2010/04/08 - 2010/04/08
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吉野は、奈良県南部の吉野山から大峰山の山岳地帯で大峰の山々は熊野まで連なり大峰への道は修験者によって、熊野から開かれている。
吉野の歴史は古く、応神天皇(おうじんてんのう、201−310年伝)の遊興の地だったとされ654年には離宮として吉野宮(宮滝遺跡)がおかれた。平安時代には、役 小角(えん の おづの634−706年伝)が開いたと伝えられる金峯山寺が建立され、吉野山は修験道の地となっている。
鎌倉時代後期には、後醍醐天皇の皇子・護良親王が吉野山で倒幕の兵を挙げた。後醍醐天皇は幕府滅亡後に京都で建武の新政を開くが、南北朝時代には吉野へ移り、皇居や行政機関を置いて吉野朝廷(南朝)が成立した。
如意輪寺(にょいりんじ)には足利尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)により京を追われ、吉野の地で死去した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)がある。
如意輪寺は平安時代の901−922年の間に日蔵上人(にちぞうしょうにん905−985年伝)により開かれたとされ南北朝時代には後醍醐天皇の勅願所とされた。
1346年、楠木正成(くすのき まさしげ1294頃−1336年)の長男・楠木正行(くすのき まさつら1323−1348年)が四条畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに如意輪寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠み本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされている。その扉とされるものが宝物殿に展示されている。
芭蕉は、ここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残している。
山門を入ると正面に寄棟造檜皮葺きの如意輪堂(本堂)があり、左方に庫裏、宝物殿、一段高いところに多宝塔がある。如意輪寺にも南北朝時代の文化遺産がたくさん残っている。
(写真は如意輪寺多宝塔)
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如意輪寺の光景。
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如意輪寺の光景。
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如意輪寺周辺の光景。
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如意輪寺後醍醐天皇陵周辺の光景。
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如意輪寺後醍醐天皇陵周辺の光景。
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如意輪寺の光景。
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如意輪寺参道周辺の光景。
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如意輪寺の光景。
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如意輪寺参道周辺の光景。
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如意輪寺参道周辺の光景。
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如意輪寺の説明。
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如意輪寺の芭蕉の句碑。「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」。
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如意輪寺の宝物殿の展示。
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如意輪寺の宝物殿の展示。
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如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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楠木正行辞世の扉。
楠木正行が四条畷の戦いに出陣する時に、「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と本堂の扉に辞世の歌を刻んだ扉とされている。 -
如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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楠木正行辞世の扉の説明。
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如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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楠木正行辞世の扉の説明。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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楠木正行辞世、「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」がきざまれた扉。
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如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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如意輪寺多宝塔周辺の光景。
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如意輪寺多宝塔の光景。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺多宝塔内部の光景。
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如意輪寺多宝塔の光景。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺参道周辺の光景。
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如意輪寺から見る奥千本(おくせんぼん)周辺の桜。
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如意輪寺参道周辺の光景。
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如意輪寺から見る奥千本(おくせんぼん)周辺の桜。
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如意輪寺から見る奥千本(おくせんぼん)周辺の桜。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺周辺の桜。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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如意輪寺境内の光景。
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