2010/05/12 - 2010/05/27
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akkiy363672さん
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トルコの旅も、いよいよ最終版です。
ブルー・モスク、エジプシャン・バザールなど、イスタンブールの市内を回ったあと、アタテュルク空港から帰国の途に着くことになりました。
アッという間の15日間でした。悠久のときの流れに浸り、人々のあたたかさに触れた旅でした。
↑【表紙の写真は、ビザンティン建築の最高傑作といわれる「アヤソフィア」】
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
-
(その6からの続きです)
午後7時15分、タクシーでタクシム広場に着きました。
相変わらずの人出です。
タクシーに乗るときにも、前もってガイドのセロハンさんに「タクシム広場へ」とメモを書いてもらい、運転手さんに見せました。
「タクシム…」と章くんが言っても、通じないかもしれないという心配があったからです。 -
広場には、さまざまな人が集まってきます。
芝生の周りに座って、誰彼となく談笑しています。
↑ この犬は、この女の子が連れている犬ではありません。広場に居ついているのです。 -
↑ 鳩と遊んでいる少年
遊んでいるというよりは、追い回しているというべきでしょうか。
でも、鳩は少年など相手にしていません。少年が走ってくると、少し飛びのいて、またすぐエサのところに戻っていきます。
鳩に遊んでもらっている少年…というところですね。 -
イスタンブール一番の繁華街「イスティクラル通り」を歩きました。
↑ 通りを行く路面電車
特等席に陣取る少年…。日本だったら、叱られてしまいますね(笑)。 -
← 路上ライブ
アメリカインディアンの二人です。
横のおじさんが、CDを売ろうと構えています(笑)。 -
ガラタ橋のたもとまで降りてきました。
-
金角湾を挟んで、旧市内の夕暮れです。
先ほど訪れた「トプカプ宮殿」も、夕焼けの空の下に一日を終えようとしています。 -
ガラタ橋を渡ります。
今日も、釣りをしている人が大勢います。
ガイドのセルハンさんの話では、たくさん釣れた人の中には、橋の上で釣れた魚を売っている人もいるとか。
買う人は、主婦ではありません。今日の釣果が思わしくなかった人です。
釣りに来て、手ぶらでは家に帰れない…というのは、トルコでも同じですね(笑)。 -
スカーフを巻いた女の人を満載して、ガラタ橋の下を船が行きます。
今日の勤めを終えた人たちが、帰宅の途中でしょうか。
橋の上から手を振ると、船上のほぼ全員が手を振り返してくれます。トルコの人たちは、あたたかいですね。
ボスポラス海峡が市域を2分するイスタンブールでは、海峡を渡る渡し舟が頻繁に運行しています。 -
車が行きかうガラタ橋の上(2階)から、下(1階)に下りてみました。
1階は、船が通る中央部分を除いて、飲食店が椅子を並べています。 -
章くん、その1軒に入って、川風に吹かれながら、チャイを飲みました。
ライトアップに浮かぶ「イェニ・ジャミィ」…、辺りに飛び交う異国の言葉…、旅の余韻が心に沁みます。 -
ガラタ橋の南詰め上流岸に、ネオンが明るいにぎやかな一角がありました。
のぞいてみると、トルコ名物「サバサンド」の店です。「4リラ、安いよ」とお兄ちゃんが呼んでいますが、それほどお腹も空いていなかった章くんはパス…。
「サバサンド」は、美味しいと言う人とあんな不味いものと言う人と、人によって評価が極端に分かれますね(笑)。 -
午前中のボスポラス海峡クルーズに参加できなかった章くん、とにかく船に乗ろうと、ガラタ橋南詰めのエミノニュ桟橋へやってきました。
でも、クルーズは午後6時で終了。「また明日、午前11時からだからね」と、立派なひげを生やした案内係のおじさんが説明してくれました。
しかし章くん、とにかく船に乗るんだと、乗船券を買って、目の前に泊まっていた船に乗り込みました。どこへ行くのかは…判りません。 -
エミノニュ桟橋の直ぐ後ろの丘に立っている、スュレィマニエ・ジャミィ(中央)とリュステムパシャ・ジャミィ(左下)。
尖塔が立つジャミィ(モスク)は、イスラム世界を象徴する風景ですね。 -
ガラタ橋の南半分を、船からパチリ…。
章くんを乗せた船は、ガラタ橋をくぐります。 -
次々と行きかう船…。結構混雑しています。
それにしても、章くんを乗せたこの船、どこへ行くのだろう。 -
オスマン朝のスルタンがトプカプ宮殿のあとに政務を執ったという、「ドルマバフチェ宮殿」ですね。
ただ、後で調べてみてそうかなと思うのであって、この船に乗っているときはガイドブックを持っているわけでもなく、『ライトアップされていて、立派な建物だなぁ』と思っただけでしたが…。 -
ン…、ボスポラス大橋です。
ということは、ボスポラス海峡を北へ走って来たということですね。 -
程なく着いた港で、乗客がみんな降りていきます。終着港のようです。
降りてみたら、結構にぎやかなところでした。
章くん、懲りずにまたもう一度、この港から乗船券を買って、行き先のわからない船に乗り込みました。 -
出向してから、10分…、20分…。あたりの風景は、灯りも段々少なくなって、淋しくなってきました。
やがて、照明に照らし出されたモスクが見えてきました。船は、ぐんぐんその方向に近づいていきます。
到着した港で、10人ほどいた乗客はみんな降りていきます。
章くんも最後尾で降りていって、船着場の外へ出てみると、人通りもないガランとした風景が広がっていました。
と、タクシーが1台…、たった1台…停まっていました。
運ちゃんにホリディ・インのホテルカードを見せると、「エァポートの近くのか?」と聞いてきます。
「イエース」と答えて、乗り込みました。
あとで考えてみると、この1台のタクシーがここに居なかったら、章くん、夜のトルコの知らない道をとにかくタクシーを求めて歩くことになったことでしょう。
美人ガイドの智恵ちゃんに電話をして助けを求める手もありますが…。
-
どこをどう走ったのか…、さっぱり判りません。先ほどタクシーに乗った場所もどこだか判りません。
が、この運ちゃんもホテルへ着くまでに、3回、道を尋ねていました(笑)。イスタンブールのタクシーの運ちゃんは道を知らないなぁ(大笑)。
午後11時30分、無事にホテルへ到着。タクシー代63リラ、チップ込みで70リラを渡しておきました。 -
第14日目、5月25日(火)。トルコでの最終日。今夜の飛行機で帰国の途に就きます。
↑ 朝、ホテルの窓から。今朝も渋滞ですね。
今朝はゆっくり…。予定は市内見物を残すのみですから、ホテル出発は11時30分です。 -
今日は、まず、「ガラタ塔」の見物からです。
ガラタ塔は、イスタンブールのガラタ地区(ヨーロッパ側の新市街)に、5~6世紀に灯台が建てられたのが始まりです。
その後、この地に居留していたジェノバ人が、地中海貿易のライバルであったベネチアや、宗教の異なるビサンチンの攻撃に備えるため、1348年に監視塔として再建しました。
↑ 金角湾を隔てて見た、ガラタ地区とガラタ塔
-
ガラタ塔へは、この2基のエレベータで7階まで上がることができます。
7階にはレストランがあって、夜はベリーダンスのショーも催されているそう…。
展望台は9階…。塔の外にせり出している通路を、ぐるりと歩いて回るのです。そこから見る、イスタンブールの街並や海峡の景観が素晴らしい。
7階から9階までは、螺旋階段を歩いて上らねばなりません。
でも、7階まで運んでくれるエレベータも、今日は調子が悪いらしい(さすが、トルコ(苦笑))。
それでも、このエレベータに乗らなければ上には上がれない章くんたち…。「止まるなよ?」と言いながら、乗り込みました。 -
9階…。 展望台に1歩を踏み出すと、眼下に金角湾が広がっていました。
右方面が上流部…、アタチュルク橋が見えています。 -
少し下流に目を移して、ガラタ橋です。
-
ズームしてみると、昨夜船の上から見た、スュレィマニエ・ジャミィが見えました。
-
ぐるりと回って、さらに下流を見ると、金角湾の湾口部と、ボスポラス海峡が見えてきました。
ボスポラス海峡の上方向が、マルマラ海です。
対岸の先端は、トプカプ宮殿ですね。 -
北の方向…、ガラタ地区の市街地が見渡せます。
章くん、左回りに回ってきてしまいましたが、ホントは右回り…。
「矢印が書いてあるだろう」と、どこの国の人か、観光客のおじさんに叱られてしまいました。 -
やがて、集合時間…。
が、1基のエレベータが故障してしまいました。おじさんが修理に向かいましたが、なかなか直りません。
「直ったよ」と言われても、乗り込むにはちょっと勇気が要ります。
章くんは、少し並んで、左側のエレベータに乗り込みました。
でも、それが途中で何度も止まってしまって…。
やっと1階に着いてドアが開いたときには、これで今夜の飛行機に乗れるという思いと、動かなければ明日もイスタンブールに居られたのにという思いが、半々でしたね。 -
午後1時15分、バスに乗り込んで、昼食に向かいます。
↑【車窓から】 金角湾、ガラタ橋が見えています。 -
← ヨーロッパを走ってきた列車の終着駅「シルケシ駅」
今日の昼食は、この駅の構内にあるレストラン「Orient Express Railway Station 」でとります。
実は…、この時計、狂っているんですよ。トルコを代表する駅の大時計が狂っているなんて、いかにもトルコというべきでしょうか(大笑)。 -
駅構内レストランのステンドグラス窓です。アガサ・クリスティーの小説で有名になりました。
飲み物を注文すると、機関車型のワゴンで運んできます。 -
ここも改札はありませんから、プラットホームなどへは自由に出入りできます。
近距離列車のホームへは、改札があるみたいです。遠距離列車の場合は、車内で検札がありますから、ホームへの改札はなくていいんでしょうね。 -
バスに乗り込んで、次の見物地「エジプシャンバザール」へ向かっていたら、横を電車が走っていきました。
この電車は、オリエント急行ではありません。イスタンブールの町中を走る市街電車です。
上の架線がありませんが、電車でしょうね(?)。 -
↑「エジプシャンバザール」
イエニジャミィ(モスク)前の広場の一角にあります。
ツアーの皆さんはバザールへ駆け込んでいかれましたが、章くんは、まずイェニ・ジャミィへご参拝です。
このジャミィは、メフメト3世の母であり、政治的指導力の無い息子の代わりに事実上帝国を統治したヴァーリデ・スルタン(君主の母)である、サフィエ・スルタンのために建てられたものです。
建設途中に何度も中断されて、結局イェニ・ジャーミィは建設開始から60年後、メフメト4世の母、トゥルハン・ハティジェによって完成されました。 -
内部は、たいへんに厳かな雰囲気でした。
キリスト教の教会は祭壇があり、十字架やキリスト像が掲げられていて、参拝者はそれらに向かってお祈りしますが、偶像崇拝を禁じるイスラム教のジャミィ(モスク)には祭壇などはなく、ただメッカの方向を示す壁面が設けられています。
参拝者は、この壁の方向へひざまずき、はるかメッカにおわしますアッラーの神に向かって祈ります。
-
↑ エジプシャンバザールへ入ったのは、午後2時35分…。
このバザールは、イェニ・ジャミィ門前の軒先を借りた市場かと思いきや、バザールのほうがジャミィよりも何年か先に完成していました。
当時、カイロからの関税がこのバザールに寄付されたため、エジプシャンバザールの名がついたそうです。
-
↑ L字型のバザール内には、全部で88の部屋があるとのことですが、その周辺部を合わせると何百軒かの店舗が並んでいます。
グランドバザールは観光客用、ここエジプシャンバザールは地元の客が多いと聞きました。
バザール周辺の裏通りには安い日用品店や卸売り店などがたくさん並んでいます。
特に土曜日はこの付近に、さらに屋外バザールが開かれ大変混雑するそうです。 -
章くん、このバザールの中の日本人経営者の店で、「パシュミナ・ストール」を買ってきました。
パシュミナとは、カシミヤ繊維等を糸に紡ぎ、織り上げた、ストールやショールおよびその素材を指します。
一般的に、カシミヤストールは、カシミヤ繊維の持つ縮充性を利用してフェルト化させた生地を用いますが、パシュミナストールは、カシミヤ繊維を糸に紡ぎ織り上げるため、生地が薄く、光沢感が高いという特徴を持ちます。 -
担当くんの言うには、「欧米や日本の市場では、10万円ほどで売られています」。また、「ホントのパシュミナの生地は柔らかく薄いので、ストールがリングに通るのです」と、指輪に通して見せてくれました。
店の奥の奥の奥から出してきたこと…、細かい刺繍の縁取りがあるのは2倍ぐらいの値段がするんだと力説していたこと…、値引き交渉では「ダメだ、それでは売れない」と2回言って、「じゃぁ」と帰りかけた章くんの腕を3回引き戻したこと…など、買うまでには丁々発止の展開があったのですが、それはまた章くんのブログに綴ります。 -
午後3時55分、「ブルーモスク」に来ました。
「ブルーモスク」の正式名称は、スルタンアフメト・モスク(Sultanahmet Camii)…。
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造されました。世界で最も美しいモスクと評されています。
モスクはミナレット(尖塔)の本数によって、その格式が決まります。
世界で唯一6本のミナレットを持つブルーモスクは、イスラム最高の格式を誇るとか。 -
ドームは高さ43m、直径27.5mという立派さです。中央ドームと4個の半ドームは、4本の大きな柱(象の足といわれます)に支えられています。
ドームには260もの小窓があり、ステンドグラスから差し込む朝日が、内部の数万枚の青いイズニックタイルに反射して、堂内は青く光り輝くとか。
その美しさから、「ブルーモスク」と呼ばれているのですね。 -
章くんたちが入場したあと、しばらくしてお祈りが始まるとのことでした。
大ドームいっぱいに参拝者が入って、一斉にお祈りをする様子を見てみたいと思ったのですが、集合時間が迫っていて果たせませんでした。 -
アヤソフィアは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)によつて、正統派キリスト教の大聖堂として建設されました。
帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地でした。
東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価を受けています。
今日は時間がなくて中へは入らず、外から写真を撮っただけ。ここも、いずれまた、再訪しなければなりません。 -
午後4時50分、今回のトルコ旅行最後の訪問地「テオドシウスの城壁」へと向かいました。
↑【車窓から】車道すれすれに、市内電車が走ってきました。車道との間は、一応、縁石などで区分されています。
この電車は、渋滞が日常的であるイスタンブールで、渋滞知らずの安価な交通手段として重宝されています。 -
↑ 途中に、ボスポラス海峡海底トンネルの工事を手がけている、大成建設の工事現場事務所がありました。
日本語で、「地図に残る仕事」と誇らしげに看板が掲げてありました。 -
↑ 「テオドシウスの城壁」は、412年、東ローマ時代にテオドシウス2世よって築かれた、コンスタンチノープル(今のイスタンブールの旧市街地)を6.65kmにわたって囲む城壁です。
外側から8m、12m、20mの高さの三重の城壁が築かれ、その後の1000余年の間、ビザンチン帝国の首都であったこの町を守り続けました。
1453年、オスマントルコのメフメット2世によって陥落します。
そのときに攻め寄せたオスマン軍は10万人、町の守備兵は7千人だったといいますが、2ヶ月間の猛攻に耐え、最後には閉め忘れた門からの突入を受けて陥落したと伝えられています。 -
コンスタンティノープルは、330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が建設した都市です。
この地は古来よりアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝であり、また天然の良港である金角湾を擁していました。
当時の都市名の「コンスタンティーノポリス」は「コンスタンティヌスの町」を意味します。
395年のローマ帝国東西分割後は、東ローマ帝国の首都となりました。
476年、西ローマ帝国が滅亡した後も、東ローマ帝国の隆盛と共に30万~40万の人口を誇るキリスト教圏最大の都市として繁栄し、「都市の女王」「世界の富の3分の2が集まる所」とも呼ばれました。 -
コンスタンティノープルは強固な城壁の守りでも知られ、東ローマ帝国の長い歴史を通じて外敵からの攻撃をたびたび跳ね返してきました。
海側の防御が時速10kmを越える潮の流れのボスポラス海峡であり、陸側の防御が、テオドシウス2世が建設した難攻不落の「テオドシウスの城壁」で、413年に完成しました。
1204年に第4回十字軍の攻撃を受けると、この町は次第に衰退します。
1453年にオスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅亡すると、この町はオスマン帝国の首都となりました。
日本ではこれ以後この町をトルコ語によるイスタンブ-ルの名で呼ぶことが多いのですが、公式にイスタンブ-ルと改称されるのは、トルコ革命後の1930年のことです。
← 「テオドシウスの城壁」は、今もイスタンブールの町を守っているかのようでした。 -
午後5時40分、全ての行程を終えた章くんたちは、アタテュルク空港へ向います。
-
午後6時1分、アタテュルク空港へ到着。
帰路の飛行機はウズベキスタン航空274便、午後9時20分のフライト予定です。 -
今日までトルコ4500kmの旅を案内してくれた、ガイドのセルハンさんは、国際線の入り口まで見送ってくれました。
出国の手続きを済ませ、機内手荷物の検査を受けて、国際線の搭乗待合室へと入ります。
↑ 章くんたちが乗る、ウズベキスタン機。
が、ここで2時間の遅れ…。やっぱり…というカンジです。 -
午後11時45分、2時間と少々遅れて、ウズベキスタン機はイスタンブールを飛び立ちました。
第15日目、5月26日(水)の午前様に日付が替わります。
やっと飛んだウズベキスタン機の機内はガラガラでした。
でも、章くんたちはウズベキスタンのタシケントで、タシケント?成田便へ5時間の待機の予定です。今2時間の遅れならば、タシケントの待機が2時間減って、3時間になる計算ですね。予定通りに出発すれば…。 -
タシケントでは、あの薄暗い待合室で何時間かを過ごすのだと思いきや、トランジット(乗り換え)手続き前には、倉庫のような部屋に30分ほど入れられていましたが、乗り換えチケット(タシケント?成田・関空)を貰ってからは、新しいターミナルビルでの待機で、狐につままれたよう…。
章くんたちがトルコを旅していた15日の間に、新ターミナルビルが完成したのでしょうか?
乗り換え待機中も、係員がずっと監視している様子だったので、タシケントでの写真は撮りませんでした。没収されると、トルコ旅行記がパーになるから…(笑)。
↑ タシケント~成田間に出された機内食です。
なかなかに充実したメニューでしょう。でも、章くん、疲れていたのでしょうか、あまり食べられず…。 -
午後7時35分、成田空港へ着きました。
ここで50分ほど待って、関空へ飛びます。
↑ 成田の待合室。
タシケント空港よりも、格段にキレイで豪華ですね(笑)。 -
成田発、午後8時20分。
関空着、午後9時50分。
このウズベキスタン機は、小さいのによくここまで飛んでくれました。
いやいや、またこれからタシケントまで、今乗っているお客さんを運んでいくのです。
章くん、家には、午後8時30分大阪なんば発の近鉄電車に乗らなくては帰りつけません。
当然、今夜は大阪泊まり…。でも、明日の10時までに帰り着かねばならず、近鉄なんば駅まで徒歩5分、大浴場と朝食つきのアパホテルを取りました。
第16日目、5月27日(金)
午前7時30分なんば駅発の近鉄特急に乗り、無事帰宅…。
トルコ旅行、完結です!
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