートシュティフト教会、何だか由緒ありそーう!
敷地の中にはこれだけの施設が入っているんですって!。 -
敷地の中に入ってみました。
よく手入れされたお庭の向こうには、いろんな建物があります。
病院や救済院などもあるのでしょうか。 -
バス停を探して道に迷いましたが、マルクト広場まで近いから歩きなさい、と…。
城壁の跡らしきものが残っています。
ここダルムシュタットは、中世の頃より市壁や水城が築かれ、政治的・経済的土台をなしていました。
その後いろんな変遷を経て…。
第二次大戦後、ダルムシュタットは、大空襲に遭い、なんと99%が破壊されたそうです。
奥にある建物はヒンケルス塔。破壊されないで唯一遺っている防衛のための塔です。現在は旧市街博物館になっています。 -
その近くにいかにも歴史がありそうな泉がありました。
-
ここに説明が…。
1944年9月11日から12日の夜「大火の夜とよばれています」にかけて、イギリス空軍による大空爆があり街は一夜にして廃墟となった。
何百年と時を経てきた壁も破壊されたが、この噴水に使われている石は奇跡的に残っており、1952年にここに復興された、ということでしょうか。
戦争を忘れてはいけないという記念なんでしょうね。 -
幾多の悲惨な戦いを見つめてきた廃墟跡ですが、今はすてきな散歩道になっています。
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旧市街の教会の塔が見えてきました。
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ここに謂れがありそうな彫刻を発見。
エルンスト・エリアス・ニーベルンゲル(1815−1843)というこの街出身の作家だそうです。 -
彼の作品の中の一部分か?
本当にどうでもいいような所に引っかかって、道草をくってしまいます(笑)。
写真をとったら、この人が誰だか調べないと気がすまない性質なもので…。 -
さっき見えた市教会(プロテスタント)の塔が見えてきました。
この橋をくぐって、階段を登れば旧市街はすぐそこです。 -
市庁舎の裏口です。ラーツケラーとあります。
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ラーツケラーの正面。
時計も12時をとっくに回っているのでお腹がすきました。
ここで食事にします。 -
外の方が気持ちが良さそうなので、あいている席に座りました。
正面の建物はダルムシュタット城です。 -
ラーツケラーのメニュー。
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明日帰国ですから、ドイツ最後のシュパーゲルをいただきます。
たしか14ユーロ。
飲み物はこれも名物リンゴ酒。
後で気がついたのですが、ここは自家醸造製ビールがあったのです。残念! -
ラートハウス。
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広場の噴水は子供達の格好の遊び場です。
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ラートハウスの正面にあるお城。
現在お城は一部博物館として利用されています。 -
入口の豪華な装飾に目が奪われます。
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見事な鉄細工の王室の紋章です。
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この鉄の扉の細工の繊細なこと…。
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ラーツケラーの後ろに市教会の塔がそびえています。
よく見えないけどカリヨン? -
城博物館入口の塔
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中庭には彫刻がたくさんありました。
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ダルムシュタット城。
中庭だけ見て次に移動します。 -
公園にヘッセン・ダルムシュタット大公、ルードヴィッヒ4世像があります。
彼は、マチルダの丘のエルンスト・ルートヴィッヒ大公や、ロシア皇帝ニコライ2世の皇后であったアリックスの父親にあたります。 -
ヘッセン州立博物館。
時間もあるし、ここには幅広く絵画や彫刻が収蔵されているとのことだったので、見学しようと思っていました。
(リーメンシュナイダーの彫刻,ルーベンスの絵など)。
ところが残念ながら閉まっていました。
後日調べたら2011年まで改修工事中で閉館だったそうです。 -
ほんとについていない。
ヘッセン州立博物館の塔 -
ここにも居ましたね、瀕死のライオン。
今まで、ルツェルン、リューベック、ヴィースバーデンのネロベルクでも、同じような表情のライオンを見ました。 -
ヘッセン州立博物館側から公園越しに見たお城。
◆◇
ダルムシュタットは、1567年、神聖ローマ帝国のヘッセン方伯だったフィリップ寛容伯の死後、4男ゲオルク1世によりヘッセン・ダルムシュタット方伯領として創設されました。
その後発展を遂げましたが、30年戦争、ペスト、飢餓などに苦しめられ、進退を続けながらも、1806年、ルートヴィッヒ10世(後に大公ルートヴィッヒ1世)の時代に、方伯領から大公領へと昇格します。 -
町の交通のターミナルになっているルイーゼン広場、ここからバスに乗り駅へ向かいます。
◇◆
初代大公ルートヴィッヒ1世の死後、その息子ルートヴィッヒ2世が即位しました。
その頃、ヨーロッパで起こった革命運動は、ダルムシュタットにも伝播し、ルートヴィッヒ2世は苦境に立たされます。
そこで、国民に高い評価を得ていた父にあやかろうと、ルートヴィッヒ2世はルイーゼン広場に巨大なルートヴィッヒ記念柱を建立しました。 -
ルイーゼン広場はヒトラーの第3帝国時代は「アドルフ・ヒトラー広場」と呼ばれていたそうです。
第二次大戦の空爆で、旧市街の歴史的建造物の殆どが破壊されました。
ルイーゼン広場も焦土と化していましたが、1977年にショッピングセンターとして復興しました。
写真はKollgierengeboeude:ヘッセン州首相府 1781年(ネット情報より) -
トラムに乗ってダルムシュタット駅に着きました。
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ダルムjシュタット駅構内の様子。結構大きな駅でした。
左手には大きな機関車の模型が…。 -
駅構内の本屋さん。
日本のMANGAのコーナーがあります。
こちらの若者にもマンガは人気があるんですって。
◇◆
フランクフルトに帰るSバーンの車中で、珍しく検問に合いました。
例によって、どこかのお兄ちゃん風の係員が、私の切符をじっと見つめています。
「何か問題でも…?」
心配ないとは思うけど、こんな時って心臓がパクパクしますね。
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