2010/10/22 - 2010/11/18
306位(同エリア198件中)
もろずみさん
一つのことを追っかけているといつの間にか横道に逸れることはよくある話。
奈良つながりで秋艸道人こと会津八一の軌跡を追ってみることにしました。
奈良を歩くには入江泰吉さんの写真と会津八一先生の歌が重要な小道具です。
その会津八一は早稲田大学で教鞭をとっていたので活動基盤は東京でした。
学生たちを引き連れて奈良へ通っていたそうです。
ということは、東京にも先生の残したものもあるはず。
調べてみました。
- 交通手段
- 私鉄
-
まだイチョウの葉が青かった頃に行った早稲田大学。
ここがスタートです。
そろそろ色づいたので再訪したときの大隈重信像と大隈講堂です。 -
2号館は以前は図書館だった建物です。
あれ?入口は正面じゃないのかな? -
こちらが会津八一記念博物館の入口です。
書家でもある先生の筆による有名な学規や収集品が並んでいました。
これはと思ったのは、今はなき日吉館の看板。これも先生の字でした。 -
先生は坪内逍遥博士に師事して早稲田大学で教べんをとっていました。
その逍遥博士の胸像。
うーん、残念ながら会津八一先生の像はありませんね。 -
で、こちらは逍遥博士の功績を称えて造られた演劇博物館です。
シェークスピアを日本に紹介した博士に因んで、ロンドンの劇場をモデルにしたとか。 -
大学構内って気持ちが若返るなぁ。
今度キャンパス巡りでもしてみようか。
最近、村上春樹の「ノルウェーの森」の映画撮影もしたという大隈講堂の前。 -
早稲田の紅葉といえば大隈庭園。
まだちょっと早かったかな。 -
構内を出て学生街を行くと穴八幡に出ます。
真新しい随神門の朱塗の柱がまぶしいくらい。 -
明治神宮大学野球選手権の決勝は今日。
とりあえず母校じゃないけど必勝祈願。
その甲斐あってか、早大初優勝でした。 -
続いてはぐるっと回って甘泉園へ。
元々は徳川御三卿の清水家下屋敷の庭でした。
久しぶりに来てみたらずいぶん整備されていました。 -
なぜ甘泉園に寄ったかというと、戦時中に会津八一先生が貴重な資料をここの倉庫に疎開させたというから。
あまり意味はなかったということですけど。 -
さて、高田馬場を越えて落合に向かいます。
まずは牡丹で有名な薬王院。
奈良の長谷寺の末寺で東長谷寺と呼ばれています。 -
もちろん牡丹の咲く時期ではありません。
代わりに満開のホトトギスでも。 -
薬王院は桜、特に八重紅枝垂が数本あって春に来ると良いです。
牡丹は斜面に沿って長谷寺から株分けした100本余りが咲きます。 -
今日の本題である「秋艸堂」とは会津八一先生の住居のこと。
最初の秋艸堂は目白台だったようですが、どうにも場所が特定できずに飛ばしました。
この辺りが第2次秋艸堂のはずです。 -
「秋艸」とは草冠に秋、つまり萩のことです。
ほら、萩が咲いているからここ。
ということにしておきます。 -
目印は落合第一小学校です。
周囲の区画は変わってしまっても、学校の敷地は変わってないということで同定しました。 -
次に引っ越した先は山手通りに面した家。
移った途端に山手通り(環状6号)が通るので立ち退かなくてならなかったということです。
第3次秋艸堂はスーパーの駐車場になっています。 -
駐車場からさほど離れていない住宅地に第4次秋艸堂がありました。
たぶんこの突き当りの右側だと思います。 -
柿の実が目印です。
柿といえば法隆寺ですので、ここにしておきます。
と、かなり強引な検証ですが。(^^; -
この辺りは目白文化村の一画。
その名残りである延寿東流庭園に寄ってみます。 -
わずかな敷地に造られた和風庭園です。
目白文化村の雰囲気を残そうと持ち主が区に寄贈したものです。
うーん、文化村のモダンなイメージとはちょっと違うなぁ。 -
目白文士村は大正から昭和にかけて宅地化された、郊外住宅地の草分けでした。
多くの文人や画家が住んだという独特の雰囲気が今も残っています。
そんな町並を眺めつつ四の坂を下ってみます。 -
坂下には林芙美子記念館があり昭和初期の住居が残っています。
秋艸堂跡には昭和の面影がなかったので、その代りに見学です。
おそらく秋艸堂もこんな感じだったのでしょう。 -
落ち着いた雰囲気の和風建築に洋風のアトリエがついています。
林芙美子はここで絵を描いて過ごしたかったそうですが、忙しくてついに一枚も描けなかったそうです。 -
数々の作品を生み出した書斎です。
今まだ使われていそうな状態で保存されています。
秋艸堂にもこんな書斎があったのでしょうね。 -
ちゃんとした庭もあり、馬酔木も植えられていました。
もう完全に秋艸堂のイメージとダブっています。(^^;
ということで、目白文士村の秋艸堂探しはこれくらいにします。 -
電車を使って上石神井まで移動。
ここに法融寺というお寺があります。
庫裏に架かっているのは会津八一先生の筆による額です。 -
境内には歌碑もあります。
奈良や郷里である新潟以外で会津八一の歌碑があるのはここだけ。
むさしのの くさにとばしる むらさめの
いやしくしくに くるるあきかな -
町中の普通のお寺です。
墓参の人以外に立ち寄る人もほとんどいない感じ。
でも、会津八一先生のファンにとっては聖地かも知れません。 -
本堂の扁額には「信願道場」とあります。
これも秋艸道人の筆によるもの。
「信願」とは法融寺の山号が信願山なので。 -
そして、墓地には先生の墓碑までありました。
周囲には馬酔木が植えられていて、いかにも先生の墓らしい佇まい。
墓碑の文字は東大寺管長の上司海雲の筆だそうです。
ということで、東京で探した会津八一先生の足跡。
馬酔木が咲く頃もう一度墓参に訪れることにします。
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