2010/11/20 - 2010/11/20
1052位(同エリア1758件中)
たか☆さん
慶応2年(1866年)京都伏見の船宿であった寺田屋にて、龍馬は幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれ、刀傷を負いながら命からがら脱出します。
湯浴みをしていたお龍が捕り方の気配に気づき、肌着1枚引っ掛けて龍馬の元へ知らせに走った話は有名ですね。
今も伏見にある寺田屋を見に行ってきました。
【伏見・寺田屋・酢屋・近江屋】
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伏見にはいくつかの駅がありますが、京阪電車の中書島駅から行くのが近そうです。
京阪電車の龍馬ゆかりの地の駅には、全部こんな看板がありました。
ブームというのはこういうことなのですね。 -
駅を出るとちょっと分かりにくいですが、この路地を入っていきます。
大勢の観光客がこの路地に流れ込んでいきます(^^;) -
寺田屋や龍馬通り商店街までは、商店街を数百メートル抜けていきます。
お店の名前も龍馬がらみなのはお約束ですね。 -
商店街を抜けて、いよいよ寺田屋が近づいてきました。
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その前に橋を渡ります。
何の事ない川と思って見過ごしていましたが、後で調べてみるとこの川は「宇治川派流」といわれる運河で、豊臣秀吉が伏見城を築いた時に造られ、龍馬の頃には大阪と京都を結ぶ水運の拠点として栄えたそうです。
港町というとどうしても海を想像しますが、伏見は川の港街として栄えました。そのすぐそばにある寺田屋は、舟宿だった、という訳です。
☆宇治川派流について
http://agua.jpn.org/yodo/uji_h.html -
川を渡って左に曲がるとすぐに寺田屋です。
この日は観光客で、文字通りごったがえしていました...(^^;)
まあでもここまで来たので並ぶ覚悟で寺田屋へ。 -
できるだけ人の少ない時に撮ってみました(^^)
寺田屋の建物は伏見鳥羽の戦いで焼けてしまい、この建物はそののちに再建されたものと言うのが定説です。 -
総木造の建物って、なんかほっとします。
最近はそんな建物も少なくなりました。 -
建物の右手には庭があります。焼ける前の寺田屋はこの庭のあたりにあったとされています。
再建されたものとはいえ、今の寺田屋もなかなか味のある建物です。 -
女将お登勢と寺田屋由来の碑
碑文の内容を看板に起こして書いてくれれば分かり易いんですがね〜(^^) -
かなりちっちゃい龍馬像。
桂浜の龍馬像のレプリカ、ということでしょうか。
本山白雲作による桂浜の龍馬像も、60センチほどの木像を造りそこから型を起こしたということなので、たぶんそんな感じの大きさです。 -
有名な龍馬の言葉、龍馬伝では酢屋で弥太郎に話していましたね。
世の人は われをなにとも ゆわばいへ
わがなすことは われのみぞしる
伏見で、おそらくお龍に詠んだ句をもうひとつ
又あふと 思う心をしるべにて
道なき世にも 出づる旅かな -
龍馬大人気で、入場待ちの大行列。
とはいえ、15分ほど待って中に入ることができました。 -
主に2階が客室になっているようで、5部屋ほどあったでしょうか。
部屋には龍馬に関連したものが、展示というより、置いてありました。
史物はないと思われますが、展示の説明がないので、よくわかりません、というのが正直なところ(^^;) -
ごてごて色々置くより、普通の部屋のほうがずっと歴史を感じます。
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これが疑惑の「刀痕」(^^;)
寺田屋騒動の刀痕では、まずありません。
レプリカ、として見ましょう。
場所的にも部屋に入っていくところの柱についているので、少なくとも龍馬がここに刀痕をつけることは無理だと思います。
そうです、龍馬がつけた痕ではないので追手がつけた痕だとすれば、本物でもレプリカでもどっちでもいいような気がしてきませんか? -
ちょっと写真不鮮明ですが、おりょうが駆け上がって急を知らせたといわれている階段です。
この後出てくる風呂場から内階段になっていて、2階に上がれますので、情況的には無理はありません。 -
そしてこっちがお風呂(1階)
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「刀痕」「裸のお龍さんで有名なお風呂です」
と手書きで説明が書いてある訳ですが、ちょっとねえ。 -
そしてこれが風呂、というより風呂桶。
ここでそのまま風呂を沸かすことはできませんね。 -
ふ〜〜〜、とため息吐きながら寺田屋をでると、龍馬通り商店街があります。
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寺田屋の裏手から逃げ、材木小屋に隠れて朝を待った龍馬。
襲撃があったのは、1月23日の午前2時から3時頃とされています。
この時期、本当に寒かったでしょうから、まさに命からがらという脱出です。
龍馬通り商店街はこぎれいになって、「ここを龍馬が駆け抜けたかも〜」ということになっていますが、龍馬がもしここで命を落としていたら、薩長同盟は出来ていたものの、大政奉還やその後の動きはどうなっていたでしょうか?
ひょっとすると、もっと早く幕府と薩長が内戦状態となり、国のありようが変わっていたかもしれません。 -
運河沿いに少し歩いてみます。
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伏見は江戸時代からの酒どころとして知られています。
月桂冠・黄桜・宝酒造(松竹梅)・キンシ正宗といった古くからの造り酒屋が軒を連ね、灘の生一本と合わせて関西の酒どころとなっています。 -
運河には当時を再現した10石船が運航しており、実際に乗ることができます。
米1石が約150キロですから、10石船で1.5トン。
30石船もあったようなので、こっちだと4.5トン。
軽トラと4トントラック、といったところでしょうか。 -
寺田屋からほんの5分ほどで着く長建寺。
江戸時代の伏見は今以上に大きな、にぎわいの街であったそうです。
その中心にこの長建寺があります。
この中の茶店に龍馬が来たという伝承もあり、きっとこの辺り一帯闊歩してたんでしょうね。 -
京都の近江屋は大正になって河原町通り拡張の際に取り壊され、高知の生家も太平洋戦争の空襲で焼けてしまいました。
京都の酢屋も改築していますし、寺田屋も再建された建物です。
わずか150年ほど前の話でしかないのに、龍馬ゆかりの建物は現存するものが非常に少ないのが残念です。
ただ建物は再建としても、寺田屋は当時の雰囲気を伝えてくれる趣があります。ここに寺田屋の女将、お登勢さんが暮らし、おりょうが龍馬と契を結んだ地であることは確かです。
龍馬はここで休み、そしてまた京へ長崎へと走りまわります。
その基点となるのがここ寺田屋であり、伏見であったのだと思います。
☆終わり☆
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この旅行記へのコメント (1)
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- hoyoyoさん 2010/12/23 22:47:50
- うまい!読んでいて行きたくなる旅行記です!
- たか☆さん、こんばんは。他の旅行記も、ということで順番にこれから拝見させていただきますが、旅行プレゼンに使える!うまい!勉強になります。
今年は龍馬ブームで、そういう時期は外したいなあ(混むので)、それに、私は生まれが四国・松山なので、桂浜も行ったし、龍馬さんは、まあ、そんなところで、と思いましたが。。。
個人的には、お龍の足跡の方に関心があり、京都にも彼女を偲ぶお寺とかいろいろあるみたいで、機会があれば訪ねてみたいなあ、と思っているのですが、京都はそれよりもまず、春の桜、秋の紅葉。春、秋の時期に残念ながら、大人になってから京都に行った記憶がありません、夏と冬のみ。
(中学の修学旅行は秋だったと思いますが、「紅葉、いいなあ〜」なんて思えるわけもなく、女子風呂覗きや枕投げのことしか頭にはなく(笑))
で、来年はぶらっと一人で桜と紅葉を見に、京都に行きたいなあ、と思っていました(春は、「都をどり」も観に行きたい♪桜は原谷苑と仁和寺の御室桜で)。
今日はここまでですが、週末以降、続きの旅行記も拝見させていただきます♪
hoyoyo
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