2010/06/25 - 2010/06/28
221位(同エリア259件中)
ちゃおさん
同行のネギさんが駐在員として大連に赴任していた頃の27−8年前には、この旅順は、大連と合併した都市になっていて、二つの都市名を繋ぎ合わせた「旅大市」などと呼ばれていた記憶も新たである。
日露戦争に勝った日本が、この町に権益を伸ばした頃の旅順は、黄海・渤海に面する最良の軍港で、大連と肩を並べるほどの勢いもあったが、戦後の中国開放政策により、大連の経済特区が勢い強く発展すると共に、いつの間にか巨大な大連に飲み込まれる形で、「旅大市」から「大連市旅順口区」に格下げされる形になった。
この「口区」は行政の単位で、東京で言えば、「千代田区」のような「区」に喩えられる。従って今の中国には「旅順市」という名前の町はなく「旅順口区」という地区があるだけである。
その嘗ての軍港、今でも中共軍の重要な軍事拠点でもあるが、この古びた町の中に、「水師営」はいまでもその場所に残されている。尤も一時紅衛兵時代には一度は打ち壊されてしまったが、その後現状に復する形で復元されている。
「水師営」。戦前の軍国少年なら誰しも知っている歴史的な場所であり、203高地攻略後、帝国陸軍乃木大将とロシア帝国ステッセル将軍とが会見した場所であり、世界の戦史上でも重要な場所である。
それは当時世界最大、世界最強のロシア帝国陸軍を打ち負かせたのは、名もなき東洋の一島国の、つい20数年前に世界に門戸を開いた新興国だったからに他ならない。しかしこの新興国を見る世界の目は優しかった。
世界中から集まったジャーナリスト、軍事視察団、顧問団の見守る中、両者の会談は行われ、敗者を労わる乃木希典将軍の武士道精神は世界中に報道され、後、世界に於ける日本の精神、地位を確固としたものだった。
この戦争で二人の息子さんを亡くし、あまつさえ数万人にも及ぶ将兵の命と引き換えに今日の勝利を勝ち取った乃木将軍の心中や察するに余りある。
戦略、軍略は他の将軍に比べ稚拙だったかもしれないが、その帝国軍人としても精神は後々の世に高く評価され、後、軍神として乃木神社も建立され、三嶋由起夫の「自決」という映画にも結実している。
会見場の細長く硬い樫の木のテーブル。元々は戦時病棟の手術台
だったものだが、両者が相対峙し、硬く握手を交わし、その後の戦争終結の強い一石ともなった。赤坂乃木邸には今でも馬小屋が残っているが、この時ステッセル将軍から贈られた白馬が飼育されていたのだろうか・・・
明治の日本、乃木将軍、その後の日本、これからの日本の将来、この細長いテーブルの上には、様々な映像が去来していた。
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