2011/02/11 - 2011/02/11
510位(同エリア1535件中)
もいもいさん
連休を利用して、四国・松山を小トリップしてきました。
海外旅行に傾注気味だったところ、「もう少し日本も知らないと」と考え、昨年の「奈良の旅」に続く第二弾の旅です。
四国はお恥ずかしながら未訪問。「坂の上の雲」のドラマで興味を持った、現存12天守の一つ「松山城」や「正岡子規」「秋山兄弟」「夏目漱石」と言った人物ゆかりの地を巡り歩き、当然伊予の美味しいものも頂いてきました。
「おとなの修学旅行」は子供と違ってコンセプトフリー、自由旅なのです。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の起点は松山空港。
羽田から1時間ちょっとのフライト。
あっという間です。
天気が冬型で、今一つ。雪が降ってもおかしくない感じ。
何とか支障ない程度にしてほしいなぁ。 -
松山の中心地「大街道」のホテルに荷物置き、早速「松山城」へ向かいます。
丁度ホテル前をあの「坊ちゃん列車」が通過。
明日、道後温泉に行く時はあれに乗っていきましょう。 -
松山城へ登るロープウェイ・リフト乗り場。
松山中が「坂の上の雲」キャラで溢れかえっています。 -
我々はリフトで向かいました。
松山城は日本の「平山城」の典型。
松山の中心部にそびえる勝山というお山の上に建てられたお城です。 -
石垣が見えてきました。
松山城を築城したのは、柴田勝家と羽柴秀吉が戦った際の「賤ヶ岳の七本槍」の一人として有名な加藤嘉明。(他は加藤清正・福島正則ら)
城が完成する前に嘉明は会津に転封されますが、今でも加藤嘉明は松山の英雄と記憶されています。 -
そして、この「松山城」は「現存12天守」と呼ばれる江戸時代以前の天守閣がそのまま残っている数少ないお城の一つなのです。
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ミシェランガイドブックでも二つ星の評価を得ている「松山城」
確かに、とっても日本的な風景ですね。 -
本丸入り口の「戸無門」
ここから先は松山城本丸です。 -
戸無し門裏手から、松山市街を一望。
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派手さは無いのですが、江戸時代の空気を今に伝える建物が残っています。
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いよいよ天守閣が見えてきました。
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可憐に咲く梅の花が、旅人を迎えてくれます。
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現在の天守閣は江戸末期・安政年間に再建されたもの。
当初の天守閣は5層だったそうですが、現在のはものは3層式です。 -
圧倒的な存在感ですね。
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黒光りする板葺きの櫓が年月を感じさせます。
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天守閣とともに松山の歴史を見届けてきたであろう老松が傍らに鎮座していました。
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やっと天守閣の入り口にたどり着きました。
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内部には松山藩を長きにわたり治めた、松平家所縁の品々が展示されています。
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のぞき窓から本丸を眺めます。
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瓦一枚一枚にも年月を感じます。
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甲冑を試着できるコーナーがあり、結構な人気でした。
でも着用した人を見ると、皆さんせいぜい足軽風情にしか見えません。
武将の風格ってなかなか難しいんですね。 -
この広間に家臣団が控えていたのでしょうか。
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天守閣からは、はるか瀬戸内の海まで見渡せます。
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本丸の動きも天守閣からは逐一把握できます。
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天守閣の広間
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松平家の所蔵品。
徳川親藩だけに「葵の御紋」が光ります。 -
ピンと来る方にはピンとくるでしょうか。
ドラマ「坂の上の雲」の冒頭シーン(秋山兄弟と子規が石垣に並んでいる所)が撮影されたのはこの位置・この角度です。
天守閣の裏手で、案内の標識も控え目。
他に誰もいませんでした。(天守閣の職員の方に教えて頂きました) -
威風堂々たる松山城天守閣。
松山や 梅より高き 天守閣
子規の句:松山や 秋より高き 天守閣、を頂きました。
子規さん、すいません。。 -
お茶屋さんで「坊ちゃん団子」を食べながら暫し休憩
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美しい城山の緑を抜け、麓へ降りてみましょう。
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街の中心部とは思えない深い森が城を包みます。
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下りてきた所は、かつての二の丸庭園の跡
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二の丸庭園の下から、天守閣まで見渡せます。
美しさと堅牢さ兼ね備えた名城でしょう。 -
市内電車の走る大通り沿いを、次なる目的地へ。
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愛媛県庁前を通過。
どこでもそうですが、県庁舎の建物というのは歴史的な重厚感のある建物が多いようです。
昔は今の様な「豪華庁舎批判」って無かったのかなぁ。 -
次なる目的地「坂の上の雲ミュージアム」
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展示されていたかつての松山城の写真。
子規の有名な句をそえて…。 -
司馬遼太郎の小説書き出し部分。
「まこと小さき国が…」 -
夏目金之助先生(漱石)の松山中学赴任の辞令
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小説・ドラマで「坂の上の雲」にはまった人には聖地でしょう。
安藤忠雄設計のこの建物自体も興味深いものがあります。 -
すぐ裏手にある、明治の洋館「萬翠荘」
伊予松山藩主であった松平家は途中から「久松」の姓を用いるようになりました。
これはその久松伯爵のお屋敷。
伯爵はあの秋山好古と一緒にフランスに留学、それゆえかフランス風の設えの建物です。 -
上品な感じの入り口。
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内部も格調高く
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ステンドグラスが素敵な輝きを放っていました。
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そして「萬翠荘」の裏手に、漱石の下宿で暫し子規も居候した「愚陀仏庵」の再現された居宅があったのですが、なんと昨夏の大雨で土砂に埋もれたとの事。
ショック、知りませんでした。 -
「愚陀仏庵」跡、というより災害現場ですね。
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ちなみにこんな感じだったようです。
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もう少し歩くと「坂の上の雲」の秋山兄弟の生家があります。
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さっそうと馬にまたがる兄・好古。
日露戦争でのロシア・コサック騎兵団を打ち破った立役者です。 -
その向かいに立つ弟・真之の銅像。
東郷平八郎傘下の参謀として日露戦争の一連の海戦に勝利した立役者。 -
真之はドラマ同様男前ですね。
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この写真は晩年の姿ですが、好古も若い頃は西欧人と間違えられるほど鼻が高い美男子だったそうです。
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好古は晩年郷里松山に戻り、この旧家に住み学校の校長先生をやりながら、余生を送りました。(陸軍大将にもなった人が学校の校長先生を、と当時から評判だったそうです。軍人になる前に教職に就いていた好古らしい晩年だと思います。)
馬の上でお酒を飲んでいた程の酒好きだった好古、毎日ここで晩酌していたのでしょう。 -
秋山兄弟の産湯に使われた井戸跡
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晩年の好古達一家の写真
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さてさて、そろそろ晩御飯の時間です。
折角伊予松山に来たので、地の美味しい魚を食べたいと思い、インターネットで評判だった大街道裏手にある「はしまや」さんを予約。
これが大正解でした。 -
お刺身の中でも注目は鯖の刺身。
足の速い鯖をお刺身で食べるのは大変。
地元ならではの食材でしょう。
味も脂が乗っていて最高でした。 -
カウンター席裏の生け簀。
牡蠣や平目が出番を待っています。 -
料理は基本的にお任せコースのみ。
超肉厚穴子の天麩羅の登場です。
ビール党の私ですが、掟破りで地酒もいってしまいましょう! -
松山に来た有名人がお忍びで結構来ているようです。
これは福山「竜馬」さん。 -
コースの一品、メバルの煮つけとあじの塩焼き。
シンプルな料理なのに、当たり前ですが東京の居酒屋メニューとは比べ物にならないほど美味です。
素材の味が大違いです。 -
元気なご主人が店を切り盛りします。
行った日は予約で満席。後から後から、山のように予約なしのお客さんが詰めかけ、ご主人も申し訳なさそうでした。
ちなみに、おまかせコースは3000円か3500円です。
「えっ」て感じでした。
これで商売大丈夫なんだ…。。 -
今日最高の逸品、宇和島風「鯛めし」
炊き込みでは無く、ご飯に鯛の刺身・たれ・生卵を掛けて食べます。
この相性が抜群です。
これはコース外のメニューですが、是非頂いてみてください。
(二人で一人前で十分かと思います。) -
結局、コース外で鯛めし、お酒もそれなりに頂いて、一人略5000円。
大満足の松山の夜でした。
ご馳走さま!
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