2008/05/19 - 2008/05/20
113位(同エリア581件中)
ベームさん
2006年にツアーで初めて行ったドイツに今度は一人で行って、見たい所をゆっくり見て周ろうと思い立ちました。海外旅行初の一人旅です。
2月頃まず往復のフライトだけ確定、次にポイントの町を決め、地図とインターネットのDB時刻表をにらみながらそれらの町をつないでなるべく多くの町を効率よく周れるよう考えて作ったのが次のコースです。
ポイントの町はハイデルベルク、ヴュルツブルク、アウクスブルク、ミュンヘンで、その4つの町を鉄道で回る計画です。
1日目:成田空港~フランクフルト~マインツ泊。
2日目:マインツ~ライン川クルーズ~ザンクト・ゴアール~ハイデルベルク泊。
3日目:ハイデルベルク~ヒルシュホルン~ネッカーゲミュント~ハイデルベルク泊。
4日目:ハイデルベルク~バート・ヴィムプフェン~ヴュルツブルク 泊。
5日目:ヴュルツブルク~バンベルク泊。
6日目:バンベルク~ニュルンベルク~ネルトリンゲン泊。
7日目:ネルトリンゲン~ドナウヴェルト~ウルム~アウクスブルク 泊。
8日目:アウクスブルク~ミュンヘン泊。
9日目:ミュンヘン~ザルツブルク~ミュンヘン泊。
10日目:ミュンヘン~成田空港。
11日目:成田空港着。
9泊11日の旅です。計画を練っているうちにあそこもここもということになり、ゆっくりのつもりが過密スケジュールになってしまいました。
また履きなれない靴を履いていったため早くも3日目位から靴擦れをおこし、以後足を引き摺りながらの旅となりました。旅は履きなれた靴で、が鉄則なのに愚かでした。
という事で5月19日勇んで出発しました。
写真はマインツ/ザンクト・シュテファン教会のシャガールのステンドグラス。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今回巡った町です。南ドイツを北西から南東にほぼ縦断しています。
1:フランクフルト。
2:マインツ。
3:ライン川クルーズ。
4:ザンクト・ゴアール。
5:ハイデルベルク。
6:ヒルシュホルン、ネッカーゲミュント。
7:バート・ヴィムプフェン。
8:ヴュルツブルク。
9:バンベルク。
10:ニュルンベルク。
11ネルトリンゲン。
12:ドナウヴェルト。
13:ウルム。
14:アウクスブルク。
15:ミュンヘン。
16:ザルツブルク。 -
5月19日、横浜のYCATからリムジンで成田空港第1ターミナルへ。
乗るのは9時35分発ルフトハンザLH711便。時差7時間でフランクフルト空港到着予定は同日の14時15分、11時間40分のフライト。
天気予報ではフランクフルトは晴れ、気温20度。 -
ルフトハンザLH711便。
通路側の席がとれた。満員のようだ。シートの前後の間隔が狭い。足長族はお気の毒様。隣の席の人はツアーでクロアチア方面に行くご婦人連だった。フランクフルトから乗り継ぎでザグレブに向かうのだそうだ、ご苦労様。アメとチューインガムを頂く。荷物はキャリー付バッグ1つ、機内持ち込みにする。 -
機内食。綺麗なメニューが付いているが美味しくない。機内食が愉しみ、というブログも拝見するが(ファーストクラスのことかな?)、私は慌しい機内食にグルメを期待しない。
ビールを2本飲む。銘柄はヴァルシュタイナー、2006年のツアーの時と同じ。ルフトハンザ御用達なのかな。
ルフトハンザのエコノミーにはモニターが無く退屈。何回も席を立ち腰を屈伸する。通路側の席にしてよかった。 -
フランクフルト空港地下ローカル駅(レギオナルバーンホフ)。
フランクフルト到着は14時頃、予定より少し早い。入国審査で滞在日数、目的などを訊かれむにゃむにゃ言ったら通してくれた。
空港地下駅からSバーンで最初の宿泊地マインツへ向かう。自動発券機の使い方が分からず通りかかったサラリーマン風の人に教えてもらう。自動券売機というのは日本でもなかなか分かりにくい。ドイツでも老人などが使い方が分からずまごついている光景を時々見かけた。
空港にはもう1つ遠方へ向かう列車の発着する空港長距離列車駅がある。
ホームの掲示板の黄色の張り紙は出発時刻表、白は到着時刻表。全国どこのDBの駅でも同じでとても分かりやすい。日本のJRはサービス、正確さなど殆どの面でドイツのDBを上回ると思うが、この時刻表だけはDBに軍配を揚げたい。 -
マインツ中央駅。
空港駅から約25分、15時50分頃に着く。駅前にはモヒカン刈のヒッピーみたいなのがたむろしている。初めて一人でドイツの地に足を下ろすので少し緊張。
マインツは人口20万人、ローマ時代に起源を持つ。8世紀に大司教座が置かれドイツで最も重要な宗教都市の1つ。ライン河畔にあり、ここでヴュルツブルク、フランクフルトから流れてくるマイン川が合流する。 -
ホテル・マインツァー・ホーフ。
ちょっとアクシデントがあった。予約してあった駅前のホテル・ハマーに行くと「都合によりどこそこのホテルに行ってくれ、タクシー代はホテルで払う」、なんて言う。文句を言ったが(通じたかどうか)らちがあかず料金は同じだと言うのでやむなくタクシーでそのホテルに行く。
運転手にタクシー代5ユーロ払いホテルのレセプションで「かくかくしかじかだから5ユーロ返してくれ」と言うと「領収書は?」と言う。「そんなもの無い」というと「では払えない」との答え。身振りで押し問答していると奥から女将らしき者が出てきて、「信用していいから払ってやれ」と事務員に指示する。私の当然の権利なので礼を言う必要もないのだろうが、悲しいかな習性でついにこっと笑ってダンケと言ってしまう。
今考えるにドイツ語をろくに喋れないのに上記のやり取りをどうやってしたのか分からない。今もう一度やってみろと謂われても出来そうもない。
ようやく5ユーロ返してもらって1件落着。だが災い転じて福となる、結果的にはこのホテルの方が良かった。部屋からライン川が望め、明日のライン川クルーズの船乗り場もこのホテルの方が近くだったから。 -
マインツ:ザンクト(聖)・シュテファン教会。
ホテルの変更などで時間をロスしたのでタクシーを呼んでもらう。明日は8時台のライン川クルーズ船に乗るので時間が惜しい。ドイツに着いた途端タクシーに2回も乗る羽目になる。
ここはシャガールのステンドグラスで有名。 -
マインツ:ザンクト・シュテファン教会。
戦後の再建。ドイツの多くの町は先の大戦で連合国軍の空爆で徹底的に破壊されたので、現存する歴史的建造物は戦後再建されたものが多い。しかし殆どもとの通りに再建されており、新建材などで全く違ったものを造り上げてしまう我国とは大違い。 -
マインツ:ザンクト・シュテファン教会。
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マインツ:ザンクト・シュテファン教会。
シャガールのステンドグラス。薄い水色が綺麗だ。 -
マインツ:ザンクト・シュテファン教会。
シャガールのステンドグラス。最晩年の作。 -
次に歩いてキルシュガルテンに向かう。
途中で見かけたマインツのトラム。 -
マインツ:町の中心シラー広場。オブジェみたいな噴水がある。
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マインツ:キルシュガルテン・桜の園。木組みの家が並ぶ人気スポット。
この場所が分からず通りすがりのご婦人に訊くと身振り手振りで教えてくれる。そこへ一人の男が来て”連れて行ってあげる”と言う。少し心配だったが身なりがきちっとしているので付いて行く。道すがら”KIOTO,KOBEに行ったことがある”とのこと。目的地まで来て”ここだ”といって来た道を引き返して行った。親切な人だ。腕時計をベルトにぶら下げていたら、隠しなさい、と注意してくれた。 -
マインツ:キルシュガルテン。
マインツで唯一戦災に遭わなかった一画とのことで古い木組みの家が残っている。 -
キルシュガルテン。
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マインツ:アウグスティーナ教会。
キルシュガルテンのそば。入口に紙コップを持った人が座っていたので恐る恐る横を通って入る。こういった光景はこれからも特に教会、路上でよく見かけた。同じ敗戦国とはいえ日本ではとっくに見なくなった光景。 -
マインツ:アウグスティーナ教会。
これからも教会の写真が多いです。べつにクリスチャンではありませんが、その雰囲気が好きなものですから。特に天を突くゴシック建築や壮麗なバロック・ロココの装飾には圧倒されます。
日本で旅行するとお寺に寄るのと同じです。 -
マインツ大聖堂にやって来ました。
ケルン、トリーアと並ぶ3大聖堂、またここより少し南にあるヴォルムス、シュパイヤーの大聖堂と共にライン河畔の3大聖堂といわれる。(ヴォルムス、シュパイヤーには翌2009年に訪れ、ヘルマン・ヘッセを旅すると題して4トラに投稿しています)。
975年~1239年にかけて建設。
マインツ大司教は神聖ローマ帝国の皇帝を選ぶ7人の選帝侯の筆頭として絶大なる権勢をふるった。領民に対しては過酷だったらしく、後で出てくるねずみ塔の伝説などが生れている。 -
マインツ大聖堂。
全長109m、巨大な建物で周りにも建物が密集しているので全景が撮れない。 -
マインツ大聖堂。
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マインツ大聖堂。
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マインツ大聖堂。
内部の写真はこれだけ、どうしてもっと撮らなかったのだろう。暗くて撮れなかったのかな。 -
マインツ大聖堂:回廊と中庭。
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マインツ:大聖堂の向かいの州立歌劇場。
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マインツ:グーテンベルク博物館。
マインツはグーテンベルクの生地。1440年活版印刷法を発明。グーテンベルク聖書(1455年)が2冊あるらしいが閉館されていたので拝めず。 -
マインツ:夕食。
適当な店はないかと路地をうろうろ歩く。路上にチョークで料理名と値段を書いた看板を出している店に入る。シュヴァイネシュニッツェル(とんかつ)、つけあわせのポム・フリット(フライドポテト)、ビール。今回初めてのドイツビール、陶器のジョッキで出てきた。ビールはおいしいが、シュニッツェルはパサパサで美味しくなかった。計10.9ユーロ。
これからも経験するが食べ物は日本の方がずっと美味しい。たとえ洋食でも日本の洋食のほうが西洋の洋食より美味しい。西洋かぶれの私でも食べ物は日本に軍配を上げる。
少し離れたテーブルの女の子がちらりちらりとこちらを見る。ということは私もあちらをちらりちらりと見ていた事になるのかな。東洋人が珍しいのだろうか。 -
マインツ。
ホテルに帰る途中駅に寄りレイルパスのヴァリデートをしてもらう。途中にあったエヴァンゲリッシュ・クリストゥス教会。
7時前ホテル帰着。腰が重くて痛くてくたくた。ドイツ第1日目の終わり。
以上は今朝9時過ぎ成田を発ってから1日の出来事。時差7時間のなせる業だ。 -
翌朝ライン川クルーズの乗り場に行く途中。
聖ペーター教会。 -
マインツ。
ライン川クルーズ/KDライン(ケルン・デュッセルドルファー・ライン)のシュトルツェンフェルス号。定員何百人だろう大型船。こんな大きな船が川を航行するなんて日本では不可能。水源から海まで距離が短く急流の多い日本の河川と違ってヨーロッパ大陸の川は多くアルプスの山から悠然と平らな大地を流れていく。海までも距離がある。川幅はそれほどでなくても深さがある。なにせ北海、バルト海から地中海、黒海まで川と運河で航行できるのだから。 -
マインツ。
5月20日、KDラインのライン川クルーズに出発。ザンクト・ゴアールまで乗り、そこから鉄道でハイデルベルクに行く予定。すべてレイルパスが使える。
ホテルからライン川沿いに荷物をごろごろ引いて約15分、船着場でパンフを買い8時45分の出発。大概の観光客はリューデスハイムから乗るので始発のマインツから乗る人は少ない。そのなかに3人の日本人がいた。70歳台くらいのご夫婦と若い娘さん。ご夫婦は二人で旅をしていて、これからノルウエーに行くとのこと。娘さんはオックスフォードに留学していて、これから日本に帰り就活しないといけないと言う。今は帰国前に一人でドイツを旅行しているとのこと。
クルーズ中4人で甲板の最先端のテーブルで過ごす。川面を渡る風が冷たい。 -
ライン川:マインツの港。
ライン川はスイスアルプスに源を発し、全長1320キロ、オランダで北海に注ぐ。マインツでマイン川の水を加え大河の趣きがある。
古来ローマ軍団のシーザー、カール大帝(シャルルマーニュ)、ナポレオンなどあまたの英雄がこの川の覇権を巡って往還したことを思いながらクルーズに出発。 -
ライン川:ヴィースバーデン・ビープリヒ。
船はライン川右岸、左岸の町に寄っていく。雲が出ていて川風が冷たいが上甲板の一等地を占めているので我慢する。
ザンクト・ゴアールまでの寄港地は
マインツ~ヴィースバーデン・ビープリヒ~エルトヴィレ~リューデスハイム~ビンゲン~アスマンスハウゼン~バッハラッハ~カウプ~オーバーヴェーゼル~ザンクト・ゴアール。 -
ライン川。
石炭運搬船。 -
ライン川。
コンテナを運んでいる。今も国際河川として水運が盛ん。いろんな国の旗がはためく。 -
ライン川:エルトヴィレ。
ラインガウ地方最古の町、有名なワイン産地。 -
ライン川:エルトヴィレ城。
14世紀初めマインツ大司教の居城。この若い男女のグループは何をしに来たのか景色を見ないで話ばかりしていた。 -
ライン川:エストリヒ。
ラインガウのワイン産地。 -
ライン川。
丘の上にラインワインの王といわれるヨハニスベルガーを作っているヨハニスベルク城が見える。この城は今でもあのメッテルニヒ家(会議は踊るのウイーン会議で有名なオーストリア宰相の末裔)の所有だという。 -
ライン川の風景。
左奥にヨハニスベルク城。。 -
ライン川:インゲルハイム。
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ライン川:リューデスハイム。
観光客に人気のワインの町。つぐみ横丁・ドロッセル・ガッセというのがある。ここで日本人の団体客がどっと乗ってきた。 -
ライン川:リューデスハイムのブレムザー城。
10世紀。今はワイン博物館。 -
ライン川:ニーダーヴァルト記念碑。
リューデスハイムの丘の上にある。像は女神ゲルマーニア。1871年ドイツ統一記念として1883年に建てられた。
前面に広がるのはラインガウのぶどう畑。 -
ライン川:ナーエ川がライン川に注ぐ町ビンゲン。
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ライン川:ビンゲン。
クロップ城。1689年プファルツ継承戦争でルイ14世のフランス軍に破壊され1875年再建、現在郷土博物館。
プファルツ継承戦争:1685年プファルツ選帝侯カール2世が嫡子なくして死去、この継承権をめぐってルイ14世が王弟オルレアン公の妃エリザベート(カール2世の妹)に継承権有りと主張しプファルツに侵攻したもの。1688~1697年。この戦争でハイデルベルクなど多くの町、ライン川流域の城などが破壊された。エリザベートの碑が生地ハイデルベルクの哲学者の道にポツンと建っている。 -
ライン川:左端にちょっと写っているねずみ塔とエーレンフェルス城。
ここでライン川は大きくカーヴし航行の難所だった。 -
ライン川:ねずみ塔。
13世紀マインツ大司教が関税徴収用に造ったもの。ライン渓谷の城の多くはライン川を行き来する船から関税を取るために造られた。1689年、プファルツ継承戦争でフランス軍により破壊され1855年再建。 -
ライン川:ねずみ塔。
この塔には面白い伝説がある。昔マインツに冷酷な大司教がいて領民を虐げていた。あるとき反抗する領民を小屋に押し込め火を放ったところ、小屋から無数のねずみが出てきて大司教を襲い、川のなかにあるこの塔に逃げ込んだ大司教を食い殺してしまった、と言うお話。 -
ライン川:エーレンフェルス城。
1211年。1689年、プファルツ継承戦争でルイ14世のフランス軍に爆破されその後再建されることは無かった。この戦争ではライン渓谷の多くの城がフランス軍に破壊されている。 -
ライン川:ラインシュタイン城。
1000年頃。 -
ライン川:アスマンスハウゼンの船着場。
アスマンスハウゼンはラインワインの主要な産地。ワイン好きのゲーテはよくラインガウの町々を訪れたという。 -
ライン川:ライヒェンシュタイン城。
11世紀頃。一部はホテルになっている。 -
ライン川:ゾーネック城。
ライヒェンシュタイン城とともに13世紀頃一時盗賊騎士団の根城になったこともある。 -
ライン川:ロルヒ。
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ライン川:フュルステンベルク城。
1219年、ケルン大司教の城。1689年、プファルツ継承戦争で破壊。
町はラインディーバッハ。 -
ライン川:ロルヒハウゼン。
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ライン川:バッハラッハとシュターレック城。
バッハラッハは古い城壁と木組みの家があるお伽のような町。その昔赤髭王フリードリヒ・バルバロッサがこの地を訪れるというのでその自慢の髭を剃り落としてやろうと、いたずら者の悪魔がバッハラッハの床屋をそそのかした、がそれを察知した仙女がバッハラッハ中の床屋を隠してしまった為今でもバッハラッハには床屋ないそうな。本当かどうか、どなたかバッハラッハで床屋を見かけませんでしたか? -
ライン川:シュターレック城(鋼角城)。
1095年プファルツ選帝侯の居城。プファルツ継承戦争で破壊され、今の城は 1927年再建されたもの。 -
ライン川:手前プファルツ城とグーテンフェルス城。町はカウプ。
プファルツ城:1338年、プファルツ選帝侯が関税徴収の目的で造った。正式名は「プファルツ・グラーフェン・シュタイン、宮廷伯の石」。
グーテンフェルス城:1200年頃。今はホテル。 -
プファルツ城。
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ライン川:シェーンブルク城とオーバーヴェーゼルの町。
城は10世紀頃。フランス軍に破壊されたが再建、今はホテルになっていて日本人観光客に人気。 -
ライン川:オーバーヴェーゼルの船着場。
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ライン川:オーバーヴェーゼル。
町を囲む城壁は1216年頃造られたもので今でも18の塔が残っている。 -
ライン川:ローレライの岩。
高さ130m。ここで川幅が狭まり、急流と岩礁で船の難破が多く、ローレライ伝説となった。これをハイネが詩にしジルヒャーが曲をつけ「ローレライ」の歌が生れた。水底の岩礁は今は爆破されている。 -
ライン川:ザンクト・ゴアールスハウゼンとねこ城。
1371年。城主カッツェネレンボーゲン(ねこ肘)伯の名前が長いのでカッツ(ねこ)だけを取りブルク・カッツ(ねこ城)とした。1898年再建。 -
ライン川:ねこ城。
対岸のザンクト・ゴアールから。 -
ライン川:ザンクト・ゴアール。
ここで下船する。マインツから3時間ちょっと、のんびりした良い船旅だった。マインツから乗り合わせた日本人3人が手を振ってくれた。アウフ・ヴィーダーゼーエンさようなら!。彼らはコブレンツまで行くという。 -
ザンクト・ゴアール:メインストリートのヘーア通り。
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ザンクト・ゴアール:ヘーア通り。
この通りの先に小高くラインフェルス城が聳える。 -
ザンクト・ゴアール。
ヘーア通りのレストランのテラスでスパゲッティとビールの昼食。10ユーロ。 -
ザンクト・ゴアールの市役所。
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ザンクト・ゴアール。
教区教会。 -
ザンクト・ゴアール:修道院教会。
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ザンクト・ゴアール:ラインフェルス城。
1245年。ねこ城と同じカッツェネレンボーゲン伯の城。
1794年フランス軍(革命軍)により破壊され1925年再建。
壁にHOTELの文字が見える。一部はホテルになってるようだ。 -
ザンクト・ゴアール駅。
無人駅。 -
ザンクト・ゴアール駅。
ここからライン川左岸を戻り、オーバーヴェーゼル、マインツ、マンハイム経由ハイデルベルクに行く。 -
ライン川:ローレライの正面。
マインツに戻る車窓から撮ったもの。極めて平凡な岩山だが。伝説と言うものは恐ろしい。 -
先ほど船から見たオーバーヴェーゼル駅。
ここでREに乗換え。上の方にシェーンブルク城が見える。 -
プファルツ城。
帰りの車窓から。 -
ビンゲン駅を通過。
ここもライン川クルーズの大きな船着場。
マインツでもう一遍乗換えハイデルベルクに向かう。
ドイツの鉄道が日本のそれと違う所。
改札が無い。ホームの駅名表示が当駅のみ、前後の駅名表示が無い。発車のベルなし、アナウンスなし。ドアの開閉が手動。車掌に女性が多い。検札の途中適当に客席に座って休んでいる。自転車搬入可の車両がある。ロングシートがない。遅れがほぼ常態。乗換えがある時遅れるとハラハラするが大丈夫、その列車も遅れてくる。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- frau.himmelさん 2011/08/31 11:33:22
- またまた助けられました。
- ベームさま こんにちは。
バッハラッハの旅行記の下調べをしていたら、どうしても地名がわからない写真があったのです。
悔しくて、いろいろ検索していたら、またまたベームさまの旅行記に遭遇しました。
それは、ライン河流域のロルヒという街。
前回、ライン河下りの時に素晴らしい教会が沿線に見えたので写真を撮ったのですが、街の名前がわからず…。
今回こそ探し出そうと思い、同じ教会の写真を撮りました。
試行錯誤の末、ベームさまの旅行記にまたまた助けられた次第です。
旅行記はまだ制作中ですが、今回もお名前を出させていただいてよろしいですか?
って、もう出すつもりでいます(笑)。
よろしくお願いいたします。
himmel
- ベームさん からの返信 2011/08/31 20:29:36
- RE: またまた助けられました。
- frau himmelさん、こんばんは。
またまたお役に立てたとしたら嬉しいです。また私の名を宣伝していただき有難うございます。
多分白い教会のある写真だと思います。私も最初からロルヒを知っていたのではありません。マインツで船に乗る前クルーズのパンフレットを買い、移り行く景色とパンフの地図を必死で見比べていました。
アスマンスハウゼンを過ぎて右岸にあの綺麗な景色が目に入ったので地図から判断しロルヒだろうと思ったのです。帰国後色々調べてあの町はロルヒだと断定しました。あの教会の名前は聖マルタン教会というのだそうです。
ヴィクトル・ユゴーの「ライン川幻想紀行」という一種の旅行記にロルヒの項目があり、ユゴー自筆かどうか分かりませんが写真とそっくりの挿絵があります。1840年ころの作品ですのでその頃と今と殆ど変わっていないのに驚かされます。
ロルヒの町の上方にはノリッヒ城の廃墟があります。また左岸にはラインシュタイン、ライヒェンシュタイン、ゾーネック、ハイムブルク、フュルステンベルクなどの城がバッハラッハまでの間に次から次と現れとても忙しい区間でした。
私の知ったかぶりのコメントには間違いもあるかと思います。あまり信用なさらないように(笑)。
ベーム
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