2010/05/12 - 2010/05/27
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akkiy363672さん
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日程は8日目。旅は、いよいよトルコの旅の圧巻「カッパドキア」に着きました。
自然が造る驚きの彫刻と、その自然とともに生きる当時の人々の暮らしを
、洞窟住居や地下都市の遺跡の中に見てきました。
【表紙の写真は、カッパドキアの奇岩群です。】
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
-
第8日目。5月19日(水)。
午前8時、「デデマン」ホテルを出発。コンヤ大平原を突き裂いて、今日もシルクロードを東へと走ります。
↑【車窓から】 トルコの地方幹線道路の多くで、片側を造っている工事中の箇所を見ました。
あと3年もすれば、トルコの道路は片側2車線道が地方の都市を結んでいることでしょう。
ただ、工事をしている人が意外に少なかったのが疑問でした。道路工事をしている箇所でも、3人ぐらいしか働いていないのです…? -
↑【車窓から】大農場では、灌漑していました。
手巻きのホースから水が出ているのが、なんかほほえましい。 -
↑しばらく走ると、堅牢な建物が見えてきました。シルクロードの時代に活躍した「ケルバン・サライ(隊商宿)」跡です。
高い塀で囲まれた堅牢な建物で、盗賊などの襲撃に耐えるように造られたのでしょう。
この実物を見るまでは、もつと簡単な民家に毛の生えた程度のものだと思っていました。こんな、城砦のような建物だとは…!
建物の前には多くの人が集まっていて、何かの催しが行われるようでした。 -
正面に置いてある立派な椅子には、子どもたちが腰掛けています。
みんな、勝手に座っているようです(笑)。日本ならば、係りの人が居て、見物の子どもなどは近づけないようにしていますよね。
座っている子が、「ハロー」と声をかけてきました。
カメラを向けると、おもむるに右手を挙げます。しかめっ面のままなのが、おかしかったです。
トルコの子どもたちは(大人もですが)、とても人懐っこくて気さくです。
すぐに「ハロー」と声をかけてきて、「ハポネ?」「ジャパン?」などと聞いてきます。 -
塀の中へ入るのは有料だと聞いていたのですが、アメリカ人の団体が入っていったので、それにまぎれて中に入りました。
中には、庭の中央にまず礼拝堂があります。
ケルバンサライは、ラクダによる1日の行程(30km~40km毎)に合わせて設けられていたそうです。 -
建物の各部屋は意外に大きなものでした。ここて、人もラクダも一緒に寝たそうです。
たたずんでいたら、ラクダのにおいがしました。
セルジュクトルコ朝は治安に腐心して路線の信頼性を保証し、盗賊の被害などは政府が補填したそうです。
この宿は、トルコ人か外国人かなどの区別をつけず、全ての人が3日間は無料で宿泊でき、食料も与えられました。
靴の修理や、貧しい人々への新しい靴の提供も行われ、病人は治療され、動物の世話も行いました。
この結果、交易が栄えて、セルジュクトルコは強国になっていきます。織田信長の楽市楽座と同じ考え方ですね。 -
表に出たら、小中学生、高校生の団体が何組も、トルコ国旗を先頭に行進してきました。
-
「若者の祭り」とかいう催しがあるのだということです。
生徒・学生たちは、ケルバンサライの正門前に次々と整列して行きました。
でも、真ん中に並べられた椅子に座っている子どもたちはそのままです(笑)。
章くんたちは、次に向かう時刻だったのでバスに乗り込みましたが、鼓笛隊がやってきて、催しはこれから本番を迎えるようでした。 -
ケルバンサライで嗅いだラクダの匂いのせいでしょうか、シルクロードが身近に思われました。
↑【車窓から】 1700年前、この道を、17歳のマルコポーロがラクダの背に揺られて東に向かったのでしょうか?
まぁ、マルコポーロはイタリアのベネチアからの旅立ちですから、もっと北のルートをたどったのかも知れませんが、当時、各地のいろいろな品物とともに、文化や芸術が、この道を通って運ばれていったことでしょう。 -
↑ 11時、じゅうたん屋さんに寄りました。
幾本も張り巡らされた縦糸に、上にかけてあるいろいろな色の糸(綿・羊毛・絹)をさまざまに通して、複雑な模様を表現していきます。
手間のかかる仕事で、模様が細かいほど、時間がかかるのは当然ですね。
小さいものでも数週間…、ちょっと大きくなると数ヶ月…、さらに大きいものは数年というものもあるとか。
家庭でおかみさんが内職として織り上げ、お店に委託して売りに出しているのもあると聞きました。
そんなときには、値段の交渉もたいへんで、店の主人は売り手のおかみさんの了解を取り付けながら、売値を決めるそうです。 -
↑ 絨毯屋
説明役のこのおじさんの日本語は、普通の日本人よりも流暢で、話も面白かったです。
説明が終わると、チャイ、トルココーヒーとともに、ワイン、ラク(トルコの酒)などが振舞われ、そのあと幾人もの係員が出てきて、「ヤスイデスヨ、カイマセンカ」と勧めます。
このツアーの中で、100万円以上もするじゅうたんを買った人が2人もいました。2人とも、ワインを飲んでいたから、酔った勢いだったのでしょうか。何か入っていたのかな(笑)?
-
さらにバスは走り、午後1時近くになって、辺りの景色が変わってきました。
カッパドキアに入ってきたのですね。 -
↑ 午後1時10分、洞窟レストランにて昼食です。
メニューは、中央アナトリアなのに魚料理…。「マスのグリル」が出されました。 -
↑ 岩山をくりぬいた洞窟レストラン…。
憧れの洞窟レストランとか洞窟ホテルとか聞きますが、章くんはちょっと圧迫感があるし、換気も気になって、新鮮な空気が少ないんじゃないかという気がしました。
でも、人気のようで、この辺りにはおびただしい数の洞窟ホテルやレストランがあります。 -
2時30分、洞窟から脱出して、バスに乗りました。
↑【車窓から】 窓の外は、違う星に来たような光景です。
☆ この記事を書いている横で、テレビの人気番組「笑点」をやっています。林家喜久蔵師匠が座布団を10枚獲得したご褒美に、彼のあだ名のひとつ「カッパ」にちなんで、カッパドキアの旅に来ている様子が映し出されています。
ちょっと手を休めて、見ることにしますね。 -
午後2時50分、きのこ型の岩がひしめく「パシャバー」に着きました。
きのこと言うよりは、温室シメジの大集合ですね、この谷は…。 -
奇岩には、たくさんの洞窟が掘られて、教会や住居に使われていたようです。
この地に人間が住み着いた歴史は古く、紀元前8千?7千年と気が遠くなるような昔です。 -
エサを食べていたラクダ君、カメラを向けると、急にこちらを向いてポーズをとりました。
カッパドキアは、このラクダ君に揺られて巡ることもできます。 -
← 人の大きさと比べると、きのこ岩の大きさがわかりますね。
数億年前に起きたエルジエス火山の噴火により、火山灰と溶岩が積み重なった地層が形成されました。
その後、風雨によって柔らかい凝灰岩層が浸食を受けますが、硬い溶岩層が乗っかった上部は浸食少なく、現在のような形になりました。 -
シメジ岩には洞窟住居が掘られているものもあって、登っていくことができるものもいくつかあります。
そのうちのひとつに登ってみました。下を見ると人が小さく見えますから、かなり高くまで登ってきていることがわかります。 -
でも、登るには、こんな梯子にしがみつきながら登っていかねばなりません。
章くん、カッパドキアでは、高所恐怖症であることを忘れていました。 -
シメジだなんて失礼なことを言ってしまいました。
あるパンフに、煙突にも形が似ているし、これらの岩々には妖精が住んでいるという言い伝えから、「妖精の煙突」とも言われている…とありました。メルヘンチックで、上品ですね。
最初の登塔者(塔に登る苦行を行う修道士のこと)と伝えられている聖シメオンも、この谷の洞窟に住んでいたといいます。
5世紀にカッパドキアにやってきた聖シメオンは世に知られた奇跡の修道士でした。遠くはエルサレムなどからも、彼の奇跡を求めて人々は押し寄せてきたといいます。
信者はこの岩の形を見て驚き、さらに修道士の奇跡を敬ったことでしょう。 -
バスに乗って、「カイマルク地下都市」へ…。
↑【車窓から】 途中で見た、「ウチヒサール(尖った岩の意)」です。砦を中心に住居が密集しています。
ここは、カッパドキアの中を移動するとき度々通るので、何度も同じ写真を撮りました。 -
↑「カイマクル地下都市」の入り口です。
ここは、アリの巣のように地下に伸びた地下都市です。
地下8階まで掘られているらしいのですが、見学できるのは4階までです。 -
カッパドギア地方には、火山層を掘りぬいた地下8~9階建ての地下都市が、ここの他にも多数造られているらしいです。
ここカイマクル地下都市は、紀元6~10世紀ごろに造られました。
合計面積は2・5平方キロメートルもあるとのことです。
周辺諸国からの侵略や、イスラム勢力から逃れたキリスト教徒が住みついたりしていて、攻撃に耐えるための通路を塞ぐ大石など、数々の防御システムが施されていました。
内部には大小様々な部屋、寝室、馬小屋、ワイン醸造所、倉庫、教会、井戸、トイレ、台所、通風孔などが建設されています。
カイマルクには、2万人の人が住んでいたといいます。
ぶどう酒の醸造所というスペースがありました。地下に隠れ住んでいても、酒を飲まなきゃ居られないのかと…下戸の章くんは思いましたが、教会の儀式に必要だったといわれて納得でした。 -
内部は迷路のように分れていて、うかつに入ると迷子になってしまいます。
章くんたちが入ったときも、上に出る道がわからないとガイドのセロハンさんに尋ねていた人がいました。
見学に訪れる欧米人の中でも太った人は、通路が通れない箇所があると言っていました。
地下生活は、ダイエットが必須条件だったのですね。 -
午後5時10分、今日の宿泊ホテル「ベラホテル」に着きました。
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いました、ネコくん。
よくわきまえていて、決してホテルの中へ入ってこようとはせずに、いつも玄関脇の階段のところで寝ていました。
このネコくんのために、章くんはバイキングのハムを2枚ずつ、いつも余分に取ってくることになります。 -
レストランに飾られていた、スイカのカービング!
毎日違う文様を彫っていました。 -
夕食バイキングの棚のひとつです。
-
これは、隣のおばさんの皿を写させて貰ったものです。あまりの食いっぷりに、敬意を表して…。
章くんは、いつもこの半分ぐらいしか食べません。
明日も一日、カッパドキアの見物で、このホテルには今日・明日と連泊です。 -
第9日目。5月20日(木)。
午前9時、ホテルを出発。午前中の行程はOPツアーですから、希望者19名が参加しての見物です。
まずは「ギョレメ野外博物館」の見物…。博物館とはいうものの、ギョレメの谷全体が対象となっていて、奇妙な形の岩山に、イスラム教徒の迫害を逃れたキリスト教徒が隠れ住んだ住居あとの洞窟が散在しています。 -
早速に、「洞窟教会」のひとつに入ってみます。
でも、中は狭いので、各グループは外で待って、順番に入ります。
大きな外国人は、入り口でつかえそうでした。 -
ギョレメの谷には、30以上の洞窟教会があるそうです。
それぞれに内部には見事なフレスコ画を見ることができますが、絵の目の部分を剥ぎ取って粉にして飲むと、目の病気が治るといった迷信が信じられ、目を剥がされてしまった絵も多かったです。 -
ギョレメの谷にも、奇岩がいっぱい。
この景観を空から見ようという、気球が上がってきました。 -
↑ ここは「へびの教会」。蛇が棲んでいるわけでなく、壁画に蛇退治をしている様子が描かれているからその名がつきました。
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↑ 高いところに掘られた住居跡へ登ってみました。
2つ3つと、はしごを登り継いでいくのです。 -
高いところの洞窟からは、眺めが抜群でした。
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バスに乗って、次は「セルベ野外博物館」へ移動します。
11時到着。「セルベ野外博物館」も、岩山にくりぬかれた人々の住居跡です。
12時30分まで、フリーにセレベの谷を歩きます。 -
ここは、聖堂や住居跡が無数にあり、つい最近まで村人が住んでいたとのことです。
30年前にあった地震で、崩壊の危険が生じたので、今は人々は近くの村に移住しています。
一部、立ち入り禁止になっている所もありました。 -
洞穴の住居から、外を眺めた風景です。
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遠足でしょうかね、小学生の一団が来ていました。
「ハロー」「ハロー」とみんな手を振って話しかけてきます。
「一緒に写真を撮ろう、トゥギャザー」と呼びかけると、「トゥギャザー」「トゥギャザー」と集まってきました。
トルコの人たちは、大人も子どもも、ホントに人懐っこくて暖かいですよ。(こちらが拒否していては、話しかけてこないかもしれませんが…。)
今の日本で、子どもたちに「一緒に写真を撮ろう」なんて言ったら、変なおじさん…扱いされかねませんね(苦笑)。 -
小学生のしばらく後からやってきた、女子学生の一団…。
カメラを向けると、こちらもみんな、爽やかに手を振っていきました。 -
奇岩の並ぶ光景が次々と現れますが、見飽きることがありません。
それにしても、昔の人はやっぱりすごい…。こんな奇妙な土地に穴を掘って住もうと考えるし、そうと決めたら岩山を掘りぬき、どこまでも続く迷路のような洞窟都市を造り上げてしまうのですから…。
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午後1時、ツアーに参加した全員が集まって、レストラン「UCHISAR KAYA」にてランチを食べました。
このデザート…、メッチャ甘いんですよ。
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レストランのベランダからのショットです。
ウチヒサールの要塞から、ギョレメの谷に向かって集落が流れるように立ち並ぶ様が一望されます。 -
お昼ご飯のあとは、カッパドキア・ワインの醸造元を訪ねました。
「トラサン」というワインメーカーです。
赤と白のワインを、みんなに1グラスずつ振舞ってくれました。 -
酒の飲めない章くんは、トラサンの横から屋根の上に登れる階段を見つけ、高いところへ出てみました。
後ろの山肌一帯に、洞窟がたくさん掘られていました。
多くが、洞窟レストランとして営業しているとのことです。 -
ワインをおよばれしたあとは、デヴレントの谷へと向います。
この岩、何の形に見えますか。
そう、ラクダですよね。で、この一帯を「らくだ谷」と呼びます。 -
3時20分、「アヴァノス焼」の店に行きました。
アヴァノスの製陶業は、紀元前2000年から紀元前1200年までのヒッタイト時代から続く産業で、近くを流れるクズル川の赤土を陶土として使います。 -
作成する行程も見せてくれました。
細かい模様や小さい粒々のひとつひとつも、全て手書きで完成していきます。
同じように見える作品でも、同じものはふたつとなく、名の有る芸術家のものは値段が跳ね上がるとのことでした。 -
ということで、買ってしまったのが、これ…。
10ン万円と言うのを、ン万円に値切って買ってきました。
章くんは交渉するのを楽しむようなところがあります。それでついつい話が煮え込んでしまって、こちらが提示した条件まで降りてくると、買わざるを得なくなる(苦笑)。
この水差しも、まさかここまで安くはしないだろうという値段を言い、「ムリムリ」と言うので「じゃぁ話にならん」と店を出てきたら、「ちょっと待って、オーナーと交渉してみる」と追いかけてきました。
それで今、このように我が家の棚の上に並んでいます。 -
午後4時20分、またバスに乗って、今度は洞窟住居に住んでいる、トルコ人のご家庭を訪問します。
↑【車窓から】 「BATH」と看板がかかっていますから、トルコ風呂の公衆浴場でしょう。 -
↑ 洞窟住宅のお宅に着きました。
地下都市や古代の洞窟と違い、入り口からの通路も広く、中の部屋もゆったりとした3LDKでした。
部屋にはトルコ絨毯が敷き詰められ、ギョレメの谷を見下ろす窓からの眺望が素晴らしいお宅でした。
洞窟住宅は、夏涼しく冬は暖かい、快適な住まいだそうです。 -
洞窟住宅のすぐ右上が展望台になっていました。
そこから眺めたギョレメの町の風景です。
町の向こうに「ローズウオール」と呼ばれる、鉄分を多く含む赤い地層の山肌が見えています。
夕日が当たる時刻には、真っ赤に色を変えるとか。
カッパドキアは、ホントにいろいろな表情を見せますね。 -
ホテルへ戻る途中に、「ウチヒサル(尖った岩の意)」を一望する高台に寄りました。
この巨大な一枚岩は城砦となっていて、中は上まで登ることができるそうです。
カッパドキアの一番高いところにありますから、天辺(てっぺん)からは360度の眺望が楽しめて、絶景だとか。
高台に聳え立つこの大岩は、カッパドキアのシンボルですね。 -
ウチヒサルの表側は、大岩を中心にして町が形成されています。ペンションなどの宿泊施設が多くあります。
大岩の表面には、他の岩山と同じように、小さな穴がたくさん並んでいます。これは鳩小屋で、土質の良くないカッパドキアでは鳩の糞を土に撒いて作物を育ててきたそうです。
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午後6時、ホテルへ帰りました。
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夕食…。果物の豊かさに感激です。
9日目が終了しました。
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