2010/11/06 - 2010/11/13
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mas98765さん
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コルドバへ行って昼食を食べた後、ローマ橋を渡ってコルドバ大聖堂(メスキータ)に行きます。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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コルドバに向かいます。こんな感じのオリーブ畑や、
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こんな感じの乾燥した草原のようなところを通って、
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13時45分頃、コルドバの町に着きました。
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コルドバもセビリアと同じく、グアダルキビル川が流れています。こちらの方が上流です。川を渡ります。向こうの方に見えている建物が後で行くメスキータです。
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14時頃、レストランに到着です。「Meson la Venta」というレストランです。Google Mapでは闘牛場が真ん中に写っていますが、この闘牛場の右側の道(グラン・ビア・デル・パルケ)と、その真ん中やや下から斜め右上に延びている道(フェリペ2世通り方面)との、南東の角のあたりです。
(周辺の地図はこちら)
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&source=embed&ll=37.881975,-4.794867&spn=0.005936,0.009645&z=17 -
中はこんな感じです。
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ここは本来、観光客相手ではなく地元の人たちが行くレストランのようです。我々のような観光客がたくさん来ると大変なようで、1つ前の写真に写っている女性店員の人が、徒競走のような速さで歩き回っていました。
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パンはこんな感じです。
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ソパ・デ・アホ(ニンニクのスープ)が出て、
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これがメインのローストポークです。
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デザートはシンプルなプリンでした。
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14時50分頃、レストランを出てバスに戻ります。コルドバの闘牛場があります。手前に「ONCE」というブースが見えていますが、スペインの宝くじです。日本の年末ジャンボみたいなものもあるそうです。
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このような歩道を歩いてバスに戻ります。
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シエスタの時間帯だからでしょう、多くの店が閉まっています。
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電気店のショーウインドウを覗いてみると、こんな感じです。右手の丸いデザインの機械は、日本では見かけないように思います。掃除機でしょうか。
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食事の後は、コルドバ最大の見所であるコルドバ大聖堂(メスキータ)に向かいます。いつもなら建物の近くまでバスで行けるらしいのですが、工事か何かのため、グアダルギビル川をもう一度渡って、15時15分頃、南側でバスを降ります。
(周辺の地図はこちら)
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&source=embed&ll=37.876166,-4.777572&spn=0.005937,0.009645&z=17 -
川に沿って歩きます。
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向こう側にメスキータが見えます。
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橋があります。ローマ橋(Puente Romano)です。古代ローマ時代に築かれた橋で、何度も破壊と修復が繰り返されてきたのだそうです。この川が、グアダルキビル川です。グアダルキビルはアラビア語で、大河を意味するらしいです。
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橋の手前にこのような建物があります。カラオーラの塔(Torre de Calahorra)といいます。ローマ橋を守るために建てられた要塞だそうです。今は、アル・アンダルスという名前の博物館になっているようです。
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ここから橋を渡ります。
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橋の橋脚は、流線型でがっしりしています。雨量の多い季節に水量が増えるため、これに耐えられるようになっています。
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川はこんな感じです。多分こちらが左側(下流)です。地形的に色々な障害物があるようで、
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流れが激しいです。
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橋を進むと、右側にモニュメントがあります。メスキータが近づきました。
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このあたりで右手(だと思います)を見ると、流れは結構緩やかです。
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いよいよメスキータに向かいます。メスキータとはスペイン語でモスクのことです。アブド・アッラフマーン1世が建てたモスクで、その後3回に渡って拡張された後、レコンキスタの後にカトリック教徒によって大聖堂に改造されました。よそ者の司教が地元の反対を押し切って、当時の王様カルロス5世の認可を得て改造を行いました。その後カルロス5世がここに来て、世界のどこにでもある物のために、どこにもないものを壊してしまったと嘆きました。
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手前に屋根のようなものが見えています。多分、聖テレサの礼拝堂のあたりのドームだと思います。メスキータを取り壊してキリスト教の礼拝堂を造っているのですが、外見ではモスクの建物に調和しているように思います。何でも、改造を担当した建築家がモスクの美しさを十分理解していたため、影響が最小限になるよう努力したのだそうです。この位置ではこのドームが目立ちますが、1つ前の写真で向こうに見えている黒い屋根の部分の方が飛び抜けています。これは、大聖堂の中心である中央礼拝堂の部分です。
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手前左側にはこのような建造物があって、よく見ると門です。これは、ローマの凱旋門です。ローマ時代には実際にローマ門が、ムーア時代にはイスラムの門があって、今の門は16世紀にフェリペ2世が建設を命じたものだそうです。
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上にはこのようなレリーフがあります。
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メスキータのこちら側の部分は工事中です。
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橋を渡って左側には、このような塔があります。サン・ラファエルの塔といいます。ラファエルはコルドバの守護聖人です。
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ここで振り返ると、こんな感じです。右手から橋を渡ってやってきました。左手にメスキータの建物があります。正面を向き直って塔のところの角を右に曲がると、
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右手に広がっているのがメスキータの建物です。ここを少し行ったところの右側に入口があります。
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15時30分頃、入口を入ります。パンフレットの見取図と照らし合わせると、これはディアネス門ではないかと思います。
(メスキータ周辺の地図はこちら)
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&source=embed&ll=37.8791,-4.779616&spn=0.002968,0.004823&z=18 -
オレンジの中庭に出ます。中庭はイスラム教で天国を表すため、モスクに造られたものです。ここはもともとモスクでしたから、大聖堂なのにこのような中庭があるのです。これはセビリアのカテドラルと同じです。右手に建物の部分があって、
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以前モスクだった時にいくつもあった扉は全て塞がれています。
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塞いだ部分のデザインが綺麗です。
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今度は左手を見ると、このような回廊があって、左上に木片のようなものがたくさんかかっていますが、
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これは建物内部の天井だった部分の板です。
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オレンジの中庭ということで、オレンジが生っています。
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このような泉もあります。イスラム教の人たちはモスクに入る前に沐浴しました。見取図によると、中庭の反対側にも同じサイズの泉があって、建物から離れた側の中央にはもっと大きなサイズの泉(アルマンソールの泉)があるようなのですが、見落としました。
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中庭の端には、このような塔があります。アルミナルの塔といいます。もともとモスクのミナレットだったところです。ミナレットは、イスラム教で毎日5回のお祈りの時間を知らせるための塔です。この塔は、アブド・アッラフマーン3世が設置しました。アブド・アッラフマーン3世は後ウマイヤ朝の初代カリフ(ムハンマドの後を継ぐイスラムの最高指導者)として即位し、かつてウマイヤ朝を滅ぼした東のアッバース朝に対抗した人です。
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大きな鐘が外側に並んでいます。
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メスキータの建物に入ります。メスキータでは、現地ガイドさんが案内してくださいました。チケットはこんな感じです。合わせて見取図のついたパンフレットをもらいました。日本語版の日本語は、後で見るとどことなく不自然で、意味不明な箇所があります。
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入口は、先ほどオレンジの中庭へ入ったところのすぐ右手にあります。
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入ってすぐのところは、785年にアブド・アッラフマーン1世が建てた最初の部分です。アブド・アッラフマーン1世は後ウマイヤ朝を開いた人です。かつてウマイヤ朝というイスラム史上初の世襲王朝があったのですが、アッバース朝に滅ぼされてしまい、ただ1人生き残った王族のアブド・アッラフマーン1世が現在のアンダルシア地方に逃れ、ウマイヤ朝を再興して後ウマイヤ朝を開きました。赤レンガと大理石が交互に並んだ縞模様のアーチが続いています。入った瞬間、もっといいアングルの写真を撮ったのですが、ひどいピンボケになっていまいました。
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ためしにフラッシュを使ってみると、こんな風に暗くなってしまいます。だからここでは、フラッシュを使わずにじっくり撮るのがいいのです。でも、ガイドさんに案内されて次々に違う場所に移らなければならない上、先頭にいたので、ピンボケ写真ばかりになってしまいました。
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入ったところの正面(南東方向)を見ると、こんな感じになっていて、右側に礼拝堂のようなものがたくさん並んでいます。写真の上に見える壁には綺麗な絵が描かれていました。写真ではこの部分が明るく光ってしまってよく分かりません。画面を斜め横から見ると、少しは分かりやすいです。
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左手には、柵で四角く囲まれた部分があります(写真は通り過ぎてから振り返って撮ったものです)。肝心の中が写真に写っていません。恐らくこれはサン・ヴィセンテ教会(Basilica de San Vicente)の遺跡です。サン・ヴィセンテは304年にディオクレティアヌス帝の迫害を受けて殉教したキリスト教の聖人です。もともとここには西ゴート王国が建てたキリスト教の教会があったのですが、メスキータを建設するために壊されました。1つ前の写真の右手を見ると、
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このような礼拝堂があって、
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手前の大理石に何か書かれています。
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アーチの部分を振り返ります。ここではガイドさんがしばらく止まりましたので、綺麗に撮影できました。この写真では分かりにくいのですが、柱を観察すると、材質や長さが結構違っています。西ゴート王国や、もっと古い時代の建物の柱を寄せ集めて再利用しているためです。
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アーチは2重になっています。これは、以前あった建物の柱を切りそろえたところ、天井までの高さが足りなくなったためのようです。2重アーチはローマの水道橋にヒントを得たとも言われています。この写真ではよく分からないのですが、上のアーチは半円形で、下は少しだけ馬蹄形になっています。
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写真がピンボケですが、この部分の天井です。今あるのは修復されたもので、オリジナルは先ほど中庭に展示されていたものです。
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848年、アブド・アッラフマーン2世は、アブド・アッラフマーン1世の建てたモスクを南東側に拡張しました。この写真は、境目でその拡張部分の方向を撮ったものです。
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境目の床には、このような模様がついています。
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境目の柱はこんな感じで、右側が拡張部分です。
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アブド・アッラフマーン2世の部分もやはり赤レンガと大理石が交互に並んだ縞模様の2重アーチが並んでいます。向こう側(メスキータの奥に向かって左側、つまり北東側)が明るくなっています。そちらに行って見ると、
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このような場所が突如出現します。
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十字架があります。レコンキスタの後、この向こうに大聖堂の中心部を建設してしまったのです。ここはちょうど、聖歌隊席(Coro)の裏側です(日本語のパンフレットでは聖堂内陣と書かれていますが、スペイン語のパンフレットではCoroと書かれています)。
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これは、ペドロの像だったと思います。
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向こうのモスク部分との境界は、こんな感じです。ここで、右に曲がって再びモスクの奥(南東側)を向くと、
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このようになっています。何だか豪華です。後編に続きます。
(説明は本やインターネットの情報とガイドさんから聞いた内容を合わせたものです。)
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