2010/06/07 - 2010/06/07
97位(同エリア164件中)
タケさん
2010年5月から6月にかけて、以前から訪ねたいと思っていた中国シルクロードの一部を旅してきた。
旅程はつぎのようである。
・ 行程:関空 ⇒ 上海・蘇州 ⇒ 西安 → 嘉峪関…敦煌…吐魯番(トルファン)…敦煌
⇒ 北京 ⇒ 関空 ( ⇒;航空便, →;列車, …;バス)
・ 期間:5月28日(金)~6月11日(金) *ビザ免除期間いっぱいの15日間
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[トルファンへのバス]
敦煌発トルファン経由ウルムチ行きの32人乗りの夜行バスは3列2段式の寝台席で、ほぼ満席。運転手と助手の二人体制。途中で給油(約87円/リットル)してから街中をはずれて、畑地→ブッシュ+砂地→ブッシュ多数→砂地 と順次地勢が変わる中を一時間ほど進み、現れた集落で一回目のトイレ休憩。しばらく走った所でビスケット等を食べ始めるが、隣席のお婆さんが大きな赤いトマトをかじるのでその臭いが気になる。バスは時速80kmほどのスピードで細長いポプラ状の並木のある舗装道を、前を行く車を大きな警笛で追い立てながら疾走する。いつものことながらヒヤヒヤさせられる。空は曇っており風が強い。車内は空調が効いて快適。21時頃に遅い日没があり、いつの間にか寝入る。 -
[夜明け]
新疆ウイグル自治区に入り、星星峡,ハミを経由してピチャンを過ぎると間もなくトルファン。翌朝8時過ぎに下車。他に誰も降りない。広い舗装道の周りを見渡すと途中バス停という感じで、予期していたバスセンターではない。乗ってきたバスは180kmほど西方の自治区首府ウルムチ行きだったので、どうもトルファンのバスセンターには寄らない ということだったようだ。高昌北路という南北方向に延びるだだっ広い通りの端に止まっていたバスの運転手に地図を見せてバスセンターの位置を示したところ、このバスに乗ればよいとの返答。しばらく待っていると南へ向かって動き出し、10分ほど走ったモスク(イスラム教寺院)も混じる賑やかな交差点手前で下車。一緒に降りた一人の乗客が西側すぐの所にあるバスセンターまで案内してくれた。早速、帰りのバス切符(20:30発の敦煌行き)を購入する。 -
[夜行バス内にて]
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[トルファンの街中]
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[火焔山の入口]
バスセンター内のベンチに座ってパンを食べていると、部屋の角に旅行社のあるのが目に入った。訊ねてみると、一日バスツアーは既に8:30に出発した後だと言う。仕方なく少々高いとは思ったが、時間も無かったので約7,400円に値切って 車を一日チャーターすることにした。同乗者は中国人3名で、9時半過ぎに出発。ここトルファンは、西側に連なるシルクロードの天山南路と天山北路を連絡する要衝だった町で、イスラム教を信奉する中央アジア特有の風貌慣習を持ったウイグル族の人々が居住している。盆地の中央に位置するため乾燥してはいるが、夏場は酷暑が続き火州と呼ばれる世界でも有数の低地となっている。
先ずは西遊記でお馴染の火焔山に向かう。土漠の中に新しく出来た高速道を走るとすぐに左側に延々と横たわる山地が見えてくる。15分ほどで芭蕉扇を肩に担いだ孫悟空のモニュメントのある入口に到着。地殻の褶曲運動で紅砂岩から成るひだの入った山肌が夏季の陽炎によって燃えているように見えると言われるが、赤っぽくなった部分は何となくそれらしく見える程度。中には入らないで次に向かう。 -
[ベゼクリク千仏洞にて]
火焔山山中の一角にある仏教石窟のベゼクリク千仏洞。6世紀から開削された古代ウイグル人の文化を伝える石窟で、遺跡の中が自由に見学できるようになっている。内部には色彩豊かな壁画や天井画が描かれており(撮影は不可)、中でも鮮やかな空色が印象に残っている。 -
[吐峪溝(トルク)ヘ]
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[吐峪溝(トルク)の集落]
つぎに向かったのが吐峪溝(トルク)。黄土色の山裾にひっそりとした感じで佇む古くからのイスラム教徒の居住地で、4本の尖塔が並ぶモスク(イスラム寺院)を中心地区として、クネクネと曲がりくねった細い坂道の両側には土壁の四角い民家が立ち並んでいる。乾いた居住区の所々に緑眩しい葡萄畑が見られる。途中の薄汚れた絨毯を敷いた縁台に座った白髭の老人が、そばに置いた洗面器に干し葡萄を入れて売っていた。この時期生の葡萄は無いので、一杯詰まった袋をひとつ買ってみた。噛むとほんのりと甘くておいしい。のどかな中央アジアの香りがする。40分ほどでひと周り散策。 -
[吐峪溝(トルク)のモスク(イスラム教寺院)-1]
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[吐峪溝(トルク)のモスク(イスラム教寺院)-2]
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[葡萄の木陰で出会った吐峪溝の姉弟]
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[干し葡萄を売る老爺(吐峪溝)]
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[高昌故城にて]
次いで少しトルファン市街地寄りの所にある"高昌故城"を訪ねる。途中の道筋で同乗者と一緒に西瓜を買って分けて食べる(直径15cmほどで1ケ100円弱)。それほど甘くはないが瑞々しくて、乾ききった喉にはうれしい。高昌故城は、漢代以来1,000年の間繁栄した総面積200万m2という高昌国の城址遺跡で、入口に待機するロバ車に乗って遊覧する。かの玄奘三蔵法師がインドに向かう途中、時の高昌国王に請われて2カ月ほど滞在したが、インドからの帰途多数の仏典を持って立ち寄った時には既に滅んでいた、と言われる因縁の場所である。荒涼とした広大な砂地のここかしこに見られるのは、わずかに原形を留める一部の日干しレンガ積みの建物跡を除いて、見る影もないほど風化して寂れた黄土色の廃墟跡ばかり。静かである。まさに兵(ツワモノ)どもの夢の跡 という感じで、移ろいゆく時の流れのはかなさを思い知らされる。 -
[ウイグル族の踊り子(葡萄民族園)]
一旦トルファン市街地に帰って、すぐ近くにある葡萄民族園の緑したたる葡萄畑や葡萄棚でしばし目を休ませてから、西側16kmほどの二つの川が交わる高台に位置する交河故城に向かう。ここは高昌国期に築かれた交河郡城の城址遺跡で、現存する遺跡は唐代以降に築かれたものと言われ、奥の方まで南北に貫く幅3mの道の両側には日干しレンガで造られた寺院跡や居住地跡,仏塔等が残っている。高昌故城跡と比べると晴れた青空に映える建物群の保存状態はかなりよさそうであるが、それでも砂原の中に佇んで風化して傷んだ遺跡を眺めていると、興亡の激しかった歴史を深く感じさせられる。 -
[ウイグル族の男性踊り手(葡萄民族園)]
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[ポーズを決めるウイグル族の少女たち]
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[将来の踊り子?]
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[町中にて]
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[町中のスイカ売り]
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[交河故城-1]
交河故城は高昌国期に築かれた交河郡城の城址遺跡で、現存する遺跡は唐代以降に築かれたものと言われ、奥の方まで南北に貫く幅3mの道の両側には日干しレンガで造られた寺院跡や居住地跡,仏塔等が残っている。高昌故城跡と比べると晴れた青空に映える建物群の保存状態はかなりよさそうであるが、それでも砂原の中に佇んで風化して傷んだ遺跡を眺めていると、興亡の激しかった歴史を深く感じさせられる。 -
[交河故城-2]
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[交河故城-3]
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[交河故城-4]
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[涼しげな青年路の葡萄棚]
18:30にバスセンターに帰着。その足で高昌路の東側に平行する青年路に行ってみる。道幅8mほどの天井には葡萄棚が1kmあまり続いており、目にも涼しである。葡萄棚の両側に連なる小道には果物や飲み物等を売る店が並んでいて、木陰には所
々ベンチが置かれて 地元の人たちがリラックスして涼んでいる。ここに座って疲れた身体をしばし休める。
充分涼んでからバスセンターに帰る。敦煌行きのバスはまだ明るい20:30定刻に出発。期待していた高昌故城, 交河故城の両遺跡はもう少しゆっくりと回るべきだったが、時間が無く駆け足になって雰囲気を充分味わえなかったのは残念だった。日中の一番暑い時の気温は38℃であった。が、独特のウイグル帽を被った男性や色とりどりのスカーフを巻いた碧眼の女性たちが生活していて、漢族が主流を占める通常の中国とはまた違った異国情緒を味わうことが出来た。
バス内の隣の寝台席には、これから敦煌の莫高窟と鳴沙山を訪ねてウルムチから母国へ帰る予定、というシンガポール人の青年が居た。昨年まで兵役に就いていたが、来年からは大学に進学する積りとのこと。ナンを一つ分けてくれた。
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