2011/01/17 - 2011/01/17
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kuritchiさん
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1995年1月17日午前5時46分。。。
あの寒い朝から、はや…、もう… 16年が経とうとしています…。
最近、~生きる~という事をつきつめて考える年齢になってきた様な気がします…。
阪神淡路大震災の追悼行事「阪神淡路大震災1・17のつどい」が行われた神戸市中央区の東遊園地に出掛けて、私も祈りをささげつつ、
~生きる~とういうこと…、伝えていくこと…を噛みしめてきました。
いろいろと考えているうちに…
生きるっていうことは、諦めないで続けるって事ではないか…と思えてきました…。
時には目をそむけたくなる時もあるけれど、
希望に向かって、生きていきます…。 諦めません…。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
「阪神淡路大震災1・17のつどい」
阪神・淡路大震災発生から丸16年を迎える前の1月10日に、神戸市中央区の東遊園地にともされているガス灯「1・17希望の灯り」の分灯が始まりました。
そして16年を経た1月17日午前5時46分、
この神戸市中央区の東遊園地で、「1995 1・17」の形に並べられた竹灯篭に希望の灯りがともされました。 -
「阪神淡路大震災1・17のつどい」
発生より16年を迎えたこの日、各地で追悼行事が行われます。
神戸市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」は、
この日の朝より、希望者による希望の灯りに点火、記帳、献花などが終日行われました。
また、紀州梅干しやおにぎりの無料配布(右上)やぜんざいの無料配布(右下はその配布を待つ列)などのボランティア活動も行なわれていました。 -
「阪神淡路大震災1・17のつどい」
毎年、震災の起こった日の同じ時刻の
1月17日午前5時46分に東遊園地のこの地で
「阪神淡路大震災 1.17のつどい」が行われています。 -
今年の震災16年の「阪神淡路大震災1・17のつどい」に、約5100人が訪れたそうです。
これは震災15年で日曜日だった昨年に比べ、約6割の参加人数だったそうです。 -
でも、遺族や震災の痛手を被った人々には、
震災後、16年が経ても、痛みは消えることはありません…。 -
「阪神淡路大震災1・17のつどい」
会場の東遊園地は、神戸市中央区、神戸市役所の南側にあり、フラワーロードの西に広がる公園です。
1868年に外国人居留遊園の名称で開園した日本で最初の西洋式運動公園とされる。開園当時は外国人専用であった。公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。
(ウィキペディアより) -
ここ東遊園地は、阪神淡路大震災の犠牲になった人々の鎮魂と神戸の復興と再生の願いを込めて始まった
「ルミナリエ神戸」のメイン会場でもあります。 -
毎年、12月の約1週間は、
神戸市民の再生の祈りを込められた
目映いばかりの色とりどりの光ので溢れる東遊園地…。
今日ばかりは、鎮魂と静かな祈りであふれていました…。 -
東遊園地の一角にある「マリーナ像」
マリーナ像は地震発生時刻に停まってしまったままの時計を抱え、震災を忘れないための「震災モニュメン」として、この場所に設置されています。 -
今は修復されていますが、阪神淡路大震災によって倒壊したマリーナ像。
震災では、ほとんどのものが壊れてしまいました…。 -
震災を忘れない為にも、鎮魂の気持ちを込めて…
黙とう。。。 -
多くの人が、思い思いの気持ち、祈りを込めて…
1995 1・17 と形どられた竹の灯篭に向かって黙とうを捧げます。。。 -
竹の灯篭の内側には、いろいろな思いを込めた言葉が書かれていました…。
-
祈る人々。。。
-
忘れはしない。。。
あの日。。。
あの時。。。 -
1995年1月17日。
あの頃、私は兵庫県三田市に住んでいました。
三田市は六甲山を隔てて神戸市の反対側にあります。
その前日、引っ越ししたばかりのわが家に友人一家が訪ねて来て、楽しい一日を過ごしました。
その朝、たまたま早く起きた私は、寒かった所為もありコーヒーでも沸かそうと台所にいました。
そして、5時46分…。
いきなり、ど〜〜ん!!ミシミシ……という音と同時にこれまで経験したことのない縦揺れ!!!
(もちろん身動きが出来る筈もありません!)
激しく揺れる中、やっとの思いでガスを消し、ふと見ると食器棚が私に向かって倒れてこようとしていました!!
(ぎゃぁ〜とでも言ったのでしょうか…)
私の声を聞き付けたダンナが「なんだ?! なんだ?!どうなったんや〜」と、廊下の壁にぶつかりながら私の方にやってきました。
二人で必死に倒れてきたその食器棚を抑えていた時間の長かったこと…。
激しい縦揺れの後の長〜〜い横揺れ…。
昨日友人が持って来てくれた日本酒の瓶が倒れ、割れる音…
テレビが落ちる音…
(寝室のテレビはベッドを直撃後、壁にぶつかり、壁に大きな穴が開いていました…)
電灯が天井にぶつかっている音…。 etc…
その間、どれくらいだったでしょうか…。
この世が終わってしまった…と思えたほどでした…。 -
やっと揺れが収まり、そっと外をのぞいて見ると、
そこは静かないつもの街の姿。。。
(三田市は震度5強だったそうです。)
子供たちの無事を確かめ、ほっとする間もなく、これからの事を話し合っていた時、テレビから流れた映像が、あの阪神高速道路の落下の画面でした…。
そして次々と入ってくる情報は、信じられないものばかり…。
やっとの思いで駅まで行くと、行く途中にも地震が頻発し、信号機は点滅…、駅はごった返し…、電話も通じない…。 -
ダンナの実家に何度電話しても通じない…。
段々心配になり、ダンナは必死の覚悟でダンナの実家(現在の我が家)に車で出かけました。
やっとの思いで辿りついたダンナの実家はほぼ全壊状態でした…。
地震の最初のど〜ん!で家ごと上に上がり、建っていたところからずれて落ちたそうです。窓は歪み、玄関の扉も開かず、もちろんガスも電気も水道も通じず…。
ダンナの実家の周りの家のほとんどが、全壊!
裏の家のおじいさんは、亡くなられました…。
震度7強の地域でした…。 -
その頃まだ元気だったお義母さんは、箪笥と箪笥の隙間の空間に上手く挟まっていたので、無事でした…。
お義父さんは、やっとの思いで、お義母さんを救い出したそうです。
その頃は、家が壊れていても、命が助かっただけでもよかった…、と思っていました。
ダンナのずっと仲良しだったお友達のお父さんも亡くなられていました…。
あっと言う間に、家の下敷きになって亡くなられたそうです…。
それから暫くはダンナの実家への水や物資の配達の日々が続きました。
家が壊れていても、みんな助け合い、協力し合って暮らしていました。
水の確保が大変でした。何よりもトイレの水の確保が大変でした…。
卓上ガスで煮炊きをし、お皿は洗えないので、最初は紙皿でしたが、紙皿も貴重になり、サランラップを敷いて使いました。
車は通行出来ないし、電車も不通だったので、何処へ行くのも歩き!
線路の上を歩いていました。
代替バスは、いつも長蛇の列…。でも誰も文句も言わずに、待っていました。
電信柱や建物はどれもそれぞれ歪んでたっていたので、平行感覚がおかしくなってました。
道は、至る所、瓦礫で通れなくなっていたし、亡くなられている人も長らく取り残されていました。亡くなられている人を道で見かけても、驚かなくなってしまった程でした…。 -
毎年、この時期になると…
必ず、思い起こしますからね…。 -
震災から、16年も経つと…
あの「阪神淡路大震災」を全く知らない世代の人々が出来てきます。
その世代の人たちにもあの時の事を伝えていくのが、私達世代の務めです
あの時、最初は命があっただけで「よかった…」と思えた…。
家がつぶれていても、まだ思い出や家族が残っているだけで、よかった…。
お水や明かりの温かさがありがたさが良くわかった…。
冷たくても、おにぎりが美味しかった…。
隣人の声かけが、ありがたかった…。
ひとりじゃないって、素晴らしいことに思えた…。
自分の家で水が出るってことの便利さに感謝した…。
これで、もうトイレの水を心配しなくても良くなった…。
水を貰うのに、ポリタンクを持って並ばなくてもいい…。
電気がついた時も、温かかった…。
義父達とエジソンが電気を発明した頃の感動ってこんな感じだったのかしら…と話していたっけ…。
こんな便利なものに囲まれていたんだ…とも思ったそうです…。
ガスがなかなか通りませんでした…。
その為お風呂になかなか入れなかった義父と義母は、遠くの銭湯まで入りに行っていました。
洗濯も大変でした…。 -
でも、今はもうみんな、思い出…。
16年も経つと、昔の話の様に 語られることはあるけれど…。
今は、思い出になりつつある…。
あの時、各地から駆け付けてくれた、多くのボランティアの人達…。
人の温かい気持ちや言葉にも勇気づけられました…。
辛かった筈なのに、「あの頃はよかった…」と言う人もいます。
つらい筈の時期でも、
慰め合える 仲間がいた
辛さを分かち合える 隣人がいた -
辛くとも、あの頃は頑張れたっけ…。
あんなに辛くても、何故頑張れたんだろう…。
先の事を考えると、もっと辛くなった事もあったけれど…
まだ、命があっただけまし…そう言って、みんなで励まし合って頑張ってきたっけ…。 -
あの頃、ダンナが言っていた…
電気がいつ通るんだろう…。ガスは…、水道はどうなるんだろう…。
家の立て直しはどうしよう…。そんな事を考えている筈なのに…。
大阪に仕事をしに出かけると…
そこは、光!文明の洪水!の世界・・・
美味しい食べ物も、お酒もふんだんにあり、
まるで、何事もなかった様な世界がある…。
この差は何なんだろう。。。?って…。
でものんびりなんか出来なかったっけ…。
シートを広げていた屋根を直し
家を何とか直し、壊れたものを捨て…。
電車も通り出し… 人の流れが随分とスムーズになってきた…。
時間がかかったけれど、また、元の様にとは言えなくても
みんな少しずつ戻ってきて、同じように住みだした…。
少しずつだけれど、前に進んで行った…。
でも、戻って来れない人がいた…。
そのまま、転居した人もいた…。 -
それでも、人は 祈る。。。
楽しかったことや、辛かった事を
思い出し…、 -
それでも、祈る。。。
生きてきたから… -
「阪神淡路大震災 1・17希望の灯り」
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒(だんらん) 街並み 想い出
…たった1秒先が予知出来ない人間の限界…
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
(記念碑より)
献花がなされていました…。
まだ拭い去れない、思い…。 -
「阪神淡路大震災 1・17希望の灯り」
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ
(記念碑より) -
「シンサイミライノハナ」
「神戸震災復興記念公園」(神戸市中央区浜辺通)や「東遊園地公園」で、「シンサイミライノハナプロジェクト」が開催されていました。
「シンサイミライノハナ」は、花びらの形をした10センチほどの黄色いメッセージカードにそれぞれの参加者が、思い思いの「ワタシにとっての震災とは」を記入し、その後カード5枚づつを組み合わせて花の形に仕上げられ、展示されるそうです。
可愛い子供の字で、書かれているメッセージに目がいきました(^^
私も参加させていただきました。 -
記帳の列にも並んで、記帳を済ませ、献花もさせていただきました…。
真っ白い、菊の花を 一輪。。。 -
「希望の灯り」の傍にある池に、献花します…。
-
引き続き、この点灯や「1・17のつどい」が来年も続けられる様にとの祈りも込めて、灯火のろうそくを灯させていただきました…。
長いろうそくで貰い火をして、竹筒の中の水にろうそくを浮かべ、火を灯します…。
私は、「夢」の竹筒を選んで、灯しました。。。 -
人は、何故あんなに辛い思いをしながらも
なお、生き続けれたのだろうか…?
絶望?! いいえ…。
みんな 希望を持って生きていこうとしていた…。
そう それでも、みんなで励まし合いながら、
生きてきた。。。 -
〜生きる〜
人って ひとりじゃないんだから。。。
あきらめちゃったら ダメなんだから。。。
〜生きる〜 -
青の頃と時は変わり、この公園のすぐそばにも、高層マンションが分譲されています…。
光と暗。。。でしょうか…。 -
頑張る! 頑張れ! なんて 言わないよ…。
だって、頑張ってるって わかっているんだもの…
辛い時は思いっきり泣いて
また そして… 眠って… 休んで… そして、
次の日は、できたらでいいから…
笑顔で
生きて行こう。。。 -
お昼頃になり、より多くの人々が祈りに集まってきました。。。
やっぱり、みんな 忘れない。。。 -
毎年、この日がくると
繰り返される鎮魂の祈り…
それでも、人は〜生きる〜
あきらめないで 生きる。。。
この重いテーマにもかかわらず、最後までお付き合いいただきありがとうございました…。
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この旅行記へのコメント (22)
-
- nomo1215さん 2011/02/06 14:40:46
- 16年目の阪神淡路大震災・・。
- kuritchiさん
やっぱり同年代のnomo1215です・・。
じ〜〜んと感動しながら1文字1文字しっかりと読ませて
いただきました・・。
あれからもう16年がたつのですね・・。
私は関東に住んでおりますのであの日の朝のTVのニュースで
知りました。子供たちを学校に送り出す忙しさと自分も仕事に
行く準備でいつもの地震だろう??・・くらいに思って出勤。
会社で珍しくTVを付けていると思いきや・・。
あの震災の惨さが流れていました。
遠く離れた場所での出来事だったため、確かに年々
記憶の中からは消えつつある出来事・・。
この旅行記から改めて大変だった当時とそこで暮らす人々
・・感慨無量です・・。
16年・・私も自分達だけの暮らしから子供が家を離れ
今は、年老いた両親との暮らし・・あっという間だったけれど
振り返るといろんな事が沢山あって今の自分(老婆)が
いるんですね・・。
この先にも何が待ち構えているやら・・。
素晴らしい旅行記ありがとうございました。
nomo1215
- kuritchiさん からの返信 2011/02/06 19:03:21
- RE: 16年目の阪神淡路大震災・・。
- やっぱり同年代のnomo1215さん、こんばんは^^
書き込みいただきありがとうございます^^
旅行記を丁寧にお読みいただきありがとうございますm(_ _)m
あれからもう16年の歳月が過ぎてしまいました…。
毎年毎年、もう○年経ってしまったのか…と思っていた私でしたが、
今年のニュースで、16年経ってやっと「1・17のつどい」に参加出来る様になったとコメントされた方を拝見し、いたたまれない気持ちになり、会場の東遊園地に足を運びました。
大震災を『辛かった思い出・過去』にしようとしていた自分に引き替え、語ろうとするどころかその集いに参加することも出来なかった人がいらっしゃる事実…。
私は逃げていたんだと思いました…。
現在年老いた親や病気の両親や親戚達に囲まれ、「生きていく!」について日ごろから思い悩んでいる中、あらためて「生」についても考えさせられた一日でもありました。
拙いこの旅行記に目にとめて下さり、当時のことや人に思いを馳せていただき、ありがとうございました。m(_ _)m
> 16年・・私も自分達だけの暮らしから子供が家を離れ
> 今は、年老いた両親との暮らし・・あっという間だったけれど
> 振り返るといろんな事が沢山あって今の自分(老婆)が
> いるんですね・・。
> この先にも何が待ち構えているやら・・。
あの前日でも、こんな事が起きるなんて思いもしませんでした。
神戸は地震の縁のないところだと信じ込んでいましたから…。
2度と遭いたくない出来ごとですが、いろいろなことが沢山あっての『人生』ですものね…(^^;
自分(老婆?)の姿を認めたくないような…(笑)
> 素晴らしい旅行記ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました…。
人生山あり、谷あり…(???ず〜と谷ばかりだった???笑)
それでも、前向きに行きていけたらいいなぁ〜と思っている…
kuritchi
-
- ぱとさん 2011/02/05 18:40:39
- ドキュメント番組を見た気分になりました
- kuritchiさん、こんにちは。
最初は富山のブリの旅行記からおじゃまし、
美味しそうな写真の数々に見とれていたのですが、
こちらの阪神淡路大震災の旅行記を読み始め・・・
震災当時の私はまだ子供で、できることも何もなく、
状況を映し出すテレビを見ているだけでした。
kuritchiさんが体験された内容を読みながら、
その時から16年も経過したんだということに今更ながら驚き、
震災の被害を受けなかった自分たちがいかに幸せで、
あたり前だと思っていた今の生活がいかにありがたいことなのか、
ということに気づかされました。
ありがとうございました。
またお邪魔します^^
- kuritchiさん からの返信 2011/02/06 18:31:12
- RE: ドキュメント番組を見た気分になりました
- ばとさん、こんばんは^^
ご訪問、そして書き込みいただきありがとうございます^^
> 最初は富山のブリの旅行記からおじゃまし、
> 美味しそうな写真の数々に見とれていたのですが、
> こちらの阪神淡路大震災の旅行記を読み始め・・・
kuritchiこと食いっちです(笑)
頭の中は胃袋?が詰まってます… 多分…。
> 震災当時の私はまだ子供で、できることも何もなく、
> 状況を映し出すテレビを見ているだけでした。
> kuritchiさんが体験された内容を読みながら、
> その時から16年も経過したんだということに今更ながら驚き、
> 震災の被害を受けなかった自分たちがいかに幸せで、
> あたり前だと思っていた今の生活がいかにありがたいことなのか、
> ということに気づかされました。
そんな私がどうしても忘れることの出来ない『思い』が、阪神淡路大震災でした…。
当然だと思っていた事々が出来なくなり、
大好きな神戸や自分の身近な場所があっという間に突然変わり果てた姿になってしまったこと…。
そして、なかなかその現実から神戸や阪神間が立ち直れなかったこと…。
「生きていく!」ということ…。「祈り」…。etc…。
大震災から16年という年月が経ち、「過去」になろうとしている現在、
少しでも「伝えること」が出来ないかと思ってアップさせていただいた旅行記でした。
その思いが伝わり、あの頃若かったばとさんのお目にとめていただけて、アップさせていただいた甲斐がありました。
> ありがとうございました。
私の方こそ、ありがとうございました…。
> またお邪魔します^^
こちらこそ、またお邪魔させていただきます^^
kuritchi
-
- たらよろさん 2011/02/03 21:13:57
- 16年の歳月が流れ・・・
- こんばんは〜kuritchi様。
遅ればせながらレクイエムにお邪魔してます。
あのときから早16年ですね。
私もその頃は出社が早かった為、
すでにこの時間は起きて外出の用意をしていました。
そして起こった大地震。
混乱の中、電車に乗りバスに乗り
出社したのを昨日のことのように思い出します。
私は大学時代の友人のお母様が亡くなりました。
今は九州で噴火が恐ろしいことになってますね。
天災、、、
その一言で片付けられないやるせなさがあります。
ところで、今年のこの日は京都は大雪で
交通マヒが起こってましたが、あれ???神戸は大丈夫だったの?
たらよろ
- kuritchiさん からの返信 2011/02/05 13:35:02
- RE: 16年の歳月が流れ・・・
- たらよろさん、こんにちは^^
私は、またまた実家です…(^^;
すっかりお返事が遅くなり、すいませんでした…m(_ _)m
あの日から16年経ったこの日、神戸は午前中からとってもいいお天気でした。
この日の京都は大雪だったのですか?!(@@;
今年の雪は降り出したら、大変ですね〜
実家のある北陸は、30年以来の豪雪に見舞われ、現在実家に居る私はひたすら雪と大格闘!!の日々を送っています(^^;
(こんなに雪って、大変だったっけ…と思わされています。)
こちらでは約3日間、電車も道路も、大混乱!でした(・・;
> 遅ればせながらレクイエムにお邪魔してます。
> あのときから早16年ですね。
> 私もその頃は出社が早かった為、
> すでにこの時間は起きて外出の用意をしていました。
> そして起こった大地震。
> 混乱の中、電車に乗りバスに乗り
> 出社したのを昨日のことのように思い出します。
> 私は大学時代の友人のお母様が亡くなりました。
> 今は九州で噴火が恐ろしいことになってますね。
> 天災、、、
> その一言で片付けられないやるせなさがあります。
本当にそうですね…。
今の九州の噴火といい、今も各地、全世界で起こっている地震といい、
『天災』の一言では済まされないものがありますよね…。
淡路阪神大震災にしても16年経ってもなお、癒されない思いの方…、16年を経てやっと、あの東遊園地の会場に足を運べた方…、etc… まだ心に大きな傷をもたれていらっしゃる方も少なくないとお聞きしています。
たらよろさんもあの時のことをしっかりと覚えていらっしゃるんですね…。
あの時は電車に乗るという当たり前だと思われた事さえ、大変だったですものねぇ…。
あの時の思い、記憶を忘れずに、次ぎの時代にも伝えていくことが、せめての鎮魂、残されたものにできる事だと思います。
もう二度とあんな思いをしなくても済むように…、そう願いながら、
お祈りさせていただきました。
kuritchi
-
- Maiさん 2011/01/21 18:31:55
- 言葉がありません。。。
- kuritchiさん、こんばんは。
16年経つのですね。。。涙が出ました。
あの朝、福岡に居ましたが、なぜかふと目が覚めました。
ベットを抜け出して廊下へ。
パジャマにちょっとカーデガンを羽織っただけでは
とっても寒かったのを覚えています。
あの朝、パジャマのまま外に逃げられた方も沢山いらっしゃると伺いました。
どれだけ寒かったのだろう。。と考えました。
言葉がありません。。。
とにかく毎日を大切に生きて生きたいと改めて思いました。
Mai
- kuritchiさん からの返信 2011/01/24 12:56:51
- RE: 言葉がありません。。。
- Maiさん、お久しぶりです^^
書き込みいただきありがとうございます^^
すっかりお返事が遅くなりすいませんでした…m(_ _)m
> 16年経つのですね。。。涙が出ました。
そうなんです…。
忙しい日々を送り、ふと気がつけばもう16年経っていました。
この日、三宮の被害が甚大だった所にも足をのばしましたが、
16年の年月を経、あの時を思い出させるものは残っていませんでした。
ただ、あの震災を契機に辞めてしまったり、移ってしまったお店がたくさんあり、かつて在った筈のものが無くなってしまったのは寂しい限りです。
でも、忙しそうに道行く人々はそんな事に気づく事なく、現在の復興したように見える街を通っているのだと思うと、とても複雑な思いになりました。
> あの朝、福岡に居ましたが、なぜかふと目が覚めました。
> ベットを抜け出して廊下へ。
> パジャマにちょっとカーデガンを羽織っただけでは
> とっても寒かったのを覚えています。
>
> あの朝、パジャマのまま外に逃げられた方も沢山いらっしゃると伺いました。
> どれだけ寒かったのだろう。。と考えました。
あの頃、家を失った人は裸足で泥だらけになりながら、パジャマの上に毛布をかけてもらい、現実に起きたことに呆然としながら、寒さに震えていました…。
私の知人(女性)が車で走っていると(直後は自動車通行の制限がありませんでした)突然、物陰から中年の女性が出て来られたそうです。
その女性は全裸姿でした。入浴中に震災に遭われ、必死でお風呂から外に飛び出したお陰で命は助かったものの、家は全壊…。時間が経っても、全裸だったので助けを求めることも出来ず、近くを女性が通るのをず〜っと物陰に隠れて待っていたそうです。そしてたまたま女性運転の車が通ったので、飛び出して助けを求めたそうです。その人は寒さと現実に暫く震えが止まらなかったそうです。
なにも出来ない知人は、その人を近くの避難所に届けるのが精一杯だったそうです。
どんな思いで、寒い中をひとりで、裸で震えながら人が通るのを待っていたのかと思うと、今でも胸が詰まります。
> 言葉がありません。。。
> とにかく毎日を大切に生きて生きたいと改めて思いました。
何気なく、平穏に暮らしている日々。。。
それがこんなに大切だったなんて…。
たまにはふり返って、感謝の気持ちを新たにしたいです
kuritchi
- Maiさん からの返信 2011/01/25 18:09:59
- RE: RE: 言葉がありません。。。
- kuritchiさん、こんばんは。
> 私の知人(女性)が車で走っていると(直後は自動車通行の制限がありませんでした)突然、物陰から中年の女性が出て来られたそうです。
> その女性は全裸姿でした。入浴中に震災に遭われ、必死でお風呂から外に飛び出したお陰で命は助かったものの、家は全壊…。時間が経っても、全裸だったので助けを求めることも出来ず、近くを女性が通るのをず〜っと物陰に隠れて待っていたそうです。そしてたまたま女性運転の車が通ったので、飛び出して助けを求めたそうです。その人は寒さと現実に暫く震えが止まらなかったそうです。
> なにも出来ない知人は、その人を近くの避難所に届けるのが精一杯だったそうです。
> どんな思いで、寒い中をひとりで、裸で震えながら人が通るのを待っていたのかと思うと、今でも胸が詰まります。
>
何とも胸の詰まるお話ですね。
どんなにか心細く、どんなにか寒かったことでしょう。
本当に、当たり前に過ごせることに、たまには振り返って感謝し、
もしも、困ったことが起きた時は、お友達の様に手を差し伸べられる
そんな人でいたいですね。
Mai
-
- まりりんさん 2011/01/21 15:02:44
- 生きていること
- kuritchiさん、こんにちは。
kuritchiさんと御主人、ご家族が生きていて本当に良かった!!!!
語弊があるかもしれませんが、一人生き残ってもそれはそれで辛いかもしれません。
やはり、胸がチクチク、涙うるうるで読まずにはいられませんでした(;;
私の叔母は神戸市西区にいたので、大したことはなかったようですが
実際に体験した友人などから話を聞くとそれはすさまじかった様です。
今は御近所とのつながりが希薄になっているこのご時世。
皮肉にも震災で人とのつながり、助け合い、生きていることの有難さ
人の優しさや冷たさ、防災意識、様々な事を改めて認識させられることとなりました。
あれから技術も進歩し、天災などもある程度予測がつく時代になったとはいえ、
未だにほとんど何も防災準備をしていない状態で反省しています。
ただ、気持ちとしては、今この瞬間は二度とこない、
目の前にいる人との出会いも、今度がないかもしれないと思いながら生きてはいます。
なんだか、戦争時の人達のようですが・・・。
不平不満ばかり言わず、改めて生きていることへ感謝しなければいけませんね。
まりりん
- kuritchiさん からの返信 2011/01/24 11:53:55
- RE: 生きていること
- まりりんさん、こんにちは^^
書き込みありがとうございました^^
昨晩、実家より戻ってきました。お返事がすっかり遅くなってしまってすいませんでしたm(_ _)m
> kuritchiさんと御主人、ご家族が生きていて本当に良かった!!!!
本当に命が一番大切だと思います うん…うん…
生きてなかったら、この楽しい4トラ生活も出来ていなかったし、旅行にも行けてなかったし、
お義父さんとの漫才コンビ?ぶりも発揮出来なかったし…(笑)
そう思うと、逆に突然!命を奪われた方の無念さを感じずにはいられません。
> やはり、胸がチクチク、涙うるうるで読まずにはいられませんでした(;;
> 私の叔母は神戸市西区にいたので、大したことはなかったようですが
> 実際に体験した友人などから話を聞くとそれはすさまじかった様です。
叔母さまご無事で何よりでらっしゃいました(^^
16年も経つとそろそろ風化されつつある震災の思い出…。
神戸や阪神間の被害の大きかった所の、表面は復興した現在の姿を見て、いつからこんな風だったっけ…以前はどんな街だったっけ…と思うことがあります。
私も電車が再び通った後も暫くは、辛くて三宮方面に行けませんでした…。
震災後に神戸の東灘区(被害が甚大でよくテレビで紹介されていた地域)の友人のマンションに訪れ、その高台のマンションの部屋から見た風景を忘れることができません。
見慣れたあの美しい神戸の街並みが、ほとんど建物が崩れた、またはいろいろな方向に歪んだ(建物ではなく…)コンクリートの箱々が広がっている姿に変わっていました。
あの頃、その震災で変わり果ててしまった姿を見ようと、また、写真に収めよう好奇心で訪れる人も少なくありませんでした。
逆にボランティア精神で、親切に接して下さる方も多くいらっしゃいました。
避難所での生活もテレビで放映されているだけではなく、もちろん、いろいろとありました…。
人間のきれいな面と醜い面を同時に見せられた、あの頃でもありました…。
> 今は御近所とのつながりが希薄になっているこのご時世。
> 皮肉にも震災で人とのつながり、助け合い、生きていることの有難さ
> 人の優しさや冷たさ、防災意識、様々な事を改めて認識させられることとなりました。
>
> あれから技術も進歩し、天災などもある程度予測がつく時代になったとはいえ、
> 未だにほとんど何も防災準備をしていない状態で反省しています。
我が家でも最近は、枕元に置いていた筈の懐中電灯は押し入れの中だし、電池は切れているし、寝室にもタンスを置いているし、水保管用のポリタンクは納戸のどこにあるのかすぐにはわからない状態になっています(笑)
でも、食器棚は作り付けの引き戸、電灯は壁にぴったりのシーリングタイプ、お風呂の残り湯は、すぐに抜かずためておく、飲み水は2〜3日分は常備して置くなどは実行していますよ。
ちょっとした事ですけれどね(^^;
> ただ、気持ちとしては、今この瞬間は二度とこない、
> 目の前にいる人との出会いも、今度がないかもしれないと思いながら生きてはいます。
> なんだか、戦争時の人達のようですが・・・。
> 不平不満ばかり言わず、改めて生きていることへ感謝しなければいけませんね。
ど〜ん!と地震がきたその何十秒、一分で家さえ完全につぶれなければ、そして2〜3日頑張れば、何とか生きていけます。(^^ それからは何とかなります(^^
ただそれから後の事の方が、大変でしたけれど…。(^^;
改めて、普通の穏やかな日々の有り難さが身にしみます。
この日々に感謝を込めて、1・17の日には、あの日のことを伝えて行こう。。。
どんな時でもあきらめずに「生きる」大切さを伝え続けよう。。。と思っています
kuritchi
-
- ももであさん 2011/01/20 19:36:32
- 生きること
- kuritchiさん
漫然と暮らす日々の中で、生きることの意味など考えたことが
ありませんでした…。
果たして死を意識しないと分からないものなのでしょうか?
ぼくの場合、昨年、家族が命に関わる病だと知りました。
通常なら死を待つしかない病状
無の状態から必死に、その病気の最新の医学論文を読みあさり
最先端の治療法を調べ、その分野のスーパードクター達に直接
メールしたり電話したり…昼夜を問わない日々を送りました。
そんな中でぼくは初めて自分が生きていることを意識しました。
家族に死が迫っていたからというよりも、家族の命を救いたい
というあまりにも明確な目的意識が、自分に生き甲斐を与えて
くれていることに気づきました。
「今、自分は家族を守るために生きている!」
「不治の病なんて、絶対に諦めない!」
祈りは通じたのか、お陰で最大の危機はクリアーできました。
多くの超多忙な医師からも、驚く程早く返信戴いたり、丁寧に
電話で説明戴いたり…。
思いは通じるものでしょうか。何ともありがたいものです。
震災で亡くなった多くの方々。病気で失われる命…
命の尊さを決して忘れることなく、多くの人から支えられて
生きていることに感謝し、日々を生きなければ。
そしてまた、自分も誰かを助けたい。
kuritchiさんのブログを拝見し改めて胸に刻みたいと思います。
ももであ
- kuritchiさん からの返信 2011/01/23 19:07:06
- RE: 生きること
- ももであさん、こんばんは^^
書き込みいただきありがとうございます^^
折角書き込みをいただいたのに、お返事が遅くなりすいませんでした。m(_ _)m
先ほど実家より戻ってきました。
> 震災で亡くなった多くの方々。病気で失われる命…
>
> 命の尊さを決して忘れることなく、多くの人から支えられて
> 生きていることに感謝し、日々を生きなければ。
> そしてまた、自分も誰かを助けたい。
私も全く同じ思いです…。
ももであさんもご家族のご病気で必死になられ、諦められなかったこと…。
それが、「生きる!」ってこと。。。
(無事治られてよかったですねェ^^v)
震災で亡くなられた方々… 病気で失われるいのち。。。
どちらも身近な人にとっては、とっても辛く悲しいこと…。
決して忘れない… そして、ありがとう…。
「生きて」いきます!
あきらめないで、生き続けます! 語っていきます!
それが、ちっちゃな私に出来ること。。。
ももであさんのコメントを拝見して、心が熱くなりました。。。
「生きる!」コメントを ありがとうございました…。
私も、人助けに一役担いたいです♪
kuritchi
-
- Anonymous Travellerさん 2011/01/20 11:28:40
- 体験した方にしか伝えられないこと。
- kuritchiさん、こんにちは。
じっくりと旅行記拝見させて頂きました。
あの日、まだ学生だった私は試験に向かう朝、テレビに釘付けになりました。テレビの映像がいかに衝撃的だったか、今でもはっきりと覚えています。
ただ、その後大学や会社の友人から聞かされた話はやはり現実的ではなく、ただ別の世界で起こったことのように感じていましたが、今回、実際に体験されたkuritchiさんが鎮魂の様子と共にご自分の体験を語られたこの旅行記は凄くリアルに感じられ、また深く考えさせられました。
時と共に減る参加者、当然のことではありますが、綺麗になる街並みにと共に震災の痕跡が風化せぬよう、今後もkuritchiさんをはじめとした方々が伝え続けることは非常に重要だと感じます。
この旅行記が色々な方の目に留まることを望みます。
フルヲ
- kuritchiさん からの返信 2011/01/23 18:24:11
- RE: ちっちゃな体験ですが…
- フルヲさん、こんばんは^^
書き込みいただいたのに、お返事が遅くなりすいませんでしたm(_ _)m
今、実家から帰ってきました。
> じっくりと旅行記拝見させて頂きました。
>
> あの日、まだ学生だった私は試験に向かう朝、テレビに釘付けになりました。テレビの映像がいかに衝撃的だったか、今でもはっきりと覚えています。
>
> ただ、その後大学や会社の友人から聞かされた話はやはり現実的ではなく、ただ別の世界で起こったことのように感じていましたが、今回、実際に体験されたkuritchiさんが鎮魂の様子と共にご自分の体験を語られたこの旅行記は凄くリアルに感じられ、また深く考えさせられました。
じっくりと見ていただき、ありがとうございます・
私の体験した震災は肉親を亡くされた方やもっと辛い思いをされた方に比べると、ちっちゃな体験ですが、それでも思い切って鎮魂を込めて、アップさせていただきました。
(もっと色々な体験談もあったのですが、思い切って絞ってコメントさせていただきました)
> 時と共に減る参加者、当然のことではありますが、綺麗になる街並みにと共に震災の痕跡が風化せぬよう、今後もkuritchiさんをはじめとした方々が伝え続けることは非常に重要だと感じます。
さすがに16年も経つと記憶が風化し出している事も多く、断片的に思い出した事など…、ダンナや義父の協力も得て、思い出しながらのコメントでした…。
会場では、まだまだ風化するには辛すぎる思いをされていらっしゃる方も見られました。
口を真一文字にされて、うつむきながら無言で額ずき祈られている老夫婦あり…。
小さなお子さんも含めて、じ〜っと頭を垂れ、祈りをささげるご家族あり…。
ピースをしながらの記念撮影の観光客?に「こんなところを写真を撮ってどうするの?」と苛立たれる方あり…。
私も、その剣幕に思わず、静か〜にその場を立ち去りました…(汗)
でも、これが私なりの『伝えていく方法』だと信じて、写真を撮り続けましたが…。
ひとりひとりのちっちゃな語っていく人が、忘れずに続けていくことが大切だと思っています。
> この旅行記が色々な方の目に留まることを望みます。
ありがとうございます…。
ちょっと思い入れが強すぎたかなぁ…と反省もしていたのですが、『思い』をお伝え出来た様で、よかったです。(^^;
kuritchi
-
- Michyさん 2011/01/19 18:30:07
- 黙祷
- kuritchiさん、こんにちは。
溢れる涙をこらえながら旅行記を拝見しました。
私や私の家族や友人に直接は影響はしなかった震災ではありましたが、ちょうど出張先のアメリカで古くからの友人の死を知ることになり、本当にショックで帰国したのが17日。
親しい人の死があまりにも突然だったのと、異国での出張中ということで、アメリカにいる時には涙すら出なかったものの、帰国した17日の夜、震災のTV番組を見ながら、どっと涙が溢れてきました。
そして今、この旅行記を拝見してkuritchiさんのコメントを読みながら、また泣けてきました。
生きるっていうことは、諦めないで続けるって事…。
そうですね、諦めてはいけないです。
生きることを諦めずに病魔と闘っていた友人にもっと会っておくべきだった、もっと色々と励ましてあげればよかった、とあれこれ考えるだけで今はとってもやるせない気持ちでいっぱいです。
16年経った今も、それぞれの人の心に行き続けている亡くなった人々。
旅行記を拝見して、少し今の悲しみを分かち合えた気持ちになりました。
どうもありがとう。
Michy
- kuritchiさん からの返信 2011/01/21 15:47:13
- RE: 黙祷
- Michyさん、こんにちは^^
書き込みいただき、ありがとうございます^^
私は現在、雪深〜い実家に戻っています。
> 私や私の家族や友人に直接は影響はしなかった震災ではありましたが、ちょうど出張先のアメリカで古くからの友人の死を知ることになり、本当にショックで帰国したのが17日。
> 親しい人の死があまりにも突然だったのと、異国での出張中ということで、アメリカにいる時には涙すら出なかったものの、帰国した17日の夜、震災のTV番組を見ながら、どっと涙が溢れてきました。
Michyさんは同じ日に、大層つらい思いをされたのですね…。
自分の身近な人の『死』と向き合うことは、容易なことではありませんよね…。
何年の時を経ても、その気持ちはなかなか癒されるものではありませんね…。
> そして今、この旅行記を拝見してkuritchiさんのコメントを読みながら、また泣けてきました。
>
> 生きるっていうことは、諦めないで続けるって事…。
> そうですね、諦めてはいけないです。
>
> 生きることを諦めずに病魔と闘っていた友人にもっと会っておくべきだった、もっと色々と励ましてあげればよかった、とあれこれ考えるだけで今はとってもやるせない気持ちでいっぱいです。
現在病魔と闘い続けている父と一緒に向き合っているつもりの私ですが、
今年の1・17は、「生きる」ことを本当に考えさせられました。
人はつらい環境に置かれても、生きよう!と思えるのはなぜなのか…。
なぜ、あのつらいはずの日々を明るく頑張れたのか…。
何を見つめ、考え、日々を送っていたのだろう…。 etc …
会場に足を運び、あのころのことを思い出すにつれ、少しづつ思い出していきました。
必死に! 諦めずに… いつかは良くなる♪と信じて、続けていた と…。
そして、今も、それを目指して行こう♪と思っています。
> 16年経った今も、それぞれの人の心に行き続けている亡くなった人々。
> 旅行記を拝見して、少し今の悲しみを分かち合えた気持ちになりました。
そう、言ってくださり、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱい!です。
こちらこそ、ありがとうございました…。
実は… お買い物の途中の kuritchi
>
-
- poemyさん 2011/01/19 14:45:05
- 灯…
- kuritchiさん…
そこに居合わせた方達に比べたら、身内、知人の話、映像やニュースでしか知らない私たちの思いなどいかばかりのものでしょう。
ふと消えそうになるろうそくの灯かもしれません。
どうぞ、伝え続けてください。
灯を灯し続けてください。
あの頃が想像もつかないほど、今の神戸の街は復興しています。
自然の前の人間の力、なんて…
でも、自然から学び伝えてゆく事はとても多いと思います。
皆さまの心が安らかでありますようお祈りしております。
poemy
- kuritchiさん からの返信 2011/01/21 15:26:01
- RE: 灯…
- poemyさん、こんにちは^^
書き込みいただきありがとうございます^^
現在、実家に帰っています。すっかりお返事が遅くなってしまい、すいませんでした…。
実家のある北陸は今日はマシ!ですが、今年の冬は雪が多いようで、至る所雪景色に覆われています(^^;
こう表現すると美しく優雅に聞こえますが、実際は…(・・;
> そこに居合わせた方達に比べたら、身内、知人の話、映像やニュースでしか知らない私たちの思いなどいかばかりのものでしょう。
> ふと消えそうになるろうそくの灯かもしれません。
> どうぞ、伝え続けてください。
> 灯を灯し続けてください。
> あの頃が想像もつかないほど、今の神戸の街は復興しています。
> 自然の前の人間の力、なんて…
> でも、自然から学び伝えてゆく事はとても多いと思います。
温かいお言葉、お励ましをありがとうございます(^^
本当に大変だった方に比べ、私たち一家が身にしたことなど、わざわざ語る必要もないくらいの出来事だと思います。
でも、ニュースの一コマとしての『阪神淡路大震災』ではなく、被災したものにとっては、突然身近に起きた事実だった事を知って戴けたらと思い、アップさせていただきました。
現在は、一見復興したように思われる神戸ですが、実際は見た目ほど再生がなされた訳ではありません。
せめて、神戸が好きでいて下さる方がひとりでも広がっていくよう…、神戸を忘れないでいて下さるように、いろいろな灯火をともし続けていきたいですね(^^
> 皆さまの心が安らかでありますようお祈りしております。
私も本当に、心から願わせていただきます(^^
kuritchi
-
- はなかみno王子さん 2011/01/18 21:38:47
- 1月17日は特別な日
- kuritchiさま。
こんばんは。
楽しい旅行記では無いけれど、「あの日」の辛い記憶を
思い出すとともに勇気づけられた旅行記でした。
「シンサイミライノハナプロジェクト」
みんなが憎んだ自然災害「震災」。それに「未来」と「花」
を結びつけるプロジェクト。。。
素晴らしいアイデアでしたね。
どん底から明るい未来を見たい!!。。。
そんな気持ちがみんなを勇気つけてくれたと思います。。
感謝です。。ありがとう。
この体験は未来永劫伝えていかないと、。。
王子
- kuritchiさん からの返信 2011/01/19 00:07:35
- RE: 1月17日は特別な日
- 王子さま、こんばんは^^
早速の書き込みをいただきありがとうございました^^
> 楽しい旅行記では無いけれど、「あの日」の辛い記憶を
> 思い出すとともに勇気づけられた旅行記でした。
> 「シンサイミライノハナプロジェクト」
楽しい旅行記にならない? 出来ない?(笑)
暗〜い、思い入れいっぱい!の旅行記になってしまいそうです…(^^;
でも、あの日の事は、神戸近辺に居たものとして、語り継いでいかなければ!!とめーいっぱい力を込めてコメントしちゃってます(^^;
写真も似た様な竹灯篭のモノを150枚以上も撮って帰って来ました!
> みんなが憎んだ自然災害「震災」。それに「未来」と「花」
> を結びつけるプロジェクト。。。
> 素晴らしいアイデアでしたね。
> どん底から明るい未来を見たい!!。。。
> そんな気持ちがみんなを勇気つけてくれたと思います。。
> 感謝です。。ありがとう。
> この体験は未来永劫伝えていかないと、。。
厳かな、重々しい雰囲気の中で、この「シンサイミライノハナプロジェクト」♪
可愛い子供の字で、いろいろと素直な言葉で書かれたお花を見て癒されました(^^
まだまだ、献花や記帳、竹灯篭に点灯し、合掌!をする人よりも少数派ですが、このカタカナの明るい力コブの入ってない?活動に明るい未来を感じました。
でも、震災の思い、経験はこれからも伝えていかなければ!とも思っています。
珍しく、ちょっとシリアスな… kuritchi
- はなかみno王子さん からの返信 2011/01/19 20:04:32
- RE: 1月17日は特別な日
- kuritchiさま
「シンサイミライノハナプロジェクト」♪
このカタカナの明るい力コブの入ってない?活動に明るい未来を感じました。
でも、震災の思い、経験はこれからも伝えていかなければ!とも思っています。
全く、そして全く同じ思いですわ〜〜〜。
この想いを大事にして未来に繋げましょう!!
王子
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