二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
二条城とは京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。<br /><br />城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。<br /><br />1939年(昭和14年) 宮内省より下賜。それ以来「元離宮二条城」という名称となる。<br />2011年(平成23年)度から、国宝の二の丸御殿など文化財建造物を中心に城全域の修理や整備を行う予定で一口募金を募っている。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />縄張の形式は本丸の四方を二の丸で取り囲む「輪郭式」に分類されるが、本丸が中央より西寄りに配されている。本丸は約150メートル四方のほぼ正方形であり、本丸と二の丸の間には内堀が二の丸の周りは外堀が造られている。二の丸は本丸の北と南にある仕切門によって東西に分かれている(この西側部分を「西の丸」と呼ぶ資料もある)。<br /><br />二の丸の中心的建造物である二の丸御殿は、東大手門から見て正面の右斜め前方向に建つ。御殿は築地塀で囲まれていて、唐門は塀の南側にある。それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」(くるまよせ)が見える。二の丸御殿は手前から順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっている。大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園がある。遠侍の北側、白書院の東側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物がある。<br /><br />寛永期天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。現在は、天守台のみが残る。<br /><br />二の丸御殿庭園<br />二の丸御殿庭園を北西方向より。右側手前が亀島。左が蓬莱島。 別名「八陣の庭」。小堀遠州の代表作として挙げられることも多い桃山様式の池泉回遊式庭園[5]である。池には3つの島が浮かぶ。池の中央やや北よりにもっとも大きい蓬莱島があり、その北に亀島、南に鶴島がある。亀島は亀の形に、鶴島は鶴の形に石が組まれている。池の北西部には、二段の滝がある。<br /><br />本丸御殿庭<br />本丸御殿が移築された後に作庭が始まり、1896年(明治29年)に完成した洋風庭園。日本庭園と異なり、池や枯山水ではなく、芝生と植樹を中心とした回遊式の庭園である。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />二条城については・・<br />http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/<br />http://www.pref.kyoto.jp/isan/nijyoujo.html<br />

古都晩秋02 離宮二条城(御殿・庭園)☆大政奉還の現場を感じて

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2010/12/05 - 2010/12/05

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マキタン2

マキタン2さん

二条城とは京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。

城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録されている。

1939年(昭和14年) 宮内省より下賜。それ以来「元離宮二条城」という名称となる。
2011年(平成23年)度から、国宝の二の丸御殿など文化財建造物を中心に城全域の修理や整備を行う予定で一口募金を募っている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

縄張の形式は本丸の四方を二の丸で取り囲む「輪郭式」に分類されるが、本丸が中央より西寄りに配されている。本丸は約150メートル四方のほぼ正方形であり、本丸と二の丸の間には内堀が二の丸の周りは外堀が造られている。二の丸は本丸の北と南にある仕切門によって東西に分かれている(この西側部分を「西の丸」と呼ぶ資料もある)。

二の丸の中心的建造物である二の丸御殿は、東大手門から見て正面の右斜め前方向に建つ。御殿は築地塀で囲まれていて、唐門は塀の南側にある。それをくぐると正面に二の丸御殿の玄関にあたる「車寄」(くるまよせ)が見える。二の丸御殿は手前から順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっている。大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園がある。遠侍の北側、白書院の東側には「台所」と配膳をするための「御清所」と呼ばれる建物がある。

寛永期天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。現在は、天守台のみが残る。

二の丸御殿庭園
二の丸御殿庭園を北西方向より。右側手前が亀島。左が蓬莱島。 別名「八陣の庭」。小堀遠州の代表作として挙げられることも多い桃山様式の池泉回遊式庭園[5]である。池には3つの島が浮かぶ。池の中央やや北よりにもっとも大きい蓬莱島があり、その北に亀島、南に鶴島がある。亀島は亀の形に、鶴島は鶴の形に石が組まれている。池の北西部には、二段の滝がある。

本丸御殿庭
本丸御殿が移築された後に作庭が始まり、1896年(明治29年)に完成した洋風庭園。日本庭園と異なり、池や枯山水ではなく、芝生と植樹を中心とした回遊式の庭園である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

二条城については・・
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
http://www.pref.kyoto.jp/isan/nijyoujo.html

同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
新幹線
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
近畿日本ツーリスト

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