2010/08/11 - 2010/08/11
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akkiy363672さん
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1300年前に都として栄えた奈良…、広大な奈良公園の自然の中には、ゆったりと時が流れる、古代日本の面影が今も残っています。
その奈良公園を舞台に、人々の祈りをろうそくの灯りで照し出す、『なら燈花会』が今年も開催されました。
台風4号が日本海を北上中…のさなか、雨雲の間を縫って、古都の迎え火の中を歩いてきました。
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お昼過ぎに家を出て、午後1時半ごろに奈良公園へ着いた章くんを、鹿くんたちが早速に歓迎してくれました。
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県庁横の駐車場に車を入れて、まずは「平常遷都1300年祭特別展示」が行われている、「興福寺」に向いました。
← 東金堂と五重塔です。
興福寺の五重塔は、奈良市のさまざまな場所から見える、まさに奈良のシンボルタワーです。
702(天平2)年、光明皇后の発願によって建てられたといわれていますが、その後、5回の被災・再建を繰り返し、現在のものは1426年(室町時代)に建立されたものです。 -
宝物館です。ご本尊の5mを越える大きな「千手観音」をはじめ、大人気の「阿修羅像」も、手の届きそうな近くで見ることができます。
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← 宝物館のご本尊「千手観音」(パンフレットから)
5mを超す巨大な仏像で、名宝の居並ぶ宝物館の中心にあって、偉大な存在感を発していました。 -
← ご存知「阿修羅像」(パンフレットから)
やっぱりたいへんな人気で、その前は渋滞していました。
でも、新装成った宝物館では、以前のようにガラスケースに入っての展示ではなく、直ぐ目の前にそのまま展示してくれていますから、像の持つ暖かさがそのまま伝わってくるようでした。
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← 南円堂
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南円堂の前で読経する人たちがいました。
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← 北円堂
日本に現存する八角円堂のうちで、最も形が美しいといわれるこのお堂ですが、今日は公開されていませんでした。 -
← 三重塔
1143年に創建されましたが、1180年に消失…。間もなく再建され、現在に至っていて、北円堂とともに興福寺の伽藍の中では最古の建造物です。 -
三重塔から東へ歩いてくると、お地蔵様が集まっている一角がありました。
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興福寺を南へ出ると、すぐ下に「猿沢池」があります。
池を隔てて見上げる五重塔は、古来から絵になる風景として有名ですね。
亀くんたちが、甲羅干しの真っ最中でした。 -
猿沢池をそのまま南へ抜けると、「奈良町通り」に出ます。
近年、モダンな構えに改装する店が多く、観光客の目を引いています。 -
「元興寺」へ寄ってから、「新薬師寺」を目指して、東へと歩きました。
途中の街角に、子どもたちの像のモニュメントがありました。 -
福智院北交差点にある「大乗院庭園文化館」です。
文化館への入場は無料。炎天を歩いてきた章くん、館内の冷房がありがたかったです。 -
文化館の北側一帯は、近年発掘が進んだ、大乗院の庭園が広がっていました。
章くん、新薬師寺へ行こうと思っているので、このお庭を拝見する時間は無くて残念…。 -
東へ、緩やかなのぼりの道を10分ほど歩いて、「新薬師寺」に着きました。
章くん、このお寺には、高校3年の春休みに訪れていて、以来30ン年ぶり…。そのとき同行したUは早稲田大学の教授に、Sはポンプを作る一部上場会社の社長になっています。 -
あの時、強烈な印象を受けた「十二神将」の皆さんはお変わりないだろうか。 あのお顔をもう一度見たくて、この寺へと急いだのです。
時刻は、午後4時45分…。入場券を売るおばさんが、「もう時間がありませんよ」と心配してくれました。
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何をそんなに怒っているのか。十二神将は、みんな怖ろしい憤怒の表情をしています。
かの時代も、怒らなくてはならないことばかりだったのでしょうね。
← 教科書などでもよく見る「伐折羅(バサラ)大将」
(パンフレットから) -
その全身像は、このように左手は垂らして開き、右手は剣を持っています。(パンフレットから)
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作られた当時は、このように極彩色のきれいな色がつけられていたのですね。(パンフレットから)
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十二神将は薬師如来の眷属です。円形の仏壇上、中央の本尊薬師如来像をお守りし、囲んで立ちます。
新薬師寺の像は、天平期の塑像で、わが国最古の十二神将像です。
十二の方角を守っていることから、十二支の守護神ともされていて、章くんのご守護はこの「迷企羅(メキラ)大将」です。(パンフレットから) -
午後5時、新薬師寺をあとにして、奈良公園へと戻ります。
途中で見かけたマンホールの蓋…。さすがは奈良ですね、きれいな鹿の絵が描かれていました。 -
帰り道、途中のお宅の玄関先で寝ている猫!
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「浮見堂」の横を抜けて…。
このお堂、また暗くなってから、ライトアップに浮かぶ姿を見に来ます。 -
奈良公園の東北部分「飛火野」に、たくさんの鹿が群れていました。
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群れの中に入っていったのですが、鹿くんたちは全く意に介さずに草を食んでいます。
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燈花会のメイン会場「浮雲庭園」に来ました。
芝生の上には、ろうそくを入れる器がきれいに並べられていて、午後7時の点灯を待つばかりです。 -
鹿くんたちも、灯篭の準備のお手伝いに来たのかな?
と、ここで一大事発生! デジカメが壊れたァ。
なので、これ以降は、ケイタイで撮った写真で〜す。
午後6時40分、ふてくされて、浮雲庭園のベンチへ寝っ転がっていたら、夕風も心地よく、そのまま寝てしまいました(苦笑)。 -
【以後、ケイタイ写真です】
午後7時10分。目を覚ましたら、辺りは暗く、灯篭に灯りが点っていました。 -
奈良公園の、はるか向こうにまで灯りが伸びていて、とても綺麗で幻想的です。
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陽気の一つ一つに、火のついたロウソクが入れられています。
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拠点拠点に、大きな行灯が置かれていました。
1999年に誕生した『なら燈花会』…。夏のたった10日間だけ、広大な奈良の緑と歴史の中にろうそくの花が咲きます。
『燈花』とは、灯心の先にできる花の形のかたまり…。これができると縁起が良いと言われています。
『なら燈花会』を訪れた人々が幸せになりますように…と、そんな願いを込めて、ろうそくの一つ一つに灯りが点されているのです。 -
遠くの原っぱにも、灯りの帯が伸びていて、人々が行き交う影が揺れています。
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途中、東大寺へ寄ってみました。
東大寺の「万燈会」は14・15日ですから、今夜は中門は閉じられています。 -
南大門を守る仁王様、金剛力士(阿形)。
金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つ。サンスクリットではVajradhara(ヴァジュラダラ)といいます。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として安置することが多いようです。 -
同じく、金剛力士(吽形)。徹夜で見張っておられます。
東大寺南大門の金剛力士(仁王)像は、建仁3(1203、鎌倉時代)年造立。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いて、およそ2か月で造立したものであることが裏付けられました。運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられています。 -
東大寺から南西に位置する「浅茅が原」の燈花です。
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更に南へ下がって、鷺池に浮かぶ「浮見堂」へ…。
池には、貸しボートが提灯を点して漕ぎ出していて、その中にライトアップされて浮かぶ「浮見堂」は、さながら満天の星空のなかの満月といった風情です。 -
歩経路は、露地行灯の灯りが道案内してくれます。
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一周して、「浮雲庭園」へと戻ってきました。
「一客一燈」…と名づけて、500円で灯りのひとつを、万燈の中に加えることができます。
さまざまな人々の願いを込めた灯りが加わって、浮雲庭園の明かりも増えてきたよう…。
千年の時を超えて、天平の人々と同じ願いを込め、ろうそくの火は古都の夜を照らします。
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