2010/05/26 - 2010/05/26
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5月24日(月)から6月2日(水)までの10日間の日程で、シリア、ヨルダンに出かけました。パルミラ2泊→ダマスカス1泊→アンマン1泊→死海1泊→ ペトラ2泊の7泊10日です。5月26日(水)は女王ゼノビアの都市パルミラを終日観光し、感動的な一日でした。
パルミラはダマスカスの北東約230km、シリア砂漠の中にあるローマ時代の都市遺跡で、1980年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
パルミラの由来はギリシャ語の「パルマ(ナツメヤシ)」であり、その名の通りこの遺跡はナツメヤシのオアシスに囲まれてます。かつて、ローマ時代の隊商都市として栄えた場所であり、当時築かれた神殿や列柱群の跡、凱旋門、アラブの城塞が完全な姿で残っていて、見ていて時間が止まったような気分になりました。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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遺跡観光のスタート地点に「記念門(Monumental Arch
)」があります。ここからは遺跡の中を歩いて観光します。 -
いきなり絵葉書を売りに来た6歳の少年。1冊2$で買いました。この後、物売りの子どもには2〜3人しか会いませんでした。商品はお店で買うものと同じだと思います。
遺跡の入口近辺にはこれといった売店もないので、絵葉書や小物を買うのには便利だと思いました。 -
記念門から入りすぐのところにある「ナボ神殿(Nabo Temple)」。最高神であるベル神の息子とされるナボ神の神殿。
史料によると、建設にあたって、美しい塔墓を建てたエラベール家が多額の寄進をしたそうで、シリア式神殿であり、ドーリア式の柱頭を持つ列柱廊で囲まれ、境内の中央に神殿(内陣)があったと言われていますが、残念ながら、現在は、写真のように敷石とわずかな柱が残っている状態です。 -
綺麗な形で残っている列柱大通り(Great Colonnade)。
お天気は晴天、午前中は27℃ぐらいで、汗も出ず、快適に観光できました。ただし、日差しは厳しく、帽子やサングラスなしでの長時間観光は無理です。夏は47℃ぐらいになるそうで、実際、帰国後天気予報を見ていたら、6月でも最高気温が40℃以上の日が度々ありました。 -
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記念門から西に向かって少し進むと、ローマ皇帝であったディオクレティアヌスが都市計画の一貫として整備した浴場、ディオクレティアヌスの浴場(Diocletian's Baths)がありました。
1つのギリシャ語碑文には、293年から303年までの間に「ソシアヌス=ヒエロクレス(シリア=フェニキアの総督で、ディオクレティアヌス城塞の建設者)の援助を得て完成した」と記されているそうです。
4本の美しいエジプト産花崗岩の円柱が立っていることから、当時、このパルミラとエジプトとの交流があったことが証明されました。 -
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全盛期には750本ほどあったといわれる列柱群。現在は約150本の柱が残っています。
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円形劇場(Theater)の入口。入ってすぐのところでチケットや絵ハガキ、ガイドブックなどを売っていました。
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1952年にシリア考古局によって発掘された、紀元前2世紀初めに造られた円形劇場(Theater)。
砂に埋もれていたので保存状態がよく、その舞台はほぼ原形をとどめています。丸天井の付いた出入口から劇場に入ると、演奏席(オルケストラ)があり、現在13段残る、階段状観客席が演奏席を囲んでいました。
背後に写っているのは、列柱道路と四面門とアラブ城。
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取引場(Agora)の入口。ローマ都市で、大衆討議と取引の場所であったフォーラム(広場)の跡が残っています。
入口の隅でお土産を売っていました。 -
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「四面門(Tetrapylon)」は列柱道路(大通り)とそれに交差する通りの交差点に建てられていました。
基壇の上に四本の柱に支えられた屋根があり、綺麗に残っています。
アグリジェント(シチリア島)のアグリジェントの神殿の谷で見た「ディオスクロイ(カストール・ポルックス)神殿」はこの1ブロックしか残っていない形状で、よく似ているので思い出しました。 -
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水道管がはっきりとわかる形で残っていました。
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列柱大通りはベル神殿から北西のアラブ城砦まで1kmあまり続く大通りです。
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中心道路の突き当たりに、「葬祭殿(Funerary Temple)」と呼ばれる神殿風墓室がありました。
3世紀の建物で、6本の円柱と三角屋根のある玄関があり、続く四角形の建物の隅の柱は葡萄の唐草模様で飾られていました。
写真には写っていませんが、背後にアラブ城が見えました。 -
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遺跡内にはハート型の石材(柱)がありました。
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パルミラ遺跡の最西端の傾斜地に軍事基地の跡があり、ローマ皇帝の名を取って「ディオクレティアヌス城砦(Camp of Diocletian)」と呼ばれるています。
アウレリアヌスが273年にパルミラを破壊した後30年以内に、ローマ皇帝、ディオクレティアヌスが東方の保塁のためにここに軍営地を設けたとのことです。
この緑の標識がなければ全くわからない状態でした。 -
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石材が散乱する遺構で、振り返ると背後にアラブ城(右上)がそびえていました。
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墓の谷にある塔墓群。塔墓は3〜4階建てで、地下室もあり、大きいものは百数十の石棺を収めています。
このうち、エラベール墳墓、3兄弟の地下墓室に後で行きました。 -
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ベドウィンの女の子に会いました。
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ベドウィンのテント。男性がたくさんいて、チャイを飲んでいました。招かれましたが、時間がないので、礼を述べて立ち去りました。
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紀元前後頃の高さ3.5mのライオンの立像の断片がアラート神殿境内で発見され、パルミラ博物館入口に復元されたライオン像。アラートはアラブの戦いの女神。
パルミラ博物館に立ち寄りトイレ休憩を取りました。
30℃に達していなくても、日陰がほとんどないパルミラ遺跡を続けて観光していると、じりじり炒られているような感覚がしました。建物の中に短時間でも入ることができてほっとしました。 -
記念門から列柱大通りはゆるやかに右に曲がり、その先にはパルミラ遺跡で最も重要な建物であるベル神殿(Temple of Bel)があります。
1世紀から2世紀半ばにかけて建設され、古代セム人の主神ベルに奉献されたローマ時代の神殿です。
パルミラ最大・最古の建築物、ベル神殿は中庭の中央に南北の方向に建っています。
境内は東西210m、南北205mのほぼ正方形で、西アジアの当時の建築物としては最もよく保存され、最も重要な意味を持っているとか。
神殿境内には1929年まで住居が密集していたが、東南隅の1軒の家を除き、3年間で取り払われ、新しい村が北方に建設されたそうです。そして発掘と修復に考古学者アンリ=セリグと建築家ロベール=アミーの指揮するフランス調査隊があたったが、シリア独立後はシリア考古局が継続しているそうです。
ここでは、フランス人の団体観光局が本当に多かったです。 -
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ベル神殿の境内の石の間にがんばって咲く、強靭そうな野あざみを見つけました。
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犠牲祭壇の跡。この石板の上でラクダ、牛、羊たちが犠牲に捧げられました。鍵のような形の穴は血を落とすためのものだそうです。
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ベル神殿本殿の大きな門。
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ベル神殿の南側安置所の天井。一枚岩でできていて、鏡板とバラ形装飾にはビザンティン美術とアラビア美術の前触れをなす幾何学模様が画かれています。
煤で黒くなっている部分がありますが、1929年までベトウインの人々がここを住居として使っていて、台所代わりにここで煮炊きしていたらしいとのことです。
北側安置所の天井も同様に煤けていました。 -
本殿北側の神像安置所。主神は「ベル(ベール)」で、「主人」という意味の最高神。
太陽の神「ヤルヒボール」と月の神「アグリボール」を左右に従えた3つの神像が安置されていたそうです。 -
ベル神殿の大梁(天井飾り)。本来、神殿を囲む回廊の天井部分に施されていた装飾で、そのうち2つが本殿の門の右側に並べられています。
こちらは第1の梁で、神殿の列柱、肩に三日月を着けた月の神(アグリボール)、果物を供えた祭壇、果物と子山羊を供えた祭壇、2人の崇拝者が画かれていました。
パルミラ芸術の特徴は東のペルシアと西のローマの文化を融合させたところにあると言われています。 -
こちらは第2の梁。霊石を納めた覆いをラクダの背に乗せ、頭から布を被った女性が行列に随行し、その横で男性が手を挙げて礼拝している、アラブ固有の儀式で、神殿の建立に関わる光景を描いたものと考えられるそうです。
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ベル神殿と中庭の周囲にはコリント式の円柱が390本もあったそうです。
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ナボ神殿の建設に多額の寄進をしたことで知られるエラベール家の塔墓(Tower Tomb of Elahbel)。
建立者はエラベールの息子のマーナイの息子のワーバラトの息子たち(エラベール、マーナイ、ショカイ、マリクーという四兄弟)であり、そのうちの1人の名をとって、このように呼ばれているそうです。
見学できるのは1日2回(9時、11時)だけで、その時間帯になると、団体客を中心にどっと周囲に人が集まりました。上に登ることもできます。 -
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地下墓室はほかにも沢山ありました。
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美しい壁画で有名な「3兄弟の地下墓室(Hypogeum of the Three Brothers)」へ降りる階段です。内部は写真撮影禁止です。
パルミラ遺跡は神殿などの地上の遺跡だけでなく、このような地下墓室が50基以上発見されていて、まだ発掘されていないものが約10基あるそうです。 -
3兄弟の地下墓室の入口の上枠に刻まれた碑文。
ナマイーン、マレー、サエディーの三人兄弟がこの地下墓室を造り、160年、191年、241年にいくつかの部分を分譲し、売却したことがわかるそうです。
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