2010/09/29 - 2010/09/29
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comevaさん
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月日が経つのも早いもので今年も残すところあとわずか、個人的にもあっという間の1年でしたが、旅行記の方は山の記録を中心に今年作成出来なかったものが幾つか残ってましたので只今急ピッチで仕上に入ってます。
和気町/天神山城跡(県指定史跡)
戦国時代の武将、宇喜多直家に滅ぼされた浦上宗景の山城、天神山城跡を訪ねてみました。
P:駐車場は路肩の広くなった所でも良いですが、登山口から西側、程近い所に河本コニュニティハウスと言うのがありこちらの広場へ止めさせて頂きました。
●岡山県指定文化財(史跡)天神山城略年譜(案内板より)
○1531年(享禄4年) 浦上宗景は大田原・日笠・延原・明石・岡本・服部ら6人の部将を連れ室津城(播州)を立ち太鼓丸城に移る。(天神山城完成後は東の砦となる。)
○1532年(天文元年) 兄浦上政宗は、宗景を討つべく富田松山城(備前市)に布陣する。宗景も太鼓丸城より人数を出し片上の葛坂に出陣したが、戦意を喪失し相互に軍を引き上げる。
○1533年(天文2年) (第一期工事)(確立期)天津社を南西山麓に移し天石門別神社と称す。
西方防衛の為天津社境内に本丸を構え西に空堀を掘り二の丸を張り出し、東方に明石飛騨の屋敷、馬屋、南櫓を築き、北方防衛のために広の段に築城を始める。
天瀬に岡本・木村の屋敷を配し張木戸を回らし吉井川下流の警備を固め、観音山城を配し西方の守備に当たる。
侍屋敷を本丸南下に配し、垣上は上級武士の屋敷、垣下は下級武士団の屋敷、倉庫、馬小屋、川岸に船着場を配し、生活必需物資の確保を図る。
北麓田土は赤松氏支配時多数の土豪の地で、山麓に家臣の根小屋屋敷を配す。
○1536年(天文5年)宇喜多八郎8歳で家臣となる。
○1539年(天文8年)(第二期工事)(勢力拡張期)桜の馬場・西南端に鍛冶場・北に大手門・百貫井戸・長屋(倉庫)・腰曲輪を配し、西方の中心郭となす。
○1543年(天文12年)(第3期工事)(全盛期)三の丸・西櫓台・下の段を設け西方防衛の郭とした。赤松氏と播州にて戦う。宇喜多八郎初陣、鉄砲伝来。
○1544年(天文13年)宇喜多八郎元服し直家と名乗る。宗景が300貫を与え乙子城主(岡山市)とする。
○1549年(天文18年)浦上松野丞誕生。与次郎宗辰と名乗る。
○1551年(天文20年)出雲尼子氏と作州合戦。
○1561年(永禄4年)龍ノ口城・金川城攻略。
○1562年(永禄5年)戦死者供養祭、宗像神社造営(吉井町)
○1570年(元亀元年)金川城攻め。
○1571年(元亀2年)織田信長より播州・備前・作州三国の所領朱印を受く。
○1574年(天正2年)宇喜多直家離反し、毛利と和す。宗景、信長の援により毛利と戦う。
○1575年(天正3年)信長天神山へ兵糧を送る。
○1577年(天正5年)4月12日、日笠青山城落城。5月浦上与次郎、直家により毒殺される。8月10日天神山城落城。
○1963年(昭和38年)佐伯町指定文化財(史跡)
○1982年(昭和57年)岡山県指定文化財(史跡)
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○天石門別神社
登山口はこの神社横(左奥に進んだ所)にあります。 -
○天神山城址登山口
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最初から急で狭い山道が続く。
時には道が途中から消えたりする事もありますので常に先の道を確認しながら前進していかなければなりません。 -
○見張り所
西方面に流れる吉井川 -
見張り所
南方面(和気町鵜飼谷温泉方面)に流れる吉井川(下流は児島湾) -
○鳥瞰図
この地図の左(下の段)から右(堀切)へと進んで行きます。 -
○桜の馬場(大手門跡)地図参照。
見張り所から「下の段」「西櫓台」「三の丸」を経てこちらの場所へ
※「下の段」
西方より侵入してきた敵を上から攻撃する郭
※「西櫓台」
佐伯平野の見張りと本丸・竜ケ鼻城との連絡場
※「三の丸」
二の丸同様城主の館、もしくは重臣(家老格)の屋敷が置かれていた。
城本来の機能的構成部分の外郭に相当する。
正面奥は※「鍛冶場」
城の拡張工事に必要な器具の製造・修理・武具・武器の確保の為、鍛冶職人を常に置いていた。 -
「かごのき(子鹿)」の大木
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この後「長屋の段」「二の丸」空掘を経て本丸へ
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○本丸
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天神山城跡(本丸)
連郭式山城の中心郭で戦いの場合城主の本陣となる -
この後、太鼓の丸へ
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○「飛騨の丸」「馬屋の段」を経て南櫓台へ
※「飛騨の丸」
宗景の重臣明石飛騨守景親の屋敷跡。野面積の石垣は代表的な築郭法である。
※「馬屋の段」
本丸で通常使用する馬屋で、戦争の場合は三の丸に臨時的につくる。
※「南櫓台」
太鼓の丸と本丸との連絡と、城外と城内をみまもる目的がある。
※「堀切り」
山城に用いる空堀で、屋根を包丁で切った感じの空虚である。 -
更に「堀切」からこちらの水の手の分岐まで降りて来ました。
ここからは再び登りとなります。 -
鳥瞰図
水の手(左)から本丸目指して登って行きます。 -
○亀の甲
旧天神山城防衛の為、敵が塁をよじ登って来た時に石落とし用としての石積の小山。 -
○下の石門
旧天神山城防衛の為の門である。 -
○上の石門跡
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登り坂
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○太鼓丸城(旧天神山城)
室町時代以前に日笠青山城の出城として日笠氏が築城したもので、浦上宗景の享禄4年天神山出陣の足掛かりとなり、天文時代より太鼓櫓として物見台の役目と
家臣集合の合図をした役目の櫓「人桝」と呼ばれ、東方に根小屋が有り搦手門となる。 -
天神山城鳥瞰図
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太鼓丸城からのロケーション
眼下は旧佐伯町 -
田土の棚田
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田土の棚田
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○石門(太鼓丸城)
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○本丸(太鼓丸城)三角点409M
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軍用石付近からのロケーション(和気方面)
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