2010/05/12 - 2010/05/23
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カメちゃんさん
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午前中はミニトレインに身を任せて、コルマールの旧市街地をクルクルと回りました。もちろん東西南北がどちらかも分からず、頭の中は混乱し通しでしたよ〜〜(^O^)(~o~)
一応は日本語の説明を聞きながら見ていたものの、そんなもんは聞いたそばから忘れます。コルマールの正直な印象は「古い大きな教会が多かった」「古い大きな建てものも多かった」と言うだけのモノでしたよ。馬の耳に念仏なんてモンじゃないですね。
ただ、コルマールで残念だったことは、中に入って見学することが1ヶ所もなかったことですね。教会か美術館の一つくらいは見たかったなぁと思います。美術のことは全く分からない私ですが、コルマールと言えばウンターリンデン美術館と言われるくらいですから、ちょっとだけ覗いて見たかったですね。
ウンターリンデン美術館に関しては、お友達のKさんが提供して下さった御写真で穴埋めさせていただきました。また、私たちが訪れなかったところの街中の御写真も拝借して、一緒に見てみたいと思っています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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-
これよりお昼を頂きに行きます。
こうして街を歩くのもイイですね。
こういう街を見ますと、このような街に住んでおられる方のお話しを聞いて見たいものと思います。いつかまた、そんな機会を得たいものと思いますね。 -
頭の家(メゾン・デ・テット、Maison des têtes)といわれる建物です。
1609年に造られたとのことで、その形はドイツルネッサンス様式のようです。
頭(顔)の彫像は105個もあるとか。桁違いとは言え、大聖堂の彫像群を想像してしまいますね。
105個のなかにはバルトルディが作った樽職人の像もあるとのことですが、どれなのか分かりません。
日本の街中で、このような建物を作ったら気味悪がられるのではないでしょうか??詳しいことは分かりませんが、良くも悪くも「人と向き合う」ヨーロッパ文化の特徴の表れのような気がしますね。
現在は高級なホテルになっていて、レストランもあります。
↓は頭の家の場所です。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.0004954de8059092d31ea&ll=48.078394,7.355612&spn=0.001681,0.001853&t=h&z=19&iwloc=0004954ef0a9e810118df -
↑の頭の家から、ホンの6、70Mも直進(南西方向)したところの街角金色の白鳥がいました。
きっとステキなお店でしょうね(レストランではありませんでした)。 -
街角の風景です。
-
では、このレストランでお昼を頂きます。
-
私たちは2階に上がりました。
雰囲気はこんな感じでした。 -
私たちは階段を上がって右側でしたが、こちらの外人の団体さんたちは左側でした。
私たちも黙って食べているわけではないですけど、こちらの外人さんたちは男も女も本当によく喋りますよ。それも大声で店中がワンワン鳴るほどでしたね。
この人たちに較べたら、日本人なんて本当に静かなモンですよ!!
彼らの姿を見ていて、私はある本の冒頭に書いてあったことを思い出しました。
「日本人が欧米人と議論したら、まず勝てないでしょう」と書いてあったことです。その理由は、外国語の多くが動詞や結論を先に言う仕組みであり、教育面でも会話や言葉の論理性を重視し、個性・主体性も重視しているなどなど・・が要因とのことです。
実際、日本人同士の話では、「価値観の多様化」ということをはき違えている面もあるかと思いますが、真面目な会話や行動は嫌われ易いですね。さらに短縮語・カタカナ語・造語の氾濫や敬語の乱れなどは、どう捉えたらいいでしょうかね??
そう言う私も本当に無口で、話すこと書くことは全くダメなんですね〜(-_-;)(T_T) -
街の中に掲示してあった地図です。
交差点の緑の三角地に掲示してあった地図です。
コルマールでは、街のあちこちのこのような地図が掲示してありますよ〜(イザ探すとなるとなかなか見当たらないと思いますが、ミニトレインからも見ました)。 -
またまたウンターリンデン美術館前の広場に戻ってきました。
ウンターリンデン美術館は、コルマール観光で最も人気のあるところとのことです。
でも、私たちはミニトレインで街を回る「ゆったりコース」を選択しましたので、走るミニトレインから街を見て回ったのみで、美術館見学はありませんでした。
確かに、美術館や博物館などの見物はジッと立って観る姿勢が続くため、足腰には一番辛いのですよ。ここまで来て美術館を見学で着ないのも辛し、見学するのも辛いですから、仕方ないですね。
その代わりと言っちゃあナンですけど、Kさんの御写真をお借りしていくつかの絵画などを見てみましょう。 -
これより暫く、Kさんの御写真をご紹介します。
ウンターリンデン美術館の中庭です。ちょっとした庭園風になっているようですね。
この建物は、13世紀から1790年まで修道院だったそうで、教会のような彫像やステンドグラスがあります。この美術館を有名にしたグリューネヴァルトの「イッセンハイムの祭壇画」をはじめ、アルザス地方の民具、服飾,家具、装飾品展示されていて、博物館的な感じもある美術館です。このあたりの事情は、博物館と美術館の名称上の区別が曖昧なヨーロッパの特徴かも知れませんね。
(Kさんご提供の写真です) -
美術館の内部ですね。
昔は修道院だったと言う建物ですから、教会に似たような形のところもあったのですね。美術館と言うよりも、教会の雰囲気の強い場所です。
あの正面の奧に飾ってある絵画が、この美術館で一番有名な「イーゼンハイム祭壇画」と言われるもののようです。手前左右にはキリストが磔刑にされる時の様子を描いた絵が、たくさん掲示されていますね。
(Kさんご提供の写真です) -
この図は「イーゼンハイム祭壇画」の第一面と言われるもので、この美術館のメインとなる絵画だそうです。制作したのはマティアス・グリューネヴァルトで、1511年から1515年ごろとのことです。
中央の絵はキリスト磔刑の図で、左側にいるのが聖セバスティアヌスで、右側に杖をもっているのが聖アントニウスだそうです。磔刑図の下はキリストを埋葬する絵だそうです。
(恐らく、この絵はレプリカかと思います)
この絵画でのキリストの身体と表情はあまりにも痛々しいものです。このキリストの痛ましい姿をいろいろに描き・また説明する人は沢山いますが、なぜこれほどに厳しい姿で描かねばならなかったのか??その理由と目的なんなのでしょうか??
その一説としては、「この地域を襲った麦角病の苦しみにも勝るキリストの苦しみを描いて、麦角病患者の忍耐のよりどころにしょうとした」と、いうような話がありますね。しかし、人の苦しみは麦角病のみならず、筆舌に尽くせぬ苦しみは多々ありますから、そうした人々のことも視野にあったことは想像できそうです。
(※)麦角病……稲科の植物がかかる病気で、その病気にかかった稲・麦などを使ったパンなどを食べて人に害を与える病気。血管や神経を冒され、手足が燃えるような傷みあるというのです。
ウィキペディアによれば、「脳の血流が不足して精神異常、けいれん、意識不明、さらに死に至ることもある。さらに子宮収縮による流産なども起こる」とのことです。
(Kさんご提供の写真です) -
これは模型だと思います。
この絵が描かれているところは実は箱のようになっていて、そこに観音開きの扉が二重に取り付けられ、その扉の裏表全てに絵が描かれているのです。扉を全て閉じて、側面の羽根状の板を開いた状態が第一面と言われるこの絵になっているのです。この聖セバスティアヌスと聖アントニウスの絵は、箱の側面に折り畳むことが出来るのです。
そして。キリスト磔刑図の左半分扉を左側に開けるように回しますと、後側に隠れていた「天使の合奏」の図が見えてきて、磔刑図の裏面に描いてある「受胎告知」の図が左端に展開するというわけです。
またこの「イーゼンハイム祭壇画(Retable d'Issenheim)」はその名の通り元々はアルザス地方のイーゼンハイム村の修道院にあったものとので、戦争での破損を避けるためにこちらに移動したとのことです。
↓はイーゼンハイム(イッセンハイム)の地図です。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.0004954de8059092d31ea&ll=47.901801,7.251846&spn=0.006718,0.007156&t=h&z=17
(Kさんご提供の写真です) -
これも↑と同様の模型の表側の扉を開いた時の絵です。
「イーゼンハイム祭壇画」の第2面です(外側の扉をオープンにした状態)。
左端の扉の図は、受胎告知の場面ですね。中央の2枚は連続した図で、左側が「天使の合奏」と言われる図で、右側の子供を抱く図が「キリスト降誕」の図とのことです。そして、右端の扉の図は「キリストの復活」の図です。受胎告知から一連のストーリーになっているのですね。
(Kさんご提供の写真です) -
実は↑の写真の中央部分の本物(恐らくレプリカかと思いますけど)です。
この図は、↑の写真の真ん中の2枚の部分の「天使の合奏」(左)と「キリスト降誕」(右)の図です。こうして実物大の大きさで見ることが出来るようです。
(Kさんご提供の写真です) -
これは「イーゼンハイム祭壇画」の第2面の左右の扉の部分の図です。並べ方が左右逆になっていますが「受胎告知」と「キリストの復活」ですね。
(Kさんご提供の写真です) -
「イーゼンハイム祭壇画」の第3面です(模型)。
左端の扉の図は「聖アントニウスの聖者パウロとの出会い」の場面です。真ん中の3人は、本当は図ではなく(この写真では図ですけど)、彫刻なのです(↓の写真を見てください)。その3人は左から左から聖アウグスティヌス、真ん中が聖アントニウス、右端が聖ヒエロニムスとのことです。
そして、右端の扉が「聖アントニウスの誘惑」という図ということです。3人の聖人の下にたくさんいる人は、キリストと12使徒のようです。
ちょっと左側の扉を見てください。
左の扉の後側にもう一枚の図が見えますね。第2面の受胎告知の図の端がちょっと見えています。「聖アントニウスの聖者パウロとの出会い」のずは、第二面の「天使の合奏」の図の書いてある扉の裏側なのです。ちょうど「天使の合奏」の図の下にどなたかの手が写っていますが、その手で左側に回しますと「聖アントニウスの聖者パウロとの出会い」の図が現れるのです。
(Kさんご提供の写真です) -
↑の写真の、真ん中の部分のみの彫像です。
中央に聖アントニウス、左が聖アウグスティヌス、右が聖ヒエロニムスとなっています。 -
本来なら↑の3人の彫刻の両サイドにあるべき図です(「イーゼンハイム祭壇画」の第3面を参照)。
これも左右の並びが、本来のものと逆になっていますね。
この祭壇画はとても大きくて、下部のキリスト埋葬の図も含めて高さが4mほどもあるとのことです。
それにしても、人類は自らの行動規範を、宗教という形で構築し維持してきたのですね。神の助けが必要だったのですね〜。
しかし、民主主義が語られ、自由が語られ、科学技術の急速な進歩のある中で、いつしか人間関係が希薄になり「神」を忘れる人が多くなっている今、宗教に代わる新時代の新しい規範を構築しうるのか?非常に心配ですねぇ〜(-_-;) とりわけ日本は心配です。何よりメディア自身が自らを見失って、やりたい放題・言いたい放題をしているような感じですしね(T_T)
(Kさんご提供の写真です) -
これはワイン樽でしょうね。
ワイン樽までが美術館にあるなんて、ちょっとビックリ(~o~) あのハイデルベルク城でも大きなワイン樽があるような文化ですから、これも「美術品」なのでしょうか??
(Kさんご提供の写真です) -
古い時代の聖母マリア像ですね。
どこの教会でも大聖堂でも、マリア像はよく見かけます。
大聖堂では、聖堂の内外にたくさんのマリア像を見てきました。
聖母マリアは神でもないのに、どうして人々はマリア像をつくって彼女に祈るのか?また、どうしてこんなにモテモテなのか??
そこにはいろいろな議論があるようですが、聖母マリアが神の子をこの世に遣わすに際して、その母となるべき人として神より選ばれた人であること、および、そのような人として神から賜った処女性・母性が人々の崇敬を集めたと言えるようですね。
恐い顔をした男性の神様よりも、優しい母性をもった彼女に神への取りなしをお願いした方が、頼みやすいということではないでしょうか??早い話が、キリスト者はマリアさんに甘えてきた!(*^_^*)ということかもね?(^_-)(*^_^*)
(Kさんご提供の写真です) -
美術館内の回廊の様子です。
なかなか凝った形ですね。
ところで、ここは教会ではなくて美術館なのに、絵画といえば殆ど宗教画のようですね。
街の光景とか一般的な風景画が少ないような気がします。地域的な特徴もあるかと思いますが、ヨーロッパの美術館は平均的にみても宗教画が多いように思います(ネットで各地の美術館を見ますと・・)。
これまで観てきた範囲(教会・古城・レストラン・街中)では、絵画・彫刻ともに人物描写が圧倒的に多かったですね。
ある人の話ではヨーロッパの美術はキリスト教との関わりが非常に色濃く、風景画などのジャンルが確立したのは17世紀以降とのことでした(宗教画等の背景に風景画取り入れられることは以前からありましたが、その画法は曖昧なことが多かったようです)。
また、キリスト教世界では神―人間―自然界という位階があって、自然界は汚れたものという位置づけがあったという説もあるようです。そんなことから、ローマ時代後期から風景画があまり描かれなくなったとも言われていますね。
(Kさんご提供の写真です) -
博物館の前の井戸の櫓です。
(Kさんご提供の写真です) -
ドミニコ会教会横の骨董品市ですかね
ガラス細工やら陶磁器のものなど、ホントに売れるのか知らん?と他人事ながら心配になってきますね。
こういう情景を見ますと、「帝国自由都市」の意味が改めて気になります。
これまでも、ケルンやオーバーヴェーゼル、ストラスブールなどが帝国自由都市だった歴史を持っていたとのことでした。でも、「帝国自由都市」は神聖ローマ帝国以外の地域からは生まれなかったそうです。ここが面白いですね。
神聖ローマ帝国は、皇帝を選挙で選ぶと言うように緩い統治形態を取っていたことから(他の事情もありましたが)、経済力を高めた都市の市民の運動と抵抗を抑えきれなかったという事情があったようです(そう言えば、ローマ帝国も支配下に入れた国の自治を認めたようですね)。このあたりが、王権の強かった他の国と違っていたようですね。
「帝国自由都市」という言葉一つからも、ギリシアに始まるヨーロッパ民主主義の流れには長く深い底流のあることを何となく感じますね。
(Kさんご提供の写真です) -
サン・マルタン参事会教会です(セント・マーチン教会とも)。
大聖堂と間違えられるほど、堂々たる容姿ですね。
(Kさんご提供の写真です) -
サン・マルタン参事会教会の屋根の模様です。
この模様は何と言うのでしょうか?
コルマールのこの教会とドミニコ会教会、そして旧税関の屋根の模様は特徴的すね。
確かケルンやトリーアをなど他の街ではみたことがないように思いますが、この屋根の模様には何の意味があるのでしょうかね?
(Kさんご提供の写真です) -
↑の教会の屋根の東の端っこに、コウノトリが巣を作っているようですね。
コウノトリは人間よりエライですね〜。
(Kさんご提供の写真です) -
この教会の作り方の面白いところは、右側の翼廊に本堂?と並行に小屋を出していることです。その屋根の色も、上の大きい屋根と変えてありますね。
(Kさんご提供の写真です) -
サン・マルタン参事会教会の塔です。
4隅が出っ張っているところあたり、横浜のランドマークタワーにちょっと似ていませんか?
(Kさんご提供の写真です) -
メゾン・プフィステール (Maison Pfister)
1537年の建築とのことです。この家の名は昔の家主の名前だったそうです。
出窓がとっても印象的で、お城のような尖塔が付いているのも贅沢です。
(Kさんご提供の写真です) -
旧税関の建物です。
(Kさんご提供の写真です) -
旧税関前の様子です。
右端にラツァーレ・フォン・シュヴェンデイ男爵の像が見えますね。
(Kさんご提供の写真です) -
街並みの様子です。
(Kさんご提供の写真です) -
広場の泉に立つアルマン・ジョゼフ・ブリュア(Armand Joseph Bruat)海軍大将の像です。これもバルトルディ作品とのことです。
(Kさんご提供の写真です) -
コルマールの花ですよ〜〜(^-^)
ソフトで優しい感じのする花ですね。
(Kさんご提供の写真です) -
ベランダにおかれたコウノトリ(人形)でしょうか。
こっちの方はちゃんとたっているからエライですね。
お昼前に私たちが見たやつは、ベランダに腰掛けて足を垂らしていましたね。
それに、ここには名古屋コーチンが一羽紛れ込んでいますねぇ(^-^)(^_^)v
(Kさんご提供の写真です) -
これまでは、Kさんの御写真をご覧いただきました。
正面の建物の低いところは、ウンターリンデン美術館前の広場の北東角にあるスーパーの入り口です。
ちょっとした土産やおやつもここで買えますよ。 -
「あそこに名古屋と書いてる店があるよ」
お友達の話を聞いてそちらを見ると、確かに「NAGOYA」と書いてあるお店がありました。
それに、「レストラン ジャポナイス」と書いてあります。
もっと早く気がつけばお店を除けたのに、出発時間が迫っていましたのでこの写真を撮るのみになってしまいました。
このレストランは、ウンターリンデン美術館のすぐ近くにありますので、どなたかお出掛けの時には覗いてみて下さいね。 -
お友達を記念撮影です!!(*^_^*)
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食事も済みましたし、休憩も出来ましたので、これよりバスの方へと帰ります。
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船が待っているブライザッハの街へ戻ってきました。
車窓から見えるのはブライザッハの街の丘の上に立つザンクト・シュテファン大聖堂(St. Stephansmünster)です。
12世紀にロマネスク様式で建築が開始されたようですが、15世紀の完成の時には、なぜかゴシック様式になってきたというのですね。
教会も、時代の流行に乗っているかと思いますと、面白いです。
この大聖堂も第2次世界大戦で被害を蒙ったようですが、大事なマルティン・ションガウアー(Martin Schongauer)によるフレスコ画や16世紀の祭壇などは無事だったようです。
小さな街の大聖堂。
ちょっと覗けたらよかったのにね。 -
コルマールから東に走ってライン川を渡るとドイツになりますが、そこにある街がブライザッハという街の中を走っています。
この街もローマ帝国の支配を受け、城もあったというのです。
ライン河・モーゼル河沿いの街は、殆どローマ帝国に支配されましたね。また、地理上の利点があったのでしょうか、いつも戦略的な拠点とされて戦争のたびに狙われ破壊され、支配者も変わったりした街でもありますね。国境の町の宿命でしたね。
第2次世界大戦でも、ライン川を渡ってきた連合軍によって街の大部分が破壊されたというのですから、国境の町は本当に辛いですね。 -
この街には、古代ローマの時代の城があったようです。
12世紀の神聖ローマ帝国の時代に、ブライザッハの街が形成されてきたようです。
この街も、歴史上の国は変われども常に戦略上の要衝とされてきたようで、フランスとドイツ・オーストリアによる占領・支配を繰り返したみたいですね。
この街の戦略的な重要性を示すものとしては、ブライザッハをオーストリアに取られてしまったフランスが、これに対抗する戦略拠点としてライン川西岸3Km先にに「ヌフ・ブリザック(=新しいブライザッハ)」という要塞を建設したことが指摘できると思いますね。
また、繰り返される戦争で破壊されたようで、第2次世界大戦でも連合軍によって街の大部分が破壊され、ザンクト・シュテファン大聖堂も大きな被害を被ったというのです。 -
船のデッキから捉えたザンクト・シュテファン大聖堂です。
丘の上にお城のように建っていることが分かりますね。 -
こちらはローマ時代の城跡でしょうか?
この城跡は大聖堂から約300m南の丘の上ににありますよ。 -
大聖堂のある丘の全景です(船上より)。
南北に600mほどもある自然の要塞になっています。
昔はこの丘の上に、教会を中心とした城壁(市壁)都市があったのかも知れませんね。 -
船は既にブライザッハを離岸して、終着地のスイスのバーゼルに向かいます。
いま、船はライン河上にありますが、向こうに見えるのはダムであって、船は通れません。
さあて、どうなるんでしょうかね(^o^) -
そこで船はどうしたかと申しますと、離岸してから船首の向きを変えて逆方向に向かいはじめたのです。
「あれ〜??」
と思ってしまいましたよ(^^;)
そうなんですよ。船は河を1Kmほど戻ってから運河の方へと向かったのです。
↓の地図の緑色の線をご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x0:0x0,0&msa=0&msid=101016593599736252226.000484f247af7bb2ef329&ll=48.031178,7.5737&spn=0.026431,0.037251&t=h&z=15 -
ブライザッハとアルザスにサヨナラとなりました。
そして、全ての観光が終了してしまいました。
観光日程を終えて思うことは、私の見てきたことは本当に上辺だけのことだったということです。
今回見てきたこと・聞いてきたことを勉強し直してもう一度訪ねたいですね。もしその時が許されるなら、その時こそは今回の2倍〜3倍の日程を確保して、現地のガイドや通訳もお願いして、じっくりと学びの旅をしたいと思います。
もちろん、カミさんと一緒に!!(^-^)
(その17に続きます)
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