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バスの窓の左方向にカステッラン・マーレ・ディ・スタービアの街が見晴らせるようになると、その先はナポリ湾。<br /><br />前方に霞んではいるが、ヴェスビオ山の長い裾野が見える。<br />ポンペイはこのヴェスビオ山の麓の、溶岩流の葡萄栽培に適した大地の上に築かれた街。<br /><br />紀元前6世紀此処に原住民のサムニュウム人が(と云われている)定住し始め、柔らかい溶岩で防御用の城壁で囲み、一番高い所にアポロン神殿を、海の見える西側にヘラクレスとミネルヴァの神殿を建てた(現三角地帯)。<br /><br /><br />後に ギリシャ人がサムニュウム人から支配権を奪ったが、同じ頃ローマ人が南下し、ポンペイはローマ帝国の支配下に入り、古代イタリア同盟国の1都市となる。<br /><br />当時南イタリアにはローマ帝国を脅かす、カルタゴの名将ハン二バルが迫っており、ポンペイの城壁も二重構造の堅固なものに造りかえられ、その遺構が今に残る。<br /><br />幸いハン二バルの襲撃に遭わなかったものの、古代イタリア同盟の諸都市がローマ帝国に反乱を起こし、結果はローマ帝国の勝利に終ったが、ローマは勝利した古代イタリア同盟の諸都市を市民に分配した。<br /><br />反乱に参加したポンペイにも2000人の退役兵が参入し、以後ポンペイの街は新しく参入したローマ人が主流の建設が進むことになる。<br /><br />城内は広さおよそ65ヘクタールに及び、南北の丘の間を分ける谷の部分に北のヴェスビオ門と南のスタビア門を南北に結ぶスタビア通りが、東西は2本の幹線道路が造られ、北側には東のノラ門から始まり西の市民広場に達するノラ通りと、南側には東のサルノ門と、西側のマリーナ門を結ぶアポンダンツァ通りを造った。<br /><br />スタビア通りの西の丘のアポロ神殿の東に面して市民広場(フォロ)を造り、周囲にはバリシカや市庁舎や市場といった公共施設を建て、南の三角地帯の一帯に大劇場と音楽堂(オデオン)を建てた。<br /><br />ローマの各都市で見られる、庶民の娯楽の場、円形闘技場、公共浴場もある。<br /><br />男臭い退役兵のエネルギー処理策として数軒の娼館が建てられ、街のあちこちに娼館の道案内を男性のシンボルを模して設置した。<br /><br />貴族階級や、成功した商人たちの、フレスコ画の壁やモザイクの床で飾った高級な館が次々と建ち、庶民の生活の為のパン屋や酒場なども建ち並んだいった。<br /><br />何も怖いものが無くなったポンペイの人々が唯一恐れたのが、ポンペイを脱出する人も現れる活火山ヴェスビオ山に起因する地震であった。<br /><br />しかし大半のポンペイの人々はここでの生活を謳歌していたに違いない。<br /><br />あたかもポンペイの人々が謳歌していた生活そのままをタイムカプセルに押し込んでしまった様に、79年8月24日、ヴェスビオ山の大噴火は厚さ6mの火山灰や溶岩でポンペイの街を一瞬のうちに包み込んでしまった。<br /><br />それから1700年後そのタイムカプセルがようやく開かれた。<br /><br />1748年ブルモン家の王カロルによる命によるものであったが、実際の発掘作業がは始まったのは1755年と云われる。<br /><br />現在目に出来るのは全体の2/3で、残りは遺跡保存を重視から発掘しいことになった由。<br /><br />イタリアの幾つかのローマ遺跡の中でも、途中手を加えられること無く、純粋に古代ローマそのものが残る唯一の遺跡を守ることを重視した結果だそうだ。<br /><br />私は2004年に続く2度目のポンペイ散策。<br /><br />今回はポンペイの街の北西部から城壁を出て、ディオニソスの壁画で有名な秘儀荘まで足を伸ばした。<br /><br /><br />ssiB330ポンペイ遺跡回遊 目次 in カンパーニャ州 <br /><br />ssiB331ポンペイ南の入り口劇場広場とスタビア通り in ポンペイ カンパーニャ州<br />ssiB332ポンペイのメインストリート・アヴァンダンツァ(豊穣)通りの景観 in ポンペイ カンパーニャ州<br />ssiB333ポンペイの中心フォロ(市民広場)とフォロを取り巻く周辺の景観 in ポンペイ カンパーニャ州<br />ssiB334牧神ファウヌスが建つ雨水留めが有るファウノの家とその周辺の住宅群 in ポンペイ カンパーニャ州<br />ssiB335神秘性漂う秘儀荘 in ポンペイ カンパーニャ州

ssiB330ポンペイ遺跡回遊(目次) in カンパーニャ州 

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2010/02/23 - 2010/02/23

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WT信

WT信さん

バスの窓の左方向にカステッラン・マーレ・ディ・スタービアの街が見晴らせるようになると、その先はナポリ湾。

前方に霞んではいるが、ヴェスビオ山の長い裾野が見える。
ポンペイはこのヴェスビオ山の麓の、溶岩流の葡萄栽培に適した大地の上に築かれた街。

紀元前6世紀此処に原住民のサムニュウム人が(と云われている)定住し始め、柔らかい溶岩で防御用の城壁で囲み、一番高い所にアポロン神殿を、海の見える西側にヘラクレスとミネルヴァの神殿を建てた(現三角地帯)。


後に ギリシャ人がサムニュウム人から支配権を奪ったが、同じ頃ローマ人が南下し、ポンペイはローマ帝国の支配下に入り、古代イタリア同盟国の1都市となる。

当時南イタリアにはローマ帝国を脅かす、カルタゴの名将ハン二バルが迫っており、ポンペイの城壁も二重構造の堅固なものに造りかえられ、その遺構が今に残る。

幸いハン二バルの襲撃に遭わなかったものの、古代イタリア同盟の諸都市がローマ帝国に反乱を起こし、結果はローマ帝国の勝利に終ったが、ローマは勝利した古代イタリア同盟の諸都市を市民に分配した。

反乱に参加したポンペイにも2000人の退役兵が参入し、以後ポンペイの街は新しく参入したローマ人が主流の建設が進むことになる。

城内は広さおよそ65ヘクタールに及び、南北の丘の間を分ける谷の部分に北のヴェスビオ門と南のスタビア門を南北に結ぶスタビア通りが、東西は2本の幹線道路が造られ、北側には東のノラ門から始まり西の市民広場に達するノラ通りと、南側には東のサルノ門と、西側のマリーナ門を結ぶアポンダンツァ通りを造った。

スタビア通りの西の丘のアポロ神殿の東に面して市民広場(フォロ)を造り、周囲にはバリシカや市庁舎や市場といった公共施設を建て、南の三角地帯の一帯に大劇場と音楽堂(オデオン)を建てた。

ローマの各都市で見られる、庶民の娯楽の場、円形闘技場、公共浴場もある。

男臭い退役兵のエネルギー処理策として数軒の娼館が建てられ、街のあちこちに娼館の道案内を男性のシンボルを模して設置した。

貴族階級や、成功した商人たちの、フレスコ画の壁やモザイクの床で飾った高級な館が次々と建ち、庶民の生活の為のパン屋や酒場なども建ち並んだいった。

何も怖いものが無くなったポンペイの人々が唯一恐れたのが、ポンペイを脱出する人も現れる活火山ヴェスビオ山に起因する地震であった。

しかし大半のポンペイの人々はここでの生活を謳歌していたに違いない。

あたかもポンペイの人々が謳歌していた生活そのままをタイムカプセルに押し込んでしまった様に、79年8月24日、ヴェスビオ山の大噴火は厚さ6mの火山灰や溶岩でポンペイの街を一瞬のうちに包み込んでしまった。

それから1700年後そのタイムカプセルがようやく開かれた。

1748年ブルモン家の王カロルによる命によるものであったが、実際の発掘作業がは始まったのは1755年と云われる。

現在目に出来るのは全体の2/3で、残りは遺跡保存を重視から発掘しいことになった由。

イタリアの幾つかのローマ遺跡の中でも、途中手を加えられること無く、純粋に古代ローマそのものが残る唯一の遺跡を守ることを重視した結果だそうだ。

私は2004年に続く2度目のポンペイ散策。

今回はポンペイの街の北西部から城壁を出て、ディオニソスの壁画で有名な秘儀荘まで足を伸ばした。


ssiB330ポンペイ遺跡回遊 目次 in カンパーニャ州 

ssiB331ポンペイ南の入り口劇場広場とスタビア通り in ポンペイ カンパーニャ州
ssiB332ポンペイのメインストリート・アヴァンダンツァ(豊穣)通りの景観 in ポンペイ カンパーニャ州
ssiB333ポンペイの中心フォロ(市民広場)とフォロを取り巻く周辺の景観 in ポンペイ カンパーニャ州
ssiB334牧神ファウヌスが建つ雨水留めが有るファウノの家とその周辺の住宅群 in ポンペイ カンパーニャ州
ssiB335神秘性漂う秘儀荘 in ポンペイ カンパーニャ州

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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