2010/05/12 - 2010/05/27
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akkiy363672さん
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旅は10日目…、後半へとさしかかりました。
この日は、紀元前4000年、鉄器を携えて大帝国を築き上げたヒッタイトの都「ハットウシャ遺跡」を訪ねたあと、トルコの首都「アンカラ」へと入って行きます。
【表紙の写真は、アンカラ市内の街角に据えられているモニュメント】
鹿と牛はヒッタイト文明の象徴です。
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
-
第10日目。5月21日(金)。
午前6時起床、8時出発。
今日は ヒッタイトの都「ハットウシャ」の遺跡を訪ねたあと、トルコの首都「アンカラ」まで、400kmを走ります。
↑【車窓より】 カッパドキアの町に別れを告げて…。 -
1時間少々走ったのち、サービスエリアで休憩しました。
-
ガソリンを入れていった車のメーターを見てみると、ガソリン代は1リットルが2.99リラ=約180円です。
60.2リットル入れて、金額は180リラ=10800円ですから、とても高いですね。
トルコの人たちの平均給与は、6~7万円程度…。地方の農村部では4~5万といったところもあるそうです。公務員よりも民間企業に務めている人のほうが給料は良いらしい。
それで、ガソリンが1リットル2.99リラ=約180円ですから、車を所有して走るのはたいへんですね。ちなみに、カローラ(トルコ国内製)150-200万円、マツダ大衆車クラス(輸入)250万円、テレビ8-10万円ほどだとか。
貧富の格差が格段に大きいのもトルコの問題点のひとつです。富の再配分は政治の役割ですが、そういう点でもトルコは遅れています。
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↑【車窓から】 今日も、見渡す限りの平原の中を、バスは走ります。
トルコは建国以来、もともと広大な耕地面積を持つうえ、戦略物資である食糧の確保は国家の独立の維持に不可欠との視点から、一部嗜好品を除き食糧の完全自給を行ってきました。
しかし、急激な人口増加と、一部農地の荒廃により、ついに食料の輸入額が輸出額を上回る輸入超過の状態に陥っています。
土地制度、機械化とともに、高すぎるガソリン代も、農業の近代化への足かせになっているのではないでしょうか。 -
バスが、道の真ん中で止まってしまいました。
↑【車窓から】 「何事か?」と外を見ると、牛の一団がおじさんに連れられて、道路を移動中(散歩?)でした。 -
11時40分、巨大な岩の遺跡に着きました。
ここ「ヤズルカヤ遺跡」は、ハットゥシリ3世の時代(前13世紀)に建造された、ヒッタイト帝国の葬祭殿です。
ヤズルは「文字の刻まれた」、カヤは「岩」の意味とか。
ヒッタイトは、紀元前17世紀ごろこの地に興り、後に鉄器と戦車を用いて大帝国をつくりました。
紀元前13世紀にはラムセス3世の治める古代エジプトと戦って勝利し、世界最古の講和条約「カデシュの戦いの講和」を結んでいます。
紀元前1190年、地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされました。 -
左の岩は大ギャラリーと呼ばれ、岩に祭儀の様子などが刻まれて残されていました。
右の大岩は、岩の間に神殿が設けられています。
当時も乾燥していたアナトリアでは、雨を掌る天候神テシュプが最高神でした。
ここは、その神を主神とする神殿ですが、完成後数十年でヒッタイト王国は滅んでしまいました。 -
↑ 右の大岩の間の通路…。
ここを抜けると神殿があります。神殿の壁面には、「主神テシュブ」や「配偶神ヘバトウ」と「12神の行進」などのレリーフが残されていました。
ヒッタイト王国の歴史の概要は、
・紀元前1680年頃、ヒッタイト古王国の成立。
・紀元前1595年頃、メソポタミアの古バビロニアを滅ぼす。
・紀元前1450年頃、ヒッタイト新王国の成立。フリ文化の色彩強まる。
・紀元前1330年頃、大王シュッピルリウマはミタンニ王国を制圧する。
・紀元前1285年頃、古代エジプトとシリアのカデシュで衝突。ラムセス2世のエジプトを撃退する。
ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にルクソールなどの神殿に刻んでいますが、実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けました(カデシュの戦い)。この際に、世界最古の講和条約が結ばれました。
・紀元前1190年頃に、地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされました。
最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになりました(前1200年のカタストロフ(社会変動))。
ヒッタイトは、王国が滅びたあと東南アナトリアに移動し、紀元前8世紀頃まで、新ヒッタイトと呼ばれる都市国家群として活動しました。
紀元前717年に新アッシリアによってケルケミシュ(シリア北部の古代都市)を奪われ、ヒッタイトはその幕を閉じます。 -
↑ シャルマ(Sharruma)神とトゥドハリヤ(Tudhaliya)王(紀元前約1250年-1220年)を描いた石彫。
3000年の風説を耐えてきた石彫ですね。
トゥドハリヤ4世は、熱心な神殿建築で知られ、数多くの建造物遺跡を残しました。
ハットゥシャ遺跡の中で「上の町」と呼ばれる広大な神殿群は、ほとんど全てトゥドハリヤ4世の時代に建設されたものであると言われてきました。ただ、近年の研究でより、より古くさかのぼる可能性が大きくなっていて、なお検討を要するとの指摘がなされています。
でも、各地に神殿と王像を作ったことから、建築熱心だったには違いありません。彼は旱魃に備えて13のダムを作ったともあり、カラクユやアラジャホユックの近くで実際に彼の碑文を伴うダム遺跡が発見されています。 -
12時10分、ボアズキョイ村のレストラン「BASKENT」で昼食を食べました。
-
レストランから仰ぎ見た丘の上に広がる、「ハットゥシャ」の遺跡へ向いました。
ハットゥシャはボアズキョイの古代名で、下の町、上の町と、先刻に見物した神殿ヤズルカヤからなります。
バスは遺跡の最上部へと登っていきます。
↑【車窓から】 上の町から、下の町そしてふもとの村を見下ろしました。 -
↑【車窓から】
登っていく途中、ほとんど瓦礫だけしか残っていないハットゥシャ遺跡のなかで、石段までが残っている一角がありました。
パンフと照らし合わせて、大神殿あとですかね。 -
↑ 「王の門」
この門の門柱に、戦士の像が等身大に彫られていて、最初これを王とみなしたためその名がつきました。
今、ここにある戦士の像はレプリカ。本物はアナトリア文明博物館に展示されています。 -
ハットウシャも城壁に囲まれていました。
だから、いくつかの門があり、大小の城塞あとが残っています。 -
↑「突撃門」
障壁はかなりの厚さを持っていて、この門をくぐって外に出るには、10m以上も三角形の通路を行かねばなりませんでした。
後日に、この遺跡のことを調べていたら、漫画の『王家の紋章』(細川智栄子著、月刊プリンセス)や、『天は赤い河のほとり』(篠原千絵著、少女コミック)を読んで、トルコ旅行…、それも「ハットゥシャ」を一目見ようとトルコの鉄道とバスを乗り継いで出かけた女性がいたことを知りました。
いずれも、タイムスリップした女の子が、ヒッタイト王国やエジプト王朝で王妃になるという物語ですが、エジプトとトルコの両方を、マンガの足跡を辿りながら旅して来たという女の子のブログもありました。 -
大ヒッタイト帝国の都のあとですが、今はほとんど建て物らしいものは残っていません。
ここに立って広大な廃墟を見つめていると、その寂寞感が栄枯盛衰のはかなさとただ過ぎてきた時間の無情を今に物語っているようでした。 -
バスは、アンカラに向かって走ります。
途中の休憩所で見かけた、おばあちゃん、娘さん、お孫さん。
「可愛いですね」と日本語で声をかけると、「?▲§☆※w…」とトルコ語で言ってポーズをとってくれました。
もちろん、お互い何を言っているのかはわからないのですが、その温かい心遣いはひしひしと伝わってきました。 -
↑【車窓から】
学校帰りでしょうか。何か喋りあい、真ん中の子は縄跳びを飛びながら、歩いて行きます。 -
午後6時、アンカラ市内に入ってきました。
↑【車窓から】 街角に据えられているモニュメント。鹿と牛はヒッタイト文明の象徴です。
ヒッタイトで、神々を乗せている鹿は聖獣、そして、牛は力を表しています。
-
ホテルで夕食を済ませたのち、アンカラの夜の町へ出てみました。
午後7時を過ぎていて、(ヨーロッパの都市はほとんどがそうですが)多くの商店はもう店を閉めています。
章くん、空いていた洋服店に入って、明日着るシャツを買いました。
↑ 遅くまで開いているのは花屋さん。 -
午後8時過ぎになると、洋服屋さん、靴屋さん、装飾品店…など、お店屋さんはほとんど閉まってしまいます。
代わって元気づくのは、飲食店! たくさんの人が、道の両脇に並ぶオープンテラスの店に腰掛けて、それぞれの夜を過ごしていました。 -
第11日目。5月22日(土)。
今朝はちょっとゆっくり…。午前10時にホテルを出発しました。
↑【車窓から】 歩道を行く、仲良し二人組み。
こんな時間に…? 学校は…? でも、トルコの学校は2部制ですから、午後登校ならば、午前中はサッカーしたり、友達と遊んだりなどして過ごしていますよね。 -
↑ 【車窓から】 車にリボンをかけています。
結婚式なのでしょうね。 -
午前10時20分。「アナトリア文明博物館」に着きました。
この博物館は、アナトリア地方(トルコ中央部)の文明、特にヒッタイト時代の遺物を中心とした収蔵物で世界的に知られていて、ヒッタイト好きの章くんは興味津々です。
建物は、もともとケルバン・サライ(隊商宿)として建てられたものを利用しています。 -
↑ アナトリア文明博物館で買ったガイドブックです。
ガイドブックによると、このアナトリア文明博物館は、1997年全ヨーロッパの博物館のうち第1位にランキングされました…とあります。 -
入り口を入ると、旧石器時代からヒッタイト、ギリシア、ローマ、ビザンチン時代の収蔵品が、回廊に沿って順に展示されています。
↑ 旧石器時代の道具。
旧石器時代は、200万年前から1万年ぐらい前まで続いていました。
気候は、温暖な前期から、乾燥の中期、そして後期になると大雪が続き氷河期へと移っていきます。
それにともなって道具も切ったり皮をはいだりできるものに進化していきました。
石器の展示コーナーの左には、人類最古の住居である、チュタルホユックの家屋(BC6500~)の復元模型があります。↓ -
↑ 牛図壁画 (チャタルホユック出土、BC6000~)
牛は、力の象徴でした。 -
↑ 母神像。(チャタルホュック、BC5750年ごろ)
高さ20cm。玉座に座す母神は、出産する女性を表しています。
両脇には、聖獣が配されています。 -
↑ ハットウシャ遺跡にある「ライオン門」の復元レプリカ。
家内中央部には、ヒッタイト帝国時代の石造や遺構を展示しています。 -
↑ 青銅製のスタンダード。 BC3千年紀後半。
アラジャホュック出土。 高さ24cm。
アナトリア文明愛好者にとっては、垂涎の一品でしょうね。
スタンダードと呼ばれるこの造形物は、祭儀用に使われたものです。
アンカラ市内に入ってきたとき、街角で見たモニュメントは、このスタンダードでした。
-
↑ 青銅製のスタンダード。 BC3千年紀後半。
アラジャホュック出土。 高さ34cm。
中央の円盤は太陽を表しています。これら多種多様な祭儀表象が副葬品として埋葬されていることは、墓主が盛大な葬儀によって埋葬されたことが推察されます。 -
↑ 鉢 彩文土器。 BC6千年紀後半。
高さ12cm。単色で、濃い模様をつけています。 -
浮き彫り付き壷。 土器。 BC17世紀中頃。
高さ82cm。 イナンドゥクテベ出土。
この色と形の美しさはどうでしょう。
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↑ 章くんお気に入りの「牡牛形リュトン」
土器。高さ90cm。ボアズキョイ出土。
とぼけた顔をしていますが、これでも紀元前16世紀の作品…。
しかも、暴風神テシュプの聖獣ですよ!
それにしても、この目のとぼけた愛らしさはどうでしょう。
-
↑ ハットウシャシュ遺跡の「王の門」にあった戦士の像
これが本物…。
ハットウシャシュの門には、セメント作りの戦士の像が取り付けられていましたね。 -
地下には、紀元前1200年ごろから現代に至るまでのアンカラ出土品や、ローマ時代の作品が展示されています。
↑ 猪狩り群像。
大理石。高さ85cm。AD2世紀
この博物館では、ローマ帝国期の遺物は新しいと言われるのですから、恐れ入った世界です。
-
出口の手前にある喫茶コーナーです。
人類最古の歴史を物語る展示品と対話しながらお茶することができるのですから、なんとも贅沢な喫茶店です。
章くん、混雑していたので、ここではガイドブックを1冊買って、お茶は庭のオープンテラスで飲むことにしました。 -
外に出ると、庭からアンカラの町が見渡すことができました。
後日、このアナトリア文明博物館について書かれたブログを読んでいて、「神経質な被害妄想の方は、この博物館へ行って古代人の大らかさに触れてみたらいかがだろう」というコメントを見つけ、思わず笑ってしまいました。
確かに、自然を崇拝しながら、この雄大な文化を築き上げてきた古代の人たちの悠久の時間に触れれば、目の前の些細なことなど全て吹っ飛んでしまいますね。
テラスで、チャイを飲みました。 -
昼食はアンカラ駅構内のレストラン「GAR Restaurant」でとりました。
この駅も改札はなくて、構内へ自由に出入りできます。
レストランの席は、ホームに隣接しています。 -
ご存知シシカバブ!
-
早々に食事を済ませて、構内を見て回りました。
アンカラ駅からは、一日に約60本ほどの列車が発着するようです。
そのうちの半数は、イスタンブールとの往復便…。
ここアンカラ駅始発の列車は遅れることはありませんが、はるか東部から来る列車は、遅れることがママあるそうです。 -
← 待機中の列車(CAFにより製造された最初のトルコ国鉄HT65000系高速電車)が停まっていました。
人気の寝台特急「アンカラ・エクプスレス」は、イスタンブール?アンカラ間を約9時間30分で結んでいます。 -
↑ 駅構内の様子…。
正面はレストラン、右は売店、その手前は靴磨きのおじさん。赤い服の人は床磨き…。 -
↑ 待合室の様子です。
正面の表示板を見ながら、腰掛けて待つ乗客たち! -
昼食のあとは、トルコ建国の父「アタチュルク」を祀る「アタチュルク廟」を訪れました。
↑ 道の両側には数10m置きにライオンの塑像が並ぶ、アタチュルク廟への参道「ライオンの道」です。 -
← アタチュルク廟
第一次世界大戦の後、トルコ(当時はオスマン・トルコ帝国)は連合軍に分割占領されますが、やがてアナトリアの各地で占領に反対する抵抗運動が起こりました。
その指導者に押されたムスタファ・ケマルは、サカリヤ川の戦いでギリシャ軍を撃破、その後エーゲ海沿岸のイズミルまで連合軍を押し戻し、1922年、休戦協定を結びます。
オスマン帝国の皇族を国外退去させ、1923年、総選挙を実施して共和国を樹立、初代大統領としてトルコの近代化を進めました。
アタチュルク(父なるトルコ人)の称号を送られたケマルに続く政治家が出ないことが、トルコの不幸だとする指摘もあります。 -
↑ 衛兵は微動だにしません。
子供たちにも、人気の的です。
トルコ建国の父アタチュルクの像が、日本で横倒し野ざらしにされていたことをご存知でしょうか?
問題のアタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコから寄贈されたものです。
経営不振など2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却しました。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めましたが、1カ月半後に中越沖地震が発生…。倒壊の恐れがあるとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされていました。
このことはトルコ紙でも報道され、対日感情のBBCなどによる調査結果で、反日的評価が友好的を上回りました。
事の顛末を知った和歌山県串本町(明治23年、遭難したトルコ軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町はトルコと100年以上にわたり交流を続けている)が引取りを申し出ていますが、柏崎市で市・ワ社・土地の所有者との間で裁判が持ち上がり、その結果が出ないことには動けない状況になっていました。
土地の所有権とアタチュルク像の取り扱いは、切り離して扱うのが当然ではないでしょうか。
幸いにして、アタチュルク像は串本町に移されることが2009年12月に決定し、沈没から120年にあたる2010年6月3日に除幕式を迎えました。 -
↑ 衛兵の交代式です。
1985年、イラン・イラク戦争が勃発したとき、イラクのイラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言に対し、イラン国内に取り残された日本人が自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機による救援を受けられなかったうえ、日本航空の組合の反対により日本航空機による救援もできないという危機的状況に陥りました。
このとき、イランの日本大使館の野村豊大使がトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると、大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて派遣されたトルコ航空機によって215名の日本人全員が救出され、無事にトルコ経由で帰国できました。
日本とトルコとは、このように友好の絆で結ばれているのです。 -
アタチュルク廟の見学のあと、ホテルに戻った章くんは、ホテル近くで開かれているバザー(市場)へ出かけました。
8割がた、野菜と果物が売られていましたが、衣類や日常品を置いている店もありました。 -
店の人たちは、みんなフレンドリーです。
「食べていけ」と声をかけてくれ、イチゴやスイカなどを勧めてくれます。
『生ものは、ちょっとヤバイなぁ』と思いつつ、切り取ってくれたメロンの一片をほおばると、その甘いことにビックリ…!
トルコの果物は、ホテルで食べたものもホントに甘くておいしかったです。 -
これは、アンカラ市内の商店街にあった魚屋さんの店舗です。
章くん、このあと商店街を歩いて、トルコ石の店をのぞいたり、スポーツシャツを買ったりしました。 -
↑ アンカラ市内の喫茶店…。
今夜の締めは、ここでのトルココーヒー(4リラ)でした。
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