2010/06/04 - 2010/06/04
1321位(同エリア5328件中)
JANさん
2日目 朝食後、北京観光
「西太后の別荘地【世界遺産・頤和園】、
2008年オリンピックのメイン会場鳥の巣と
水立方(車窓見学)、
歴代十三代の皇帝が永遠の眠りにつく
【世界遺産・明の十三陵(定陵)】、
中国が誇る世界最大の城壁【世界遺産万里の長城<八達嶺>】」
途中、工芸品店でのショッピングへご案内。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
さて、メインの万里の長城に到着しました。(15:45着)
ここで、悲しいお知らせが・・・
本来はロープウェイで上まで楽々いけるはずだったのですが、
従業員のストライキのため、ロープウェイは動いていませんとのこと。
なんだと〜〜!!
っと、イラついても仕方ありません。
ガイドさんが申し訳なさげもなく、30元を返却してくれました^^ -
万里の長城のうちもっとも早く観光地として一般公開された場所である。現在の遺構は明代に建設されたものである。
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北京郊外に位置し北京市内と直通する八達嶺高速道路が建設されるなどの高い利便性から、年間を通じて多くの観光客が訪問する。ただし冬季は北京市内より気温が下がり、春は黄砂現象が多く観測され、また7月頃には霧が発生することから温暖で晴天の多い秋季が最も混雑する。
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「女坂」、南側を「男坂」と称し、現地日本語ガイドもその紹介を用いることがあるが、中国語では特に定まった呼称は使用されていない。
画像は女坂・・・比較的緩やかなのぼり坂です。
で、私は・・・思いっきり勘違いをして、人が少ないほうがいいやと言うことで、男坂に・・・後に後悔することに。 -
男坂ははしごのような階段を上ります。
登り始めて10分・・・すでに息が上がっています。 -
ゼーゼー言いながらも登り、
振り返ると、先ほど出発した広場が下に見えます。
がんばったな〜〜って、自分で自分をほめてあげます。 -
この地区の長城は首都防衛を目的とし、また王朝の威厳を示す目的もあり特に堅牢な建築物となっている。一般に認識されている煉瓦で建築され所々に望楼がある万里の長城は、北京近郊の長城に特有の様式であると言える。当地を含めて観光客に一般公開されている地点は、ほとんどの場所で大規模な修復が実施され、谷の底にある入場口から両側の山に伸びる長城のいずれも途中まで公開されている。
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これがとりあえずの頂点です。
どこまでも続く長城。この辺りで勘弁してください。 -
東端の遼寧省虎山から今まで東端とされていた河北省山海関に(以前はここから6,352kmとされていた)至り、西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8km。
一般に長城を作ったのは秦の始皇帝だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。 -
五代十国時代の936年に長城の重要な防御拠点である燕雲十六州を後晋が遼に割譲し、これにより長城による北方民族の防御は困難になった。そのためその後の北方民族・契丹の建国した遼、女真の建国した金、モンゴル人の建国したモンゴル帝国は難なく長城を越えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。南方から興った中国人の王朝である明がモンゴル人の王朝である元を北方の草原へ追放すると、元の再来に備え、明は長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。これは元の時代に北方の草原と南方の農耕を一体とした社会・経済が成立し、明も自国内でそれを実現すべく、北方への勢力拡大を行なっていたからである。そのため北方民族も南方の農耕民族の物産を必要としており、長城沿いに交易所がいくつも設けられた。ただし、交易はいつもうまくいっていたわけではなく、北方民族側の思うとおりにいかない場合もあった。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返していた。
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さてさて、来た路を下りましょ・・・
って、登りが大変と言うことは、下りも大変では・・・
そうなんです・・下りも大変だったんです。
で、手すりを使って、すべり降りたりして、楽しんでみました。 -
明末に満洲族(女真)が勃興し、後金を建国すると、明との間で長城の東端を巡り死闘が繰り返された。後金は明に対して有利に戦いを進めるも、名将袁崇煥に阻まれ、長城の東端の山海関を抜くことができなかった。しかし、袁崇煥は後金の謀略にかかった明の崇禎帝に誅殺された。その後明は李自成に滅ぼされ、後金から改名していた清は、明の遺臣の呉三桂の手引きにより山海関を越え、「清」の中国支配が始まった。
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現在、中華人民共和国政府は重要な歴史的文化財として保護し、世界遺産にも登録されている。世界有数の観光名所としても名高いが、地元住民が家の材料にしたり、観光客へ販売するなどの目的で長城の煉瓦を持ち去り、破壊が進んでいる。また、長城がダム工事により一部沈んだり、道路建設により分断もされている。長城周辺の甘粛省や陝西省は、中華人民共和国でもっとも貧しい地域の1つで、当局は対策に頭を悩ませている。
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2006年4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。
2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局は総延長は、6,352kmから8,851.8kmであると修正発表した。毎日新聞によるとのろし台5723カ所も確認され、煉瓦などでできた人工壁6259.6kmに加え、くぼみや塹壕部分の359.7km、崖などの険しい地形2232.5kmが含まれたことから延びたとみられるとしている。 -
ここでは、解説のイヤホンのレンタルがあります。
預かり金として500元。レンタル料は40元。
各国語に対応してます。 -
こちらでは入場料が掲示されています。
基本は45元(約650円)
65歳の方や身障者割引もあるようですが、
あくまでも、中国人が対象で、外国人には適用されていないようです。
適用されなくても良いから、
ロープウェイのストライキは止めれ・・・・^^ -
ということで、万里の長城の山登り終了です(18時終了)
この後はディナーです。
その後、ライトアップ長城です。 -
登山道入り口から徒歩5分ほどのホテルでのディナーになります。
全体的に暗めの建物です。
と言うか、泊り客の姿を見かけません。 -
(手前)ニガウリと鶏肉の炒め物
(右)カリフラワー・シメジ・ニンジンのとろみあんかけ
(左)ゆでキャベツ(唐辛子入り)
(奥)酢豚 -
(左)水餃子
(右)干し豆腐のマーボー豆腐
(手前)牛テールと大根の味噌炒め(八角入り) -
スープです。
鶏肉とマッシュルームのスープ。
豆板醤で味付けしてあります。
会場を後に、再度、万里の長城に戻り、ライトアップに向かおうとしたとき、
ハプニング発生。
階段のところで同行者の一人が足を踏み外し、捻挫。
確かに暗くて、階段の終点が見えなかったので、無理もないことです。
この店に行かれる方は、ご注意を -
夜8時と言うのに、まだ外はほんのり明るいです。
そんな中、万里の長城がライトアップされていきます。
見物人は私たちだけ。
あまり人気がないのかな? -
いろんなことがあった万里の長城。
良い思い出になりました。
(20:00発、21:00ホテル着)
この日の夜はホテルのプールでゆっくりとクールダウンしました。
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