2010/11/21 - 2010/11/21
1518位(同エリア4023件中)
たか☆さん
慶応3年(1867年)11月15日(旧暦のため実際は12月10日)ついに龍馬に最期の刻がきます。
京都河原町の近江屋に身を隠していた龍馬の元に刺客が突然現れ、共に居た中岡慎太郎と共に命を落とすことになりました。
龍馬伝もフィナーレを迎えることとなりましたが、龍馬最期の足取りを、ひときわ紅葉の美しい2010年の京都にたどりました。
取材:2010.11.21 紅葉華やかな京都にて
掲載:2010.11.28 龍馬伝最終回終了後...
2012.11.15
【京都・円山公園・紅葉・維新の道・京都霊山護国神社・酢屋・近江屋】
PR
-
京阪電車の祇園四条の駅ですが、ここでもキャンペーン中。
昔京都にいたころは「四条京阪」と呼んでいたんですが、調べてみると四条駅というのが旧名称で、2008年に今の駅名に変わったようです。
なんか馴染まんな〜(^_^;)
※参考
http://www.keihan.co.jp/ekimei_henko/ -
駅構内ではいろんな展示がありました。
特に酢屋の場所はなかなか難しい!
一度迷ってどうにかたどり着きましたので、詳しくはこの後の旅行記で。 -
まずは円山公園にある、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像を見に行きます。
駅から八坂神社に向かう間の祇園界隈はいつも観光客で一杯ですが、紅葉真っ盛りのこの日は本当に人が多くて、狭い通りを進むのに一苦労。 -
八坂神社の境内にはいると、そこかしこに紅葉が(^^)/
本当に今年の紅葉は色鮮やかです。 -
境内では結婚式をあげた新郎新婦がしずしずと進んでいました。
周りではまったく関係ないと思われる観光客が写真を撮りまくり。
私もパチリ(^^) 新婦中心のアングルで今見ると新郎らしき人がフレームの端っこになんとか引っかかってました。
こういう時新郎は影薄いですね〜(^^) -
八坂神社を過ぎ円山公園に入るとあちこちが紅葉して目に鮮やかです。
-
でも私が今日訪れたかったのはここなのです。
-
素晴らしい紅葉を背にした、龍馬と慎太郎の銅像です。
左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎です。
私も学生時代を京都で過ごしましたが、この銅像の事は知りませんでした。初めての対面に胸が一杯になってきます。
この銅像は昭和11年に京都高知県人会が建立し、戦時中に一度供出されたものを昭和37年に再建したものだそうです。そして今も、県人会と京都龍馬会の方々が清掃し守っているということです。 -
感動の出会いがありましたがまだまだ行くところがあります。
円山公園を後にして、ねね(秀吉の奥方)の菩提寺として有名な高台寺の前を抜け、維新の道へと向かいます。 -
途中でこんな光景も。
祇園ではよく舞妓さんに会うのですが、こんな所でも。 -
次の目的地は龍馬のなきがらが眠る、京都霊山護国神社です。
そこに至るきつい坂は、維新の道と呼ばれています。 -
維新の道を示す石碑は、霊山顕彰会の会長として戦後この地の整備に力を注いだ、故松下幸之助氏の筆によるものです。
いわれについてはパナソニックのHPをご覧下さい
http://panasonic.co.jp/history/person/131.html -
きつい坂です。
梼原の維新の坂もきつかったけど、こっちがもっと。
和霊神社に登る石段と同じくらいで長さ数倍。
足に来ます(^^; -
やっと登りきるとそこに京都霊山護国神社がありました。
後ろの山手に並ぶのが維新の志士の墓です。 -
さてお参りを、と思ったのですが、ありゃ拝観料?
お墓で拝観料というのはちょっと違うような気がするんですが、さらに! -
お墓に向かう入り口の前には観光客の列が!
数十人であるのですが、この列がなかなか進みません。
その訳が次の写真で明らかに! -
なんと入り口には駅の改札のようなゲートがあり、ここに拝観料300円也を投入する訳です。そうするとゲートが開いて前に進める...
本当にここにこんなものを付けないといけなかったのでしょうか?? -
やっとゲートをくぐり龍馬の墓に向かいます。階段の途中を右に曲がると龍馬の墓に向かうようです。
-
イチオシ
しかしその途中にある土佐藩の招魂社にもぜひ立ち寄ってほしいのです。
ここは土佐の梼原出身の志士、吉村寅太郎や那須親子など、土佐藩の志士たちの魂が祭られています。 -
池内蔵太の墓もあります。といっても亡くなったのは亀山社中の船であるワイルウェフ号遭難の折なので亡骸は長崎上五島の海に眠ります。
ここに奉られているのはその魂ということになりますね。 -
吉村寅太郎の墓です。
彼は土佐梼原の庄屋に生まれましたが、脱藩後勤皇の志士として活躍、天誅組の首領となりますが、奈良吉野の地に倒れます。
この墓のすぐそばには、土佐から天誅組に参加した志士の墓が並んでいます。 -
ここには休憩所があり、自動販売機やベンチがあってゆっくり休むことができる穴場にもなっています。
ここから見下ろす京都市街は紅葉と共にとても素晴らしい景色でした。 -
さて、龍馬の墓に参りたいところですが、参拝の観光客が長蛇の列(^^;)
お参りだけでなく、携帯で写真を撮っているので時間がかかる〜
この大人気ぶりにはきっと龍馬も、「どうなっちゅうぜよ?」 -
並ぶこと10分、やっとお参りの順番が来ました。
前の人がお参りしている間に写真を撮って、と。 -
勤皇の志士は、戦場や暗殺により命を落とした人が多く、実際にこの墓所に埋葬された人は少ないですが、龍馬と慎太郎、それに身の回りの世話をしていた山田藤吉(石柵の外、左側)は正にこの地に埋葬されています。
-
丸山公園と同じ銅像のミニサイズが作られています。
昭和37年の再興の際に作られたのですが、こちらが元でこれを拡大したのが丸山公園のもの、という話もあるようです。 -
ここには、木戸孝允、高杉晋作など幕末勤皇の志士1,356柱の魂が祭られています。他にも、日清・日露・太平洋戦争の戦死者も祭られています。
-
志士に関しては墓所の一覧が上り口に掲示されています。
中には木戸孝允の様に、明治政府に入って活躍した人も居ますが、多くは維新の大きな波の中に命を落としていった人たちです。
明治維新は革命であり、そのために多くの人の働きと命が費やされたことを実感せずにはいられません。志士の冥福を祈るばかりです。 -
向い側には霊山記念館があります。入ろうと思ったのですが、入り口にたかる観光客の多さを見て、びつくり。今日はやめときます。
-
代わりに入り口の龍馬の写真をパチリ。
龍馬の身長は諸説ありますが、172cm位と言われています。
この写真ちょっと小さめ? -
再び維新の道を戻ります。
晩秋の日は傾くのが早く、もう夕方の雰囲気です。
紅葉もそれにあわせ、また、色を変えていきます。
それにしても大変な人出でした(^^;) -
京都の旅の最後に、龍馬が最後に過ごした河原町近辺を訪ねることにしました。四条河原町の交差点も、高島屋が改装し、阪急百貨店が閉店するなど以前とは雰囲気が変わっています。
でもこの界隈の人出と華やいだ雰囲気は昔から変わらないような気がします。 -
河原町通りから一筋入った木屋町通りは大好きな通りです。
表通りは人でごった返していましたが、木屋町筋はそうでもないかな。 -
そしてこのあたりは維新の志士が沢山住んでいたところでもあります。
武知瑞山(半平太)の寓居跡の2軒となりは、吉村寅太郎の寓居跡です。
木屋町通り沿いには、桂小五郎や後藤象二郎なども住んでいました。
元々は町名の通り、水運で運ばれた材木を扱う材木問屋が集まったところであったようです。そしてその周辺に飲食街が発展し、今の街に続いています。 -
そうした材木問屋のひとつが酢屋です。
龍馬の後援者として支援を行い、海援隊の屯所が置かれていました。
龍馬は近江屋に移る直前まで、酢屋に滞在していたのです。 -
酢屋では坂本龍馬の特別展が行われていました。
特別展を見ていろいろ話を伺いましたが、写真を撮ることができなかったので残念ながら表だけで。
この建物は昭和初期に建て直されたものですが、屋根の梁には以前の建物の材木が使われているなど、当時の雰囲気を伝える建物となっています。
またその改築の際に、屋根裏から海援隊日誌や龍馬の写真が見つかるなど、本当に海援隊とゆかりの深い場所であったことを、教えていただきました。 -
酢屋の前の通りは龍馬通りと呼ばれています。
今では昔の面影はまったくありません。 -
そしてやはり来なければならなかった場所が、この近江屋跡です。
龍馬は酢屋から近江屋に移り、11月15日の夜、この地で倒れるのです。 -
当時の河原町通りは4メートルほどと狭く、当時の近江屋はもっと前にあったと考えられています。龍馬が切られた奥の部屋は石碑の真上あたりと推定されています。
143年前のあの日、この辺りで龍馬は命を落としたのでしょうか。 -
近江屋の裏には稱名寺という寺があり、近江屋の裏の土蔵と背中合わせとなっていました。龍馬が土蔵に隠れている間にはその窓から梯子をたらし、この寺へと逃げる準備をしていたと伝えられています。
もし龍馬が寺田屋の時の様に逃れることが出来ていたら、時代はどんなに変わったでしょう。 -
近江屋は今は石碑として残っているだけですが、この寺は当時の趣を伝えているように思います。(おそらく母屋は改築されていることと思いますが)
-
またこの通りは裏寺町通りと呼ばれ他にも沢山の寺が集まっています。
寺田屋から脱出した龍馬が走った(と思われる)通りを龍馬通りと称していますが、私としてはこの通りもそのように呼ばれてほしかった...orz -
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まる事なし。
世の中にある人と住家と、またかくの如し。 -
龍馬の人生は太く短く、しかし、熱く燃え上がるような人生でした。
今、龍馬が見ているものは何でしょう。
今、龍馬が伝えたいものは何でしょう。
今、私達が受け止めるものは、なにやろうねえ...
【本編 完】
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
二条・烏丸・河原町(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
44