2010/10/18 - 2010/10/18
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法華寺(ほっけじ)は、奈良時代には日本の総国分尼寺とされ、開基は光明皇后(こうみょうこうごう701−760年)。元は真言律宗に属していたが、1999年からは光明宗。
光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られ、東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられていた。法華寺の地にはもと藤原不比等(ふじわら の ふひと659−720年)の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明皇后が相続して皇后宮とした。745年、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりとされる。
法華寺は平安京遷都以後はかなり荒廃していたが鎌倉時代に東大寺大仏の再興を果たした僧・俊乗坊重源(ちょうげん1121−1206年)が1203年に堂宇や仏像を再興し鎌倉時代中期の真言律宗の僧・叡尊(えいそん1201−1290年)によって本格的な復興がなされた。
現在の本堂、鐘楼、南門は1601年頃、豊臣秀頼(とよとみ ひでより1593−1615年)が復興したとされている。
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は真言律宗の寺院で光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられ平城宮跡の東方、法華寺の東北に隣接している。
伝承では731年、光明皇后の発願で建立され、僧・玄(げんぼう、生年不詳−746年)が初代住持となったとされる。山門の築地塀は室町時代に建立されたものとされるが明治以降は境内の荒廃が進み、無住の時期が続いた。1953年に住職が着任し、堂宇の修理、境内の整備が行われている。平城宮の荒廃とともに、周辺の寺院も荒廃していった歴史が海龍王寺のむきだしの築地塀を見るとよくわかる。
(写真は海龍王寺の光景)
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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