2011/03/10 - 2011/03/13
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■想い出さがしの旅
<平城宮跡/朱雀門&大極殿&平城宮跡資料館>
想い出さがしのひとり旅です。今回は4年ぶりに奈良&高野山方面へ出向いております。
これまで何度も訪れている奈良。古墳や遺跡が大好きだった妻の影響でわたくしもだんだんと知識が注入されて好きになっていったのです。
■梅の花満開の平城宮跡 HPより。
平城宮は710年から784年までの奈良時代の都です。広さは120万平方メートル余、奈良県の県都である奈良市のほぼ中央に位置しているにも関わらず、広々とした野原として保たれています。
※東北地方太平洋沖地震・・・・・・・・・・
福島原発放射能漏れを食い止めようと日夜必死に活動されている消防隊、自衛隊、東電、米軍のみなさまに頭が下がる思いです。
また、難義されている皆さまのご心労、ご心痛を推察すると、胸がはりさける思いです。
被災された方々およびご親族・関係者の皆々様に心よりお見舞い申し上げます。
また、不幸にも災害に会われて亡くなられた方へのご冥福をお祈りいたします。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
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■想い出さがしの旅 平城宮跡
<朱雀門&大極殿&平城宮跡資料館>
想い出さがしのひとり旅です。今回は4年ぶりに奈良&高野山方面へ出向いてきました。 -
■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
これまで何度も訪れている奈良。古墳や遺跡が大好きだった妻の影響でわたくしもだんだんと知識が注入されて好きになっていったのです。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
ここ平城宮も妻とは2度ばかり訪れたことがあります。1998年3月、2000年3月、2006年8月、2007年8月と今回でもう5回目の訪問になります。 -
■梅の花満開の平城宮跡
平城宮は710年から784年までの奈良時代の都です。広さは120万平方メートル余、奈良県の県都である奈良市のほぼ中央に位置しているにも関わらず、広々とした野原として保たれています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
東南隅には東院庭園が、南端中央には朱雀門がそれぞれ復原され、西北隅には平城宮跡資料館、また北端中央部には遺構展示館が設けられ、見学者があとを絶ちません。
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■梅の花満開の平城宮跡
平城宮は、710年(和銅3)平城京の北部中央に、東西約1.3キロ、南北約1キロの地を占めて営まれました。
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
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■梅の花満開の平城宮跡
ここには、天皇の住まいである内裏や国家的な儀式や政治の場である大極殿・朝堂院のほか、たくさんの役所が立ちならんでいました。
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
いまでいえば、皇居と霞ヶ関の官庁街を併せたようなところでした。平城宮の四方には、高さ5メートルの築地塀がめぐらされ、それぞれに三つずつ併せて12の門があり、南の正面中央の門が朱雀門でした。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
都が長岡京から平安京に移ったあとは、田んぼになって長い間忘れられてきました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
江戸時代の末になって、藤堂藩の大和古市奉行所に勤めた北浦定政の実測研究によって、平城宮の規模が明らかになりました。
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■梅の花満開の平城宮跡
1900年(明治33)奈良県技師だった関野貞が、大極殿の跡を明らかにしてその保存を訴えました。
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■梅の花満開の平城宮跡
これに応えて、奈良の植木商棚田嘉十郎が私財を投げうって保存運動に努めました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
その死後になりましたが、22年(大正11)大極殿と朝堂院の跡が史跡の指定を受け、翌年国有地にすることができました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
平城宮跡の発掘調査は、1954年(昭和29)北辺の道路の拡張工事に伴う緊急調査が始まりです。
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■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
その後59年(昭和34)から、奈良国立文化財研究所が本格的な調査をすすめることになりました。62年(昭和37)のこと、近鉄が宮跡に検車区をつくる計画を立てました。
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■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門と近鉄電車
日本で初めての木簡が発見されるなど、すでに大きな成果があがっていたこともあって、奈良はもとより全国的に、平城宮跡を守る運動がおこり、翌63年近鉄は計画を断念、宮跡全域の国費買上げが実現しました。
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
66年(昭和41)にも、宮跡東部に国道のバイパスを通す計画が具体化しましたが、この時も世論の力で宮跡を守ることができました。
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
これまでに宮跡の3分の1の調査が終わりましたが、宮殿や役所の跡がつぎつぎに明らかになり、約5万点にのぼる木簡をはじめ、土器や瓦、生活用具などたくさんの遺物が発見されています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿と近鉄電車
発掘調査がすすめばすすむほど、平城宮跡が世界に比類のない地下遺構、歴史の宝庫であることが明らかになってきました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
1998年(平成10)春、朱雀門と東院庭園が復原されました。いま朱雀門は、朱の色も鮮やかに「光ふる街 奈良」の未来を象徴するかのように、広々とした平城宮跡の空に輝きをみせています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
平城宮跡を突っ走る近鉄電車 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
平安末期の「伴大納言絵巻」には、平安京の朱雀門が描かれています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
入母屋造り、重層、梁間2間、間口7間で両脇を除く5間に扉が開く。柱、扉、欄間は朱塗りです。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門でした。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
平城宮の朱雀門は1997年、考古学的研究と奈良県下の寺社に残る門を参考にして、五間三戸の二重門がかつての位置に等寸復元されています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門
平城京の入口である羅城門をくぐると、75mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北に向かってのびていました。そして、その4km先には平城宮の正門である朱雀門が建っていたのです。 -
■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
・シルクロード博記念館
奈良平城宮跡朱雀門そばにあります。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・シルクロード博記念館
奈良シルクロード博平城宮跡会場の展示館として建設され、博覧会終了後は記念館となったシルクロードと平城京に関する資料を展示しているそうです。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
・朱雀門 -
■梅の花満開の平城宮跡
平城京条坊図平城京は南北に長い長方形で、中央の朱雀大路を軸として右京と左京に分かれ、さらに左京の傾斜地に外京(げきょう)が設けられています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
東西軸には一条から九条大路、南北軸には朱雀大路と左京一坊から四坊、右京一坊から四坊の大通りが設置された条坊制の都市計画です。 -
■梅の花満開の平城宮跡
各大通りの間隔は約532m、大通りで囲まれた部分(坊)は、堀と築地(ついじ)によって区画され、さらにその中を、東西・南北に3つの道で区切って町としました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
京域は北辺坊を除いて東西約6.3km、南北約4.7kmに及びます。 -
■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
平城京の住民は4〜5万人とも10万人ともいわれますが、天皇、皇族や貴族はごく少数の百数十人程度で、大多数は下級役人や一般庶民たちでした。 -
■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
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■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿です。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。 -
■梅の花満開の平城宮跡 ★想い出の地
・平城宮跡資料館
奈良文化財研究所によるこれまでの発掘調査・研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡をはじめ、建物模型や航空写真、発掘のジオラマ模型などで平城宮を分かりやすく展示しています。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館
この資料館へは13年ぶりに入館しました。中の展示物(列)がずいぶんと変わっておりました。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館
この平城宮の模型は13年前にもあった記憶があります。当時、妻と発掘品などを興味津々で見ていったものです。 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・平城宮跡資料館 -
■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
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■梅の花満開の平城宮跡
・大極殿
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■梅の花満開の平城宮跡
梅の花がきれいでした。 -
■飯盛山楠公寺
ホテルチェックインまで少し時間がありましたので立ち寄ってみました。未舗装路、山間曲路を進みやっと到着しました。 -
■飯盛山楠公寺
楠木正行にゆかりのあるお寺だそうです。正行公は河内の武将、楠木正成公の長男です。 -
■飯盛山楠公寺
参道(階段)がありましたが、この日は歩く歩くの連続、クタクタ^^;)でしたのでパス。 -
■大和郡山城へ
翌朝、想い出深い大和郡山城へ。そして明日香村へと愛車を走らせ、想い出さがしの旅を続けました。
THE END.
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