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ムガール帝国の名を聞いたことのない人はいないと思うが、その起源について知る人は少ないのではないだろうか。ムガール帝国とは、1526年からインド南部を除くインド亜大陸を支配し、1858年まで存続したイスラム王朝である。中央アジア出身で、ティムール朝の王族ウマル・シャイフ・ミールザーを父、チンギス・ハーンの次男チャガタイを祖とするモグーリスタン・ハン家の王女ニガール・ハーニムを母とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族バーブルを始祖とし、彼が現在のアフガニスタンからインドに移って建国した。王朝名の「ムガール」とは、モンゴル人を意味するペルシア語の「ムグール」の短縮した読みであるムグルが転訛したものである。すなわち、「ムガール帝国」とは「モンゴル人の帝国」というほど意味の国名になる。<br /><br />1526年、ムガール帝国を創設したバーブルはデリー南方にあるアーグラを首都と定めた。その息子フマーユーンはヤムナー川に沿って約200km上ったところにあるデリーに新しく都市を建設し首都としたが、フマーユーンの息子アクバルは、再び首都をアーグラへと移した。1648年にデリーは再度ムガール帝国の首都となると、アクバルの孫シャー・ジャハーンによって再建される。その後デリーはインドの首都としての地位を獲得し、アーグラは静かな地方都市として落ち着く。 <br /><br />アーグラには3つのユネスコ世界遺産があり、一つはムガール帝国第5代皇帝、シャー・ジャハーンが築かせたインドの誇る遺産、投稿済みのタージ・マハールである。 <br /><br />二つ目は第3代皇帝アクバルが1565年に築かせたアーグラ城(要塞)である。タージ・マハールとは対照的に赤い砂岩で築かれた、ムガール帝国の繁栄を象徴する巨大な要塞である。ムガール帝国の繁栄を引き継ぎ、タージ・マハール建設のため国を傾けたシャー・ジャハーンであるが、その息子のアウラングゼーブは兄弟を殺害し、父親を幽閉して帝位に就いた。血も涙もない皇帝であったが、唯一タージ・マハールがヤムナー川に浮かぶように見える部屋に父親を幽閉したところに救いを見ることができる。<br /><br />三つ目の世界遺産はアクバル帝が居城としたファテープル・スィークリーである。世継ぎに恵まれなかったアクバルはアーグラから約40km南西のこの地に住む聖者チシュティーの預言によって男児(後の第4代皇帝ジャハンギール)を得た。これにちなんでアクバルは1571年に首都をこの地に移転させた。アーグラ城と同じ赤い砂岩で壮麗な宮廷やモスクを築いた。アーチやドームを多用する従来のイスラム建築に、インド固有の仏教やヒンドゥー教の石窟寺院に見られる傾斜した屋根や庇を織り込んだ建築様式を融合させたユニークな建築スタイルを持つ。この建築に、中国(モンゴル)木造建築スタイルへの類似性、または回帰を見るのは私だけだろうか?なお、この都は水不足に悩まされ、14年後には打ち捨てられた。

インドの世界遺産No. 4 & 5:ムガール帝国の残照、アーグラ城とファテープル・スィークリー(改訂版)

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2010/03/07 - 2010/03/08

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ハンク

ハンクさん

ムガール帝国の名を聞いたことのない人はいないと思うが、その起源について知る人は少ないのではないだろうか。ムガール帝国とは、1526年からインド南部を除くインド亜大陸を支配し、1858年まで存続したイスラム王朝である。中央アジア出身で、ティムール朝の王族ウマル・シャイフ・ミールザーを父、チンギス・ハーンの次男チャガタイを祖とするモグーリスタン・ハン家の王女ニガール・ハーニムを母とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族バーブルを始祖とし、彼が現在のアフガニスタンからインドに移って建国した。王朝名の「ムガール」とは、モンゴル人を意味するペルシア語の「ムグール」の短縮した読みであるムグルが転訛したものである。すなわち、「ムガール帝国」とは「モンゴル人の帝国」というほど意味の国名になる。

1526年、ムガール帝国を創設したバーブルはデリー南方にあるアーグラを首都と定めた。その息子フマーユーンはヤムナー川に沿って約200km上ったところにあるデリーに新しく都市を建設し首都としたが、フマーユーンの息子アクバルは、再び首都をアーグラへと移した。1648年にデリーは再度ムガール帝国の首都となると、アクバルの孫シャー・ジャハーンによって再建される。その後デリーはインドの首都としての地位を獲得し、アーグラは静かな地方都市として落ち着く。

アーグラには3つのユネスコ世界遺産があり、一つはムガール帝国第5代皇帝、シャー・ジャハーンが築かせたインドの誇る遺産、投稿済みのタージ・マハールである。

二つ目は第3代皇帝アクバルが1565年に築かせたアーグラ城(要塞)である。タージ・マハールとは対照的に赤い砂岩で築かれた、ムガール帝国の繁栄を象徴する巨大な要塞である。ムガール帝国の繁栄を引き継ぎ、タージ・マハール建設のため国を傾けたシャー・ジャハーンであるが、その息子のアウラングゼーブは兄弟を殺害し、父親を幽閉して帝位に就いた。血も涙もない皇帝であったが、唯一タージ・マハールがヤムナー川に浮かぶように見える部屋に父親を幽閉したところに救いを見ることができる。

三つ目の世界遺産はアクバル帝が居城としたファテープル・スィークリーである。世継ぎに恵まれなかったアクバルはアーグラから約40km南西のこの地に住む聖者チシュティーの預言によって男児(後の第4代皇帝ジャハンギール)を得た。これにちなんでアクバルは1571年に首都をこの地に移転させた。アーグラ城と同じ赤い砂岩で壮麗な宮廷やモスクを築いた。アーチやドームを多用する従来のイスラム建築に、インド固有の仏教やヒンドゥー教の石窟寺院に見られる傾斜した屋根や庇を織り込んだ建築様式を融合させたユニークな建築スタイルを持つ。この建築に、中国(モンゴル)木造建築スタイルへの類似性、または回帰を見るのは私だけだろうか?なお、この都は水不足に悩まされ、14年後には打ち捨てられた。

旅行の満足度
3.5
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.0
ショッピング
3.0
交通
3.0
同行者
友人
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
タクシー 飛行機
航空会社
ジェットエアウェイズ (運航停止)
旅行の手配内容
個別手配

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  • アーグラ城の入り口

    アーグラ城の入り口

  • アーグラ城の外壁

    アーグラ城の外壁

  • アーグラ城の外壁

    アーグラ城の外壁

  • アーグラ城の城門

    アーグラ城の城門

  • アーグラ城内の建物

    アーグラ城内の建物

  • アーグラ城内の中庭

    アーグラ城内の中庭

  • アーグラ城内の建物

    アーグラ城内の建物

  • アーグラ城内の建物の装飾

    アーグラ城内の建物の装飾

  • アーグラ城から眺めるタージ・マハールの遠景

    アーグラ城から眺めるタージ・マハールの遠景

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリーの中庭

    ファテープル・シークリーの中庭

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリーの柱の装飾

    ファテープル・シークリーの柱の装飾

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリー内の建物

    ファテープル・シークリー内の建物

  • ファテープル・シークリの中庭

    ファテープル・シークリの中庭

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