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張機(ちょうき、150年? - 219年)は中国後漢の官僚で医師。一般には「張仲景」(仲景は字)としてよく知られ、その医学上の功績から医聖と称えられる。荊州の南陽郡(異説あり)で生まれた張機は親孝行で清廉であったため、孝廉として推挙されて官僚生活を送り献帝の建安年間初期には長沙太守であったという(建安元年は196年にある。なお、その4年前までは孫堅が長沙太守にあった)。青年時代に同郷の張伯祖から医術を学んだと言う。彼は、後漢末期の混乱と更に追い討ちをかける疫病(二百人いた親族のうち3分の2が10年間のうちに疫病によって死亡し、うち7割が「傷寒病」だったという)に心を痛め、官を退いて医学の研鑽に務める事になった。古代から伝わる医書の知識と自らの経験を加えて書かれた『傷寒雑病論[1]』(後世、「傷寒論」と「金匱要略方論」の2種類の書として分割されており、それぞれの項目を参照のこと)を著すことになった。<br />

南陽の医聖祠

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2010/07/24 - 2010/07/24

78位(同エリア112件中)

旅行記グループ 南陽・歴史建築

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中国の風景

中国の風景さん

張機(ちょうき、150年? - 219年)は中国後漢の官僚で医師。一般には「張仲景」(仲景は字)としてよく知られ、その医学上の功績から医聖と称えられる。荊州の南陽郡(異説あり)で生まれた張機は親孝行で清廉であったため、孝廉として推挙されて官僚生活を送り献帝の建安年間初期には長沙太守であったという(建安元年は196年にある。なお、その4年前までは孫堅が長沙太守にあった)。青年時代に同郷の張伯祖から医術を学んだと言う。彼は、後漢末期の混乱と更に追い討ちをかける疫病(二百人いた親族のうち3分の2が10年間のうちに疫病によって死亡し、うち7割が「傷寒病」だったという)に心を痛め、官を退いて医学の研鑽に務める事になった。古代から伝わる医書の知識と自らの経験を加えて書かれた『傷寒雑病論[1]』(後世、「傷寒論」と「金匱要略方論」の2種類の書として分割されており、それぞれの項目を参照のこと)を著すことになった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • ここならどんな病気でも治してくれそうです。<br />

    ここならどんな病気でも治してくれそうです。

  • 醫聖張仲景故里<br /><br />

    醫聖張仲景故里

  • <br />全国重要文物保護単位 張仲景墓及祠<br />


    全国重要文物保護単位 張仲景墓及祠

  • 入り口<br />

    入り口

  • 張仲景醫史文献館<br />

    張仲景醫史文献館

  • 中国では三国志に良く出てくる華陀よりも張仲景の方が人気がある人物です。そんな偉い先生とは知らず失礼いたしました。<br /><br />

    中国では三国志に良く出てくる華陀よりも張仲景の方が人気がある人物です。そんな偉い先生とは知らず失礼いたしました。

  • 醫聖張仲景

    醫聖張仲景

  • <br />中に張仲景を称える石碑がある。<br /><br />


    中に張仲景を称える石碑がある。

  • 大門<br />

    大門

  • 墓殿の裏側の回ると張仲景墓です。<br /><br />

    墓殿の裏側の回ると張仲景墓です。

  • <br />功績大ですが墓は小さい。<br />


    功績大ですが墓は小さい。

  • 中に張仲景を祭ってあります。<br /><br />

    中に張仲景を祭ってあります。

  • <br />中に張仲景像がある。<br />


    中に張仲景像がある。

  • 王権和 張仲景の両側に祭られているが弟子なのか?不明<br /><br />

    王権和 張仲景の両側に祭られているが弟子なのか?不明

  • 孫思遊 張仲景の両側に祭られているが弟子なのか?不明<br /><br />

    孫思遊 張仲景の両側に祭られているが弟子なのか?不明

  • 秋風閣

    秋風閣

  • 庭園<br />

    庭園

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br /><br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の漢方薬局店には、同仁堂や敬修堂、天一堂など「堂」がついた店名が多い。日本でも○○堂といった薬局が多いが、この由来は、医聖祠に祭られている後漢の医者、張仲景にある。<br />

    中国の漢方薬局店には、同仁堂や敬修堂、天一堂など「堂」がついた店名が多い。日本でも○○堂といった薬局が多いが、この由来は、医聖祠に祭られている後漢の医者、張仲景にある。

  • 幼時から医書に親しんだ張仲景はここ南陽県の人。長沙の太守をしていた時、腸チフスが流行したことがあったが、彼は公務の傍ら病人の治療にあたった。<br /><br />

    幼時から医書に親しんだ張仲景はここ南陽県の人。長沙の太守をしていた時、腸チフスが流行したことがあったが、彼は公務の傍ら病人の治療にあたった。

  • 時には公堂(役所)でも診察して病人を救ったため、医聖と呼ばれ、彼の功績を記念するために、漢方薬店では「座堂行医」(堂に座して医を行う」の意味をとって店名に「堂」をつける店が多くなった。<br /><br />

    時には公堂(役所)でも診察して病人を救ったため、医聖と呼ばれ、彼の功績を記念するために、漢方薬店では「座堂行医」(堂に座して医を行う」の意味をとって店名に「堂」をつける店が多くなった。

  • 後に張仲景は臨床実践の書として「傷寒雑病論」を書した。<br /><br />

    後に張仲景は臨床実践の書として「傷寒雑病論」を書した。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。<br />

    中国の医薬の歴史をパネルで紹介しています。

  • 張仲景を称える石碑が並んでいる。中に日本からの石碑もある。

    張仲景を称える石碑が並んでいる。中に日本からの石碑もある。

  • 中国の歴代の有名医の像が並ぶ。<br />

    中国の歴代の有名医の像が並ぶ。

  • 醫聖祠前の橋。真ん中の文字が読めません。<br /><br />

    醫聖祠前の橋。真ん中の文字が読めません。

  • 入場券 半票13元<br />

    入場券 半票13元

  • 醫聖祠前のレストランの看板に餃子を発案したのは張仲景であると書いてある。<br />

    醫聖祠前のレストランの看板に餃子を発案したのは張仲景であると書いてある。

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