2010/05/12 - 2010/05/27
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akkiy363672さん
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首都アンカラに別れを告げて、トルコの大動脈アンカラ-イスタンブール高速道路を走り、イスタンブールへ…。
途中、世界遺産の町「サフランボル」にも立ち寄り、450kmを走ります。
↑【表紙の写真】
アジアとヨーロッパを結ぶ「ボスポラス大橋」
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
-
第12日目。5月23日(日)
午前7時45分、ホテルを出発。
朝から結構な雨ですが、トルコですから、間もなく止むことでしょう。
今日はアンカラに別れを告げて、途中、昔ながらの民家がたくさん保存されているサフランボルの村を訪ね、そのあとイスタンブールまで、450kmを走ります。
↑【車窓から】 アンカラ~イスタンブール間を結ぶ高速道路のインターチェンジです。 -
バスは、アンカラ~イスタンブール高速道路をひた走ります。雨は小降りになってきました。
↑【車窓から】 この高速道路は、全線が片側3車線…。途中は高い山などもなくて、とても走りやすそうな道路でした。 -
道は高速道路を離れて、サフランボルへと向かいます。
途中に、トルコで一番大きいという製鉄所がありました。
繊維などの軽工業の生産が多いトルコです。バスで走っていても大きな工場などはめったに見かけなかったので、この製鉄所の大きさには目を見張りました。
近くに、鉱山があるそうです。
-
アンカラを出てから220Km…。
午前11時、サフランボルの町につきました。
サフランボルの町の名前は、サフランがたくさん咲く土地だったことからつけられたそうです。
ボルは「たくさん」の意味。ちなみに、イスタンブール(イスタンボール)はイスラム(イスラム教徒)がたくさんいる土地という意味です。
↑ サフランボルの町を一望する「ブドゥルルックの丘」へ上りました。 -
サフランボル旧市街には、多くの古い建築物が保存されています。
私立の博物館が1つ、25のモスク、5つの霊園、8つの歴史的な噴水、5つのトルコ式浴場、3つの隊商宿(キャラバンサライ)、1つの歴史的な時計、1つの日時計など、13世紀以来の数百に上る民家を併せて、たくさんのイスラーム建築物が残る町です。
改修するときには、屋根の色、窓の形など、厳しい改築基準を守って、歴史的な景観を損なわないよう配慮しているそうです。
↑ 中央の丸屋根の建物は、トルコ風呂(ハマム)です。 -
サフランボルは(…も?)、坂の町です。
石を敷き詰めた、細い道を登っていきます。 -
登り道の突き当たりに、このレストランがありました。
ここで、今日のお昼ご飯を食べます。 -
この料理、ギョズレメ土鍋料理と言うらしい。
茄子の煮たものが、たくさん詰まっている料理でした。 -
この町にも、たくさんの猫がいました。
足元で「ミャ~ァ」と黒猫が…。
我が家の『凛太郎』にそっくりです。黒猫は、世界各国、同じ顔をしているのでしょうかね。 -
サフランボルは静かな町…。
昔ながらの景観が保存され、おだやかなたたずまいの町です。
そう、トルコの白川郷といったところでしょうか。 -
トルコ石を扱う店で、素敵な石を見つけました。
深いトルコプルーに光る石の周りを、細かい銀細工が取り巻いています。
きらりと光るのは…、ダイヤかな?
それにしては、値段が安すぎるし…(笑)! -
さらに章くん、カフェでチャイを飲み、みやげ物店をのぞいて歩いてきました。
-
サフランボルの町に別れを告げて、バスはイスタンブールへと走ります。
↑【車窓から】
ここは自動車教習所かと思ったのですが、ヘルメットをかぶったちびっ子たちがゴーカートに乗って走っていました。 -
ドライブインに寄って、小休止です。
-
回転ドラムで、子羊の肉を焼いていました。
これを削ぎとって食べるのですね。
美味しそう…。でも、焼いているおじさんは熱そうでした。 -
再々度、アンカラ−イスタンブール高速道路です。
片側3車線の道が、はるかな丘を越えて、西へと延びています。 -
ここまで、トルコにはトンネルが無かったのですが、このハイウエイで初めてトンネルをくぐりました。
-
トンネル内も3車線…。
明るく広い、立派なトンネルでした。 -
出口…。それぞれの車線とも70km/hだよと書いてあります。
-
章くんたちを乗せたバスの速度は、110km/h ほどです。
ハイウエイでは、速くもなく、遅くもないといった程度…。流れに乗った、スムーズな運転でした。 -
もうすぐイスタンブールというところで、大きな湖の畔のサービスエリアに停まりました。
-
イスタンブール近郊なので、遊びに来る人が多いのでしょうか。
家族連れなど、たくさんの人でにぎわっていました。 -
レストランも5箇所ほどあり、少し小雨がパラついたりする天候でしたが、トルコの人たちは雨は気にならないのか、屋外のテントのレストランが満員でした。
サービスエリアの中には、モスクもあります。 -
屋内の高級そうなレストランはガラガラ…。
子ども連れが多かったので、高級レストランは敬遠するってところでしょうかね。 -
売店は広くて、旅行グッズや土産物から、食べもの、その地方の特産品、洗剤・シャンプーなどの日用雑貨に至るまで、何でも置いてあります。
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チーズ、パン、乾燥果物、香辛料なども…、まるでスーパーマーケットです。
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午後7時前、イスタンブールはもう間近…というところで渋滞!
交通事故による渋滞で、30分ほどノロノロ運転でした。 -
午後7時30分、アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡に架かる、「ボスポラス大橋」を渡りました。
-
バスはホテルへ寄らずに、夕食会場の「SILK ROAD」へと向います。
↑ 途中、1856年に完成した「ドルマバフチェ宮殿」の前を通りました。
この宮殿の完成によって、オスマン朝の政庁は、それまでのトプカプ宮殿からここへ移りました。 -
「シルクロード」の名前のレストラン、今夜の夕食は中華料理…。
ても、トルコの中華料理! いまいち…。
ン、激安ツアーですから、不平を言ってはいけませんね。 -
午後9時30分、今日と明日と連泊する「ホリデー・イン」に着きました。
イスタンブールに着いた初日にも泊まったホテルです。
ところが、ホテルの前の道路は封鎖され、ホテルに入るには厳重な持ち物検査とボディチェックが行われて、物々しい雰囲気です。
あとで聞くと、インドネシアの高官が泊まっていて、トルコ政府の要人が来館しているとか。
外国高官が泊まるような高級ホテルだったの…? まぁ、空港から近いし、新しいから利用したのかなぁ…などと考えながら、今日も長いバスの旅だったので、お風呂に浸かった後は早々に寝てしまいました。 -
第13日目。5月24日(月)。
午前5時30分起床。今日は、午前中、自由行動です。
でも早く起きたのは、ボスポラス海峡クルーズに行く皆さんと別れて、章くん、午前中、ゴルフに行くからです。
-
← 月曜日の朝、イスタンブールの道路は大渋滞!
タクシーの運ちゃんは、路側を走って前に出て、仲間のタクシーが居るとその前に入れてもらう行為を繰り返していました。
「強引過ぎるのじゃないか」と日本語で笑って言ったら、雰囲気を察したのか、「ノンプロブレム」と親指を立てて笑い返してきました。 -
それでも往きは1時間ほどかかりました。渋滞もさることながら、運ちゃん、道を知らないのです(苦笑)。
ゴルフ人口のほとんどないトルコですから、ゴルフ場に行く客なんて滅多にいないのでしょう。
それで僕は前夜のうちに、美人のツアー添乗員さんに頼んで、ゴルフ場の名前・住所と「このゴルフ場へ往復してください。ゴルフ場の駐車場で戻ってくるまで待っていてください」と、トルコ語のメモを作ってもらいました。
僕の発音では、「カメル・カントリークラブ」とか、その住所を言っても、タクシーの運ちゃんには通じなかったでしょう。
メモを読んだ運ちゃん、「オーケー、ノンプロブレム」と走り出したのですが、途中で何度もタクシー無線で方向を確認し、近くへ行ってからは6~7回、道端のお店に入ったり、通行人に道を尋ねていました。
↑ これも、道を聞きに行ったところです。運ちゃん、工事中のおじさんに道を尋ねています(笑)。 -
同じところを何度もぐるぐる回ったりしながらも、やっと、「KEMEL RESORT」に着きました。
この一帯は周囲をぐるりと塀とフェンスで囲んでいて、ゴルフ場はこの中にあります。
エリア内に入るには、検問所をパスしなくてはなりません。 -
エリア内でも、2回、検問所で止められました。
横にゴルフ場のフェアウエイが見えているところまでたどり着いていても、クラブハウスがどこにあるのか分からずに迷走しています。
-
やっとクラブハウスに着いたときには、章くん以上に、タクシーの運ちゃんが「着いた。着いた」と大喜びしていました。
道がわからずに迷走して、彼も責任を感じていたのでしょう。やっぱりトルコ人は、いい人たちです。
ちなみに、往路のタクシー代が75リラ、帰りは50リラですから、往きにはいかに迷走したかがわかるでしょう。 -
「KEMER GOLF & COUNTRY CLUB」。KEMEL地区の高級住宅地内にひろがる、5904メートル、PAR73の長いコースです。
クラブハウスに入っていって、「ハロー」「ハロー」と呼んだのですが、一向に返事がありません。
ここからの顛末はまた紆余曲折があるのですが、それは章くんのゴルフブログ「世界ゴルフ紀行」に譲るとして先を急ぎましょう。 -
300ヤードのドライビングレジデンス、バンカーを併設した練習グリーンを備え、芝つきも、グリーンの速さも、申し分のないゴルフ場でした。
前日に、何かの大会が催されていたようで、各国の国旗が掲げられていました。 -
同伴してくれたのは、アメリカ人のマッシューさん。愛犬ロックを連れてのラウンドです。
1番、章くんがパッカーンとティショットを打つと、ロックがそのボールをめがけてまっしぐら…。ここだよ−と教えてくれます。
大きな松林でセパレートされた、距離の長いホールが続く、タフなコースでした。
フェアウエイの芝の厚さも、グリーンの速さも、よく手入れされているゴルフ場だという印象でした。
ゴルフの顛末は http://homepage3.nifty.com/akira-i/World-Golf-Report/Turkey%202010-1.htm へ記していますので、ご覧ください。
10時過ぎ、正午にホテルに戻らねばならない章くんは、4番ホールでマッシューさんに別れ、帰ってきました。 -
帰り道、大きな戦車が置いてありました。トルコ陸軍の営舎です。
外周のフェンスの角々に、銃を構えた兵士が外を向いて立っていました。
渋滞中のタクシーの窓から、章くんが敬礼すると、さすがはトルコの兵隊さん、ニヤリと笑って敬礼を返してくれました。
友好関係が築かれましたから、日土集団的自衛権締結交渉には、章くんを派遣してください。 -
↑ 軍事訓練(?)
トルコは完全な男性皆兵制をとっていて、身体の障害などの理由がない限り、男性には18?30歳の間に15ヶ月間の兵役(大卒者は12ヶ月)が課され、それぞれ陸軍・海軍・空軍・沿岸警備隊に配属されます。
定期バスや道端では、時々、軍の抜き打ち検査があり、兵役を逃れている者がいれば、即刻そのまま任地に強制連行されます(一旦、家にも帰れないらしい)。
兵役期間中の給与はきわめて安く、軍種・兵科・任地などにより異なりますが、おおむねトルコの物価においてタバコ10箱程度であり、そのため一般には兵役は無償(bedava)とみなされているとのことでした。 -
↑ 渋滞中に、横に並んだトラックです。
片側3個ある車輪のうち、2個が浮き上がっています。
積荷の量によって、車輪が降りてくるのでしょうね。 -
イスタンブールを縦横に走る道路…。
11時35分、ホテルに戻りました。
タクシー代は往復と待機で合計156リラ…。あちこち迷走して、道を聞いて、ゴルフ場を探し当ててくれた運ちゃんに、チップ込みで170リラ(約1万円)を渡しておきました。
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正午、ホテルでツアーバスに乗車し、ボスポラス海峡クルーズに行っていた皆さんと、金角湾のガラタ橋たもとで合流…。
ランチを食べて、そのあとはイスタンブール歴史地区の見物です。 -
ランチはトプカプ宮殿内のレストラン「KONYALI Rest」で食べます。
まずはトプカプ宮殿へ…。入り口はアヤソフィア教会裏手の「皇帝の門」。かつては2階建ての大きな門だったそうですが、今は…実のところ章くん…見逃してしまいました。
↑ チケットを買って、ここ「送迎門」をくぐります。 -
小学生が遠足(?)に来ていました。
引率の先生は、敬虔なイスラム教徒でしょうか。全身を黒のブルカで覆っています。
イスラム教ではムハンマドが「女性は彼女のプライベート・ゾーンを隠し、近親者以外には見せないようにしなさい」と言ったことから、今も保守的なイスラム社会では女性は頭をふくめた体を隠す服装をすることが多いのですね。
その服には、アバヤ(黒い布で目と手足の先以外をすべて隠している)、ヒジャブ(スカーフのような布で頭髪を隠すもの。もっとも普及している)や、ヒマール、ブルカ、ニカーブ、チャドルなどがあります。
ニュースなどでは厳密には区別されておらず、欧米ではどれであってもアフガニスタン問題から有名になったブルカと呼んでいることが多いようです。 -
↑ 「正義の塔」。市街の監視や外敵を発見するために使われていたとか。
為政者は、よく、人々を抑圧するとき「正義の…」なんて名前をつけるのです。
トプカプ宮殿は、1453年にイスタンブールを陥落させたメフメット2世が着工。1856年にドルマバフチェ宮殿が完成するまで、西はオーストリアから、アラビア半島、そして北アフリカまでを支配した、オスマン・トルコ朝の支配者スルタン(皇帝)の居城でした。
ボスポラス海峡を望むヨーロッパ側旧市街の先端に突き出ている丘の端に、三方を海に囲まれ、東西貿易の拠点であった海峡を見下ろして、この宮殿は建てられています。 -
↑ トプカプ宮殿の展望所より、ボスポラス海峡を望みました。
中央の先に、ヨーロッパとアジアを隔てる海峡が延び、黒海に続いています。
右はマルマラ海、左は金角湾です。
ボスポラス海峡には、1973年建設の第一ボスポラス大橋(別名ボアズィチ大橋、全長1074m)と1988年建設のファーティフ・スルタン・メフメト橋(全長1090m・通称第二ボスポラス橋)が架けられ、車で行き来できるようになっています。
また、2004年5月24日着工、2012年開通予定で、日本の大成建設グループにより全長13.7kmの海底トンネルの建設が進められています。(追、既に完成しました)
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← ズームイン。アップにするとクズ塔(乙女の塔)が見えますね。(左4分の1のところに見えています。)
この塔は、12世紀に建てられた石の塔で、ボスポラス海峡の入り口の岩の上にあります。
刑務所や灯台として使用されたこの塔には多くの伝説が残っています。その中のひとつ…、皇帝は自分の娘が蛇にかまれる夢を見たため、娘を蛇から守るためにこの塔に避難させました。しかし娘あてに送られてきたフルーツバスケットの中に蛇が潜んでいて、姫はその運命から逃れることはできませんでした。
この伝説からこの塔が「乙女の塔」と呼ばれるようになったといいます。
現在は、レストランとして営業されています。 -
章くんたちも、トプカプ宮殿の敷地内に立つレストランで、昼食をとりました。
窓の外の海が、青く輝いています。
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トルコの定番 「ドネル・ケバブ」です。
日本人には、羊の肉は独特の臭いがあるとか(新しい子羊の肉はにおいません)、香辛料が苦手だとかの嗜好があるようです。
国際的野良猫タイプの章くんは、食べ物の好き嫌いはありません。ケバブも美味しくいただきましたが、食べ慣れるということも、食べ物を美味しく感じるかどうかの重要な決め手です。
子どもの頃から、ずーっと食べ慣れてきた料理は、その人にとって美味しく食べることのできる料理ということになるのでしょう。
フレンチ、中華とともに、世界の三大料理と言われるトルコ料理…。ツアーの皆さんには、あまり好評でなかったということは、慣れていない味だったのかなぁ。…それとも、レストランのレベルが低すぎた?
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↑ 宝物殿の東北角のテラスです。眼下に、ボスポラス海峡が広がっています。
宝物殿は4つの部屋に分かれており(テラスを入れれば5つです)、オスマン朝の財宝や衣装などのうちから、190点を選んで展示しています。
宝物殿は残念ながら撮影禁止ですので写真はありません。
パンフや絵葉書から取り込んだ画像を掲載しますので、その素晴らしさに驚いてください(笑)。 -
← なんと言っても、驚いたのは「スプーンのダイヤモンド」といわれている、この宝石!
宝物殿第3展示室の暗闇の中、一筋のスポットライトを浴びて、燦然と光り輝く宝石がありました。
こんな妖しくも美しく魅力的な宝石を見たことがありません。まぁ、今までに名にしおう宝石なんてほとんど見たことはないのですから、章くんが度胆を抜かれるのは当然としても、見るものの誰しもが息を呑んで足を止めます。
86カラットの大きなダイヤを、49個のダイヤで取り囲んだものです。
漁師がダイヤの原石を拾い、市場で3本のスプーンと交換したため、この名前がつきました。
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← トプカプの短剣
長さ35cmで、柄の部分に3個のエメラルドが嵌め込まれています。
こんな巨大なエメラルドは、見たことがない…と章くん、またしても仰天!
オスマン朝のスルタン「マホメッド1世(在位1730?1754年)」が、イラン・アフシャール朝の王ナディール・シャーに贈るために作ったものですが、王が直前に殺害されてしまったため、オスマンの大使は来た道を引き返し、短剣はトプカプ宮殿の宝物殿に納められることになったといいます。 -
トプカプ宮殿の内庭にも、ネコが居ました。
「どこから来たの?」と、遠来の客に話しかけ、もてなしているようです。
ちなみに、トプは大砲、カプは門の意味。かつて、ボスポラス海峡に突き出たこの地に大砲が備えられていたことから、トプカプ-サライ(宮殿)と呼ばれるようになったといいます。 -
トプカプ宮殿をあとにした章くんたちは、午後4時、「グランドバザール」にやってきました。
トルコのバザールへは世界各地から観光客が押し寄せるので、それらの客と日常的に接して鍛えに鍛えられているバザール内の店員は、多国語を操り、商売も巧み…。アジア大陸の東端の国からツアーでやって来た、国際感覚に乏しい日本人は、少しでもカモにならないように考えて買物をしなければならない(笑)。
しかし、少々騙されてもそれが旅の買物の楽しみと心得ている章くんには、バザールでの買物は期待がいっぱいです。 -
中央通り。この通りを中心にして、左右に小路が延びています。
値段は、中央通りから離れるほど安くなると、何かに書いてありました。
確かに、トルコの人々が多く利用する、このバザールの周辺の外部市場の方が全般的に安いようです。 -
中央通りの店がガラスケースなどを並べて整然と品物を陳列しているのに対して、1〜2本横の小路に入ると、店先に商品を積んでいる店も多くなります。
「日本人ですか?」と話しかけてくるので、「アンニョンハセオー」と韓国語で返事をしたら、「あっ、落としたよ!」と言われてうしろを振り返ってしまい、「やっぱり日本人ですね。解りますよ」と笑われてしまいました。 -
↑ 絨毯屋の店先で、商売ものの上で寝ているネコ。
全然無警戒で、深い眠りについています。
こんなに安眠できる絨毯ならば、ひとつ買っていこう…と、売れるかも(笑)。
章くん、このバザールでは、何も買いませんでした。世界各地から観光客が集まるグランドバザールには、もう掘り出し物はないのかも…。
-
↑ 午後5時45分、テオドシウスの城壁内にあるレストラン「KARIDES Rest」にて夕食を食べました。
さかなスープ、ナスのトマトソース、イカリング、サバの土鍋料理、にんじんのデザート…でした。
この後、ホテルへ帰る皆さんと別れて、夜のイスタンブールを歩きに行きました。
繁華街の「タクシム広場」までタクシーで行き、イスティクラル通りをガラタ橋までブラブラと下るというルートです。
そのお話は、その7へ…。
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