2009/10/16 - 2009/10/16
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frau.himmelさん
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2023年9月、待ちに待ったヨーロッパ旅行に出かけます。実に4年ぶりの旅です。今回は久しぶりにベルギー・オランダ方面にも足を延ばしたいと思っています。
さて、前はどんな旅をしたのだろうか? 埋もれていた昔々の旅行記を引っ張りだして振り返りながら、旅計画を練っています。(2023・4月追記)
★☆★☆★☆★☆
2009年10月
この旅に出発する何日前だっただろうか、一通の手紙を受け取りました。
中を開けてみると「M子さんを偲ぶ会」のお知らせでした。
それはまさに青天の霹靂。
あんなにお元気だったM子さんが…!うそでしょう!?
急いで発起人のI先輩に電話をしました。
悲しいことにうそではありませんでした…。
M子さんとのいろんな出来事が思い出され、悲しみで胸が押しつぶされそうになりました。
でも・・・、私はM子さんの最後のお別れ会には出席できないのです。
もう半年前から計画していたヨーロッパへの出発は間近に迫っております。いまさら計画変更は出来ません。
とるものもとりあえず、M子さんのご仏前に飾っていただくお花を送らせていただいて、ご主人のN先輩にはお悔やみのお手紙を書きました。
そこで約束をしたのです。
M子さんと一緒に旅行した思い出の地ベルギーを、私だけのM子さんを偲ぶ旅、にしますと…。
◆◇◆
M子さんと知り合うキッカケは旅でした。
ご主人のNさんとは九州のある地方の高校の先輩・後輩の間柄。毎年Nさんの同期の方々を中心に、主に同窓生が集まってヨーロッパに旅行をされておりました。
ある時私にもお声がかかったのがキッカケで、それから続けてヨーロッパの旅に参加させていただきました。
Nさんはこの旅のリーダーでしたから、奥様であるM子さんは裏方としていろいろご苦労なさっていました。
朗らかで快活なM子さんは皆から慕われており、口の悪い先輩方は「M子さんがいるからNさんがやっていけるんだよ…。」って、Nさんをねぎらいながらも冗談めかして言ってました。
-
**2001年
私が同窓生とベルギーに行ったのは2001年の10月初めのことです。
その頃のことを少し振り返ります。
2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロにより、世界中に暗い影が落ち始めている頃です。
海外旅行は危険だということで、ツアーのキャンセルが相次いでいることをメディアでは大きく取り上げておりました。
私達はその20日後の10月2日に恒例のヨーロッパ旅行、スイス・オランダ・ベルギーの旅に出発が決まっていたのです。
当然、同行者の家族の中からは反対をする方も出てきました。そこでリーダーのNさんを中心に、旅行を中止するかどうかの話し合いがもたれました。
でも、みんなの意見は同じでした。半年も前から楽しみにしていたことです。決行したいという意見が大多数でした。
みんなの気持の中には、毎年旅行をして気心が知れている同郷の仲間ばかりだし、何かあってもこの仲間たちとなら恐くない、という相互信頼感が非常に強かったのだと思います。 -
と言うことで、予定通り2001年10月2日スイス航空でチューリッヒ乗り継ぎオランダに向けて旅立ちました。
ところがチューリッヒ空港に到着するや否や、心配が的中する出来事が待っていました。
この空港から出発する殆どの便が発着不能との表示板。全ての欄が真っ赤染まったキャンセル!キャンセル!キャンセル!の文字。
理由はまったくわかりません。
またどこかでテロが起きたんだとか、戦争が起きたのだ、とかいろんな不穏な噂が飛び交いました。
そのうちやっとスイス航空が破綻したというニュースが入ってきました。私達はオランダへ飛び立つことはできません。
ツアー担当者やNさんなどが八方に手を尽くしましたが、代替便もなし、アムステルダム行きの長距離列車も満席、チューリッヒのホテルも満室というお手上げ状態。
空港は、私達と同じ状況と思しき各国の人たちで溢れ、駆けつけたスイスのボランティア団体によって飲み物や軽食が配られました。
ニュースでしか知り得なかったような状況に遭遇してしまったのです。
私達が、チューリッヒ近郊の宿泊可能なホテルに向けて出発できたのはその5時間後のことでした。 -
**2009年
ホテルの目の前にあったこのオブジェ。思わず目を疑いました。
見覚えがあるのです。
あーそうか、あの日もここに来たのね。この道をM子さんと共に通ったのね…。
みんなでキャーキャー言いながら、このユニークなオブジャを見て笑っていたっけ…。M子さんの朗らかな笑い声が聞こえるようです。 -
この建物が今回のホテルでした。
この道はベギン会修道院に行く道ですから、2001年のあの日通ったとしても不思議ではありません。
でもこんなにも早くM子さんとの思い出の場所に出会うなんて…。
このホテルは何の思い入れもなく、偶然に予約サイトから申し込んだものでしたが、もしかしたらM子さんが天国から導いてくれたのかなー、って。
とてもステキなホテルでしたから…。 -
さて、ホテルの女主人に運河巡りの船着場を聞いたら、すぐ近くにありました。
8年前のあの日の船着場とは違うようです。
船着場は1箇所しかないと思っていましたが、どうも4,5箇所あるようです。
ここが入口。 -
この場所でボートが出発するのを待ちます。
橋の上では大勢の観光客が、散策をしたり、写真を撮ったりしていました。 -
私達がボートに乗った場所はメムリンク美術館の近くです。
この古い立派な建物がヨーロッパで最古の病院の一つである聖ヤンス病院です。
美術館はその中にあります。 -
この病院は12世紀から17世紀に作られました。
深い歴史を感じさせる病棟です。 -
いよいよモーターボートによる『天井のない美術館』ブルージュの観光が始まります。
約30分、操縦士が船の操縦をしながら、オランダ語と英語でガイドをしてくれます。 -
メムリンク美術館前から出発したボートは、まず南に向かいます。
そちらの方向には「愛の湖」があります。 -
1個1個手造りのレンガの壁、水面に張り出した木々の間をボートは進みます。
この古いレンガは手造りなので、1つ1つ色が違います。それが古い中世の歴史を醸し出しているのだそうです。 -
対向のボートとすれ違います。
◇◆
あの日もこんな感じでしたね。
私と叔母がボートに乗ったのは、NさんとM子さんご夫婦に「ボートに乗りませんか?」って誘われたからでした。
ツアーの流れではありませんでしたから日本人は少数で、こんな感じで外国人に囲まれているって感じでした。
あの頃はそんなことでも嬉しかった記憶があります。 -
ボートは白鳥が優雅にたたずむ「愛の湖」まで進んだらUターンします。
-
Uターンしたボートは再び中世の建物群が立ち並ぶ運河沿いを北に向かいます。
聖母マリア教会の尖塔が見えてきました。 -
ベギン会修道院脇です。
街中の喧騒とは打って変わって静寂な感じが漂っています。 -
白鳥が2羽、ゆったりとくつろいでいます。
ブルージュに白鳥はお似合いです。 -
白い建物は、水路上に建つベギン会修道院のエントランスです。
正面に書かれている文字は1776年と読めます。 -
ツタの絡まる古い壁の大きな建物。
ずいぶん古い、これぞ中世そのものという建物ですが、窓枠の赤い色がとてもモダンです。
ブルージュでは赤い窓枠をよく見かけます。 -
ボートの上から、屋根の瓦葺をしている人を見かけました。
古い中世の建物もこのようにメンテナンスをしているのね、ってよく見たら、葺き替えている建物は新しいですね。
古い建物と新しい建物が隣り合っている風景です。 -
この建物はかつてはグルトフーズ伯の屋敷だったところだそうです。
今は、タピストリー、家具、陶磁器など多くのコレクションが展示されている博物館になっています。
中の豪華なインテリアは中世後期のものだそうです。 -
ここにも中世を彷彿とさせる大きな建物があります。
何なんでしょうね? -
あ、ここ見覚えあります。
8年前はここから乗船したんじゃなかったかしら?ねえ、M子さん? -
左側には木造の古い建物もあります。
奥の方に鐘楼が見えてきました。
町の中心に近づいたようです。 -
ブルージュは北海に近い立地を生かし、13世紀から15世紀にかけてハンザ同盟の貿易拠点でした。
水路は、北海から直接毛織物などの品物を運び入れることが出来たので、市は繁栄し、国際的な商業都市となったのです。
建物を見ても、その時代いかに裕福な商人が住んでいたかうかがい知れます。 -
水門に這うツタがきれいです。
このツタは日本にも大いに関係があるのだとか。
19世紀半ば、シーボルトが日本からヨーロッパに持ち帰った『ナツヅタ』という種類だそうです。
それがブルージュにも根付いて、この美しい町の景観に一役かっているのです。 -
このギザギザ屋根はブルージュに多い建物様式です。
細かいギザギザが多い屋根のほうが、普通の家より豪華に見えるからだそうです。
中世の商人達はこうやって富を競い合ったのですね。 -
ここにもギザギザ屋根と、赤い窓枠。
その隣には新しい建物がぴたっとくっついて建っています。
まさに新旧のコラボレーションですね。 -
先程までは何とか雨も降りませんでしたが、ここにきて雨粒が落ちてきました。
この女性もフードをつけました。
ところで、ブルージュは「橋」という意味だそうです。
ブルージュには高い橋、低い橋あわせて50以上の橋があるそうです。
運河めぐりのさい、低い橋の下を通るときは注意をしてくださいね。頭をぶつけますよ!。 -
またどこかでUターンをしたようで南に向かっています。
聖マリア教会の尖塔が見えてきました。
ボートは運河沿いの景観が素晴らしいディーバー通りを走っています。 -
ディーバー通りではたくさんの観光客が散策しています。
そろそろボート遊覧は終点に近づきます。 -
メムリンク美術館近くの船着場に着きました。
ここから徒歩で2001年の思い出探しの散策をします。 -
道を隔てたところにある聖母マリア教会です。
高さ122メートルの塔は現在修復中でした。
手前にある建物は運河めぐりで見えたグルートフーズ博物館です。 -
聖母教会の前にある聖母マリア像です。
ここで2001年のツアー参加者と写った写真が何枚かありました。
この教会の中には白大理石で作られたミケランジェロの「聖母子像」もあります。 -
入口の紋章が立派なので撮りました。
ブルージュの紋章を2人の天使が抱えているモチーフです。 -
これはツタがあまりきれいなので撮ったレストランの入口の写真です。
このツタがシーボルト博士が日本から持ち帰ったナツヅタです。
シーボルトの出身地ドイツでは、シーボルトとこの植物ナツヅタが一緒になった記念切手も発行されています。 -
マルクト広場にやって来ました。
ブルージュのシンボル、ベルフォルト(鐘楼)の建物部分です。 -
鐘楼の塔の部分、83メートルあります。
ここでは47個の異なる鐘の音を組み合わせて「カリヨン」が演奏されます。
鐘のすぐ下に演奏室かあり、鍵盤と鐘とはワイヤーで繋がれています。
カリヨン奏者は鍵盤をこぶしで叩くようにして演奏します。
週に3回カリヨン奏者によるコンサートも開かれるようです。
NHK「世界ふれあい街歩き」でした。 -
州庁舎。ネオ・ゴシック様式の建物です。
州議会裁判所も入っています。
広場には大勢の観光客が訪れています。
2001年、私達もあの日もちろんここに来たのよね。でも、よく覚えていないんです。何しろあれから8歳トシをとりましたもので…(泣)。 -
広場中央に立つ像は、14世紀、フランスの圧政に抵抗したブルージュの英雄ピーテル・デ・コーニングとヤン・プレーデル、だそうです。
広場の壮麗な建物の数々と、この英雄像を眺めながら、ベルギー名物ワッフルをいただくことにします。 -
このお店に入りました。
こちらの人たちは寒くても外で食べるの平気なんですね。
私達は我慢できないので、テラスの奥のほう暖房の近くに座りました。 -
私がいただいたのはこれ、ストロベリーのワッフルです。
外はパリッとしていて中はしっとり、イチゴもふんだんに乗っていて、こんな美味しいワッフル初めてです。さすがベルギーのワッフル!。
天国でM子さんが、あんまり食べ過ぎないで…って心配しているかもしれませんね。
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