2010/12/04 - 2010/12/04
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tsunetaさん
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12月4日、午後0時には今回の同窓会に参加するメンバー13名は集まり、午後0時半頃より、龍馬の足跡探訪と高瀬川付近を散策するために出発した。先ずは霊山歴史館にタクシーで行くことにした。
*写真は霊山歴史館
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー ANAグループ JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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霊山歴史館へ行く
霊山地域には明治維新政府の太政官布告を受けて坂本龍馬ら先覚志士達の墓がつくられている。
現在では「維新の道」と呼ばれる史跡公園になっている。 -
霊山歴史館では大龍馬展が開催されていた。
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霊山歴史館に到着
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霊山歴史館に入る
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霊山歴史館内の様子
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日本の心について
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先覚志士墳墓全図
この真ん中に坂本龍馬、中岡慎太郎の墓がある。 -
霊山歴史館の中
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京都霊山護国神社がある史跡公園
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京都霊山護国神社がある史跡公園
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京都霊山護国神社がある史跡公園
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「維新の道」
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史跡公園より下って行く途中に翆紅館跡がある。
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翆紅館跡の説明
幕末尊王攘夷派の志士達の集会所、現在は京懐石の料亭になっている。 -
翆紅館跡
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霊山歴史館よりタクシーで四条の木屋町迄行く。ここから、二条迄
高瀬川に沿って龍馬の足跡探訪を兼ねて散策を開始する。
高瀬川について・・説明文による
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である[1]。 開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。 現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。 京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。 -
四条の高瀬川
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日本映画発祥の地の説明
元立誠小の正門近くにある -
高瀬川開削375周年記念
角倉了以翁顕彰碑 -
高瀬川沿いには桜の木が多く四月には桜の花で多くの人が訪れる
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高瀬川
川幅は約7m、水深は1mもない -
土佐藩邸跡
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土佐稲荷・岬神社にて
江戸時代に土佐藩邸の鎮守として藩邸内に倉稲魂命、石栄神の二座を祭神としたため、通称 土佐稲荷岬神社と称された。 -
土佐稲荷・岬神社の中には坂本龍馬像が建てられている。
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土佐稲荷・岬神社
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土佐稲荷・岬神社から歩いて数分のところに坂本龍馬遭難の地があった。
坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)の説明 -
坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)の説明
慶応3(1867)年11月15日龍馬33才の誕生日の夜、襲撃にあい命を落とした。 -
坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の地(近江屋跡)の説明
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坂本龍馬寓居跡碑
材木商6代目酢屋嘉兵衛が龍馬に共感して、自宅の一室を海援隊の事務所として提供した。 -
酢屋
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酢屋
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酢屋の二階に坂本龍馬は住んでいた。
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酢屋での坂本龍馬の生活ぶりについて説明されている
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昭和初期の三条小橋
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佐久間象山、大村益次郎遭難の地碑
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池田屋
元治元年(1864)年6月5日新撰組が過激派尊王攘夷派の志士たちを旅館池田屋に踏み込み、激戦の末20数名を捕獲した。 -
池田屋
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池田屋の説明
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池田屋の説明
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池田屋
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桂小五郎像
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桂小五郎像
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