2010/05/02 - 2010/05/05
2474位(同エリア2611件中)
azianokazeさん
- azianokazeさんTOP
- 旅行記488冊
- クチコミ0件
- Q&A回答12件
- 895,023アクセス
- フォロワー29人
台南3日目、朝の台南公園を散策してから、海に面した安平方面へ向かいます。午後からは市内中心部に戻って日本統治時代の建物などを探して歩きますが、それは後篇で。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
-
台南駅。台南公園は駅の北側にあります。
-
駅前に立つ鄭成功(ていせいこう)の銅像。
鄭成功についてはこれまで何回も触れましたし、今日行く安平古堡でもまた触れます。
台湾の始祖である鄭成功が最初に治めた町、台南を歩くと、どうしても行く先々で鄭成功にかかわってきます。
逆光で写りが悪いですが、最初台南の街にバスから降りたってこの銅像を目にしたとき、刀を腰に差した日本の侍の銅像のように見えました。 -
駅前を通りすぎてそのまま北上すると、行く手に濃い緑が見えてきます。市民の憩いの場、台南公園です。
公園内では大勢の市民が、思い思いに楽しんでいます。
一番目につくのは、グループでダンスを楽しむ女性たちです。 -
台南公園は池を中心に配した広い公園で、野外ステージなど多くの施設もあるようです。
日本統治時代は大正公園と呼ばれていたそうです。 -
こちらはダンスではなく、体操の一種みたいな、ゆっくりした動きをしていました。
-
台南公園は熱帯系の植物が多く、日本の公園とはまた違った趣があります。
-
振付と言うか、ステップを決めるのに、いろいろ試行錯誤しながら真剣な表情です。
-
こちらは御夫婦でしょうか、社交ダンスを舞われています。
-
朝から公園の木々の下で、夫婦で社交ダンス・・・素敵な人生です・・・多分。
-
-
悠然と、太極拳みたいな動きのおじさん。
-
おそろいのユニフォームで。
-
公園内でダンスなどに興じる人たちの年齢層は、全体にやや高めのようです。
もちろん“やや”です。気持ちは十分に若そうです。 -
踊ったりしているのは圧倒的に女性です。
では、男性はと言うと・・・カラオケを楽しむおじさん。 -
将棋みたいなゲームに興じる男性。
-
こちらもカラオケ。日本語の古い曲を歌っていました。
全体に、男性は数も少なく、あまり体を動かさず、単独または少人数で・・・という感じです。
女性の方が元気で社会性があるのは、日本も台湾も同じです。 -
台南公園からタクシーで安平方面に向かいます。
タクシー料金は、日本の3分の1ぐらいでしょうか。 -
安平古堡に到着。
-
安平古堡(あんぴん こほう)はゼーランディア城ともも呼ばれ、1624年に建設された台湾で最も古い城堡です。
建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていました。 -
入場料50元(150円)。
城に使われたレンガは、オランダ人によってインドネシアから運ばれたものとか。【歩き方】 -
で、鄭成功です。
再度紹介すると、鄭成功(ていせいこう)は明時代の軍人・政治家で、清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となりました。俗称を国姓爺。
日本の平戸で父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功は、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃「国性爺合戦」のモデルです。今日では台湾人の不屈精神の支柱・象徴(開発始祖あるいは「ピルグリム・ファーザーズ」)として社会的に極めて高い地位を占めています。 -
-
昔は、こんな海に突き出した城でした。
-
往時の安平古堡の模型
-
当時のオランダ人
-
濱田彌兵衞(はまだ やひょうえ)によるノイツ事件を描いたもの。こんな歴史があるとは知りませんでした。
“寛永の頃までに日本では朱印船貿易が盛んになっていたが、その交易先のひとつで明国との非公式な貿易を行う際の中継基地的な重要性があったのが高砂(台湾)だった。そこにオランダ東インド会社が進出してこれを占領 (1624)、ゼーランディア城を建てこの地における交易には一律10%の関税をかけはじめた。
寛永4年 (1627) 、長崎の貿易商・末次平蔵の朱印船の船の船長だった弥兵衛は、幕府の後援をうけて、オランダ総督ピーテル・ノイツを人質にし、オランダに関税撤回を要求。オランダはこれをのみ、高砂を自由貿易地にすることに成功した。”【ウィキペディア】
日本統治時代は、濱田彌兵衞は日本にとっては英雄であり、彼の名前を記した碑が立っていたとのことです。その後、碑は「安平古堡」と書きかえられたとか。(5,6枚前の写真の「安平古堡」と書かれた碑が、それでしょうか)
検索していたら、国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など日本の命運を担った戦前の外交官、松岡洋右が「興亜の大業」という本で、「彼の濱田彌兵衞が、オランダの長官の胸に日本刀をつきつけて邦人壓迫の不義を責め、我方の主張を貫徹せしめた痛快な逸話は餘りにも有名である。」と称賛しているのを知りました。立場により評価は様々です。 -
展望台からの眺め(安平港方向)
-
同上(安平樹屋・徳記洋行方面)
-
-
-
私の母は祖父が学校の先生をしていた関係で、戦前は台湾で生活していました。
小学校に上がる以前は台南で、それ以降は嘉義で暮らしましたが、台南の記憶はほとんどないようです。
唯一記憶にあるのが、嘉義から遠足でやってきたここゼーランディア城です。(城壁を背景にした記念撮影の写真も残っています)
帰国後、旅行での写真をみせたところ、やはり当時の面影はないとのことでした。 -
-
安平古堡にほど近い「徳記洋行」
もともとはイギリス商人の洋行(貿易会社)で、日本統治時代は日本の塩業会社が使用したそうです。
現在、中は蝋人形が展示されています。 -
台湾先住民(内部は撮影禁止でしたが、気づかずに数枚撮影しました)
-
鄭成功に和議を申し入れるオランダ人。
建物内部はエアコンが効いているので、一休みするにはいいかも。
この「徳記洋行」の隣には、ガジュマルに覆われた「安平樹屋」がありますが、写真枚数の関係でいったん終了して、続きは後篇で。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
azianokazeさんの関連旅行記
台南(台湾) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35