2011/03/26 - 2011/03/27
4614位(同エリア6467件中)
ロッテさん
ウィーン3日目は、さまざまな建築を見ました。パリのベルサイユ宮殿を模したシェーンブルグ宮殿、建築家オットー・ヴァーグナーの作品、世紀末建築の数々、ウィーンのガウディと評されたフンデルト・バッサーの自宅や設計した市営住宅などなどです。
この写真の建物(ゼッセェッション)は、分離派会館です。1897年、クリムトを中心に若い芸術家や建築家たちによって結成された分離派の活動拠点として建設された建物です。当時、ウィーンっ子たちは、屋根の上の金色の月桂樹の株を、「金色の玉ねぎ坊主」と呼んだそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
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朝、71番トラムに乗り、シュバルツェンブルグ広場でおりました。朝からすごい勢いで噴水が。
カールスプラッツ駅を目指しカールス広場に来ました。この辺りは建築の宝庫です。 -
オットー・ヴァーグナーの名作「カールスプラッツ駅」です。現在は使われていません。上の写真の分離派会館や楽友会館もありました。
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その後、U2の地下鉄に乗って、ハプスブルグ家、夏の離宮「シェーンブルグ宮殿」へ。
「シェーンブルグ宮殿」は、マリア・テレジアの時代に大規模な改築がおこなわれ、1749年、バロックとロココの様式を持つ宮殿が完成しました。ナポレオンにより占領されたり、ウィーン会議の舞台にもなった場所です。 -
日本語オーディオガイドを借りました。内部は残念ながら撮影禁止でした(^^;ヨーロッパでは、多くの美術館・博物館が撮影OKなので、いつも感動してしまいます。
広いです。何せ1441室もあるのですから。印象に残ったのは鏡の間でした。思ったよりずっと狭いのです。ガイドによると家庭的な小規模なパーティがおこなわれていたそうです。1762年、6歳の少年モーツァルトは、ここでマリア・テレジァの首に手をまわし、上品にキスをしたと、モーツァルトの父は誇らしげに日記に書いているそうです。
また、マリー・アントワネットにプロポーズしたとも言われています。
「大ギャラリー」は、長さ43m、幅10mの大広間ですが、現在は修復中で半分しか見られませんでした。ここは、「会議は踊る」と揶揄されたウィーン会議の舞台となりました。また東西冷戦の折には、フルシチョフとケネディが会談したそうです。
本当に様々な歴史を見せてくれました。
マリーアントワネットの部屋も残されています。 -
庭園もすばらしいです。高台にあるのが、グロリエッテで4月〜10月までは、カフェもしています。マリー・アントワネットもフランスに嫁ぐ際、ここで昼食会を開いたそうですよ。真ん中の泉はネプチューンの泉です。庭を巡るミニトレインもありましたよ。30分ごとに動くのだそうです。
ここから、地下鉄U2でウィーン旧市街へ戻りました。その途中に? -
地下鉄をちょっと途中下車。世紀末建築家オットー・ヴァグナー作のマンションがありました。マジョリカハウスと隣がメダイヨン・マンションです。
写真はマジョリカハウスです。マジョリカ産タイルで飾られています♪マジョリカというのは、マジョルカ島らしいです。メダイヨンマンションの屋上には叫ぶ女性像がありました。まるで、あの迷惑おばさんみたい??? -
カールスプラッツ駅で地下鉄U1に乗り換え、ステファンプラッツ駅でおりました。しかし、プラッツというのはドイツ語で駅のことだから、プラッツに駅をつけると、駅駅とかぶっているんだけど、まあ、いいか。
ステンドグラスで有名なステファン大聖堂です。ちょうどミサをしていて、祭壇に行くのは遠慮しましたよ。この後、モーツァルトハウスへ。 -
モーツァルトハウスでは、オーディオガイドを聞きました。モーツァルト、最盛期に住んでいた家です。ここで、オペラ座のこけら落としで演じられたオペラ「フィガロの結婚」が作曲されました。
しかしリング内の一軒屋に住むことができるたのは、ほんのひと時。ばくちがやめられなかったため、14回もウィーンの街を転居したそうです。宮廷楽長まで勤めた天才は、ステファン大聖堂で、結婚式とお葬式をし、無縁墓地に葬られました。
カフェ・オーバラーで郷土料理ランチ(レバークネーデルズッペなど)の後は、オペラ座日本語ガイドツアーへ。 -
世界三大オペラ座のひとつ、ウィーン・オペラ座です。(後はパリ・ミラノ)
オペラ座のガイドツアーは、ハンガリーのオペラ座でも経験しましたが、こちらは、日本語があるので助かります。
劇場内を案内して下さるのですが、あちこちにトヨタ「レクサス」のパンフレットが置いてあります。トヨタは、オペラ座のメインスポンサーなのだそうです。
実は国立オペラ劇場は、1年のうち(7,8月は休演)黒字になるのは、たった1日。舞踏会の折だけだそうです。後はたとえ満席になったとしても、すべて赤字です。
毎日演目が変わるので、出演者だけでなく、舞台装置作りや衣装・カメラリハーサルなど1000人が働いています。国立だからできることでしょう。
文化に対するこの心意気に感銘。トヨタがメインスポンサーなのも嬉しかったです。
皇帝のティサロンも見せて頂きました。当時、国民はフランツ・ヨーゼフ皇帝を見に来ることも楽しみのひとつだったそうです。皇帝が来ると、カーテンが開き、灯がともるので、それが合図となったのです。時には、劇場がつける時もあったそうですが(^^;
オペラ座総監督で総指揮者だったグスタフ・マーラーが旅行中に使った携帯ピアノも展示してありました。
一番感激したのは、舞台に上がらせてもらったことです。袖でしたが、舞台監督や大道具さんたちが、今夜の演目「アラベラ」のリハーサルをしていましたよ。夜、見るのが楽しみになりました。 -
ウィーン最後の夜は、長い長い夜となりました。
4時にトラム一番に乗り、ドナウ運河を超え、ラディツキープラッッ駅で降りました。
ウィーンのガウディと言われているフンデルト・バッサーの自宅や設計した市営住宅などを見る旅の始まりです。こちらが、自宅です。庭に小さなカフェもあります。 -
こちらは、一駅向こうにある市営住宅です。直線がなくすべて曲線です。地面までもでこぼこしているのですよ。現在も住居者がいる市営住宅の裏庭を見ていると、なぜか、とてもなつかしい雰囲気をかもしだしていました。
彼は、大阪市汚水処理場の設計デザインも手がけています。私はその形から勝手にスペイン出身と思っていましたが、ウィーンだったのです(^^;
郵便貯金会館に行ってから、オペラ座カフェに戻り、食事をしました。「アラベラ」終演は10時半ごろでした。こちらは明日から、サマータイムになり1時間早くなります。ステキなウィーンの夜はふけていきます。
翌朝は、ザルツブルグに向い、列車に乗ります。今回の旅では、ウィーンからアルプスの麓の町ザルツブルグまでと、その2日後、ザルツブルグからドイツのミュンヘンまで列車で旅をします。
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