2010/06/04 - 2010/06/04
2681位(同エリア5342件中)
JANさん
2日目 朝食後、北京観光
「西太后の別荘地【世界遺産・頤和園】、
2008年オリンピックのメイン会場鳥の巣と
水立方(車窓見学)、
歴代十三代の皇帝が永遠の眠りにつく
【世界遺産・明の十三陵(定陵)】、
中国が誇る世界最大の城壁【世界遺産万里の長城<八達嶺>】」
途中、工芸品店でのショッピングへご案内。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
ホテルの看板です。
良く晴れています。
今回は毎日、晴れて、毎日、暑かったです!
よかった〜^^ -
ホテルの朝食はビュッフェ形式。
画像はその一部です。
ぶっちゃけ、あんまり味は良くないです^^
朝食は朝の6時半から9時半までとのこと。
6時半には40人くらいが待っていました。
料理のテーブルには多くの人が群がっていました。
ぶっちゃ、落ち着いて、食べることはできませんでした。
また、コーヒーが恐ろしく不味いです。
まるで、インスタント・コーヒーを圧力鍋で煮たような味で、私は紅茶をチョイスしてました^^ -
ホテルの概観です。
朝食を済ませて、西太后の別荘地【世界遺産・頤和園】に向かいます。(8:30出発) -
頤和園に到着しました(9;00)
頤和園の頤とは保養の意味で、和とは休ませると言う意味だそうです。
多くの観光客が朝早くから訪れています。 -
1153年(貞元元年)、金朝の海陵王は頤和園内の香山、玉泉山に金山行宮を設置している。元朝が大都に都を置いた後、水運整備の必要性から、郭守敬は上流の水源開発を行い、昌平白浮村神山泉水から疏水し、宮廷で使用する水源を確保すると共に水運のための貯水池とした。
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バスを降りて、仁寿門をくぐって、中に進みます。
今回は全体を回ると言うよりも、スポット的に回ると言った感じです。
奥まで行くと、とてもきれいな所もあるみたいです。 -
こちらは太湖石。
中国の庭園や公園などには太湖石が多く、おかれています。
なぜ、太湖石なのか?とガイドさんに聞いたところ、
「きれいでしょ?」って。
う〜〜ん・・・・私には大きな軽石にしか見えないのだが^^ -
明代の1494年(弘治7年)、弘治帝の乳母であった助聖夫人羅により瓮山前に円静寺が建立(後に荒廃)された。これ以降、瓮山周辺の園林が次第に増加し、正徳帝は湖畔に行宮を建設し「好山園」と命名、皇室園林としての利用が始まり、また「瓮山」を「金山」と、「瓮山泊」を「金海」と改名し、正徳帝や万暦帝が舟遊びのため行幸している。天啓帝の時代になると朝廷内部で権勢を振るった魏忠賢により山園が所有されるにいたった。清初には宮廷の養馬場として牧草地にされている。
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頤和園の前身は清?園である。1750年(乾隆15年)、崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い乾隆帝が西湖掘削と西山、玉泉山、寿安山の造営、更に西湖、高水湖及び養水湖を貯水池することを命じ、西湖を漢武帝が昆明池を掘削して水軍の訓練を行った故事に因み昆明湖と、また、瓮山を万寿山と改称した。1764年(乾隆29年)、洋銀480余万両の費用を費やした清?園が完成している。当時の清?園内には居住及び政務施設が極めて乏しかったため乾隆帝の行幸は日帰りに限られていた。道光年間以降は国力の衰退に伴い清?園は次第に荒廃、1860年(咸豊10年)、第二次アヘン戦争で英仏の軍隊により消失してしまった。
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1884年から1895年(光緒9年から10年)にかけて西太后の隠居後の居所とすべく光緒帝の名により清?園の再建が命令された。しかし経費の問題より修復は前山建築群に限定されたが、その造営は日本と軍事的緊張が高まり軍備増強の歳出を必要とする清朝には大きな負担となったが、北洋艦隊を整備する海軍予算を再建費に流用していたことで日清戦争敗北の原因の一つとなったと言われる程、国庫を圧迫するものであったが、庭園は再建され頤和園と改称、離宮とされた西太后の避暑地に利用された。1900年(光緒26年)、義和団の乱を鎮圧すべく出兵した八ヶ国連合軍の一部により破壊を受けたが、1902年(光緒28年)に修復されている。
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中華民国が成立すると頤和園は清室の私有財産とされ、1914年には有料での一般開放がなされた。1924年に溥儀が紫禁城から放逐されると、頤和園は北平特別市政府に接収され公園とされた。
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屋根にはいろんな飾り物が。
数が多いほど、高貴なものだそうです。 -
1949年、中華人民共和国が成立すると頤和園には中国共産党中央党校が設置された。またその後も柳亜子や江青などが園中の聴?館等に居住していた。1953年以降、頤和園は公園となり一般開放された。
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意外に早く閉まってしまうんですね。
結構、要注意かも。 -
1759年に造られ、もとは四方八方に通り抜けられる建物だった。1860年に英仏連合軍に焼かれ、1886年に再建されて、光緒帝の寝所とされた。1898年戌戌の変法の失敗の後で、西太后箱の建物を封鎖させ、光緒帝を幽閉した。
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昆明池の船の乗船料などが記載されています。
気持ちよさそうでした。 -
昆明池のほとりから佛香閣を眺めます。
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仁寿堂の裏手から長廊に向かう屋根。
赤をベースにきれいな手書きの絵が描かれています。 -
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ここにも太湖石。
中国の人は、太湖石が好きだな〜^^ -
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金字黒地の「楽寿堂」の3字は、光緒帝がしたためたもの。堂の前には、西太后が乗船した埠頭がある。西側の奥の間は西太后の寝室である。東側の奥の間はリビングルームで、真ん中には宝座、御案、掌扇,屏風などのものがある。四つの全メッキした九桃大銅爐と青花磁の大果盤は、西太后生前の原物である。堂外両側は、「六合太平」の意味を示すように、銅の梅花鹿や仙鶴と大瓶が置かれており、庭中は「玉堂富貴」の意味で、モクセイやカイドウ、牡丹などの珍しい花木が植えられている。(出所:中国世界遺産「頤和園」)
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こういう壷のようなものが置かれているのが、中国らしいですね。
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こちらにも壁絵が
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派手な修復ではなく、質素に保存された場所もあります。
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室内にかけられていた絵。
こういうの好きです^^ -
ここから長廊に入ります。
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こちらが長廊。全長が723mだそうです。
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長廊を少し先に進むと、合唱の歌声が。
気になったので、長廊を右に曲がり、小高い丘の上を上ると、
総勢300名ほどが合唱しています。
翌日に訪れる天壇公園でも合唱してましたが、
こちらのほうが圧倒的に大人数でした。
北朝鮮の合唱にも似て、圧倒されました。 -
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長廊に戻り、昆明池を眺めます。
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ここで、自由時間タイム・アップ。
集合場所に戻ります。
約30分の自由時間ではとても奥まで見ることはできません。
次回は先まで進んでみたいと思います。 -
てなことで、頣和園を後にします(10:15発)
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