2010/10/06 - 2010/10/06
3504位(同エリア4705件中)
キヌちちさん
函館・五稜郭公園内に今年7月29日にオープンした箱館奉行所を見学してきました。幕末の1854年にアメリカと締結された日米和親条約により下田とともに開港した箱館。開港に伴って設置された江戸幕府の箱館奉行所は当初、港に近い箱館山麓に置かれた。その後防備の面から内陸の亀田に移された。奉行所は開拓使の手で1871年に解体されたが今年、140年を超えて再現された。
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中庭
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中庭
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中庭
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中庭
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箱館奉行の職務
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蝦夷地の統治
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海岸の警備
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諸外国との交渉
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奉行所の組織
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最後の箱館奉行の日記
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箱館奉行の職務
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箱館奉行の職務
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当時のイラスト、のぞいてみよう。
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当時のイラスト、覗くとこのようになる。
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当時のイラスト
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当時のイラスト
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当時のイラスト
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食器
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食器
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箱館奉行所の説明
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箱館奉行所の説明
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歴史発見ゾーン、中央の天井は構造が煮えるように開けてある。
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歴史発見ゾーンの一角にある定役元締・定役手附。
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五稜郭と箱館戦争
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五稜郭と箱館戦争
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五稜郭と箱館戦争
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五稜郭と箱館戦争
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五稜郭と箱館戦争
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五稜郭と箱館戦争
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エンフィールド銃、銃弾、砲弾。
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幕末箱館人物列伝。選んだ写真のプラスチック板を台に載せるとその人物の説明がパネルに表示される。
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幕末箱館人物列伝
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幕末箱館人物列伝
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幕末箱館人物列伝
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五稜郭・奉行所の整備と復元への歩み。五稜郭の完成から約150年を経て、築造当時の状況を伝えるものは、土塁・石垣、アカマツ、1棟の土蔵(兵糧庫)のみとなった。また、奉行所庁舎はわずか7年間しか存在しなかったため、箱館戦争という劇的な歴史エピソードの舞台となったこともあり、一般的な五稜郭のイメージは「戦場」「軍事施設」となっていた。しかし、五稜郭は西洋式城郭として(当時の日本では)最新の城郭として築造されたが、箱館奉行所では専ら蝦夷地統治にかかわる業務が行われていた。五稜郭を設計した武田斐三郎には、同時期に築造した弁天岬台場などとともに、五稜郭を中心とする城塞都市の青写真があったのかも知れない。また、五稜郭は外敵への防備の一方で函館山のふもとの市街地からも比較的近い場所にあり、統治の便が配慮されていた。開港地である箱館には、外国人が数多く上陸し、領事館など諸外国の居住地が隣り合っていた。そこで五稜郭及び箱館奉行所には、日本を治める幕府の政庁としての威信が求められたはず。国の特別史跡・五稜郭跡の歴史的意義や価値を伝えるには、奉行所の復元を含めた整備が必要であると考えられてきた。五稜郭及び箱館奉行所は、徳川幕府が直接かかわって築造し、さらに幕末という比較的新しい時代の史跡であることから、多くの資料が存在すると考えらた。奉行所が取り壊された跡も、五稜郭は積極的な活用はされず、公園として一般開放されたが、史跡・特別史跡として厳しい開発規制がかけられていたため石垣、土塁もよく保存され、遺構も残存した(箱館奉行所公式HPより)。
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図書館、博物館が収集・保存してきた膨大な古文書、絵図面。1983年(昭和58年)ころから、奉行所を含めたた五稜郭全体の復元整備を目指して、市立函館図書館(現函館市中央図書館)・市立函館博物館などに保存されている関連資料の調査が始まった。函館図書館は、岡田健蔵が私費を投じて設立した当初から郷土資料を精力的に収集しており、五稜郭や箱館奉行所の優れた資料がそろっていた。1984年度からは、幕末・明治にかけての行政資料を多く所蔵する北海道立文書館・国立国会図書館・東京大学史料編纂所などで調査を始め、五稜郭全体の平面図絵、箱館奉行所の庁舎平面図、奉行所の古写真など、五稜郭・箱館奉行所の築造に関する重要な資料を発見した。(箱館奉行所公式HPより)。
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箱館奉行所をビデオで紹介。
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映像シアター、同心組頭・同心使役詰所。
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遺構の発掘調査で絵図面の正確さが判明。文献資料の調査と並行して遺構の発掘調査も進み、奉行所庁舎の存在が確実なものと確認されると同時に、文献資料の精密さも確かめられた。五稜郭の平面図(設計図)からは、武田斐三郎の当初計画よりも、規模が縮小されていった変遷を知ることができた。奉行所庁舎に関する平面図から、柱の位置や部屋割りが正確に判明し、さらに遺構からは確認できない2階部分の間取りや各部屋の名称なども知ることができた。実際の発掘調査によるデータと照らし合わせ、絵図面の縮尺割合も正確であることが確かめられた。また、奉行所を取り囲むように五稜郭内に配置された付属建物、五稜郭北側の役宅の区画割りなども解明された。「箱館亀田一円切絵図」に現在の地図を重ねると、住宅区画・道路・松林(風致保安林)など、わずかに現存している五稜郭周辺の痕跡と重なり、絵図面の精度の高さが分かる(箱館奉行所公式HPより)。
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奥に太鼓櫓、右側に建築復元ゾーン。
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復元の決め手となった古写真。箱館奉行所の復元作業で、重要な役割を果たした資料のひとつに古写真がある。 パリの骨董店で見つかった手札サイズの古写真は、裏に二条城と書かれていたが、調査により1868年(慶応4年・明治元年)にフランス人によって撮影された箱館奉行所の写真と判明。大変解像度の高い写真で、奉行所の屋根に置かれた瓦の枚数を数えることができた。遺構から出土した当時の瓦の大きさと写真で数えた枚数から、奉行所の正確な大きさを算出する基準のひとつにできた。また、写真はほぼ斜め45度から撮影されており、透視図法の手法を応用した写真解析が可能になり、より正確な復元が行えた。平面図や文献資料だけでは奉行所の大きさ・高さ、例えば太鼓櫓の位置(屋根の頂点からずれている)などを正確に復元することが難しかった。北海道における写真発祥の地である函館らしいエピソードと言える(箱館奉行所公式HPより)。
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全体の3分の1規模の復元へ。箱館奉行所は、かつてと同じ場所に復元された。建物の真下に当時の遺構が残存。特別史跡である五稜郭では、遺構を改変することが一切認められていない。そのため、遺構を保護した上に厚さ25?のコンクリートパネルを敷き、それを基礎部分とした。当初計画では奉行所庁舎全体の復元を目指した。しかし、約3000平方?に及ぶ大規模木造建築物の建設には、建築基準法・消防法への適合など課題が多くあった。最終的に現在の法制度上では完全復元は困難と判断、復元範囲を約1000平方?以内に狭めることになった(箱館奉行所公式HPより)。
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太鼓櫓
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太鼓櫓の説明
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式台の埋め甕
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式台の埋め甕の説明
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足軽詰所
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足軽詰所
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日本伝統建築の技、継手と仕口。
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台持ち継ぎ
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金輪継ぎ
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鎌継ぎ
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復元に用いた木材。ヒバ、マツ、スギ、ケヤキ。
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廊下
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箱館奉行所復元プロジェクト。
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箱館奉行所復元プロジェクト。
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箱館奉行所復元プロジェクト。
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箱館奉行所復元プロジェクト。
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建築復元ゾーンの一角にある同心詰所。
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幼児たちも見学に訪れていた。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ブルートレインさん 2010/10/13 23:25:19
- 函館奉行所
- キヌちちさんへ
ブルートレインです。函館奉行所を拝見しました。五稜郭と言えば、学生
時代に「年末時代劇」で見てから一度は行ってみたい所でした。全く専門家で
はありませんが、幕末の時代はとて興味深い時代ですよね。キヌちちさんの
旅行記を読みながら、一度五稜郭に足を運んで見てみたいと思いました。
キヌちちさんは、画像の美しさだけではなく、そのコメントがとても丁寧
で素晴らしいと思います。(歴史の教科書よりも参考になります。)
今後いろいろ教えて頂ければ有難いと思います。
さて、ここ九州も朝晩は冷え込むようになりました。お風邪など召さない
ようにお気をつけくださいね。
ブルートレイン
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