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 急に大阪へ行くことになった。広島から高速バスで大阪へ・・・<br /><br /> 所用を済ませた後、難波から南海電車で堺の一つ手前にある”七道”駅まで行く。<br /><br /> 何故?”七道”か、その訳は、マイ旅行記”ジョムソンからポカラへ・・・気ままな一人旅・・・05 ”河口慧海との出会い”を読んで頂ければわかりまが、河口慧海(かわぐち えかい)の出身地がここ七道だからです。<br /><br /> 南海電車の七道駅前ロータリーに河口慧海の銅像があることを知っていたので大阪にきたからには、どうしてもこの銅像を確かめておきたいという気持ちが強かったのです。<br /><br /> 今から100年以上も前に単身インド・ネパールから厳寒のヒマラヤを越え、チベット・ラサまで行った日本人がいたことを知り大変驚いてしまいました。<br /><br /> このたび、七道で河口慧海の銅像を見て改めて彼の偉業を確認することができたのです。<br /><br />  河口慧海についてのマイページは下記にあります・・・<br /><br />http://4travel.jp/traveler/elliott-7/album/10306927/

大阪ぶらぶら・・・七道を歩く

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2010/05/25 - 2010/05/25

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Elliott-7

Elliott-7さん

 急に大阪へ行くことになった。広島から高速バスで大阪へ・・・

 所用を済ませた後、難波から南海電車で堺の一つ手前にある”七道”駅まで行く。

 何故?”七道”か、その訳は、マイ旅行記”ジョムソンからポカラへ・・・気ままな一人旅・・・05 ”河口慧海との出会い”を読んで頂ければわかりまが、河口慧海(かわぐち えかい)の出身地がここ七道だからです。

 南海電車の七道駅前ロータリーに河口慧海の銅像があることを知っていたので大阪にきたからには、どうしてもこの銅像を確かめておきたいという気持ちが強かったのです。

 今から100年以上も前に単身インド・ネパールから厳寒のヒマラヤを越え、チベット・ラサまで行った日本人がいたことを知り大変驚いてしまいました。

 このたび、七道で河口慧海の銅像を見て改めて彼の偉業を確認することができたのです。

  河口慧海についてのマイページは下記にあります・・・

http://4travel.jp/traveler/elliott-7/album/10306927/

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス

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  • <br /> 南海電車・七道駅は難波からおよそ15分くらい、<br /><br /> 堺駅の一つ手前になる・・・・<br />


     南海電車・七道駅は難波からおよそ15分くらい、

     堺駅の一つ手前になる・・・・

  • <br /> 七道駅前のロータリーに立派な銅像があった・・


     七道駅前のロータリーに立派な銅像があった・・

  • <br /> 駅前に建つ、河口慧海の銅像・・


     駅前に建つ、河口慧海の銅像・・

  • <br /> アップしてみましょう・・・<br /><br /> 杖をついて大きな荷を背負い前かがみになって雪原を行く”慧海”の像から、ただひたすらラサを目指す強い信念が伺える・・・


     アップしてみましょう・・・

     杖をついて大きな荷を背負い前かがみになって雪原を行く”慧海”の像から、ただひたすらラサを目指す強い信念が伺える・・・

  • <br /> 銅像には、おびただしい鳥の糞の跡が・・・<br /><br /> 苦難に耐える慧海の涙のようにも見える・・


     銅像には、おびただしい鳥の糞の跡が・・・

     苦難に耐える慧海の涙のようにも見える・・

  • <br /> 横から見てみよう・・・<br /><br /> 荷を背負い、その傍らには高地に棲む”カシミヤ山羊”が・・・ 


     横から見てみよう・・・

     荷を背負い、その傍らには高地に棲む”カシミヤ山羊”が・・・ 

  • <br /> 銅像の台座にプレートが見える・・・


     銅像の台座にプレートが見える・・・

  • <br /> そこには、隷書体で「河口慧海顕彰立像」とある・・


     そこには、隷書体で「河口慧海顕彰立像」とある・・

  • <br /> ロータリーに説明板がありました・・・<br /><br /> 


     ロータリーに説明板がありました・・・

     

  • <br /> 和英両分ありますが、日本文説明によれば・・・<br /><br /> ・・・日本チベット学の祖  河口慧海・・・<br /><br /> 慶応2年、堺に生まれた河口慧海は、明治33年幾多の困難を乗り越えつつ、ただ一人チベットに入国しました。<br /> 各国の言語や社会情勢を学び、また高地の気象・自然・医療を勉強した彼は、世界の屋根ヒマラヤを越え当時厳重な鎖国状態にあったチベットへ入ったのです。<br /> 慧海の目的は、仏教の源泉を尋ねることにあったのですが、日本人として初めてのヒマラヤ踏破者となり、世界的に貴重な経典・仏像・民族資料・新発見17種を含む多数の高山植物標本をもたらすことになりました。これらの資料群は、彼が草分けとなった日本チベット学のみならず、他の学問の進歩にも多大な貢献を成したのです。<br /> 苦難の旅を綴った彼の「西蔵旅行記」は、チベット研究の第一級資料として今なお広く読まれ、国際的評価の高い文献になっています。<br /><br />   河口慧海像寄贈 堺ライオンズクラブ<br /><br />                 [説明板より]<br /><br /><br /><br />


     和英両分ありますが、日本文説明によれば・・・

     ・・・日本チベット学の祖  河口慧海・・・

     慶応2年、堺に生まれた河口慧海は、明治33年幾多の困難を乗り越えつつ、ただ一人チベットに入国しました。
     各国の言語や社会情勢を学び、また高地の気象・自然・医療を勉強した彼は、世界の屋根ヒマラヤを越え当時厳重な鎖国状態にあったチベットへ入ったのです。
     慧海の目的は、仏教の源泉を尋ねることにあったのですが、日本人として初めてのヒマラヤ踏破者となり、世界的に貴重な経典・仏像・民族資料・新発見17種を含む多数の高山植物標本をもたらすことになりました。これらの資料群は、彼が草分けとなった日本チベット学のみならず、他の学問の進歩にも多大な貢献を成したのです。
     苦難の旅を綴った彼の「西蔵旅行記」は、チベット研究の第一級資料として今なお広く読まれ、国際的評価の高い文献になっています。

       河口慧海像寄贈 堺ライオンズクラブ

                     [説明板より]



  • <br /> 銅像の台座、側面にプレートがありました・・・<br /><br /> 慧海の業績が詳しく説明されています。


     銅像の台座、側面にプレートがありました・・・

     慧海の業績が詳しく説明されています。

  • <br /> 折角ですから、慧海の生家跡へ行ってみました・・<br /><br /> 駅から歩いて5分くらいのところに生家跡があるというのですが、見当たりません・・<br /><br /> これだけですから、通り過ぎてしまいました、<br /><br />


     折角ですから、慧海の生家跡へ行ってみました・・

     駅から歩いて5分くらいのところに生家跡があるというのですが、見当たりません・・

     これだけですから、通り過ぎてしまいました、

  • <br /> 「河口慧海生家の跡」という文字が読み取れました<br /><br /><br />  その前には、ステンレス製の説明板が・・・


     「河口慧海生家の跡」という文字が読み取れました


      その前には、ステンレス製の説明板が・・・

  • <br /> ここの説明も前記紹介したものと同じような内容です・・


     ここの説明も前記紹介したものと同じような内容です・・

  • <br /> ここに慧海の生家があったそうです・・<br /><br /> 今は普通の民家ですが、ここの家主さんが親切に応対してくれました・・


     ここに慧海の生家があったそうです・・

     今は普通の民家ですが、ここの家主さんが親切に応対してくれました・・

  • <br /> 通りを散策してみました・・・<br /><br /> このような旧宅も・・


     通りを散策してみました・・・

     このような旧宅も・・

  • <br /> ここはお店のようです・・


     ここはお店のようです・・

  • <br /> こういう家屋を見ると何故かホットします・・


     こういう家屋を見ると何故かホットします・・

  • <br /> お店の看板に「薫香庶」とありました・・・<br /><br /> つまり、お香を専門に売るお店です・・・


     お店の看板に「薫香庶」とありました・・・

     つまり、お香を専門に売るお店です・・・

  • <br /> ショーウィンドウを覗いてみましょう・・・<br /><br /> いろんなお香を売っていました、<br />


     ショーウィンドウを覗いてみましょう・・・

     いろんなお香を売っていました、

  • <br /> 今では珍しい電燈も・・


     今では珍しい電燈も・・

  • <br /> 歩いていると「旧鉄砲鍛冶屋敷」という建物がありました・・<br /><br /> 井上邸は堺で唯一現存する鉄砲鍛冶屋敷だそうですが、残念ながら非公開でした・・


     歩いていると「旧鉄砲鍛冶屋敷」という建物がありました・・

     井上邸は堺で唯一現存する鉄砲鍛冶屋敷だそうですが、残念ながら非公開でした・・

  • <br /> 鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)とは、鉄砲の生産に従事した鍛冶職人のことで、その屋敷を鉄砲鍛冶屋敷という。<br /><br /> 大阪・堺は鉄砲つくりが多かったそうだ・・・<br /><br /><br />    次は、堺まで足の延ばしてみよう・・<br /><br />


     鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)とは、鉄砲の生産に従事した鍛冶職人のことで、その屋敷を鉄砲鍛冶屋敷という。

     大阪・堺は鉄砲つくりが多かったそうだ・・・


        次は、堺まで足の延ばしてみよう・・

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