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雨模様の中をひたすら西に向かってバスは進む。<br /><br />バジリカータ州の西の端ポテンツァを過ぎると、間もなくカンパニア州に入る。<br />そしてティレニア海が見えるとそこはサレルノの街で、ここからアマルフィー海岸は始まる。<br /><br />アマルフィー海岸は東のサレルノから西のソレントまで約50kmの海岸線で世界遺産。<br />更にティレニア海に浮かぶカプリ島を加えた一帯は南イタリアきってのリーゾート地。<br /><br />加えて、カンパーニア州にはナポリとポンペイと云う良く知られた世界遺産が有り、南イタリアの旅はハイライトを迎える。<br /><br />のはずだったがアマルフィー海岸は重い雨雲に霞み、折角晴れたカプリ島は波高く、青の洞窟観覧ボートは浜に繋留されたまま動いてくれなかった。<br /><br />その代替として我々はカプリ島のつずら織りの道を登り、高所からカリブの海を眺めることになった。<br /><br />次いで訪れたポンペイは、ヴェスヴィオ山は拝めなかったものの、7年前のポンペイの旅では訪れてない秘儀荘を観ることが出来た。<br /><br /><br />紀元前8世紀、シチリアと共に南イタリアにはギリシャ人が続々移住したが、ナポリも移住先のひとつだった。<br /><br />紀元前5世紀〜6世紀にかけて”大ギリシャ”と誇った南イタリアのギリシャ諸都市が、土着民族の反乱などで衰退する中、新興ローマが南イタリアに南下、4世紀中頃にはカンパニアに進出、スパルタ人の建設した街ターラントも紀元前272年手中に収め、南イタリアでのローマの支配がほぼ完成する。<br /><br />一方シチリアでのカルタゴとの争いにてこずったいたギリシャは、メッシーナ海峡で横行していた海賊退治の援助を新興国のローマに要請。<br />これを機にローマがカルタゴと直接対峙することとなり、紀元前202年、第2次ポエニ戦争(対カルタゴとの勝利を決定ずけた戦い)後、<br />ローマはシチリア島を含めた南イタリア全域の支配者となる。<br />100年後にはローマ人の手で、ポンペイのフォロ(人民広場)の建設も進む。<br /><br />そのローマ(西ローマ帝国)も476年に滅亡し、その後ゴート族、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)、ランゴバルト族と支配者が移り、ランゴバルト族支配下でナポリはナポリ公国として独立、その時からナポリは南イタリアの中心として台頭、1282年ノルマン人の手で誕生したナポリ王国の首都となり、その後目まぐるしく主は変われども、ナポリは首都で有り続け、19世紀にはパリに次ぐ大国際都市と称賛される様になる。<br />その時代の栄華を象徴して「ナポリを観てから死ね」と云う名句は生まれた。<br /><br />1734年シチリアとナポリの王となり、一時はフランス軍の侵攻でシチリアに避難していたスペイン・ブルボン家が1815年復位し、シチリアとナポリを統合、ナポリ・シチリア両王国が誕生する。<br /><br />しかし1861年スペイン・ブルボン家にとって代わったサヴォイア家による統一イタリア王国が設立すると、首都機能はローマに移り、ナポリは次第に一地方都市となり、往年の栄華を失って行く。<br /><br />南イタリアの地方都市は、民衆の意を酌んで決起し、たちまちにして席捲したナポリ・シチリア両王国を、サルディーニア王国エマヌエーレ2世に献上し、統一イタリア王国設立を促進したガリバルディ将軍の意図に反し、ナポリの衰退につれて停滞の道を歩むことになる。<br /><br />再三見舞われた地震がこれに輪をかけた。<br /><br />薄汚れと、カモッラ(マフィアと同系統の暴力組織だが、その元はスペイン・ブルボン家の横暴への反抗組織)の横行で、一時は観光客の足も遠のきかけたナポリを、我々が「サンタルチア」を始めとするナポリ民謡等で感じ、心に描く明るいナポリに奇跡的に復興させたは、1994年先進国首脳会議がナポリで開催されたのをきっかけに、会議開催の前年ナポリ市長になったバッソリーノ氏が行った諸改革による成果らしい。<br /><br />そのナポリが今回のシチリア&南イタリア周遊旅行の終着地。<br /><br />老舗ブランディでのピッツァ”マルガリータ”で最後の晩餐。<br /><br />ssiB300南イタリア北西部 目次<br /><br />ssiB310南イタリアを西へ横断するバスの窓からの景観 <br />ssiB320南イタリアが誇るリゾート世界遺産アマルフィ海岸<br />ssiB330ポンペイ遺跡回遊 <br />ssiB340「帰れソレントへ 」<br />ssiB350「天気晴朗なれど波高く」青の洞門に変わるカプリ<br />ssiB360『ナポリを見てから死ね』・・・?<br />ssiB371ナポリ空港

ssiB300南イタリア北西部(目次)

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2010/02/22 - 2010/02/26

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WT信

WT信さん

雨模様の中をひたすら西に向かってバスは進む。

バジリカータ州の西の端ポテンツァを過ぎると、間もなくカンパニア州に入る。
そしてティレニア海が見えるとそこはサレルノの街で、ここからアマルフィー海岸は始まる。

アマルフィー海岸は東のサレルノから西のソレントまで約50kmの海岸線で世界遺産。
更にティレニア海に浮かぶカプリ島を加えた一帯は南イタリアきってのリーゾート地。

加えて、カンパーニア州にはナポリとポンペイと云う良く知られた世界遺産が有り、南イタリアの旅はハイライトを迎える。

のはずだったがアマルフィー海岸は重い雨雲に霞み、折角晴れたカプリ島は波高く、青の洞窟観覧ボートは浜に繋留されたまま動いてくれなかった。

その代替として我々はカプリ島のつずら織りの道を登り、高所からカリブの海を眺めることになった。

次いで訪れたポンペイは、ヴェスヴィオ山は拝めなかったものの、7年前のポンペイの旅では訪れてない秘儀荘を観ることが出来た。


紀元前8世紀、シチリアと共に南イタリアにはギリシャ人が続々移住したが、ナポリも移住先のひとつだった。

紀元前5世紀〜6世紀にかけて”大ギリシャ”と誇った南イタリアのギリシャ諸都市が、土着民族の反乱などで衰退する中、新興ローマが南イタリアに南下、4世紀中頃にはカンパニアに進出、スパルタ人の建設した街ターラントも紀元前272年手中に収め、南イタリアでのローマの支配がほぼ完成する。

一方シチリアでのカルタゴとの争いにてこずったいたギリシャは、メッシーナ海峡で横行していた海賊退治の援助を新興国のローマに要請。
これを機にローマがカルタゴと直接対峙することとなり、紀元前202年、第2次ポエニ戦争(対カルタゴとの勝利を決定ずけた戦い)後、
ローマはシチリア島を含めた南イタリア全域の支配者となる。
100年後にはローマ人の手で、ポンペイのフォロ(人民広場)の建設も進む。

そのローマ(西ローマ帝国)も476年に滅亡し、その後ゴート族、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)、ランゴバルト族と支配者が移り、ランゴバルト族支配下でナポリはナポリ公国として独立、その時からナポリは南イタリアの中心として台頭、1282年ノルマン人の手で誕生したナポリ王国の首都となり、その後目まぐるしく主は変われども、ナポリは首都で有り続け、19世紀にはパリに次ぐ大国際都市と称賛される様になる。
その時代の栄華を象徴して「ナポリを観てから死ね」と云う名句は生まれた。

1734年シチリアとナポリの王となり、一時はフランス軍の侵攻でシチリアに避難していたスペイン・ブルボン家が1815年復位し、シチリアとナポリを統合、ナポリ・シチリア両王国が誕生する。

しかし1861年スペイン・ブルボン家にとって代わったサヴォイア家による統一イタリア王国が設立すると、首都機能はローマに移り、ナポリは次第に一地方都市となり、往年の栄華を失って行く。

南イタリアの地方都市は、民衆の意を酌んで決起し、たちまちにして席捲したナポリ・シチリア両王国を、サルディーニア王国エマヌエーレ2世に献上し、統一イタリア王国設立を促進したガリバルディ将軍の意図に反し、ナポリの衰退につれて停滞の道を歩むことになる。

再三見舞われた地震がこれに輪をかけた。

薄汚れと、カモッラ(マフィアと同系統の暴力組織だが、その元はスペイン・ブルボン家の横暴への反抗組織)の横行で、一時は観光客の足も遠のきかけたナポリを、我々が「サンタルチア」を始めとするナポリ民謡等で感じ、心に描く明るいナポリに奇跡的に復興させたは、1994年先進国首脳会議がナポリで開催されたのをきっかけに、会議開催の前年ナポリ市長になったバッソリーノ氏が行った諸改革による成果らしい。

そのナポリが今回のシチリア&南イタリア周遊旅行の終着地。

老舗ブランディでのピッツァ”マルガリータ”で最後の晩餐。

ssiB300南イタリア北西部 目次

ssiB310南イタリアを西へ横断するバスの窓からの景観
ssiB320南イタリアが誇るリゾート世界遺産アマルフィ海岸
ssiB330ポンペイ遺跡回遊 
ssiB340「帰れソレントへ 」
ssiB350「天気晴朗なれど波高く」青の洞門に変わるカプリ
ssiB360『ナポリを見てから死ね』・・・?
ssiB371ナポリ空港

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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