2010/06/04 - 2010/06/04
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ベームさん
6月4日、11日目。
朝起きたら背中から脇腹にかけ身体がよじれるように痛く、息がウーツと詰まる。お馴染みの腰痛とは違うようです。体に異変が起きた。息をつめながらよじれた体を戻す。なんとか動けるようになると、もう出かけることを考えました。この痛み、帰国まで続きました。
今日は終日パリ、パリ3大墓地の1つペール・ラシェーズ墓地とレ・アル地区、セーヌ左岸に行ってサン・ジェルマン界隈を歩きました。
ペール・ラシェーズ墓地はパリの東部20区にある1番大きい墓地です。1871年3月普仏戦争に敗れた政府が対プロイセン講和条約を結ぶと、徹底抗戦、パリ武装解除拒否を叫ぶパリ市民はコミューン(人民政府)を結成し政府と武力対決した。
2ヶ月ほどコミューンはパリを支配したが物量に勝る政府軍は次第に市民軍を圧迫し、5月末ペール・ラシェーズ墓地に逃げ込んだ最後の市民軍の銃殺によりパリコミューンの抵抗は終わった。墓地の片隅に「連盟兵の壁」と名づけられた最後の場所がある。普仏戦争とパリ・コミューンの犠牲者を鎮魂して建てられたのがモンマルトルのサクレクール寺院。
写真はペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ペール・ラシェーズ墓地の入口。
ここで面白い出来事。この建物に1箇所だけトイレがある。長い行列が出来ている。殆どが女性。私は男だからと先に入っていいものかどうか分からないので列の後ろに並ぶと、トイレの入り口にいる男が私を手招きする。行くと男性用トイレに入れてくれた。私が出ると後に女性が入っていった。どうやらこの男はトイレを仕切っていて圧倒的に多い女性のため男性のトイレを使わせ、たまに男が並ぶと先に使わせているようだ。女性さえいやでなければ差支えない。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
メトロ東駅から5号線でレピュブリック乗換え、3号線で3つ目がペール・ラシェーズ。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
東京の雑司が谷とか青山墓地みたいなものだが一つ一つのお墓が非常に個性的。
ただ樹木が多く全体的に暗い。 -
ペールラシェーズ墓地。
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ペール・ラシェーズ墓地。
アルフレッド・ドゥ・ミュッセ。詩人、劇作家でジョルジュ・サンドと浮名を流す。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
イヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレのおしどり夫婦。シモーヌ・シニョレは美人ではないが不思議な魅力を持った女優だった。ジョルジュ・クルーゾー監督の「悪魔のような女」が印象深い。 -
「嘆きのテレーズ」のシニョレ。
男優はラフ・ヴァローネ。 -
「悪魔のような女」のシニョレ。
右はベラ・クルーゾー。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ジョアッキーノ・ヴィスコンティ。
モリエールの泉、サン・シュルピス教会の噴泉、ルーヴル宮殿とチュイルリー宮殿を繋げた建築家。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
エディット・ピアフ。供えられている花はまだ新しかった。 -
エディット・ピアフ。
マダム・ランボウカス、通称エディット・ピアフ、1915~1963年。
ランボウカスは彼女の2度目の夫の姓。 -
エディット・ピアフ
パリの貧民の子として生まれたが辛苦の人生の末フランスの国民的歌手となった。
代表的な歌は「バラ色の人生」、「愛の賛歌」、「パリの空の下」など。
1915~1963年。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ジョルジュ・エネスコ。ルーマニアのヴァイオリニスト・作曲家。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
オスカー・ワイルド。アイルランド生まれの異端の作家はパリで亡くなりパリに葬られたいるのだ。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
オスマン男爵。ナポレオン3世の第二帝政時代パリ大改造を行った。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ケルビーニ。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
コレット。青い麦の作者。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ジェリコー。
碑板はルーヴルにある「メデュース号の筏」の絵が彫られている。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ドラクロワ。同志ジェリコーとは死しても同じ墓地。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ジネット・ヌヴー。女流ヴァイオリニスト。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
シャトー・ブリヤン。サン・マロ生まれの詩人。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ショパン。さすがに詣でる人が絶えない。ヴァンドーム広場にはショパン最後の住居跡/現ショーメ宝飾点がある。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
スーラ。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
オノレ・ド・バルザック。
ユゴーやデュマがパンテオンに祀られているのにどうして。生前の品行が災いしてるのかも。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
パルマンティエ。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ビゼー。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ポール・エリュアール。愛国の詩人。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
モジリアーニ。
極貧のうちに亡くなったモジリアーニ、墓も粗末なものだった。見つけるのに苦労した。日本の墓地みたいに著名人の墓を示す標識などが全く無いので。
モジリアーニの死の翌日投身自殺した妻ジャンヌ・エビュテルヌも共に葬られている。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
ロッシーニ。
このほかにもマリー・ローランサン、プルースト、アポリネール、サラ・ベルナール、ピエール・ブラッスール、ドーデ、エロイーズとアベラール、ロスチャイルドなど数えたら枚挙に暇が無い。が、このブログに載せた墓を見つけるだけでも3時間近くかかった。 -
ペール・ラシェーズ墓地。
パリコミューン最後の場所。今でも花が捧げられている。この戦いによる死者は17000人といわれ、チュイルリー宮殿、市庁舎は炎上した。そしてチュイルリー宮殿は再建される事はついに無かった。 -
この壁でコミューン最後の市民兵が銃殺された。
1871年5月28日。 -
サントースタッシュ教会。
ペール・ラシェーズ墓地からメトロを乗り継ぎレ・アルへ。レ・アルは1969年までパリ中の胃袋を満たした中央市場があったところ。市場はパリ南部のランジスに移転し跡は今はフォーラム・デ・アルになっている。 -
サン・トースタッシュ教会。
1637年。 -
サン・トースタッシュ教会。
ここのパイプオルガンはリスト、ベルリオーズが演奏している。モーツアルトは1778年のパリ訪問時母を亡くしこの教会で葬儀をおこなった。 -
サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会前の広場。
丸屋根は商品取引所。 -
サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
17世紀のステンドグラス。 -
サン・トースタッシュ教会
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サン・トースタッシュ教会。
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サン・トースタッシュ教会。
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パリ。
フォーラム・デ・アルの地下の入口。
ここには中世以来市場があったが、第2帝政時ナポレオン3世により巨大な中央市場レ・アルに建て替えられた、1868年完成。しかし手狭とか何とかの理由により1970年取り壊され跡は広大な広場と地下のショッピングセンターフォーラム・デ・アル(1979年オープン)になった。市場はパリ郊外のランジスに移されている。元の市場の様子はたしかジャン・ギャバン主演の「愛欲」だったか「殺意の瞬間」だったかに描かれていたと思う。 -
サン・トースタッシュ教会を見た後近くのイタリアン・レストランでパスタとイタリアビールを注文したらカツレツとギネスビールが出てきた。??。
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デザートに冷たいものが欲しくなってアイスクリームを頼んだら大きいのが出てきた。
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パレロワイヤル。
ルイ13世時代の宰相リシュリューの邸宅。のち王宮となりルイ14世が幼少時代を過ごした。
今はそれほど観光客の訪れる場所ではないが、19世紀前半頃はパリ一の盛り場だったという。 -
パレロワイヤル。
このモダーンな中庭は1986年に造られた。 -
コメディー・フランセーズ。モリエール、ラシーヌなどフランス古典演劇の殿堂。パレロワイヤルの一部。1790年築。
ジャン・ルイ・バローもここの座員だった。 -
ジャン・ルイ・バローと夫人のマドレーヌ・ルノー。
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ピラミッド広場のジャンヌ・ダルク像。
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金ぴかのジャンヌ・ダルク像。
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サン・トノレ通りのサン・ロック教会。
1653年ルイ14世により建立。正面にナポレオン軍と王立軍の戦いの弾痕があるらしい。コルネイユの墓。 -
サン・ロック教会。
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サン・ロック教会。
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サン・ロック教会。
この後メトロ7号線でピラミッドからポン・ヌフまで行き歩いてサン・ジェルマン・デ・プレ地区に入る。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
起源は542年パリ司教聖ジェルマンが建てた修道院教会。11世紀に再建されたパリ最古の教会。デカルトの墓がある。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
前の広場には有名なカフェ・ドゥ・マゴとかカフェ・ド・フロールがある。テラスは客で一杯。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
荘厳な伽藍。明るい外から中に入ると薄暗くしばらく目を慣らす。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
歴史を感じさせる柱。 -
サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
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サン・ジェルマン・デ・プレ教会。
痛む脇腹を抱えながら貪欲に歩き続けます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ひゅうひゅうさん 2012/05/23 21:20:19
- ショパンの墓地
- べームさん、こんばんは
いつも、旅行記に訪問、投票もありがとうございます。
べームさんの旅行記を見せていただいていたら、ペール・ラシェーズ墓地の旅行記が目に留まりました。
私は昨年ショパンのお墓に行ってきたんですよ。
昔からピアノが大好きでしたのでどうしても行きたくて、やっとという思いで、胸が熱くなりました。
雨が降ってきて、ペール・ラシェーズ墓地には長くはいられませんでしたが。
ところで、他の方の掲示板(目に入ってしまって、すみません)に明日から北ドイツ旅行に行かれるとか。
旅行記を楽しみにしています。
ひゅうひゅう
- ベームさん からの返信 2012/05/23 21:48:14
- RE: ショパンの墓地
- ひゅうひゅうさん、
今晩は。
こちらこそ有難うございます。
ショパンのお墓に行かれましたか。見つかってよかったですね。ショパンはパリの人にも人気があるのですね。お参りの人が絶えませんでした。ヴァンドーム広場のショパン最後の住まいは見ませんでしたか。今はショーメ宝飾店になっていて”ショパンが住んでいた”というプレートが架かっているだけですが。
明日からドイツに行ってきます。旅行記が書けるように無事に帰れたら好いのですが。
ベーム>
>
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